幕間 追憶②
海外を拠点として働き始めた両親は年に2~3ヶ月ほど帰国して日本に滞在するようになった。
2歳くらいから微かに記憶があるけど、たまにしか会えない二人だからこそ会えた時はめちゃくちゃ嬉しくて、飛び跳ねて喜んでた気がする。
帰ってきた時は思いっきり甘えたいって思ってたよ。
でもその頃から親は少しずつ俺との関わり方を少しずつ変えていく。
プレゼントと称して大量に買ってきたのは幼児用の英語教材。
それを見て祖父母は大激怒。
両親は口論になった。
まだまだ甘えたい盛りの俺に愛情も注がずになにをしてるのかと。
でも親は悪びれる様子もなくさもありなんと言った。
「これからの時代、英語くらい出来ない無能は生きていけない。バイリンガル並になるためには今から教育しないと」
愛があるからこその教育だと訴えた両親に、愛情を注げという祖父母の言葉は全く届かなかった。
更にはインターナショナルスクールに通わせると言って聞かない両親。
だがまだ海外で働き始めてたった2年。年収も大したことない状況で何を言ってるのかと、経済的にも縋ろうとする両親を見て呆れた祖父母は流石に突っぱねた。
「お前らはまず人の金を頼らず、生活を整えてから周を迎えに来るべきだろう。親としてそれが当然じゃないのか」
親の言い分はこう。
「確かにカナダは治安がいい。でもそれでも日本には及ばない。だからこそ日本で育って欲しい。共働きで可哀想な思いをさせたくないからカナダに呼ぶ気はない」
「十分可哀想な思いをさせてる自覚は無いのか」
真っ向から対立するようになる祖父母と両親の意見。
この頃から俺の地獄が始まる。
結局、経済的な事を理由に普通の幼稚園に通い、近所の小学校に入学する事が決まった。
だがそれからというもの、ある日を境に親は英語でしか会話をしてくれなくなった。日本語で話しかけると親からは無視されてしまう。
祖父母が注意してくれたけど、その教育の仕方や態度が変わることはなかった。
幼い俺は理由が分からなくて
……沢山泣いたよ。
悲しくて
寂しくて。
大好きなのに、伝わらない。
嫌われてる気がした。
だからこそまた笑ってもらえるように頑張って勉強した。
必死になって。
日本に帰ってきた両親から
『周、偉かったね。頑張ったね』
そう言って頭を撫でてほしくて。
5歳になった頃には親と拙いながらに英語で日常会話ができるようになっていた。
でも、満足はしてくれなかった。
親が帰国する度に増える課題。
難易度の上がっていく要求。
……出来ない俺を見て、両親はため息ばかりついていた。
俺は劣等感を覚えたよ。
親の満足のいく結果に達せてない自分は無能で……
他の子より、頭が悪いから、可愛がってもらえないんだって。
だから一緒に暮らせないんだって。
幼稚園に行く度、周りの子達が親に抱っこされてる姿を見て切なかった。
迎えにくるパパやママが羨ましくて。
(大丈夫、僕だっておじいちゃんやおばあちゃんが迎えにきてくれるもん)
そう何度も自分に言い聞かせた。
小学校に上がるとそれが原因なのか、俺が根暗なせいか……周りの同級生から浮くようになった。
そんなある日、
"自分の得意なことを言ってみよう"
って授業があって、一人一人自分の得意なことを言っていったんだ。
拍手や歓声が響いて和やかなムードだった。
これで俺も友達が出来るかもと期待して
英語ができます!って張り切って言ったよ。
そして自信満々に少しだけみんなの前で得意の英語を話した。
凄いって褒めてもらえる。
そう思って。
でも違った。
静まり返る教室。
コソコソと耳打ちが聞こえ、白い目で見られた。
何故か……そこから少しずつイジメが始まった。
その授業の後からかな。
「ニセ外人」
とか
「自慢すんな。捨て子の癖に」
って指をさして暴言を吐かれるようになった。
