第25話 灯の戻った大広間
六十を数え終えても、灯は戻らなかった。
ウロは梁の上で、六十一、六十二と数を続けた。格子の雫の間隔は、灯守の砂時計の砂とは少しずれていたらしい。下ではまだ悲鳴が渦を巻き、両開きの扉の前で押し合う人の塊が、取っ手を鳴らし続けている。七十を過ぎたあたりで、その扉が外側から引き開けられた。
押していた者たちが廊下へ転がり出て、その上に別の者が折り重なった。倒れた人の向こうに、小さな光が一つ、高く掲げられている。角灯を提げた灯守だった。皺の深い顔は扉の内側の騒ぎに強張っていたが、角灯を持つ腕だけは、決まりの所作どおりに真っ直ぐ伸びていた。その足元へ若い使用人たちが長い棒を手に駆け寄り、棒の先の細い芯に種火を移していく。
灯は、扉のほうから戻ってきた。柱の燭台に一つ、また一つと火が移り、長い棒が天井の吊り灯へ伸びて、光の輪が石の床の上を少しずつ広がっていく。水が低いほうへ流れていくように、光は扉の前から広間の奥へと這い進んだ。その光が届いたところから、悲鳴が止んでいった。目の前がようやく見えるようになった者は、叫ぶのをやめて、まず目を細めるのだった。
梁の上は、灯がともるほどに暗くなった。吊り灯の光はどれも下を向いていて、その上の太い梁には、煤と埃の匂いだけが溜まっている。ウロは梁に腹を押しつけて、息を殺した。体じゅうが、水を吸った布のように重い。目と腕を戻したばかりの骨が、まだ内側で小さく軋んでいた。下から見上げる者がいても、吊り灯の眩しさの向こうは、ただの黒い天井にしか見えないはずだった。
◆
光が真ん中の卓まで届いたとき、広間は静かになった。
誰も叫ばず、誰も動かなかった。五十と少しの客は、灯が落ちる前と同じように、その場に立ち尽くしている。ただ、胸に当てていた手はもうどこにもなく、どの目も開いて、同じ一つの場所を見ていた。ウロは梁の上で、その静けさの長さを数えた。一つ、二つ。吊り灯の芯が燃える細い音と、誰かの喉が鳴る音だけが、高い天井の下に浮かんでいた。
リタの空いた椅子の隣で、もう一つの椅子が倒れていた。その脚の先から卓の下まで、石の床が濡れている。灯を映して黒く光る染みは、石と石の継ぎ目に沿って細く枝を伸ばし、まだ少しずつ広がっていた。砕けた杯の欠片がその中に散らばって、一つ一つが灯の色を小さく返している。染みの縁には、淡い色の布の切れ端が一枚落ちていた。誰かのドレスの裾の、ほんの一部だった。
白いハンカチも、そこにあった。リタの椅子には届かないまま卓の脚のそばで床の黒い染みを吸い、端の刺繍は、もう読めない色に変わっている。灯が戻ったら、わたしが見つけるわ。小客間で、ヴェラはそう言っていた。今、それを見つける者は誰もいなかった。
楽団の壇の脇には、靴が一つ転がっていた。踵の低い穏やかな形の靴で、壇の板の縁には、同じ黒い染みが擦れたように残っている。壁際の卓の婦人たちが、その靴と、自分たちの隣の空いた場所とを何度も見比べていた。さっきまでそこには、頷くばかりの娘が立っていたのだ。婦人の一人が、ドーラ様、と小さく呼んだ。返事がないと分かると、婦人はもう一度呼ぼうとして、口を開けたまま止まった。
広間の真ん中の、何も落ちていない石の上には、細い銀の輪が一つ、ぽつんと光っていた。誰かの手から杯が滑り落ちて割れたが、今度は誰も笑わなかった。
十一を数えたところで、最初の悲鳴が上がった。
◆
叫んだのは、真ん中の卓のすぐそばにいた婦人だった。婦人は、自分の足元を見下ろしていた。裾の縁が濡れた床に浸って、黒く重たくなっている。婦人は裾を持ち上げようとして手を止め、その手で口を押さえて、膝をついて吐いた。それが合図だったかのように、静けさが一度に割れた。
