214話 女郎蜘蛛
週明けの月曜日。
フロアを颯爽と歩く女性に背後から声がかかる。
「神崎さん! 出来たよ! メールだと重いから……もし良かったら……このUSB使って? データ全て入れておいたんだ」
「えぇー!? そ、そんなぁ。伊藤さんわざわざ私のために!? ちょっと分からなくてお話聞いて頂けるだけでも助かったのにぃ」
「こ、これくらい全然いいよ。今後のデータ入力の資料として参考になったらなって思っただけだから」
「うわぁ! 優しすぎるっ! ありがとうございますぅ」
手渡されたUSBを受け取るついでに、両手で軽く相手の手を包み込む。
頬を染めて頭を掻きながらオフィスに戻っていく伊藤という男性の背中を目で追いながら薄く微笑む。
「なぁんだ、本社も大したことないわね。ホント、チョロ過ぎ」
貰ったUSBを陽の光に透かした。
だが透ける景色に目を向けながらゆっくりと神崎の微笑みが消える。
未だ思い通りにならない唯一の男を思い浮かべて―――
「お待たせ致しました! 次に私が参加させて頂くプロジェクトの、プロモーション用の参考資料仕上がりました!」
先程伊藤から貰ったデータを巧みに使い、あっという間に資料を作り上げた神崎が、弾ける笑顔で周の前に現れた。
ビデオ通話を終了し、イヤホンとマイクを外しながら低い声を神崎に向けた。
「……早いですね、素晴らしい。でもわざわざ僕の所に来て頂かなくても、PDFで送って下さったらいいですよ」
パソコンから視線を動かさないまま、柔らかな口調で返される。
ただ内容は酷く冷たい、業務的なもの。
神崎の手管は全く刺さらない。
押しても引いても。
それでも数週間見てきた周の上司たる優しさに強かにつけ入る
「まだ慣れてないので……直接見て頂いて、もし直す所があればご指摘賜りたくて……お忙しい所申し訳ございません」
弱々しい神崎の声に、パソコンの手を一度止めUSBを受け取った。
「……わかりました、いいですよ。では確認させて頂きますね」
パソコンに差し込み、内容を確認していく。速読なのか……物凄いスピードでページをクリックしていくさまに、何故か神崎は優越感を覚える。
この男は、この男だけは必ず私のモノにすると。
確認を終えた後、静かに神崎に目を向けて頷く。
「……指摘する部分はありませんね。さすが、東京本社へ推薦で異動してこられただけの事はある。こないだ採用された新規プロジェクトも。来たばかりだというのに、素晴らしい内容だった」
少し含みのある褒め方に、神崎は眉をひそめた。
「私、名古屋支部にいる時からあのプロジェクト、やってみたくてそれで……」
「それは前に伺いました。ただ褒めてるだけですので、お気になさらず。今回のお仕事も完璧なので戻って頂いて結構ですよ」
低く冷たい声。
整った横顔はもうパソコンしか見ていない。
まるで夜を霞める霧のように掴めない男。
これ以上話を伸ばすことが出来ない神崎は、奥歯を強く噛み締めながら頭を下げる。
その場を後にしようとする後ろ姿に、もう一度声がかかる。
「あ、それと……神崎さん」
呼び止められ、思わず表情に花を咲かせ振り返ると
周が目を細め、微笑みかけていた。
「……神崎さんの香水。良い香りですね」
思いもかけない褒め言葉に神崎は目を見開いた。
「……えっ!? 本当ですか!? これ、実はドバイ限定の」
「だけどオフィスには少しだけ香りが強い。次のプロジェクトで外部の人間と打ち合わせもありますから、控えめに」
褒められたと思ったら、注意されただけだった。
それを勘違いし嬉々として語りそうになってしまった自分が恥ずかしくなり、顔を真っ赤にして逃げ帰るようにデスクに戻る。
「し、失礼します!」
