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幕間 追憶③

 

 5年生の秋頃からかな、じいちゃんの乾咳が気になるようになった。


 じいちゃんは


「心配するな、毎年の事だろ? 去年の健康診断でも問題なかったんだ大丈夫だよ」


 気にも止めない様子で軽く言って笑ってた。

 子供だった俺はそんなもんなんだろうと思って気にするのをやめた。


 ばあちゃんだけは早く病院に行けって、じいちゃんに強い口調で口を酸っぱくして言いまくってたけどね。


 その度に喧嘩してたっけ。


 12月に入って、両親から連絡があった。

 今年の誕生日は一緒に過ごせない。


「仕事が立て込んでて帰れそうにないんだ」だって。



 毎年誕生日からの2週間は一緒に過ごす為に仕事を入れない。

 そう約束してたのに。


 その約束すら守ってくれなくなったんだって思ったら凄く悲しくて。


 楽しみにしてたのに、また裏切られたって思って酷く落ち込んだんだ。


 5年生になっても変わらず地味なイジメは続いてたし、相変わらず友達も一人もいないし、楽しみって言ったら親が帰ってきた時に皆で、人生ゲームしたり、テレビゲームしたり。……それしかなかったのに。



 そんな俺を見てじいちゃんは



「気を落とすな。大丈夫、いい事あるさ」



 そう言って頭を撫でてくれた。

 じいちゃんの温かくてゴツい手で撫でられると、不思議と心が救われる気がした。


 男らしいシワシワなその手が俺は好きだった。

 すごく安心するから。



 いつもより寂しいクリスマスイブ。

 俺の誕生日。


 毎年ばあちゃんがご馳走を準備してくれる。


 寿司と、フライドチキンと、角煮。


 変な組み合わせだけど全て俺の好きな食べ物。

 大好きなチョコレートケーキもある。


 友達に祝って貰ったことは無いけど、それでも朝からずっとワクワクしていた。


 いよいよパーティが始まる。


 大好物を好きなだけ食べておなかいっぱいになった頃、ばあちゃんから大きな箱を貰った。


 開けてみると……オシャレなヘッドホン。

 前から欲しかったやつだった。


 興奮していつも使ってる小型の音楽プレーヤーに差し込んで再生してみる。


 ウーハーがかなり効いてて重低音が直接響く。

 迫力がイヤホンと桁違いだった。

 アーティストが目の前で演奏し歌っているように感じで驚いた。


「ばあちゃんこれ凄いよ!!!ありがとうめちゃくちゃ嬉しい!」



「そりゃ良かった。たくさん使ってやってよ」



「もちろん!!」



 ずっとヘッドホンから流れる音楽に聴き入っていると肩を叩かれた。


「……周、付いて来い。俺からのプレゼントも今年は凄いぞ」



 じいちゃんが不敵に笑った。

 ワクワクしながらついて行くと、じいちゃんの書斎に連れて行かれた。

 天井の高さまである本棚が両壁に設置してあり、難しい本が所狭しと並べてある。部屋はインクの匂いがして、重厚感のあるデスクにはインクリボンと、タイプライターが置いてあった。


 今までじいちゃんから入ったらダメだと言われてきた、ファンタジーの世界みたいでずっと憧れていた部屋。


 じいちゃんが振り返って鍵をくれた。

 燻した金色のアンティークな鍵。



「……今日からこの部屋はお前の部屋だ」



 今までじいちゃんが握っていたせいか、柔らかな温もりを感じる。


 渡された鍵で興奮を抑えるように中へ足を運ぶと、最新式のデスクトップとゲーミングチェア。


 本棚の本はなくなっていた。

 あの面影を残したまま、新しい部屋に生まれ変わったように。

 驚いたまま、部屋をみまわしているとじいちゃんが笑って言った。



「本棚にはこれからお前の好きな本を並べろ。それとパソコンはお前の好きに使え。俺は教材なんかで勉強するやり方は好かん。楽しみながら生きた英語を体感していけ。……友達作ってな。ただ、誰でも信用はするな。人を見極めるのも人生の勉強だ。俺は最初は見守ってやるが、英語は分からんから当てにするなよ」



