第4話 分けられた骨
その一匹のことを、ウロは朝の食事のあいだずっと見ていた。片方の足は膝から下が妙な向きに曲がっていて、座るときも立つときも、手で地面を押して体を持ち上げなければならないらしい。肌の色も耳の形も、ほかのゴブリンと何も変わらない。風向きが変わったときに匂いを嗅いでみたが、そこからも、ちゃんと群れの匂いがした。
肉の切れ端は、昨夜と同じ順番で回っていた。長老が取り、狩った者たちが取り、それから、それ以外の者たちが取る。ウロの手にも小さな切れ端が渡ったが、そこで回し役の手は止まり、残った骨と筋は石の上にひとまとめにされた。窪みの一匹は、それを目で追っていた。手は伸ばさず、首だけがかすかに石のほうへ傾いていて、骨が脇へ片付けられると、その首もまた壁のほうへ戻っていった。
ウロは昨夜のことを思い返した。順番を守らなかったから、杖で打たれたのだ。それなら、順番を守ればいい。長、狩った者、それ以外。窪みの一匹は狩りに出られないだろうから、狩った者ではなく、それ以外のはずだった。けれど、それ以外の列のいちばん最後に並んでいたのはウロで、ウロの後ろには、もう誰もいなかった。
順番の中に、あの一匹は入っていないのだ。
ウロは切れ端を口に入れずに、手の中に握ったまま立ち上がった。ついでに、石の脇に寄せられた骨の山から一本を拾い上げる。腿の骨らしく、関節のまわりにまだ肉の筋がこびりついていた。拾うときに誰かが喉の奥で小さく唸ったが、止める者はいなかった。もう皆が食べ終えた後の骨で、誰の順番も邪魔してはいないはずだからだ。
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窪みのそばまで行くと、空気が少し冷たくなった。入口からの光が届かず、岩の湿り気がそのまま溜まっているのだ。足元には食べこぼしの骨のかけら一つ落ちておらず、誰もここまでは来ないのだと、それだけで分かった。足の悪い一匹は、近づいてくるウロに気づくと、背中を岩に押しつけて体を小さくした。濁ってはいない両方の目が、ウロの顔と手の中のものとを、何度も行き来する。
「食え」
ウロは、群れの言葉で言った。切れ端と骨を、その一匹の膝の前に置く。一匹は動かなかった。鼻がひくりと動き、喉が一度大きく上下したが、手は膝を抱えたままで、視線だけがウロの肩越しに、穴の奥のほうへ逸れていった。
ウロもそちらを振り返った。穴の中の目が、こちらを向いていた。寝床を直していた者も、槍の穂先を石で研いでいた者も、焚き火の灰を掻いていた者も、手は止めずに目だけをこちらへ向けている。一つ一つはばらばらの場所にあるのに、向きだけがきれいに揃っていて、それはウロが昨夜、肉を先に掴んだときに浴びた目と同じものだった。
「食え。腹が、減っているだろう」
もう一度言うと、その一匹はようやく手を伸ばした。骨の端を指先でつまみ、引き寄せかけたところで、穴の奥から杖の音がした。こつ、と一度だけ。それだけで、指は骨から離れた。
長老は、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。濁っていないほうの目は、窪みの一匹ではなく、ウロだけを見ている。杖が地面を突くたびに近くの者たちが道を空け、その空いた道の上を、長老はまっすぐに進んできた。
「何をしている」
「分けている」
「誰が、分けろと言った」
昨夜と同じ問いだった。ウロは少し考えてから答えた。
「誰も、言っていない。だが、これは皆が食べた後の骨だ。誰の順番も取っていない」
「そいつに順番はない」
長老の声は低く、怒鳴ってはいなかった。
「足の利かん者は狩りに出られん。狩らん者に食わせる肉は、この群れにはない」
「同じ、ゴブリンなのに」
