230話 周、体調崩す。
翌週の金曜日。
周がリモートに切り替わってから初めての週。
「っぶしゅ! …………うぅ。ズズッ……はだがでどぅ(鼻が出る)」
「ああ! もうっ……ティッシュティッシュ!」
ヘッドボードに手を伸ばしゆらゆらと長い腕で探す周に澪桜が箱ごとティッシュを渡す。
ちーーーーん!
勢いよく鼻をかむ周の傍で体温計を見た。
「うわ……38.9℃だ。おめでとう、完璧に拗らせたね」
「おべでだくだぃ(おめでたくない)」
ベッドサイドのゴミ箱にティッシュを落とし、潤んだ瞳で澪桜に物申した。
青いひんやりジェルをおでこに付けて毛布に包まる周。
熱が高く寒いのか、カタカタ震えている。
もちろん唇は真っ青。
澪桜は呆れながら夏用の羽毛布団を周の上からかける。
「周さんとうとう陽性になっちゃったねぇ。私は今のところ症状出てないけど、流石に出勤は不味いかも知れないから山本さんに確認中だけど返事来ないなぁ」
ポケットのスマホに視線を落とす。
通知の入ってないロック画面が光った。
申し訳なさそうに周が澪桜へ視線を向けた。
「ずずっ……べいばぐかげで、ごべんで?(迷惑かけて、ごめんね)」
「そんなの気にしなくていいよ。不可抗力じゃないか。きっと今までの忙しさが祟ったんだよ。あ、そうだ今のうちに……カツ丼作ってやろうか?」
「病人でぃ、ぞんだウルドラベビーぎゅうだもどだべさぜるだよ(病人に、そんなウルトラヘビー級な物食べさせるなよ)」
「……? 何言ってる? 私は風邪ひいたらガッツリ食べるよ? カツカレーとか、ごつ盛り焼きそばとか。熱でカロリー消費するからお腹すくでしょ?」
「おでのい、ぞんだでぃづよぐだい(俺の胃、そんなに強くない)」
拗ねたように周は鼻を鳴らす。
鼻まで毛布を被って。いつもより力ない瞳だけがこちらを見つめる。
甘えているみたいだ。
愛おしく思った澪桜は笑う。
「ったく、非力だなぁ。仕方ない、胃に優しいもの……卵粥でも作ってやるか。ねぎだくで!」
いつもより弱った周に眉を下げて、目にかかる髪の毛を優しく避けた。
ポンポンと頭を撫でた後ベッドから離れる。
周にお粥を作るために。
「デギダグ(ねぎだく)」
寂しそうに目で追う周は毛布に包まったまま、ヨロヨロと澪桜に付いてくる。
キッチンまでずっと。
素早く振り返ってデコを叩いた。
パチィン!
「いだぁ!」
「大人しく寝てろぉ!」
「いやだぁぁぁ。ざびじいぃぃぃ」
毛布のまま、澪桜にまとわりついた。
足掻いても剥がれない。ピトッと、くっついて毛布で澪桜まで覆う。
寒くないのに。
……というか、キッチンでする行動ではない。
邪魔。
「アホかぁ! お粥つくれないだろうがぁ!!!」
あまりに言うことを聞かない周にイラついた澪桜は背後の簀巻き男をベッドに連行し始めた。
「びおがしごどでぃいっぢゃううううう。ざびじぃぃぃぃ(澪桜が仕事に行っちゃう。寂しい)」
「子供かぁぁぁ!! 黙って寝てろぉ!! そして卵粥食って落ち着いたら病院行ってこい!!」
「ちゃんどいぐがだぁ。いばばぜべでぞばでぃいさせでぇぇぇ(ちゃんと行くから。今はせめて傍にいさせて)」
「だぁぁぁぁ! フォルティッシモ・ウザい! 大人しくしろってば!」
「じでどぅぼん! (してるもん!)」
高熱の周。熱で朦朧としているせいか、いつもより行動が幼い。
そしてツッコミが緩い。
(……いや、大して変わらないか)
まとわりつく周を無視して、辛辣な事を考えながら卵粥を作り始めた。
パウダーの天然出汁のパックを破り、カルシウムを摂れと言わんばかりに全部入れ、ご飯を投入。醤油、酒、少しのみりんで味を整えてネギを加え、卵でとじた。
あっという間に卵粥ができ上がる。
周をベッドに戻そうとしたが
「大丈夫、テーブルでたべどぅ。びおぼたべよ(食べる。澪桜も食べよ)」
フラフラとおぼつかない足で毛布をベッドに戻し、カーディガンを羽織った周はダイニングチェアに座った。
いつもより更に線が細くなってる気がする。
「ほら、温かいうちに食べなよ。まだ沢山あるから、もし私が出勤になった場合は温めてお昼に食べるんだよ?」
「あでぃがどぉ(ありがとう)」
ゆっくり食べ始める周と共に、澪桜も準備した朝食に箸をつけた。
「おいじい」