その姿を目で追いながら周はため息をついた。
「『気を付けます』の一言も言えないのか」
***
昼を過ぎた頃。
パラパラと手の空いた人間が昼休憩を各自で取り始める。
神崎はまばらに行き交う人に紛れ、トイレに向かった。
パウダールームでメイクを直す女性の隣に並び、リップを付け直す。
「お疲れ様〜あ、神崎さんそのリップ可愛い」
「ありがと。最近お気に入りなの」
「いいなー。どこのやつ? ……って、あ!!それ!!」
「あっ! ヤバい外すの忘れてた」
慌てて指を隠す神崎の様子に、テンションの上がった女性社員が問い詰める。
「だめ! 何で隠すの!? ……神崎さん、結婚するの!?何で指輪外さないといけないの!?」
すかさず女性社員に左手を掴まれた。そこには大きなダイヤモンドが付いた指輪が輝く。
神崎は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして視線を逸らした。
「えっ!? ちょっと待って。……この指輪のデザイン」
白く輝くプラチナに、砂がまぶしてあるような、独特なデザインの指輪。
社員達にも見覚えのあるデザイン。
神崎より先にそれとよく似た指輪をしていた人物に、皆の思考がたどり着く。
「……ま、まさか結城マネ―――」
「ダメ! 止めて! それ以上言わないで!!」
「そういえば、最近上げてる神崎さんのウィンスタ。あれに写ってる男性って……」
薄く口元を吊り上げる。
「だ、ダメだって! 違うの! これはっ―――」
「ははーん? 内緒にしてるんだ?? ……分かった分かった。結城マネージャーとは関係ない。……てことにしておいてあげるよ」
「ぜ、絶対だからね!?」
そう言って慌てながら神崎はトイレを出た。
出入口で立ち止まり、先程の女性社員達の会話にこっそり聞き耳を立てる。
『……ねぇ、あの指輪、絶対結城マネージャーと作ったやつだよ』
『あの慌てようと、匂わせ。間違いないよね』
『って事は今回の異動って……結城マネージャーが呼び寄せたってこと!?』
『……前から怪しいと思ってたんだよねぇ。入ったばかりなのに、企画案採用されてたし。……まぁ、悔しいけど、あの二人めちゃくちゃお似合いだから仕方ないか』
『あーあ。婚約した後も結城マネージャーはみんなのものだと思ってたのにな』
『やっぱイケメンは美人に取られるのか〜。何か結城マネージャーはそんな事しないと思ってたから、ちょっとショックだわ〜職権乱用じゃん』
プッ! 思わず声が漏れそうになるのを手で抑えて肩を揺らす。
周へのヘイトも嫉妬の裏返し。
平民はそうやって指をくわえて妬んでいればいい。
そして……
(いいわ。勘違いしてせいぜいウワサを広めてよね。アカウントのフォロワーも、本社の人間が増えてきたことだし。……匂わせは上手くいってる……まわりから固めていくのよ。私を娶らなければ、会社に居られなくなるほど信用を落としてね……)
神崎は女性社員達が出てくる前にその場を離れた。
颯爽とフロアを歩き、オフィスに戻る。
嬉しそうに近付いてくる男性社員達を軽くいなしながら髪を揺らした。
周のいない、彼のデスクに目を向けて頬を緩ませる。
例えこの噂で周の地位や立場に傷が付いて、仕事を辞めさせられたとしても。
神崎はそれでも構わない。
あの能力とスペックならすぐ他社からヘッドハンティングに遭うだろう。たかが一度の女のスキャンダルくらいで揺らぐとは思えないから。
もし無職になったとしても。
それはそれで神崎の想定内。
(結城 周はかなりプライドの高い男。そんな男がリストラに遭って仕事を失い、婚約者まで失ってボロボロになった所を私が支える。そうしたら貴方は私にひれ伏して縋るしか出来なくなるでしょう?)
