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216話 紅に染まるトマト

本日も長くてなってしまいました。

すみません。


どうぞよろしくお願いします!

 

「ふんふふーん! いい匂い〜いい女になった気分〜」


 ヘアオイルを付けた手で毛先から手ぐしで揉み込む。

 仕上げにシュッシュッとヘアスプレーをした。


 アルページュという香水に似た、とても良い香りに包まれて幸せいっぱいに澪桜はその芳香を吸い込んだ。


 甘酸っぱいのに、柔らかい。印象的な香り。

 両腕を組み、洗面所入口の柱に頭を預けた周が笑って口を開く。


「気分じゃなくて、既にいい女だから」


「周さ……周! そんな事言うの君だけだよ」



 髪の毛を手際良く、くるりんぱし髪型を整えた。

 女磨き(?)の成果か、前より腕が上がったお陰で髪型のレパートリーが増えた澪桜。

 1回転して周に見せる。


「うん。可愛い。……でも俺はこのくらい……ルーズな方が好きかな」


 そう言って周は澪桜の頭に柔らかく触れ、少し束から毛束を出して緩く纏める。


「おお! なんかオシャンティーになった。ありがとう」


 今日はプレゼントをくれた佐々木へのお返しを探す為に出かける事にした二人。

 何が好みなのかもまだ出会ったばかりだから分からないけど、誰かにプレゼントするのは久しぶりで澪桜はとても楽しそうだった。


 松井の誕プレの時みたいに、これが欲しい! って言ってくれるタイプじゃないので、難しいが出来たら喜んで欲しい。


 澪桜は前の日から色々調べて、周と二人で行く店をピックアップしていた。


「……良いものがあるといいな。喜んで欲しいな」


「そうだね。佐々木さんに喜んでもらえたらいいね」



 澪桜の髪を撫でて、優しくキスをした。

 あの日から、週末は練習するようになった二人。

 甘さも前より一段と深くなった。


 ただ―――


 ゆっくり離れる唇。

 妖艶な瞳が澪桜を捕え、濡れた唇が揺れた。


「朝からお買い物行くから、昨日の夜は我慢したけど、今日の夜は寝させないからそのつもりでいてね♡」



「……い、嫌だ! というか何故一晩中しようとする!? 練習なのに!まだ階段登りきってないのに!! 登った人達ですら1時間でも長い方だって書いてあったぞ!? コラムに!」


「……それは、俺の性癖が元々練習の部分に重きを置いてたから仕方ないよね。永遠に楽しめちゃうんだもん。しかも澪桜への愛が溢れてるから、止められない止まらない」


「かっぱえびさんか私は!!! やめろぉ! 筋肉痛で身動き取れなくなるんだよ!!」


「それはあんな澪桜が悶えるからでしょ♡ ああやってワザと俺を煽ってるクセに」


「んだとっ!? このっ……自分だって人の太ももで勝手に―――」


「ぎゃああああああああああ! やめてぇぇぇぇ!!!」


 ゴン!

 仰け反りすぎて勢いよく壁に頭をぶつけ、二次被害に遭う周。ダサいことこの上ない。

 一体何の話なのか。

 多分恐ろしくどうでもいいが、彼にとって名誉に関わる内容なのだろう。


「分かったか! このバカタレが!! 調子に乗るな、アホォ! だから今日の夜も静かに寝る。以上だ!!」


 顔を真っ赤にしてメイクポーチを片付けていく澪桜。


 その様子を頭を擦って眺めながら、反省したはずの周がまたニヤッと口角を上げた。


「じゃあ折衷案を立てよう? 今日は練習を少しにして、夜寝させてあげる代わりに、明日は何処にも行かないで一日中練習する?♡」


「どこが折衷案だぁぁ!? というか、今日寝ずに練習だったとしても、どちらにしろ明日そうするつもりだろ!? 先週そうだったじゃないか」


「……んふふ。もう、ツンデレなんだから。いざ夜になったらあんな甘えて『周、もっと♡』って上手におねだりしてくれるのに。……しかもコラムで調べたりなんかして、本当に可愛いんだから。澪桜のエッチ♡」


 ブチィ!

