第54話 冒険者と「解決」
町が「終わった」と口にするには、目に見える形が要る。その形を荷車に積んで森から運んできたのは、腰に白布を下げた、顔なじみの冒険者だった。
森の入口に杭が立ってから十日ほどが過ぎた昼下がり、広場のほうから、いつもと違うざわめきが坂を上ってきた。バルトは包丁を置いて手を拭き、前掛けの紐を締め直してから表へ出た。通りの戸口からは次々に人が顔を出し、誰もが同じ方角へ、早足で下っていく。帳場のミーナも筆を止め、行ってらっしゃい、とだけ言った。
広場の真ん中に、荷車が二台止まっていた。轅を下ろしたのは、月の終わりに魔物の肉を売りに来る冒険者のロウと、ロウより一回り若い仲間の男が二人だった。三人とも革の胴着は泥と藪の汁で汚れ、腰の帯には、杭に結ばれているのと同じ印の白布が下がっている。ロウの腕には、古い引っかき傷の上に、真新しい傷が一本増えていた。
荷台の蓆がめくられると、見物の輪が一歩だけ後ろへ下がった。灰色の毛に覆われた細長い獣が、片方の荷車に四頭、もう片方に三頭、脚を揃えて寝かされている。どれも頭は落とされ、首の付け根は布で巻いてあった。仲間の一人が、討伐の証の牙を詰めた袋を、駐在所の机へ運んでいく。
「谷の奥に、七頭の群れがいた。これで全部だ」
ロウは誰に言うともなくそう言い、荷台の縁に腰を下ろして水を飲んだ。見物の輪の中から、ほうっと長い息がいくつも漏れた。誰かが手を叩きかけて、途中でやめる。代わりに、低い声が輪の端から端へ広がっていった。終わったんだな。これで、森へ入れる。
輪の前に立っていたジルは、灰色の獣を一頭ずつ、目で数えていた。七まで数え終えると、両手を体の脇に下ろし、肩を一度、大きく上下させる。松明の夜から背負い続けていたものを、ようやく地面に置いたような動きだった。分隊長のオルドは駐在所の戸口の椅子から、腰をさすりながら、黙って頷いていた。
「ロウさん。森で、ほかに何か見つかりませんでしたか。子供の持ち物とか、年寄りの外套とか」
ジルが声を落として訊いた。ロウは水袋の口を締め、短く首を振った。
「巣のまわりも、沢の下も見た。獣の骨のほかは、何も」
ジルはそれ以上を訊かなかった。輪の後ろのほうで、誰かが、骨まで残さねえのか、と呟き、隣の者に袖を引かれて口をつぐんだ。向かいの靴直しの家の者は、この輪の中にはいなかった。
◆
見物の人垣が崩れはじめたころ、輪の外側から、白衣の上に薄い上着を羽織った男が近づいてきた。幼なじみのカイだった。ジルに頼まれて、ロウの仲間の腕の傷を診に来たのだという。カイは手早く傷を洗って薬を塗り、布を巻き終えると、荷台の縁のロウの前に立った。
「訊きたいことがある。走狼は、獲物の骨を森の縁まで運んできて、そこに捨てていくものか」
ロウは、カイの眼鏡の奥の目を、しばらく黙って見返した。それから、荷台の灰色の背中に目を落とした。
「さあな。群れによる。こいつらの巣は谷の奥だった。縁まで下りてくるような群れには、見えなかったが」
「血の跡のない骨が、茨の窪みに残っていた。土にも、獣の足跡がなかったそうだ」
カイの声は、診療所で棚の札を読み上げるときと同じ、平らな声だった。そばで荷車の柄に手を掛けていたバルトは、その横顔を見ていた。足跡の話は、ベン爺が酒場で言ったことだ。カイは、あの酒場の煙の中にはいなかった。誰かがそれを、カイのところまで運んでいったのだ。
ロウは水袋を腰に戻し、ゆっくりと立ち上がった。
「先生。俺は魔物を狩る。人の事件は、騎士団の仕事だ」
突き放す口調ではなかった。仕事の線をここに引く、と台の上に包丁で印をつけるような、迷いのない言い方だった。カイは少しのあいだロウを見て、それから、そうだな、と短く言った。
そこへ、荷運びの男たちがロウの肩を叩きに寄ってきた。ありがとうよ、これで夜道も歩ける。今夜は酒場で、好きなだけ飲んでくれ。カイの問いは、その声の波の下に沈み、二度と浮かんでこなかった。カイは往診の鞄を提げ直し、人の流れに逆らうようにして、輪の外へ出ていった。
バルトはその痩せた背中を、目で追った。骨のことを、自分のほかに覚えている者が、この町にまだ一人いる。そのことを、肉の目方を覚えるのと同じように、正確に覚えておいた。
◆
夕方、ロウの荷車は、いつものように市場通りの坂を上って、バルト肉店の前で止まった。討伐の証は牙だけで足りる。残りの肉は、いつもどおり肉屋が引き取る。それも、ロウとの長い取引の中で決まっていることだった。
二人で枝肉を担いで裏へ回り、作業場の鉤に吊るして秤で目方を量る。七頭ぶんの走狼が梁から並んで下がると、作業場は急に狭くなった。帳場から出てきたミーナが硬貨を数えて渡すと、ロウはいつものように、吊るされた獣を顎で示した。
「今度は群れだ。町じゅうで食えば、夜道でどんな獣に吠えられても平気になるぞ」
「それなら、駐在所の犬の仕事がなくなるわね」
ミーナは涼しい顔で帳場へ戻っていき、ロウは肩をすくめて笑った。
その晩には、まず一頭ぶんを捌いて、店先の台に並べた。戸板を立てる刻限を過ぎても、客は途切れなかった。町の者たちは、討ち取られた獣の肉を一切れずつ買っていく。祝いのつもりなのか、確かめるつもりなのか、口に出す者はいなかった。ただ、包みを受け取るときの顔は、どれも少しだけ和らいでいた。
広場では酒場の主人が樽を一つ転がし出し、篝火のまわりに人が集まっていた。バルトも余った肉を串に刺して運び、火のそばで焼いて配った。ロウとその仲間は輪の真ん中で杯を重ね、ネッドは討伐の話をせがんでは、仲間の男に同じ話を三度させていた。ジルは杯を両手で包み、ほとんど口をつけないまま、それでも穏やかな顔で炎を見ていた。
篝火から少し離れた、駐在所の戸口の陰に、カイが立っていた。仲間の傷を診たあと、帰りそびれたらしい。誰かに押しつけられた杯を手にしていたが、それは一度も口もとへ上がらなかった。眼鏡に篝火が映りこみ、その奥の目がどこを見ているのかは、ここからは分からなかった。
バルトは串を返しながら、広場の顔を一つずつ数えた。笑う顔、泣いたあとの顔、杯を掲げる顔。この顔のどれもが、半月前には松明を握り、森の縁を歩いていた。その松明を消したのは、茨の窪みの骨と、灰色の毛のひと房だった。
町が笑った夜、バルトだけが、この安堵がどこまで保つかを考えていた。




