第9話 果たし合い
「……言ったが、どうした」
「気に入らないな。自分の楽器をそんなもの、なんて。
それでも軽音部員かよ」
その一言に、壇ノ浦はハッと息を飲んだ。
痛みに耐えるような顔でおし黙る。
やがて、
「……辞める。軽音部はもう、辞める……」
彼女に似合わない、蚊の鳴くような声を絞り出した。
「……もともと、向いてなかったんだ。音楽なんて……」
ここは、何かなぐさめの言葉をかけるべき場面なのかもしれない。
しかし、ほとんど反射的に、
「ダッセえ」
俺の口からはそんな言葉が飛び出していた。
「……なんだと……?」
「向いてるとか向いてないとか。ダッセえな、そういうの」
それはユーヤさんの論法。
彼女の父親が語った生の言葉。
今、俺の胸の内にわきあがる思いをあらわすのに、これほどぴたりとくるものはない。
「……貴様……」
はっきりと、壇ノ浦の顔色が変わるのがわかった。
「スポーツ剣道に疑問があるって剣道部辞めて……。
今度は、音楽に向いてないから軽音部辞めるって?
なんだか随分といい加減っていうか、中途半端っていうか……」
言いながら、俺は、理解した。
胸の奥で渦巻くもやもやしたものの正体。
あのセッションで感じた、楽しさや悔しさやドキドキ。
自分独りでは手にすることのできない宝物、みたいなナニカ。
それを「どうでもいい」などと言う、こいつが、ゆるせない。
そんな、手前勝手で自己中心的なコドモっぽい感情。
認めたくはなかったけれど、気づいてしまった。
「中途半端な気持で……!
……音楽を……はじめたわけじゃない……!
パパ……あの人と、一緒に音楽やるのは、ずっと昔からの夢だった。だから、死ぬ気で……」
呟きながら、壇ノ浦は自分の手を見た。
その小さな指先は、剣術の修行ではできない種類の傷でボロボロだ。
「あの日だって……寝ないで練習したんだ。
指がボロボロになっても、朝まで。それなのに……ミスばかりで……。
あの人との、最初で最後の演奏だったのに……。
最高の演奏を、あの人に見せてやりたかったのに……」
あの寡黙で無愛想な少女が、己の心情を吐きだし、涙を堪えている。
ああ、なるほど。
やはり、そういうことか。
剣道一筋のサムライJKが唐突にベースをはじめた理由。
「……壇ノ浦……」
今度こそ、なぐさめの言葉をかけてやらねば。
よく頑張ったな。
おまえは充分やった。
初心者がミスだらけの演奏になるなんて、そんなのあたりまえだ。
気にするな。
そうだ。優しく微笑んで――。
「……何がおかしい……?」
壇ノ浦は潤んだ瞳でキッとこちらを睨んだ。
いや、待て、誤解……。
「そんなにおもしろいか?
私みたいな男勝りが、めそめそしてるの……。
笑えるほどおもしろいのか!?
……最低だな……貴様……」
最低?
勝手に誤解しといて、最低だと?
いやいや。待て待て。
ここは冷静になって弁明しなくては。
「ズブの初心者が、たった一日練習しただけで、ミスがどうの、最高の演奏がどうのって。
そこが嗤える」
「なんだと貴様ーっ!」
壇ノ浦は烈火のごとく怒りだした。
なぜだ。
どうしてこうなる?
