第7話 激しい雨が
校門前。
タクシーが来て壇ノ浦とユーヤさんを乗せてゆく。
俺は流れで部員代表的な立ち位置になり、上田先生とともにそれを見送った。
「……遊矢さん、別人みたいに痩せちゃってたな……」
上田先生が、遠ざかるタクシーを睨んだまま呻くようにつぶやく。
「あれって……やっぱり、病気で……」
「半年前、インスタに“検査入院べいべー”って写真載ってたけど。
あのころはまだ元気そうだったなぁ……」
帰宅後、俺はブラウヘルツの動画をあさった。
そこに写る全盛期のユーヤさんは、痩せてはいるけど健康そうで若々しく、髪も黒い。
さっきまで一緒にいた人と同一人物にはとても見えなかった。
それでもギターは奔放で荒々しい、今も耳に残ったままのあの音にちがいない。
ネットで調べてみると、遊矢さんが長期入院中だということは、古参ファンの間では広く知られているようだった。
体調はかなりよくない、ということも。
励ましのメッセージが各所に書き込まれていて、当初楽観的だったそれは、半年を経て、次第に悲痛なものに変わりつつあった。
さっきは元気そうにしてたのに……。
なんだか嫌な予感がした。
壇ノ浦に、見舞いに行っていいか尋ねようと思った。
しかし、壇ノ浦は翌日も学校に来なかった。
次の日も、またその次の日も。
放課後。買ったばかりのドラムスティックでパットを叩いていると、上田先生が難しい顔で部室に入ってきた。
「壇ノ浦、もう半月くらい休んでますけど……」
「……ユーヤさんの病状、思わしくなくてな。
壇ノ浦がほとんど独りで病院に詰めてる」
「マジっすか……」
「ユーヤさん、血縁者は壇ノ浦だけらしい」
「奥さん……ていうか元奥さんとか……」
「ニューヨークから飛行機で日本に向かってる。
壇ノ浦のお母さん、売れっ子のパーカッショニストでな。
あっちのアーティストに呼ばれてレコーディング中だったそうだ。
間に合うといいんだが……」
そこで先生のスマホに着信。なにやら深刻そうに話している。
間に合うって……。
何にだよ。
わき起こった嫌な予感。
それはあっという間に現実のものになってしまった。
上田先生はスマホをしまい、やりきれない表情で俺に言った。
「小牧、お前も行くか。軽音部員代表で」
「行くって……どこに?」
「お通夜。遊矢さん、昨晩亡くなられたそうだ……」
今にも一雨きそうな曇天の下。
現実を受け入れられない気持と、
(やっぱりそうか……)
という、重いしこりのような納得を抱え、先生の車に乗った。
通夜は、唯一の血縁者で喪主を務める壇ノ浦しのぎの自宅で営まれる。
自宅といっても、広い敷地を持つ古くて立派な剣術道場で、壇ノ浦は母親や祖父母と一緒にここで暮らしているそうだ。
お祖父さんは古流剣術の宗家で、根尾埼玉警察の師範もとつめる剣道界の大御所らしい。
娘の別れた旦那の葬式を出し、明日にはファン向けの告別式も開くというから、なかなかのオトコギというほかない。
告別式の準備が進められている広い庭を抜け、受付で記帳すると、遺体が安置されている道場へと通された。
今日は壇ノ浦家の親戚や音楽関係者など、ごく少数の身内しかいない。
ほどなく焼香の順番が回ってきて、俺たちは遺族に向かって一礼した。
壇ノ浦は制服に喪章。手には数珠。伏せた顔の表情は見えない。
機械的に礼を返すだけで、俺や先生と目を合わせようともしなかった。
痛々しくて俺もなんとなく目を背けた。
見よう見まねで焼香し、仏前に手を合わす。
飾られた写真はリーゼントにサングラス、素肌に皮ジャンという、遺影というよりはイエーイなかんじ。
目の前の御棺にあの人が入っているというのがいまだに信じられない。
