218話 嫉妬メガネ
パソコンをシャットダウンして両手を伸ばした。
明日から来るであろう地獄。
仕事をする気がない人間に仕事を教えることほど無駄な時間はない。
ちゃんと覚えてくれたらいいが、部下たちの報告を聞く限り……難しいだろう。
(ああ、俺ストレスでハゲるかもしれない)
想像しただけでストレス+20ほどのダメージを受けた。
書斎の向こうから聞こえる生活音。
一気に仕事モードから休日に引き戻された周は、果てしなく澪桜に甘えたくなる。
「うう……澪桜ぉ」
ヨロヨロしながら書斎から周が出てきて澪桜に近づいた。
「どっどうしたんだい!? 何かトラブル!?」
「うん。……だから俺を抱きしめて♡」
そう言って両手を広げる。
……眼鏡のまま。
澪桜は周を直視できずソワソワして視線を泳がせた。
「どっ、どういう理屈だい!? そ、そうだ……これ、見て。今話題のみたらし団子屋さんらしい。生姜と味噌が効いてて美味しいんだって! こ、これ食べに……行こう?」
目を大きく見開いた周は手を広げたまま澪桜のスマホを覗き込む。
「お! いいねぇ。餅とか団子とか、ちょうどそういうの食べたい気分! じゃ、早速行きますか!」
フットワークの軽い男。
軽く服を着替え始める。
半袖シャツのボタンを留めている時にふと気がついた。
「おっと、メガネかけたままだった」
不意に外そうとする手を力強く阻止する腕。
びっくりして澪桜に目を向けた。
「そっ……そのままでもいいんじゃないかな!? たまにはその、雰囲気的にも合うし!?」
今まで外見のコーディネートなんて、何も言ったことないのに。
「……じゃあそうする」
不審に思う周、訝しげに頷いた。それを見てホッとした彼女に視線を送る。
いつもより様子のおかしい澪桜を少し観察することにした。
***
今日は車ではなく、電車で向かうことにした二人。
移動中、ずっと澪桜の様子を見ていると
チラチラとまわりに視線を向けていた。
ひとつに束ねた綺麗な髪が揺れる。
視線の先を追い、周は眉を一瞬だけ動かした。
確認するように澪桜の視線が動く度に追いかける。
そして納得した。
(……やっぱりそうだ。さっきも新しい扉が何とかって言ってたしな)
周の中で何かが繋がる。歯がゆくて奥歯を噛み締めた。
「……? 周さん、どうしたんだい?」
「澪桜こそキョロキョロしてどうしたの?」
少しだけいつもより冷たく返事をする。
態度に出したくないのに、抑えられない。
「あ、えっとね……なんでもないよ。周さんと電車乗るの初めてだからなんか新鮮だなって思ってただけで」
澪桜は一瞬周と目が合うとすぐまた逸らして窓の外に視線を向けた。
不意に戻っている呼び名。
周も外に目を向けてため息をついた。
電車を降りて改札を出た後、手を繋ぎ歩道を歩いていく。
今日は珍しく二の腕を出している澪桜。
いつもより少しだけ露出の高い袖口から色白の肌が顕になり、行き交う男が彼女に目を落とす。
同じ男だからわかる。
欲を帯びたいやらしい目つき。
(俺の澪桜を……俺だけの澪桜を、よくも……)
通りすがりの男性に殺気を帯びた視線を向けた。
慌てて視線を逸らされる。
知らない男に視線で穢される度に
どんどんと周の怒りが募っていく。
思わず澪桜の肩に触れて引き寄せ、通りすぎる男たちの視線から守るように建物側を歩かせた。
「?」
涼しそうにシアーな服を風で靡かせて澪桜が微笑む。
無邪気な笑顔が余計に周の心を乱す。
怒りだけじゃなく、同時にときめきや愛を孕ませて。
美しいからこそ、見せたくない。
閉じ込めたい。
一生誰の目にも触れない所に……
(バカが。何を考えてるんだ俺は)
狂気を孕む気持ちを切り替えるように眼鏡の位置を戻して、ナビに視線を向けながら目的の日本庭園に向かった。
駅から4~5分歩いた所にある美しい池の畔に建てられた日本家屋。内装をカフェに変えた趣のあるお店だ。
澪桜の言っていたみたらし団子セットを注文し、窓際の席に座った彼女に羽織っていたシャツをかけた。
「ありがとう。少し空調効きまくりだなと思ってたんだ、よく分かったねぇ」
「良かった。寒いならこのまま着てて」
スマートな周の優しさに当てられた一般客達は微かに頬を染める。
嬉しそうに周の服を纏う澪桜に目を細めた後、景色に目を向けた。
少しの時間だがまだまだ残暑厳しい季節。
歩いていて火照った身体を心地よい空調が冷ましてくれた。
庭園に視線を向けると眼鏡のせいか、いつもより景色が鮮明で息を飲む。
目の冴えるような新緑と池のコントラストが綺麗で、先程までの気持ちがゆっくりと浄化されていった。
景色を楽しんでいると不意に視線を感じる。
目を向けるとまた、澪桜に視線を逸らされた。
周はほうじ茶を一口飲んだ後、ムスッとした顔で口を開く。
もう耐えられない。
「……澪桜ってさ。メガネ好きでしょ」
「うう!?」
はい。図星。
(俺のメガネを見てそれに芽生えたんだろうな。だからってさ)
サラッと分けていた前髪が目にかかって影を落とす。
「あ、周……さん? なんか機嫌……悪い?」
機微の読めない澪桜だが、周の様子を伺い恐る恐る確認する。
すると低く沈んだ声が響いた。
「……ここに来る時、ずっとメガネかけてる人見てたでしょう。俺、しっかり気付いてるからね。それ」
「うっ!? そっそれはだって」