 澪桜の何かがキレた。

 羞恥の限界か、はたまた怒りの限界か。

 目の前の懲りることを知らないアホにとうとう鉄槌が下る。


「っ……調子に乗んな!! ウオラァ!! この変態マネージャーがぁぁ!!」


 澪桜の長い手足が周の関節にまとわりつき、あっという間にロックする。


「いっ……たたたたたたたたたた!! ギブっギブ!! 澪桜何でこんなプロレス技かけられるの!? ものすご決まってる……決まってるから!!」



 周との体格差をものともせずに美しいコブラツイストを決めたまま、涼しい顔で澪桜は固めた後もゆっくりと締め付けていく。


「子供の頃弟と父と組み技研究していた私をナメるんじゃないよ……ふふふ。反省しながら痛みを味わえ!」


「す、筋がぁぁぁぁ!!!」


「うるさいこの歩く変態百貨店め!!」


「やめてさっきからその屈辱的なあだ名つけるの!! 俺そんな店オープンしてないから!! 調子に乗ってすんませんでした!」


 少しだけ深くなった二人の仲。

 だけど何も変わらない、親友のような、兄妹のような、楽しく平和な日常が過ぎていく。



 ***



 同じ日の夜8時過ぎ。


 BAR vulgus (ウルグス)


 落ち着いた曲調のジャズが微かに店内に響く。

 サックスの音色に包まれながら、ここのオーナーの 近重 (ちかしげ じゅん)は、静かにグラスを拭いていた。



 カラコロ、カラ。


 最近雑貨屋で購入した、流木のドアチャイムが温かい音色を奏でる。


「こんばんは! チカちゃん、おひさ〜」


「お、久しぶりだね美人の佐々木っち!」


 軽い挨拶をしながら、佐々木は近重の前に座った。

 温かく、微かにベルガモットの香りがするおしぼりで手を拭きながら佐々木はまわりを見回す。


「あらら、土曜日なのにガランガラン、いいお店なのに雲行きが心配だわ」


「む! 失礼だなぁ。佐々木っちが来る時だけたまたまですぅ! で、何にする?」


「はいはい。……ロージーのダブル、ロックでくれる?」


「お、今日はいきなり飛ばすね♪」


 冷凍庫から取り出したかち割り氷を、アイスピックで削りだした。その様子をながめながら両手で頬杖を付いて口を開く。

 


「んふふ。最近いい事あったんだ〜」


 嬉しそうに揺れる佐々木に目を細めて、注文のウイスキーを手渡した。


「あー、わかった。こないだ話してた最推しの彼?」



「そうだけど、だけじゃないんだなぁ〜、あのね」


 カランコロン。


 佐々木が話そうとしたタイミングで誰か入ってきた。

 若い黒髪の男性。


「お! いらつしゃーい! 優、遅かったなぁ」


「遅かったなって……今日休みだぞ? ったく頻繁に呼び出すなよな」


 呆れたようにため息を付きながら佐々木から少し席を開けて佐野が座った。


「しかも……やけに楽しそうだったなお前。鼻の下伸ばして。……彼女にチクるぞ」


 佐野が佐々木に会釈した後、白い目で近重を睨む。


「あははは! 違う違う! そんなんじゃねぇよ! ……あ、でもこないだ言ってた超絶美人! それが佐々木っちだよ。な! 激マブだろ!?」


「え、何!? そんな事言ってたの!? ……チカちゃん止めてよ恥ずかしいんですけど!」


「……3週間くらい前に言ってたあれか……? にしちゃ仲良くなりすぎだろ」


 近重からツマミを受け取りながら、佐野は納得したように頷く。


「あれからちょくちょく来てくれるようになってさー! よく推し活の話聞いてんの!」


「そうなんです! 今はリア恋より推し活! あ、初めまして私、佐々木 智子って言います」


 佐々木が佐野に頭を下げた。

 慌てて佐野も頭を下げる。


「あ、初めまして。佐野 心優(さの きよまさ)って言います」


「え?でもさっきチカちゃんが”ゆう”って……」


「ああ、きよまさのまさが、優しいって書くんですよ。それでそんなあだ名」



 ビールを飲み、喉仏を豪快に動かした後、照れるように笑った。

 なるほど! と佐々木は朗らかに微笑む。


 三人は静かな空間の中で和やかに少しずつ打ち解けていった。


 しばらく何気ない会話をしていると、佐々木の推し活の経緯から互いの恋の話になる。


「へぇ。佐野くんも失恋したんだ〜」


「まぁ。俺はまだ認めてないし諦めてないけどね」


「……いや、お前まだ諦めてねぇの? いい加減現実見ろよ〜。こんな傍にいい女いるのに」



 近重が呆れたように呟いた。

 いい女だと言われた佐々木は首を振って笑う。


「いやいや、私なんか全く。……いい女と言えば! 最近友達になった子がね……飾りっけないのに本当にいい女なの! いやイケメン? ……とりあえず、女子なのにスパダリが過ぎるの!」