ほんの半月前、一緒にセッションしたばかりなのだ。
ユーヤさんのギターは今もまだ俺の鼓膜を振るわせ続けている。
けれど、それもいつか薄れて消えてしまうのだろうか。
そう思うと今更ながらに悲しさが溢れた。
やがて広間へ案内され、通夜振る舞いを受けた。
明るく楽しくとはいかないまでも、酒が入り、くだけた雰囲気の宴。
先生はブラウヘルツの元メンバーたちと話が弾んでいる。
混ざりたかったけど、俺のような、
(まだ何の楽器をやるかも決まっていない……)
半端な若造が、その道のトップスターたちへ気軽に話しかけられるものでもない。
駅まで歩いて電車で帰りますと告げると、先生は、
「じゃあ、壇ノ浦に挨拶していけ。優しい言葉の一つもかけてやれよ」
などとテキトーなことを言い、すぐ会話の輪に戻った。
この状況で優しい言葉って……。
なかなかの難問じゃないか。
16歳の少年にとっては特に。
一応いろいろと考えつつ壇ノ浦の姿を探す。
さっきまで大人たちにお酌をして回っていたのだが……。
「しのぎ? あら、どこ行っちゃったのかしら。
あの子、知らない人に話しかけられるの苦手だから……。外かも。
君、悪いけど呼んできてくれる?」
配膳で忙しそうにしているお母さんに壇ノ浦の所在を訪ねたら、逆にそう頼まれてしまった。
壇ノ浦のお母さん口元のホクロが色っぽい美人で、ドラム、カホン、コンガ、ボンゴ、ティンパニからマリンバまで打楽器ならなんでもこいという、知る人ぞ知る名パーカッショニストなんだそうだ。
ユーヤさんとは、バンドのサポートとして知り合い、ソロアルバムのドラムを頼まれたりするうちになんとなく……ということらしい。wikiに載ってた。
離婚した後も、それなりにユーヤさんとは良い関係だった、ということなのだろう。
なるほど、と思った。
壇ノ浦がベースという楽器を選んだ理由。
ギターがいて、ドラムがいて、一緒にセッションしようというなら、必要なパートはまずはベース、ということになる。
殺傷力がうんぬん言ってたけど、今にして思えばあれも壇ノ浦一流の照れ隠しではなかったか。
そんなことを考えつつ庭へ出る。
黒雲が空を覆っていて、夕闇を一層濃くしていた。
パラパラと雨粒の気配。
傘なんか持ってきていない。弱ったなと思っているところへ――。
ブンッ! ブンッ! ブンッ!
どこからか、聞き覚えのある、酷く剣呑な音が聞こえてきた。
音のするほうへ行くと、道場裏の、洗濯場のような、中庭のような場所に出た。
「……もう愛刀で素振りはやらないのか」
壇ノ浦は無言。
だが木刀はピタリと止まった。
「あんなの……もうどうでもいい……」
「……えっ?」
と、俺は思わず声を漏らしていた。
あんなに気に入っていたベースを、どうでもいいなんて……。
「もっと早く……やっておけばよかった。へんな反発なんて、しないで……」
そしたら、あんなにミスばっかりじゃなくて……もっときちんと……あの人と……」
うめくように言う、壇ノ浦の肩が震えている。
「一緒にやりたい曲……もっとたくさん……あったのに……!」
最後のほうは悲痛な叫びになっていた。
そうか……。
やっぱり、ユーヤさんと一緒に音楽をやりたいがために……。
「……壇ノ浦……あのさ……」
絞り出せ、俺。
なにか気の利いた優しい言葉を。
「小牧。頼みがある」
歩み寄ろうとした俺を言葉で遮った、壇ノ浦の手から、ゆっくりと、木刀が滑り落ちる。
「優しい言葉なんていらないから……。
おねがい……見ないで……」
顔を覆った絆創膏だらけの小さな手から、押し殺した声が漏れる。
少女の慟哭に、降り始めた雨の音が重なって――。
駆け去る後ろ姿に、俺は言葉をかけることができなかった。