ウロがそう言うと、長老の片目がわずかに見開かれた。何か、ひどく奇妙なものを見る目だったが、ウロにはその目が何を奇妙がっているのかが分からなかった。同じ形をして、同じ匂いがして、同じ言葉を話す者が、同じ穴の中にいる。それが群れなのだと、昨夜、長老自身がそう言ったのではなかったか。
窪みの一匹が、骨を押し返した。指先で、ウロの足元のほうへ、そっと。切れ端も同じように押し戻すと、またすぐに膝を抱え、壁のほうへ顔を向けてしまう。ウロは足元に戻ってきた骨を拾い上げ、それから一匹の背中を見た。腹は減っているはずで、喉が動いたのを、ウロはこの目で見ている。それなのに、なぜ受け取らないのか。
「お前は、群れを乱す」
長老が杖で地面を突いた。
「出ていけ。夜を待たずにだ」
ウロは、拾った骨を握ったまま立っていた。昨夜は手の甲を打たれたが、今朝は打たれていない。痛みがないぶんだけ、何を間違えたのかを確かめる手がかりも少なかった。天井に溜まっていた焚き火の煙が垂れてきて、目の奥がつんと痛む。窪みの一匹は壁を向いたまま、もうこちらを見ようとはしなかった。
◆
見張りの二匹が、槍の柄でウロの背中を押した。強くはなかったが、押される向きに逆らう理由も、ウロには思いつかなかった。昨夜は一晩と言われ、その一晩が終わったのだから、言われたことに間違いはない。ただ、なぜ出ていかなければならないのかは、最後まで誰も言わなかった。槍の柄が当たった背中の一点だけが、いつまでも熱を持っているように感じられた。
穴の中を通るあいだ、誰もウロのほうを見なかった。さっきまで揃ってこちらを向いていた目が、今度は揃ってよそを向いている。見ることと見ないことの両方を、群れは同じ速さで、同じ向きに揃えられるらしかった。
入口を出ると、朝の光が目に刺さった。白い布を結んだ杭の横を通り過ぎるとき、布が風に鳴って、墨の印がちらりと見えた。見張りたちはやはりそれを見ないようにしていたが、ウロはもう群れではないので、見ないようにする必要もない。けれど見たところで、その印が何を意味するのかは分からなかった。
斜面を少し下ったところで、ウロは一度だけ振り返った。横穴の暗がりの、いちばん奥の窪みのあたりに、二つの目があった。足の悪い一匹が、岩に手をついて体を持ち上げ、こちらを見ている。その目には怒りも、礼も、ほかの何も浮かんでいないように見えた。ただ、見ていた。ウロが斜面を下りきって藪の向こうに隠れるまで、その目はずっと、同じ場所から動かなかった。
◆
川べりまで戻ったのは、日が高くなってからだった。ゴブリンの形を解くと、縮めていた骨が一斉に伸びて、体の芯にどっと重さが落ちてくる。ウロは川辺の平たい石の上に伏せたまま、しばらく動けなかった。頬に当たる石は日に温められていて、水の流れる音は、下水道の水音よりもずっと明るく、軽く聞こえた。
手の中には、まだあの骨があった。押し返されたまま、持ってきてしまったのだ。乾きかけた筋が指にざらりと当たり、焚き火の煙の匂いがかすかに残っている。ウロは骨を眺めながら、群れのことを考えた。自分が追い出された理由なら、分からないなりに想像はつく。順番を知らず、作法を知らず、言われてもいないことをした。形だけを似せても、中身が違っていたのだ。
けれど、あの一匹は違う。生まれたときから群れの中にいて、群れの言葉を話し、群れの匂いをさせている。中身まで、最初からゴブリンだった。ウロに足りなかったものは、あの一匹には全部そろっていたはずなのに、それでも順番の中には入れてもらえない。
川の向こうには、高い石の壁が続いていた。下水道を出たときに背にした壁で、その向こうからは昼のあいだずっと、人の声や車輪の音がかすかに響いてくる。たくさんの人間が、あの中に住んでいるのだ。人間の群れなら、ゴブリンの群れよりずっと大きいだろう。大きな群れなら、端の窪みにも、光が届くのかもしれない。
ウロは骨を川辺の石の上に置いて、立ち上がった。同じ種なのに、と口の中で繰り返しながら、ウロは壁のほうへ歩き出した。