「そりゃ良かった」
「おで、ひどりぐらじでぃだっでがら、こんな風にかんびょうじでぼらっだの、はじべで(俺、一人暮らしになってから、こんな風に看病してもらったの、初めて)」
「いつもはどうしてたの?」
不意に気になった澪桜。
味噌汁を飲みながら聞いた。
フーフーと火傷しないように食べていた周が眉を下げる。
「いつぼ、極力ただなぐですぶようでぃ、ベッドにすべでおいでだ。しょぐよぐだいがだ、ぜでぃーどが(いつも、極力立たなくて済むように、ベッドに全て置いてた。食欲が無いから、ゼリーとか)」
「うんうん、それは効率的」
「で、ばんがいぢでぃぞだえで、すばぼで119でぃれんだぐでぎどぅよーにじでだ(で、万が一に備えて、スマホで119に連絡出来るようにしてた)」
「……毎回体壊す度に、生と死を彷徨ってる感がすごい」
「ばいかい覚悟じでだよ。ざびじいじ。……びおは? びょうきどどぎどうじでだ?(毎回覚悟してたよ。寂しいし。……澪桜は?病気の時どうしてた?)」
納豆の糸を箸で器用に捌きながら澪桜は不敵な笑みを浮かべる。
「私は一人暮らしし始めてから、風邪ひとつ引いたことない。というか、インフルエンザもコロナも! 人生で一度もかかったことない!」
「ええ!? うぞでじょ!?」
「本当だよ! あはははは! 私のナチュラルキラー細胞を舐めるな! ウイルスなんぞ見つけ次第撲〇だ!」
「物騒ずぎどぅ、でぼびおっぽい(物騒すぎる、でも澪桜っぽい)」
「ええ? そうかい?」
「あはははははは! ゲホッゴホゴホ!!」
楽しそうに笑った。
だが、それをウイルスが許してくれない。
少しテンションが高ぶって熱が上がったせいか、周が辛そうにしている。
澪桜は優しく声をかけた。
「……辛いんだろう? ベッドに戻ろう……ね?」
「でぼ、あどがたづけ(でも、後片付け)」
「もう。こんな日までしようとしなくていいんだよ」
「おでのだめに、ごはんづぐっでぐでたのでぃ(俺のためにご飯作ってくれたのに)」
「いいって! 治ってから存分に甘やかしてくれ」
「ゔん」
とりあえず、薬局で買った効果の緩い解熱剤を飲ませて、
ふらつく周を支えながらベッドに寝かせた。
ブー!
スマホが鳴る。
スーツのポケットからスマホを取りだした。
『今日は念の為出勤するなってさ、だから有給にしといた。潜伏期間考えて来週から出勤にしとけ。お前も無理すんなよ?』
『ありがとうございます。そうさせて頂きます』
山本に返信をした澪桜は服を着替える為に立ち上がろうとする。
くいっ
裾が微かに引っ張られた。
「じごど……ぞどぞどじがんでじょ? 気おづげでで? おぐれだぐでごべんで(仕事……そろそろ時間でしょ? 気をつけてね? 送れなくてごめんね)」
寂しそうに笑う周。
甘えてくる癖にこういう時だけ大人ぶる。
本当は行って欲しく無いくせに。
(機微が読めなくても、君の考えてる事はすぐわかる)
澪桜は優しく髪を撫でて頬を緩ませた。
「今日は仕事休みになったよ。潜伏期間考えて、週明けにPCRしてから仕事来いってさ。だから今日は君のそばに居るよ」
「ほんど?」
「本当、着替えてとりま2度でも寝するか。後で病院連れてくからね? いいかい?」
「ゔん。うでじぃ……びおに看病じでぼらえどぅ日が――(うん。嬉しい……澪桜に看病して貰える日が――)」
「とりあえず、首にネギを巻け! そしたらばあちゃんが治るっていってた!」
張り切るように冷蔵庫をゴソゴソと物色しながら声を張り上げた。
周は首を振る。
「や……やだ」
「さあ。腹をだせ! へそに梅干し貼ったら治るっていってた! じいちゃんが!!」
ニヤニヤしながらにじり寄る澪桜。謎の民間療法を試そうと、ネギと梅干しを持っている。
「いやだぁぁぁぁ! だでぃぞの変だびんかんりょーほー!? じがぼおで、風邪じゃないじ!! ウゴホッゲホゲホ(いやだぁぁ! 何その変な民間療法!? しかも俺、風邪じゃないし!!)」
ある意味窮地に立たされた周。
全身全霊のツッコミで更に喉が終わる。
「暴れるな! ほら、諦めろ大人しくせんかい!! そしてのど飴も喰らえ!」
「うげぇ! じっぷ味どやづー!!(湿布味のやつ)」
力も出ない今日。
結局澪桜のやりたい放題にされる周だった。