「私は、死ぬ気で! 初心者だから! 死ぬ気で!」
ちがう。ちがうんだ。そういうことじゃない。落ち着いて聞いてくれ。
「あのなあ、壇ノ浦しのぎ」
「なっ……なんだっ」
「剣道の初心者が死ぬ気で練習したとして……。
一日で達人になれるものなのか?」
「……! それは……」
「どうなんだ壇ノ浦しのぎ。
俺が一日死ぬ気で木刀を振ったとして。
それでえらそうに剣術のことをわかったふうにほざいたら。
おまえはいったいどう思うんだ壇ノ浦しのぎ。
ええ? 壇ノ浦しのぎ」
だから、お前が気に病む必要はない。
そう言いたいのだが。
言葉をかわすうち、なんだかおかしなテンションになってきた。
なにせ根底には怒りがある。
裏切り者に対する怒りが。
「赤の他人が! 気安く私の名前を呼び捨てで連呼するんじゃあない。苛つく」
壇ノ浦も完全に喧嘩腰になっていた。
まあ、こちらが煽り気味なので当然だろう。
「は? なんで苛つくんだよ壇ノ浦しのぎ。
お前は、同級生からさんづけされるくらい偉い奴なのか壇ノ浦しのぎ」
「……やめろ」
「あー、あれか。一日でベース弾けるようになったからって天狗になってるのか壇ノ浦しのぎ」
「……貴様……いい加減に……」
「あんな大雑把でテキトーなベースw
細かいフレーズぜんぶ端折って八分刻むだけなら小学生でもできるってんだ。
まったく笑わせるんじゃねえよ壇ノ浦しのぎ。壇ノ浦しのぎぃ!」
「ちゃんをつけろよデコスケ野郎~っ!」
もう完全に小学生同士の喧嘩だ。
「誰がデコスケだ! このっ……ろりっこ天使たんがっ!」
「きっさむぁ~っ! そこへ直れ! 頭カチ割ってやる!」
言うなり、壇ノ浦は木刀を上段に構えた。
俺はヒィっと情けない声を漏らし、それでも反射的に、手に持っていたベースを持ち上げて頭を庇う。
すると――。
「ぬふぅ……」
壇ノ浦の殺意が、一瞬、揺らいだ。
もしかして、こいつ、やっぱり……。
「……どうした。頭カチ割るんだろ?
いいぜ。相手になってやる。来いよ……」
と、俺はベースを持ち直し、上段に構えた。
アホみたいに重いので、高々と、とはいかないけれど。
ボディーの表――弦やスイッチ、ピックアップなど、壊れやすいパーツが並んでいるほうを壇ノ浦に向けている。
「貴様……」
優れた剣士らしく、壇ノ浦はすぐさま俺の意図を了解した。
本当に「どうでもいい」と思っているなら、壇ノ浦は遠慮なく木刀で打ちかかり、こいつをぶっ壊してしまうだろう。
けれど、少しでも音楽やこのベースに愛着があるのなら……。
「さあ……打ってこいよ。
こいつが壊れたって問題ないだろ。もう用無しなんだから。
どうだ……。どうなんだ?
どうなんだよ壇ノ浦しのぎぃっ!」
「どうなんだっていうか」
つぶやきざま、
「胴が……ガラ空きだっ」
あっさりと、壇ノ浦は俺の胴を抜いた。
「ぐはっ……!
ず……ずるいぞ……」
胴体をまっぷたつに叩き斬られた。
と思えるほどの衝撃と苦痛。
俺はガクリと膝をつき、前のめりに――。
「危ない……!」
壇ノ浦は咄嗟に木刀から右手を放し、俺のほうへ伸ばした。
そして、掴んだ。
身体をくの字に曲げて床へ倒れ込む俺……ではなく。
放り出されたヘルムベルデを。
武士の魂とまで言っていた、お気に入りのベースを。
「おぶっ」
俺はおもいっきり顔から床へぶっ倒れた。
「あっ……」
と頭上で声がする。
腹部を打ち抜かれ、顔面を強打し……。
生まれて初めて味わう苦痛に、俺は文字通り悶絶した。
羽目板の上でピクピクしながら――。
しかし、喉の奥からくぐもった笑いがこみ上げる。
「……く……くくく……。
俺の……勝ちだな……」
「……?」
俺はゾンビのように床を這い、手を伸ばして目の前の袴の裾を掴んだ。
「きゃんっ!」
と可愛い悲鳴。
「なっ、なにすんだ! はなせ!」
意識もうろうとなりつつも、俺は暴れる壇ノ浦の袴の裾をつかんだまま、語りかけた。
「……今は……!
今はさ……ユーヤさんのこと……思い出すだけで……悲しいの……かも……しれない」
「……えっ?」
「……けど、音楽を……忘れるって……ことは……。
ユーヤさんのこと……忘れるのと……同じだと……思うんだ。
それってさ……すごく……」
頭上で、はっと息を飲む気配。少女の身動きが止まる。
「……戻ってこいよ。軽音部に。
また……一緒に……」
そのあたりで意識が途切れた。