悲鳴が、また波になった。けれど、闇の中の悲鳴とは違っていた。闇の中では皆が見えないものに叫んでいたが、今は皆が、見えるものに叫んでいる。顔を覆って座り込む者がいて、壁にすがって吐く者がいて、若い男が一人、黒い染みのほうへ二歩近づいたところで、膝から崩れるように倒れた。香水と蝋の匂いの下から、別の匂いが立ち上ってくる。角の格子の下で嗅いだのと同じ、鉄の錆びたような匂いだった。広間を満たしていく灯の熱が、それを天井まで押し上げてきた。
「何か、いた……わたしの、足のそばを、何か……」
「袖に当たったの、硬くて、冷たくて、人の腕じゃなかった……」
声はどれも、途中で崩れた。誰の話も、終わりまでは辿り着かなかった。
奥の布の前で、伯爵が娘の名を呼んでいた。ヴェラ、ヴェラ、と、闇の一分を告げたのと同じ低い声が、今は掠れて、何度も同じ音を繰り返す。返事はなかった。伯爵の目は広間の真ん中の銀の輪の上で止まり、そこから動かなくなった。伯爵は人を押し分けて歩き、膝をついてそれを拾い上げようとしたが、指が震えて、輪は一度、石の上に落ちて細く鳴った。
ウロは梁の上から、下の顔を一つずつ見た。笑っていた口が笑えなくなるところを見せれば、分かるはずだった。茶会の卓で百年のあとに笑った者たちが、そのとき何を言うのかを、ウロは聞きたかった。けれど、誰も何も言わなかった。叫ぶか、吐くか、黙って座り込むかで、リタの名前を口にする者は一人もいない。闇の一分の前には、あれほど囁かれていた名前だった。
分からない、とウロは思った。いなくなったのは、二人だけだ。叫んでいる者たちは、誰も何もされていない。それなのに、なぜ皆がこんなにも叫び、なぜ誰一人、分かったという顔をしないのか。胸のあたりが、窓辺の小さな灯の前で知ったのと同じ痛み方をした。
◆
やがて誰かが扉のほうへ走り出し、それにつられて、広間じゅうが動いた。開いた両開きの扉に、今度は灯の下で人が殺到する。倒れた者の上を誰かが越え、越えた者の裾を、また別の誰かが踏んだ。獣だ、と誰かが叫ぶと、その言葉は扉へ向かう人の口から口へ渡り、渡るたびに大きくなっていった。この屋敷の使用人たちも、手にした長い棒を放り出して扉へ向かい、棒の先の小さな火が、石の床を転がって消えた。扉の脇では灯守が角灯を胸に抱え込み、押し寄せる人から種火を庇うように、背を丸めていた。
柱の根元では、盆に載ったままの六つの杯が、灯を受けて光っていた。ウロの隣に立っていた若い使用人が、扉へ流れる人の中で一度だけ振り返り、その盆と、誰もいない柱の陰とを見比べた。その目はすぐに、人の背中に遮られて見えなくなった。
ウロは、広間の中にヴェラを探した。ヴェラには、見てもらわなければならなかった。空いた椅子も、落ちた靴も、銀の輪も。灯の下で誰よりも先にそれを見るはずだった者の、白い服は、どこにもなかった。扉へ押し寄せる人の中にも、壁際に座り込んだ者の中にも、伯爵の傍らにもない。灯の届かない壁の陰には、リタが年配の侍女に連れられて出ていった、あの小さな扉がある。その扉が、指一本ぶんほど開いたままになっていた。闇の中で聞いた掛け金の音を、ウロは思い出した。あの扉の向こうには、リタがいる。リタはこの広間を見ていないし、見せたくもなかった。
皆の目が両開きの扉へ向いているあいだに、ウロはもう一度だけ右の爪を出して、柱の石の継ぎ目を伝い下りた。肩の付け根が焼けるように痛み、床に足が着いたとき、膝が一度折れかけた。白く縁取られた視界の端で、小さな扉に手をかける。扉の向こうの廊下には、まだ灯が戻っていなかった。
広間の悲鳴が、扉一枚ぶん遠くなった。冷えた暗がりの中を、ウロは壁に手を当てて進んだ。足の裏に伝わる石の冷たさが、水路の底に少し似ていた。
廊下の奥で、扉が一つ、閉まる音がした。