 その言葉は……俺を一人の男として認める。外国人とのやり取りで生じる責任も、時間帯の管理も全て自力で完結しろ。

 その上で好きなだけ楽しめ。


 そう言っていた。


 俺は嬉しくて、何も言えなくて俯く。


 また優しい手が頭を撫でた。



「……本当はこの時計が欲しかったんだろうが、これは俺にとって命より大切な宝物だ。悪いがお前にゃやらん!」


 泣きそうな俺に気付いたのか、わざと冗談交じりにじいちゃんは言った。



「分かってるよ。……ありがとうじいちゃん」



「友達なんか、どこでも作れる。外国人とだって同じ趣味でつながれば、あっという間に友達さ。学校なんて小さな世界の事気にするな」



 イジメの事は一度も言ったことがないはずなのに。

 何もかもお見通しなじいちゃん。

 俺は戸惑いながらも小声で呟いた。



「……チェスで友達作れるかな」



「周ならすぐ作れるさ。お前は素直でいい子だから」



 階段を降りながら振り向きもせずに自信満々に言ってのけるじいちゃんの背中が大きくてかっこよかった。


 俺もじいちゃんみたいな男になりたい。

 そう思ったよ。



 その年の誕生日は、俺にとって一生忘れられない、かけがえのないものになった。


 貰って直ぐにパソコンで何度かチェスの対戦をしたんだけど、画面越しに外国人と楽しく話をしてる俺の傍で満足そうにじいちゃんは笑ってた。




 翌年、正月の辺りからじいちゃんに異変がおきる。


 今まで軽い乾咳だった咳が深く重い、俺でも異常だと思うほどの物になっていった。


 呼吸すら苦しそうにし始めたじいちゃん。


 俺は懇願するように、病院に行く事を勧めた。

 誕生日で貰ったパソコンを使って、呼吸器内科で有名な所を探し出して。


 渋々納得してくれたじいちゃんを連れて、ばあちゃんが付き添うことになった。



 心配だったが、俺は学校がある。気が気じゃない状態で授業を過ごしたよ。


 ホームルームが終わった途端、俺は走り出した。


「大丈夫だって言ってた。ただの風邪だって。だからきっと大丈夫」



 そう自分に言い聞かせながら家に帰った。


 リビングに行くと、じいちゃんは鼻からチューブが刺さっていた。

 ダイビングに使うようなタンクを傍に置いて。



「おー!早かったな!」


 笑いながら軽く言う。


 でもばあちゃんを見ると……不安そうな顔をしていた。


 話を聞くと、じいちゃんは重度の肺気腫で、片肺が機能しなくなってしまっていたと。

 去年まではさほど進行してなかったのだが、今年になって一気に症状が進行していた。


 タバコもやめたはずなのに。


「加齢によるものだろう」


 医者はそう言っていたらしい。

 俺は一気に不安になる。


 こんなボンベをずっと付けて生活……そんなの長く続けられる訳がない。

 そんな気がしたから。



 変わらない優しい手で頭を撫でて、「心配すんな、大丈夫だ」

 じいちゃんは笑って言った。



 ……でも、現実は残酷だった。


 在宅酸素治療が始まって1ヶ月が経った2月、バレンタインが過ぎた頃。


 じいちゃんは風邪を拗らせて、寝たきりになった。


 話しかけたら笑って話してくれる。


 でも熱が下がらない。

 咳も止まらない。


 心配になったばあちゃんは病院に連絡する。

 大事をとって救急搬送しようという話になって、かかりつけの大きな病院に搬送された。


 相変わらず飄々とした様子のじいちゃん。

 きっとただの風邪だって思った。


 ……でも違った。


 当時は分からなかった。

 肺炎だって聞かされた。


 治るって俺は信じてた。


 でも今更思い出す。


 じいちゃんの病名は”間質性肺炎”


 ……死滅した細胞は復活しない。


 片肺しか機能してないのに。その肺をやられたんだ。


 少しずつ呼吸ができなくなっていくじいちゃん。


 毎日見舞いに行った。

 会話が……


 徐々にできなくなっていく。


 じいちゃんが弱っていく。


 こんなの認めたくないのに。


 元気になって欲しいのに。


 静かに大粒の涙を零す俺を、じいちゃんは震える手で撫でてくれた。


 もう、声は出せない。


「心配すんな」


 そう、いつもの優しい手が言っていた。





 3月20日。


 澄み切った青空が広がる肌寒い日だった。


 じいちゃんは


 眠るように息を引き取った。




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