「酷いよ……俺とデートしてるのに。誘って貰えて喜んでたのに。……で? どいつが良かったの? 黒髪の緑の服着てたやつ?それとも茶髪でデニム履いてたやつ? どれが好みだった? ……俺がそいつみたいな見た目になったらもう一度好きになってくれるの?」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……」
「これが落ち着いていられる? 朝から俺とは視線すら合わせずに、デートしてる間さえ恋人の俺には見向きもしないで、他の男ばっか見てさ。しかもそんな……薄着だし。ここに来るまでにどれだけ男にいやらしい目で見られてたか分かってる?」
「でもこのシアーシャツ、周さんが選んで買ってくれたや」
「こんなに他の男にジロジロ見られると思ってなかったんだもん! もうヤダ。二度とそれだけ外歩かないで! 後でカーディガン買うから羽織って!」
「えぇ〜。今日は一段とウザい。……というかこの上着そういう意味か!」
「そうだよ。この鈍感!」
「ああ〜出たよワガママ束縛男☆ スーパー周」
呆れたように言う澪桜に周は珍しく食ってかかった。
いつもはイエスマン。
澪桜の全てを肯定する男。
だけど今日は違った。
「なんでそんな冗談ではぐらかすの? ……俺がこんなに傷付いてるのになんで分かってくれないの?」
「だから誤解だって」
「何が誤解? だって朝言ってたじゃん。新しい扉開いたって。メガネなら誰でもいいってことなんでしょ?」
公の場でサラッと恥ずかしい事を言う周に慌てて澪桜は言い返した。
「そ、そんなわけないだろ!?」
「うそだぁ!」
浮気をした男が彼女に詰め寄られているような
完全に男女が逆転した二人の会話。
他の客がクスクスと盗み聞きして笑っている。
澪桜は恥ずかしくて辺りを見回した。
するとすかさず周が指摘してくる。
「ほらまた、メガネの客探してるんでしょ!? さっき確認したけど残念でした。ここにメガネは俺以外いませんよ」
「ちっ違! それを言ったら君だって! さっきから巨乳ばっかり目で追ってただろうが!」
「は? ……いつ?」
「見てたじゃないか! ずっと真剣な顔で何カップか測ってただろう!? エロめ! お前のメガネはスカウターか!」
だが表情ひとつ変えることなく、スンとした態度で周は返す。
「全く見てないよそんなの。澪桜以外、興味無いし。というか論点ずらしやめてくれる? 今の議論は君がメガネに芽生え」
「あーーーもう! しつこい! 違うんだよ。誤解なの!」
「じゃあどう誤解だったのか俺が分かるように説明してよ」
ずっと拗ねてる周に、観念したように言葉を探し始めた。
澪桜が顔を真っ赤にして周に目を向ける。
チラチラと視線を合わせては外すを繰り返しながら。
小さな声で呟いた。
「わっ私が朝言ってたのは……その。き、君の眼鏡姿があまりにも綺麗で衝撃受けたから。違う一面を見られた気がしてドキドキしたというか。だから外してほしくなかったし、手を繋いで歩いてみたかったんだよ。メガネをかけた君の破壊力が凄かったから、照れちゃってまともに見られなかっただけで……」
にわかに信じられない周は不貞腐れたまま返した。
「……通りすがりのメガネ見てたのは?」
「君と比べてた。私の、あ、周さんはどんな男性よりも綺麗でカッコよくて。私って幸せ者だなって。勝手にそんな風に比べて、行き交う人には失礼な事したよ」
俯いてモジモジしている澪桜を見つめて目を大きく開く。変わらず照れたままの澪桜の挙動。
それが嘘とは、もう思えなくて。
「……メガネかけてる俺が刺さったの?」
「そうだよ。君以外にときめくわけないだろ」
照れを隠すように澪桜はほうじ茶に口を付けた。
少しの間、店内のBGMが心地よく響く空間で、周は固まったまま動かない。
店員からみたらし団子と七輪を受け取って食べる準備をしながら澪桜は続けた。
「理解してくれた? もう機嫌直してくれるかい? 不安にさせてゴメン。私はただ、君が誰よりも美しいから誇らしかったんだろうね」
困った顔のまま微笑みかける。
周はみるみるうちに赤くなり大きな手で顔を隠した。
「? ……周さん?」
「っごめん。……俺、ごめん」
「気にしなくていいよ! お互い様! それよりほら、焼いて食べよ〜♪」
何事も無かったかのように接してくれる澪桜。
その優しさが余計に良心を痛める。
周は勘違いしていた自分が急激に恥ずかしくなった。
仕事で疲れてるから判断力が落ちていたのかもしれない。
だとしても、一方的に決めつけて他の男から見られる澪桜に苛立ち、醜い嫉妬と独占欲を向けて、一方的に責めた。
それなのに澪桜は今も変わらず照れながら微笑んでくれている。
あらぬ疑いをかけられたのに。
怒りもしないで
やさしさで包んでくれて。
情けなくて、申し訳なくて。
震える声で微かに呟いた。
「……君が望むならもう俺、一生メガネかけてる」
「いや、なんだその制約は! 重いが過ぎる! グラビティ!」
今までの事が無かったかのように、澪桜は楽しそうに笑った。
それはまるで照りつける太陽みたいに輝いてて。
直視できないくらいに眩しくて。
胸が酷く軋んだ周は切なそうに目を細めた。
いつまで経ってもカッコイイ彼氏になれなくてごめん。
ダサくてごめん。
鬱陶しいよね。
でも、不安に駆られるくらい。
泣きたくなるくらい。
どうしようもないほど、
君が好きなんだ。




