224話 主役気取りの女
「木曜日か……」
周はスマホの日付に目を落として、低く喉を鳴らした。
「今日何かあるのかい? 顔が怖いよ? ふわぁ」
澪桜はあくびをしながらジャケットの裾を直す周にコーヒーを渡す。
「そう。俺のパソコンの中に来てくれた澪桜を守る、いや、より進化させて澪桜に近付けるために頑張らないといけないの」
「……まさか3時間も書斎の椅子に固定されると思わなかったよ。ていうか、君の目、やっぱ病院で診てもらった方がいい。ありゃ私じゃないよ、美化しすぎだ」
「……よく言うよ。途中から乗り気になって自分からキャラクリし始めた癖に」
「あのアプリ、製品化されたら私も落とす! スマホとパソコンに周さん入れるんだ! エルフ耳の白髪ロン毛にして!! 名前はお母さん!」
「それはもう俺じゃないよ!! せめて名前、アマネリアンとかにしてよ」
「むしろダサい!!」
朝からケタケタ笑ってる目の前の天使に朝日が差す。
周は幸せを噛み締めた。
コーヒーの湯気越しに映る美しい彼女に見蕩れながら。
これから始まる戦いを思ってマグを握る手に力を込めた。
***
「さて……いよいよだな」
違和感の残る喉に少し手を当てて軽く喉仏を動かし、水で潤す。
「結城マネージャー……今日の会議、査定側ですよね? 上手くいきますかね?」
不安げに主任の一人が口を開いた。
周は一瞬だけ彼に視線を向けたあと、神崎チームに視線を戻す。
「どうかな。僕がもし今日の会議で彼らに言い負かされた場合、田辺さんのアプリ開発は黒寄りのグレーゾーン開発になりますねぇ」
「いや、それが一番怖いんですけど!?」
「ふふ。……メールで通達しましたが、会議の様子をリアルタイム視聴しておくように。もし完敗したらごめんなさいね」
サラリと涼しい顔のまま言い放ち周はその場を離れた。
「ゆっ……結城マネージャー!!」
背中から情けない声が聞こえてきたが、周は振り返りもせずに一人カンファレンスルーム(広い会議室)に向かう。
長い足を捌き、カツカツと低く硬い音を立てて歩く。
ドアを開けると開発チームの人間が作業を進めていた。
広い席には既に数名座っている。
上層部の人間達だ。
その中の鋭い目つきの男性が周に手を挙げる。
「お疲れ様、結城」
「お疲れ様です。冴木さん」
冴木は周がデジタルエンジニアの頃の上司だった人。周の憧れであり、目標だった先輩だ。
今では上層部会議の時か、プライベートで誘われるでも無い限り会うことは滅多にないエグゼクティブディレクター(本部長)だ。
その隣の中年の男性も周に軽く会釈した。
岡本という名前の彼は冴木のさらに上。
VP(事業部長)だ。本日の企画開発における予算検討会議の最終決定を下す人間。
周は静かに美しい角度で頭を下げる。
すると頭の方からよく通る声が響いてきた。
「君の部下達は凄いな。この企画書を見る限りだが、なかなかいいアイデアじゃないか。まぁ、若干の疑問はあるが……質問を交えつつこのアプリの全容がいかなるものか……今日はじっくり見させてもらうよ」
「ありがとうございます。私もこの企画書の可能性を楽しみにしていますが、今日の会議でより具体的に、詰めるつもりです」
「あはは、お前はいつもソレだな。自分の部下達なんだ、もう少しお手柔らかにしてやれ」
「予算やスポンサーに関わってくる問題ですからね。……身内贔屓は無理ですね」
長いまつ毛を揺らして微笑む。
岡本の助言を穏やかにいなした。
“それでこそ結城だな。”
微かに聞こえてきた納得する声にもう一度頭を下げて、冴木に促された席に腰を落とす。
今日、今から行われる企画開発の予算決定会議は、周の部署内の気楽なミーティングなどとは違う。
大きなプロジェクトを進行させる為の第一関門のような会議だ。
このように分岐点となるタイミングで上層部を招き、企画を立ち上げたチームがプレゼンをする。
その結果招かれた上層部により、企画存続の可否、又は予算の最終決定を下される。
今回の周の立場はもちろん上層部側。
今までも幾度となく企画を落としてきた男。
自身も落とされる経験を何度も重ねているからこそ、部下にも厳しい。
それを理解しているからこそ、周の部下は年下の周を尊敬していた。
互いにより高みを目指すように切磋琢磨してきた良い部署だった。
―――蜘蛛に絡め取られた憐れな男たちによってその秩序は崩壊し始めるまでは……
「……神崎さん、結城マネージャーは結構詰めて聞いてくると思うけど俺たちがいるから大丈夫だからね!」
「そうだ! こんなに素晴らしい企画なんだ! 絶対通してみせるよ」
一人の人形のように整った顔立ちの女性を取り囲むように歩く男性社員達。
神崎の企画開発チームだ。
「私……怖くなってきちゃいました。緊張して指が……」
不安げに眉を下げ、軽く震えてみせる。
その庇護欲、いや男の本能をくすぐる計算された仕草に社員達は蕩けるような表情を浮かべた。
「不安がらないで神崎さん! 俺たちが完膚なきまでに論破してみせるさ」
その表情はゆっくりと闘志を燃やし始める。
手で口元を隠したまま神崎は歪に口角を上げた。
(ふふふ。……やっぱりチョロい。結城マネージャー、待ってなさい、あの女からアイデアをちょっとだけ貰ったけど、私のアレンジを足したこの企画を見て有能だって認めさせてあげるわ。企画が通りさえすれば……打ち合わせの名目でいくらでも相談に乗ってもらえるわね)
開発チームにも関わらず、最後に登場した主役気取りの女が今、会議室に足を運んだ。




