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173話 私のせい

 


「しゃ……写真撮らなきゃ」



 プルプルと震えながらカメラを構える周。

 被写体は澪桜……ではなく、全ての欄を記入済みの婚姻届。


「さっき撮ったじゃないか。何回撮れば気が済むんだい」


 呆れたように澪桜は言う。周は興奮気味に首を振った。


「さっきはツーショットでしょ!? 全然違うよ! ああ、幸せ過ぎて俺死にそう♡」


 アホな事を言う、いつものポンコツな周を見ながら澪桜はホッとしたように笑みを浮かべた。


「……君はうちの家族にすぐ馴染むと思ってたけど、こんなに早いとはね。相変わらずのコミュ力だよ」


「それは澪桜さんのお陰。俺手汗すごかったからね、今日ずっと」


 あの後、上機嫌の父親に捕まった周は工場の話しや周の仕事の話をずっとしていた。楽しそうな二人を見て幸せな気持ちになったのは言うまでもない。


 2時間ほど家族で過ごした後、母親に促され今日宿泊する部屋で休憩することになった二人。

 穏やかな時間が流れていく。



「ふふ。さてと、そろそろ準備するか」


 部屋に掛けてある時計に目を向けて動こうとした澪桜を後ろから周がグッと引き寄せる。


「あっ」


 背中から包み込むように澪桜を抱き寄せて肩に顎を乗せる。


「……ねえ、もうちょっと傍にいて」


「本当は行って欲しくないんでしょ?」


 澪桜は肩に乗っかる周の頭を撫でながら、眉を下げて笑った。


「うぐっ……そうだよ! 本音は行って欲しくないよ!! クッソ、知らない男共に澪桜さんの神々しい姿が晒されるぅぅぅ」


「じゃあ、やっぱり行くのやめておこうか?」


「いや、俺のせいで澪桜さんの自由を奪いたくないし。親友さんと、久しぶりに楽しく過ごしてきて欲しい、だから気にしないで行ってきて? ……てのも本音」


「周さん……あり―」


「もし万が一澪桜さんをエロい目で見るような輩がいたら、そいつの目玉生きたまま抉り出してやるから、ちゃんと名前と住所控えておいてね♡」


「うん、サイコパース☆」


 最近の周の毒舌にも慣れたもので、澪桜はケラケラと楽しそうにツッコむ。周はそれに返事するように、グリグリと肩に甘えて抱きしめる腕に力を込めた。白く美しいうなじに喉が鳴る。


「……まぁそれは冗談として、楽しんでおいで。迎えに行く権利だけは俺に頂戴ね」


 チュッと首筋にキスをした。

 周の柔らかい唇の感触に薄く反応してしまう。

 やけに熱い視線が澪桜を射抜く。


 慣れない愛情表現に、目を泳がせ思わず頬を染めた。


「んっ、照れるからやめて」


「……照れさせてるの。たまには俺を男として意識させたいから」


「いつも意識してるよ。してないのは君の方だろう??」


「俺が澪桜さんを異性として意識しない時なんて、秒もあるわけないじゃん」


 軽い温度。だけど湿度を孕む声が耳元で響く。

 周はゆっくりと首筋から肩そして腕、手の甲、指……優しくそっとキスを落としていく。


「あ……周さ」


「……俺がどれだけ欲しいか――まだ分からないの?」


 ドッ―――


 髪の隙間から覗く妖艶な瞳に捉えられて逃げられない。

 心臓が自分の物とは思えないほど早くなる。


 強張って動かなくなる身体。ただ、周に触れられた部分だけが火傷しそうな程に熱を帯びる。


 頭が真っ白になって言葉が出ない。

 視界が彷徨いただ、口を震わせた。


 すると周の挑発的な表情が緩み、いつもの穏やかな微笑みに変わる。

 優しく澪桜の頭を撫でて穏やかな声で囁いた。


「そんな不安がらないで。もちろん何もしないから、周さんは紳士だから安心しなさい」



 そっと離れていく周。

 澪桜の指が背中を追うが―――届かない。



(違う……違うのにっ)



 周を傷付けた気がして、悲しくなった。

 今何かを言ってもきっと言い訳にしか聞こえないだろう。



 2人が前に進めないのはきっと自分のせい。

 彼は付き合ってからずっと待ってくれている。

 でもどうしたらいい?


