第64話 牢の面会
何をしたかと訊かれれば、答えることはできた。どうやったかと訊かれても、肉屋の言葉でなら話せないことはない。けれど王都から来た男がいちばん知りたがっていることと、バルトが話したいことは、最初の問いから、少しずつずれていた。
駐在所の奥の壁際の牢は、外から格子越しに見ていたより、ずっと狭かった。鉄の格子の内側には、石の床に藁の寝床が二つ分、まだ形を残していた。行商人のガノとペトが寝起きしていた跡だ。バルトが入れられた朝には、二人の姿はもう、格子の中にもどこにもなかった。
調査官が着いたのは、その二日後の昼だった。巡回判事を兼ねる、白髪まじりの小柄な男で、黒い外套の裾に、三日分の街道の埃をつけていた。書き役が一人と、看守が二人ついてきている。若手のネッドは格子の錠を開けるのに鍵束の三本目まで手間取り、看守の一人に、黙って鍵束を取り上げられた。
取り調べは、駐在所の机で行われた。縄を解かれた手を膝の上に置き、バルトは調査官の向かいに座った。調査官は帳面を開き、まず名と生業を訊き、それから五つの名を一つずつ読み上げていった。
トマス、ベン、リオ、ノナ、ラウ。名が一つ読まれるたびに、バルトは、ええ、と答えた。言い訳も、付け足しもしなかった。書き役の筆の音だけが、狭い部屋の中で規則正しく続いた。
「どうやった」
五つめの名のあとで、調査官が訊いた。
「それは、肉屋の仕事の話です。王都の方に、お聞かせするようなことではありません」
「では、なぜだ」
「町が、どう変わるかを見たかったんです」
調査官の目が、帳面から上がった。バルトは膝の上の手を組み直し、仕入れの目方を読み上げるときの声で続けた。
「向かいの靴直しの木槌が、朝に鳴らなくなりました。粉屋の臼は、三日止まりました。親が子供の手を引いて学校へ送るようになり、戸口に灯を出す家が、通り一本ぶん増えました。酒場で森の話をする者がいなくなり、客が一人、いつもの品を買わなくなりました。数えられるのは、そのくらいです。数えられないものは、もっとあるはずです」
書き役の筆が、途中で止まっていた。調査官は口を開きかけ、そのまま、しばらく何も言わなかった。窓の外を荷車が一台通り過ぎ、その車輪の音が遠ざかるまで、部屋の中で動く者は誰もいなかった。
「……訊かれたことにだけ、答えなさい」
ようやくそう言った調査官の声は、さっきより一段低かった。
◆
幼なじみのカイが格子の前に来たのは、その日の夕方だった。看守が丸椅子を一つ置いて表の部屋へ下がると、カイは白衣のまま腰を下ろし、膝の上で両手を組んだ。眼鏡の奥の目は、診療所の机で患者の話を聞くときの高さにあった。
「なぜだ」
「知りたかった」
「何を」
「どれだけ、町が、人が、変わるか。お前も変わったろう」
カイは、すぐには答えなかった。格子の向こうの暗がりを、しばらく眺めていた。
「変わった。お前の望んだ形かは、知らん」
短く言って、カイは眼鏡を外し、白衣の袖で一度拭いた。
「お前が店先で並べた話は、全部、本当のことだった。だから、誰も疑わなかった。俺もだ」
「嘘は、言っていない」
「知ってる」
カイは眼鏡をかけ直し、組んだ手に目を落とした。
「川べりの小鳥のことを、ずっと考えてた。あのとき、俺は気づくべきだった」
「あのときも今も、同じことを訊いただけだ」
カイの指が、組んだまま、わずかに強くなった。それでも、声は上がらなかった。
「この町には、もういられない」
ぽつりと、カイは言った。責める声ではなかった。熱の下がらない患者の容体を告げるときと同じ、平らな声だった。
「道で会う誰もが、俺に詫びるような顔をする。それを見るのにも、疲れた。……診療所の戸口に立つたびに、坂を駆けていく小さな背中が見えるんだ。戸口に立てない医者は、医者じゃない」
バルトは、何も足さなかった。足す言葉は、どこにも見つからなかった。カイも、それ以上は言わなかった。表の部屋で、看守が火鉢に炭を足す音がした。
◆
やがてカイは立ち上がり、丸椅子を壁際へ戻した。格子に背を向けかけて、そこで足を止める。振り返った顔は、灯の陰になっていて、表情までは見えなかった。
「リオ、ノナ、ラウ」
カイは一つずつ区切るように言った。
「名前を言ってみろ」
バルトは、格子の向こうの顔を見上げた。考える間は要らなかった。
「リオ、ノナ、ラウ。トマス、ベン」
店先で目方を告げるときと、同じ速さだった。名の順も、声の高さも、乱れなかった。
カイは、しばらく黙ってバルトを見ていた。それから小さく息を吐き、何も言わずに表の部屋へ出ていった。看守に挨拶をする声も聞こえないまま、駐在所の戸の閉まる音だけが、一度、石の壁に響いた。
牢の中に、夜の冷えが下りてきた。バルトは藁の寝床に腰を下ろし、格子の外の灯を眺めた。名を口に出せと言ったのは、カイが初めてだった。調査官は帳面を読み上げただけで、バルトに言わせはしなかった。
五つの名を、バルトは一度も間違えなかった。




