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化物賛歌~醜心炯~  作者: 没案供養工房
精肉屋編

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第65話 面会室

 判決の言葉は、肉の目方を告げる声より、ずっと短かった。台の向こうで十年あまり数を告げてきたバルトには、その短さが、どこか物足りなくさえ聞こえた。


 捕らえられてから、ひと月半が過ぎていた。朝の石畳には霜が下り、駐在所の高い窓から差しこむ光も、日ごとに細く、白くなっていた。調査官は町の集会所の広間に机を据え、そこを仮の法廷にあてた。看守に挟まれて縄のまま広間へ入ると、長椅子の並んだ傍聴の席が、目の前に広がっていた。


 席は、半分も埋まっていなかった。前の二列には、誰も座っていない。後ろのほうに固まった町の者たちは、外套の襟を立て、膝の上に手を置いたまま、誰一人として口を開かなかった。咳をする者さえいない。ハンナの姿も、粉屋の女房の姿も、ラウの母親の姿も、そこにはなかった。


 調査官が帳面を閉じ、立ち上がった。罪状を読み上げる声は平らで、五つの名も、帳面の順のままに読まれた。


「以上により、絞首に処す。刑の日取りは、追って告げる」


 バルトは、一度だけ頷いた。それで終わりだった。傍聴の席からは、息を吐く音も聞こえなかった。


◆


 その日の午後、ミーナが面会に来た。


 通されたのは、駐在所の奥の部屋だった。カイが「保護」の名目で幾晩かを過ごした部屋だ。真ん中に木の仕切りが据えられ、腰の高さから上には、指が通るほどの間隔で細い木枠が組まれている。バルトがその前の椅子に座ると、仕切りの向こうの戸が開いて、旅支度のミーナが入ってきた。


 子供たちは、連れてきていなかった。ミーナは仕切りの前に腰を下ろし、膝の上で両手を重ねた。毛糸の手袋の指先が、一本だけ、ほつれている。仕立て屋の娘が、それを繕わずにいるのを、バルトは初めて見た。


「明日の朝、町を出ます。街道を下った先の町に、身を寄せるところがあるの」


 ミーナは、帳面の数字を読み上げるときの声で言った。それから、少しだけ間を置いた。


「あなたが、あの子たちを……」


 そこで、言葉が止まった。重ねた手袋の指が、一度だけ強く握られ、またほどける。続きは、出てこなかった。ミーナは唇を閉じ、木枠の向こうのバルトの顔を、ただ見ていた。泣いてはいなかった。責める色も、その目にはなかった。


「ヨナとピアには、お父さんは遠くへ行ったと言います」


「ああ」


 バルトは頷いた。それから、店の台の前でいつも客にそうしてきたように、ごく当たり前の調子で言った。


「ヤンの鶏を買え。肉は、ヤンのところで買え」


 ミーナの目が、わずかに見開かれた。何かを言いかけ、言わずに、小さく頷く。それから椅子を引いて立ち上がり、戸口まで歩いていって、取っ手に手を掛けたところで足を止めた。


「家で、店のお肉を食べさせなかったのは……」


 振り返らないまま、ミーナはそこまで言った。手袋の指が、取っ手の上で動かなくなる。部屋の中は静かで、表の部屋で看守が椅子を引く音が、やけに大きく聞こえた。


「……いえ。何でもない」


 戸が開き、閉じた。帳面の最後の行に線を引くときと同じ、静かな閉め方だった。


◆


 その夜、牢の中は冷えた。看守は表の部屋の火鉢に三度息を吹きかけて、三度とも灰を顔にかぶり、悪態をついてから、ようやく炭に火を移した。


 バルトは藁の寝床に横になり、格子の外の小さな灯を見ていた。明日の朝には、店の二階に誰もいなくなる。階段を駆け下りる足音も、帳面に線を引く音も、鶏の鍋の湯気も、もう誰の手にも戻らない。日常の水面が、この夜を最後に、きれいに干上がっていく。


 足場がなくなった、とバルトは思った。そう思ったのは、生まれて初めてのことだった。


 けれど、その思いは長くとどまらなかった。水面がなくなる前に、輪はもう、ひとつ残らず見届けてある。靴直しの木槌、粉屋の臼、戸口の灯、台の端に残された二本の腸詰(ちょうづめ)、ジルの蒼白な顔、カイの平らな声。そして今日、取っ手の上で動かなくなった、妻の手袋の指先。数え上げていくうちに、胸の底に広がりかけた冷たさは、いつのまにか、帳面の釣り合ったときの静けさに変わっていた。


 バルトは目を閉じた。眠りは、すぐに来た。


 夜明け前、表の部屋で看守が交代する気配がした。新しく来た看守が、炭を足しながら、相棒に低い声で話している。坂の上の診療所の戸に、ゆうべ板が打ちつけられた。医者は夜明け前に、荷を一つだけ提げて町を出ていったらしい。誰にも、何も言わずに。


 窓の外が白みはじめたころ、霜の降りた石畳を、車輪がゆっくりと鳴らしはじめた。音は市場通りの坂のほうから下りてきて、駐在所の前の広場を抜け、街道へ出ていく。バルトは寝床の上で目を開け、格子の外の灯を見たまま、その音を最後まで聞いていた。


 夜の明けた通りを、荷馬車の音が遠ざかっていった。


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