 何も分からない。


 君を怖いと思った事なんて一度もない。私だってもっと君を知りたいのに。


 ……君とキスをしてみたいなんて、いつどのタイミングで言ったらいいんだ。


 女性の癖に、はしたないって君は幻滅しない?



「さ、乗って? 送るよ」


 夕暮れに染まる周の笑み。助手席に乗り込みながら静かに見蕩れた。


(君を失いたくない私は、前より臆病になってしまったのかもしれない)


 澪桜は弱くなった自分に呆れて窓に視線を送る。

 車は一路、目的地の鉄心に向かった。



 ***


 19時30分


「じゃあ、行ってくるね」


「うん、楽しんでおいで。また後で迎えに来るね」


 街灯の無い道を戻っていく車を見送りながら手を振った。


 少しだけ切ない気持ちを抱えたまま、鉄心のスライドドアに手をかける。


 ガララララ。


「いらっしゃいませー!おひとり様ですか?」


 元気よく店員らしき年配の女性が声をかける。目を見開いて驚いた。


「あ、恭ちゃんとこの澪桜ちゃん!? 久しぶりやねぇ、元気しとった? ……同窓会やろ? あっちの座敷の所貸切にしとるけ、行ってごらん! 優斗が幹事やけ……優斗!! 澪桜ちゃん来たよ!」


「はーい。……あ、安達さん! 久しぶりやね」


 幹事の服部が笑顔で近付いてきた。

 ここは服部の実家であり、澪桜が昔から家族と食べに来る店でもある。


 懐かしさに心が温かくなった。


「中学卒業ぶりやけもう13年!? 早いねー。まだ香西(綾音)さん来てないんよ、こっちにどうぞ」


 服部に促されるまま座敷に上がり席に向かう。

 すると見覚えのある顔ぶれが数人ワイワイと話をしていた。


「あ、安達さんやん!!」


「うぉー! 美人になっとる!! 全然違うやん!」


 わざとらしい程の同級生達のリアクションが座敷に響き、澪桜は少したじろいだ。一呼吸置いてから作り笑いで無難に返す。


「こんばんは。皆さん久しぶり、急遽参加させて貰ってごめんね」


「いやいや、むしろ嬉しいよ! 安達さんどこに座る? 好きなとこどうぞ!」


「えっと……じゃあ、奥座らせて貰おうかな」


 皆の大人な対応に恐縮しながら、善意に甘えて右奥の角に座らせて貰うことにした。


「じゃ、俺安達さんのとーなり♡」


 顔は分かるが名前は思い出せない同じクラスだった男性がニヤニヤしながら澪桜の隣を陣取って、ゼロ距離で座る。思わず引き攣る澪桜。


「たくさん話そうやー! 安達さん♡」


(なんでだ!? 名前も分からんからただただ辛い!! 勘弁してくれ……。た……た……何とか君!!)


澪桜の目の前に真面目そうな黒縁メガネの女性が静かに腰を下ろした。


「久しぶりやね、安達さん。私の事覚えてる? 橋本やけど」


優しい声にホッとした澪桜は頷きながら返事を返す。


「うん、覚えてるよ。久しぶり、元気にしとった?」


「元気よ〜もう今は二人の子持ちよ!」


「おお、それは凄い! 男の子? 女の子?」



 当たり障りの無い質問をしていく。

 感情の機微が分からない分、必死で相手の顔を読む。

 和やかなムードで穏やかに会話が進んだ。


 ただ、その場しのぎな浅い内容。気を遣って話しかけてくれている感じが伝わる。何となく申し訳なく思っていたのだが、橋本さんと学生の頃から仲良くしていた田中さんが来た途端、彼女は自然に移動して行ったので、会話は終わってしまった。



 隣のた……何とか君、もとい田端という男性はしきりに何か話しかけてくるが会話が噛み合わない。

 内容がよく分からなくて頭に入ってこないが正しい表現かもしれない。つまりはまぁ、苦痛だった。


 どんどんと集まる人々。その度に大きな歓声が上がる。

 顔見知りしかいないが、皆大して友達でもない。


 何処か居心地の悪い空間の中、澪桜はひたすら親友の綾音が来るのを待った。


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