「なるほどね。推しが増えたんだ。でもそれいい女かな?」


「そう、箱推し! 何故ならその子がなんと!! 私の最推しの婚約者なんだよ!! もー、ヤバい。金曜日に、雨が降ったでしょ? それでその日、二人が車で送ってくれたのぉぉぉぉ! めっちゃ高級車! めっちゃいい匂い! 運転する姿もかっこよかったし、私の隣に座ってくれてた彼女もイケメンで……ああ、天国だった」



 思い出してうっとりする佐々木に佐野が笑う。


「よっぽど楽しかったみたいですね。婚約者まで推せるってよっぽどだな」


「それはもう! 恋は完全に昇華しちゃいましたからね! あの二人には幸せになってほしぃ〜!! 結婚式呼んでほし〜!」


 想像して興奮気味に熱く語る佐々木に近重が片眉を上げて訝しげに聞いた。


「てか、前から聞いてたけど最推しの彼、そんないい男なの? 片思いだったやつだよね?」


「いやいや、チカちゃん! そこら辺の男なんか足元にも及ばないほどヤバいから! うちの社員、何人落とされたか計り知れないんだから」


「えぇーそんなやついる? だいたい女性の言うイケメンって大したことないんだよね」


「あ、それは確かにそうだな! わかる!」


 近重に共感し、頷いた佐野。

 ケタケタ笑う二人に佐々木が食ってかかった。


「……一枚だけ、こないだのプロジェクト成功のお祝いに、皆んなで撮った集合写真ならあるから見せてあげるわよ!奇跡の一枚だからね!? 結城マネージャー、滅多に写真写ってくれないんだから! 一切の加工なしでこの美貌、とくと目に焼き付けるがいい!!」


 印籠を掲げるように画面をスワイプで拡大し、二人に見せた。


 色素の薄い男性が儚げに微笑む、少しだけ画質の荒い写真。


 近重は目を丸くした。


「……っ! た、確かにこれは……芸能人レベル、いやそれ以上か。これ、本当に加工無し? すげぇ、二次元みたいだ……」


「でしょう!? ほらね、参ったか!! ……ってあれ? 佐野くん?」


 黙ったまま、画面を凝視し睨みつける佐野に佐々木は眉を下げて覗き込んだ。


「……コイツ……あんたの最推しってやつ?」


「……そうだけど。何? 急に……」


「このクソ野郎のどこがいい男なんだよ!!! 安達先輩を金で買ったド屑のクソ野郎じゃねぇか!!!」



 バン!!!

 木のテーブルに拳を叩きつけた。

 慌てて近重が止める。

 頭に血が上り、震えるほど佐野は興奮する。


「こんな奴がイケメン? どうせ整形かなんかだろ!? 女取っ替え引っ替え食い物にしてるに決まってる! 目が腐ってんじゃねえの!?」


佐野は早口で初めて会ったばかりの佐々木に噛みついた。

まるであの日、周に一言も言い返せなかった自分を罵倒するように。


「や、お前落ち着けって!!」


 だが、それは佐野だけじゃなかった。


「なんですって……?」


 ワナワナしだす佐々木。

 佐野を抑えながら、恐る恐る佐々木に目を向けた近重の声が響く。


「あれ? ……さ、佐々木っち?」


 ダァァァァァァン!!!!

 物凄い音が響く。

 佐野の時とは桁違いの重い音。テーブルに並べられたシロップのボトルが揺れ、カゴの果物が震えた。

 音の出処は佐々木の拳とテーブルだった。


 佐野と近重は顔を見合せ目の前の光景に目を疑う。

 ゆらりと揺れた佐々木が般若のような形相でまくし立てた。



「ああああああああん?!?!?!? テメェ、もっぺん言ってみろ!? その舌引っこ抜くぞゴルァァァァァァ!!!!」



「え。さ、佐々木っち!?」


「表出ろ! ヴォルァァァァァァ!!!」



 豹変する佐々木に呆然とする男性二人。佐々木のあまりの剣幕に固まって身動きが取れない。


 何を隠そう、彼女は元々、地元埼玉で名の知れた有名人。

 そのあだ名は。


 紅に染まるトマト(智子だから)


 その逆鱗に触れた瞬間だった。




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