歪な笑みで周のデスクを眺めた。
欲しいものはどんな手を使ってでも必ず手に入れてきた。
今回も確実に。
いや、彼だけは特別。
あの男だけは絶対にほかの女には渡さない。
神崎はまだ見ぬ婚約者の女に敵意を剥き出しにした。
***
神崎は、幼い頃から容姿端麗でまわりからいつも可愛い、綺麗だと持て囃されて生きてきた。
小学校に上がる頃にはそれを自覚する。
少し微笑めば大人は蕩ける。
そしてお小遣いやプレゼントをくれる。
友達はみんな、神崎と友達になりたがる。
お姫様みたいだと羨望の目を向けた。
男の子は少し優しくしたり笑いかけるだけでみんな神崎を好きになった。
その結果、人生イージーモードだと自分の食物連鎖の位置を理解し始める。
だがそれは正しく。
神崎の傍にいる男子達はもれなく彼女に恋をした。
溢れるほどのラブレター。
嫌気がさすほどの告白の回数。
だが、この頃の神崎はまだ純粋だった。
しっかり相手と向き合い、丁寧に断っていた。
人を好きになったことが無かったから。
ある、きっかけが起きるまで。
中学に上がり、友達の一人がとある先輩に恋をした。
サッカー部のエース。学校で一番人気だった男子だ。
友達はその先輩と仲良くなる為に、神崎に協力してほしいと懇願する。
その男に興味もなかった神崎は、善意から協力する事に。
しかし、これが良くなかった。
練習試合によく顔を見せるようになった神崎と友達。
仲良く話をするくらいには親しくなった。
すると先輩は、協力しているはずの……神崎に恋をした。
友達を傷つけたくなかった神崎は断ろうとする。
だが、先輩から何度も告白されて、断りきれなくなった神崎は友達に隠れて付き合うことに。
二人の関係を知らない友達は、先輩に対する恋心を神崎に打ち明ける。
だが、その先輩は神崎の虜。
友達の片思いや、憧れの話を聞く度に神崎の中にゾクゾクとする快感と優越感が押し寄せる。
今まで感じた事もない感情だった。
この経験が、神崎にとある性癖を覚醒させる。
心の中で友達を見下し、愉悦に浸った。
だが長続きはしない。
3ヶ月後、友達は先輩の話をしなくなった。違う人を好きになったらしい。
途端に、その男に興味が無くなった神崎は初めて出来た彼氏を呆気なく捨てた。
神崎はただただ、もう一度あの快感を味わいたくて仕方なくなる。
人の好きな男が欲しい。
片思いでも彼氏でも、なんでもいい。
その女より自分の方が価値があると証明したくて。
それでしか満たせなくなっていった。
ゲームのように、男を奪う快感を楽しみ続けた。
友達はいなくなり、スマホの連絡先は男だけになっていった。
高校を卒業する頃には、まわりから
「絶対に神崎には恋人を見せるな! 必ず盗られる」
と注意喚起されるほどになる。
だが、神崎は気にしない。
自分の欲求にただ従っただけ。少し微笑んで見せたら勝手に相手が落ちただけなのだから。
繋ぎ止める事も出来ない、大した魅力も無い女の方が悪い。
(要は、ブスに人権はないのよ。生まれ変わるか整形でもして出直しなさい)
18歳になる頃には、本気でそんな事を言えるほど醜悪に成長していった。
取り返しがつかなくなるほどに……。
だが、大学に入ると無敵だった神崎に雷が落ちる。
あれは忘れもしない入学式の日。
友達などで集まり、和気あいあいとするムードの中、たった一人、講堂を歩く男性。
幻想的とも言える存在感。色素が薄く、儚く見えるほどの透明感を携え、それなのに身長はとても高く顔も小さい。まつ毛は長く、正面も横顔も絵画のように美しい。
これが結城周との出会いだった。
綺麗だと言われてきた自分ですら、敵わないと思わされるほどに。
彼が静かに横を通り過ぎたその瞬間に、神崎は生まれて初めて恋をした。
その瞳は全く神崎を捉えることもなく。ただ、背景としてしか見ていない。
(いつか必ず、この男を私に跪かせてみせる)
想像するだけで身悶えそうになる神崎。
この日から周に好意を向け、執着するようになった。
二人は偶然にも学部が同じだった為、顔を合わせることも多かった。
だが、決して知り合いや顔見知りになる事はなかった。
入学当時から変わらず、彼は謎のヴェールに包まれたまま。素性の一つすら分からない。
山本という友達がいる。それだけ。
三年になった頃、ミスコンで優勝した神崎。
より一層モテるようになった。
……今まではまわりからの羨望の眼差しを向けられる。それだけでも愉悦に浸れていた。
でももう、今はそれだけではこの渇きは癒せない。
美しさに磨きをかけても、全く彼は振り向いてくれない。
そんなある日風の噂で、彼がクレストリンクから内定を取っていると聞いた。
信じられなかった。まだ三年も半年を過ぎた頃だったのに。
美貌だけではなく、頭脳まで優れている彼に嫉妬に似た感情が芽生え、余計に跪かせたくて渇いた。
(一度でいいから私にしがみつき、愛を懇願して顔を歪める彼が見たい)
その歪な欲望を叶えるために、死に物狂いで語学を学び、必死でクレストリンクの内定を勝ち取った。
それなのに。
彼は本社。
神崎は名古屋支部に決定した。
そこから七年。
ここに来るために、どんな汚い男も気に食わない上司も胡散臭い議員すら利用する為にベッドを共にした。
男を翻弄し、手のひらで動かすのは簡単。
寝れば大体男は言いなりになる。
使えるものは全て使う。
それが神崎のやり方。
初めて恋した男を婚約者から奪い取るために。
全ては自分の性癖と欲求を満たすために。
神崎は、蜘蛛の巣を張り巡らすように着々と動き始めていた。