最初は俺だって怒って言い返してたけど、問題になる度に呼び出される祖父母が悲しそうで。俺は言い返すのをやめた。
小学校3年になると……この色素の薄い髪の毛のせいで余計にイジメが酷くなる。
頭から墨汁をかけられたり、髪を引っ張られたりした。
流石に体操服を掃除具入れに隠された時は困ったけどね。
でも俺だってやられっぱなしは癪に障る。
だから隠される度に、犯人の私服をドブに落としてやったよ。
話を聞いていた澪桜が思わず反応する。
「あ……周さん。ドブて」
「そいつら、皆同じように私服がドブに落とされるもんだから、絶対俺が犯人だって泣き叫んでたけど、俺はバカじゃない。証拠なんか残さないからね……ふふ。ざまあみろだよ」
「なんか周さんの片鱗を見た気がする。……でもイジメる方が悪い! 妬みなんか最低だよ!! いけないかもだけど、ちゃんと仕返ししててスッキリした!」
周は微笑みながら頷いた後、話を続ける。
それが原因で、イジメの主犯格のグループにトイレで囲まれて殴られそうになってた事があったんだけど、ある女子がやって来て先生を呼んでくれた。
俺は人から助けられた事が無かったから嬉しくて、彼女に心からお礼を言ったよ。
「全然気にしないで! 当たり前の事だから」
そう軽く言ってくれた事がまた嬉しかった。
……でも。
その次の日から新しい地獄が始まる。
「お願いがあるんだけど、結城くん、聞いてくれるよね?」
最初は「もちろん!」と笑顔で言ったよ。
その内容を知るまでは。
彼女が持ってきたのは女物の服。
「これを着て!」
それはその子がピアノの発表会で着る衣装。
お姫様ごっこがしたいという彼女達に無理やり着せさせられて……
椅子に縛られて、囚われの姫役にさせられた。
毎日、毎日。
「今日はごめん」
そう断っても無理やり連行されて、昼休みの教室でいつも同じような役をさせられる。
「助けてあげたの忘れたの!?」
そんなふうに言われたら俺は何も言えない。
ある雨の昼休み、いつもは外で遊んでるイジメの主犯格だったヤツらに目撃された俺は指をさして笑われた。
「結子ちゃん」
とか
「オカマ」
って新たなあだ名までできて。恥ずかしくて今すぐここから逃げたいのに、縛られてて身動きも取れない。
悔しくてたまらなかった。
こんなことなら助けて貰わなければ良かった。
心からそう思った。
俺がそんないじめを受けてるとは知らなかった祖父母には絶対に言えない。
悲しませる様なことは出来ないからね。
だから必死に耐えたよ。
毎日、あと何日耐えたら土曜日だって、自分に言い聞かせて。
こんな俺だって、辛い日々だけじゃない。
楽しいこともあった。
それが土日祝日と大型連休。
何よりも大好きなイベントだったよ。
なんの予定もなくても、じいちゃんとばあちゃんと過ごす休日は、俺にとってかけがえのないものだった。
祖父母は友達がいない俺を心配して、よく色んな所に連れてってくれた。
遊園地とか、水族館とか。
そんなの気にしなくていいのに。一緒に居てくれるだけで幸せなのにね。
雨の日はじいちゃんと囲碁やチェスをした。
もう、誰にも自慢なんかしないけど、ちょっとした特技だったよ。たまに帰ってくる父親より強かったからね。
ばあちゃんと遊ぶ事はあんま無かったけど、料理の手伝いをしたり、掃除したり。会話しながらやってると楽しくてね。
生きていく為に色んなこと教えてもらった。
両親は夏休みなどの大型連休に合わせて帰ってくるから、1年分の与えられた教材を計画的にこなして、褒めてもらう為に英語も必死で頑張った。
この頃は楽しみだったからね。親と会えるのが。
相変わらず英語でしか会話して貰えない両親。
だけどそれでも少しの時間、一緒にいられることが幸せだった。
5年生の12月を迎えるまでは。




