第10話 考え中の百年
ヴェラの屋敷の茶会は、招待状が届いてから七日後の午後だった。付き添いは本来、年配の女中の役目だったが、その朝、女中は暑さで足がむくみ、階段を下りるのもやっとだった。代わりにと名を挙げられたのがウロで、家令は少し迷う顔をしたあと、「黙って後ろに立っていればいい。何か訊かれたら、はい、だ」と言った。ウロは「はい」と答えた。今度は正しかった。
出がけに、女中が台所口でウロの前掛けの紐を結び直した。むくんだ足を椅子に投げ出したまま、太い指で紐をきつく引き、それから一度だけ、ウロの腕を軽く叩く。「お嬢様のこと、頼んだよ」と女中は言ったが、何を頼まれたのかは、言わなかった。
馬車の中で、リタはほとんど口をきかなかった。膝の上で手袋を何度もはめ直し、指の付け根の皺を一つずつ伸ばしては、また窓の外へ目をやる。屋敷街の塀は、どこまで行っても同じ高さで続いていた。馬車が大きく揺れるたびに、リタは小さく息を吸い、その息を吐くのを忘れたように、しばらく止めていた。
ヴェラの屋敷は、リタの屋敷よりも塀が高く、門から玄関までの道が長かった。茶会の席は館の裏手の庭に設けられていて、刈り込まれた芝の上に白い布の日除けが張られ、その下に丸い卓が一つ置かれている。卓の上には、焼き菓子を盛った皿と、砂糖で煮た果物の小鉢、それに薄い硝子の水差しが並び、水差しの表面には夏の光が細かく揺れていた。付き添いの侍女たちは、日除けから少し離れた木陰に並んで立つ決まりらしい。ウロもその列の端に立ったが、間もなくヴェラの家の侍女頭がやってきて、手の空いている者は茶を注ぐのを手伝うようにと言いつけた。
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卓についたのは、リタを入れて六人だった。リタが日除けの下に入ると、真ん中の席の娘が立ち上がって両手を取り、「来てくださって嬉しいわ」と微笑んだ。ウロは銀の茶器を抱えて卓のまわりを回りながら、令嬢たちが互いを呼ぶ声を聞き、名前と顔を一つずつ結びつけていった。
日除けの真ん中の席にいるのが、ヴェラだった。声は柔らかく、決して大きくはないのに、ヴェラが口を開くとほかの者は皆そちらを向く。その右隣のノエラは言葉が速く、一つの話が終わる前に次の話を始めていた。カミラはよく笑う娘で、笑うたびに隣にいる誰かの肩へ体を寄せた。
ドーラは穏やかな顔で頷いてばかりいて、自分から話を始めることはなかった。フィナはリタの斜め向かいに座っていたが、茶会が始まってから一度もリタと目を合わせていない。ヴェラ様とカミラ様。格子の上から何度も降ってきた二つの名前に、ウロはようやく顔を付けることができた。
茶器は熱く、布越しにも手のひらがじんと焼けた。日除けの外では蝉に似た虫が鳴き続け、卓の焼き菓子からは、焦がした砂糖とバターの匂いが立ちのぼっている。ウロの腹が小さく鳴ったが、皿に手を伸ばす者は誰もいなかった。皆、話すのに忙しかったのだ。
話は、ウロが追いつけないほど速く進んだ。夏の避暑の行き先から、どこかの家の婚約の噂へ、そこから新しい帽子の飾りへ、帽子からまた誰かの噂へ。ノエラが話の口火を切り、カミラが笑い、ヴェラが一言添えると、その話はそこで終わって次へ移る。リタは膝の上で手を重ね、話が移るたびに顔をそちらへ向けたが、口を開きかけたころには、もう次の話が始まっていた。
リタは、ずっと笑っていた。口の端を同じ高さに上げたまま、誰かが笑うと少し遅れて笑い、笑いが止むとその形のまま止まる。ウロは、旅の娘の形を借りたばかりのころの自分を思い出した。歩くたびに裾を揺らしてみせた、あのときの裾の動きに、リタの笑顔はどこか似ていた。
茶を注ぎ足して回っていたとき、ヴェラがふいに、リタのほうへ顔を向けた。
「リタ様は、どうお思いになって? 今度の集まりに、あの方もお招きするべきかしら」
卓の上の目が、一度にリタへ集まった。リタはカップの縁に指を添えたまま、唇を小さく開き、そして閉じた。あの方、というのが誰のことなのか、ウロには分からなかった。リタには分かっているらしく、目が忙しく卓の上を行き来して、言葉を探しているのが見て取れた。息を一つ吸い、二つ吸い、三つ目を吸ったところで、ノエラが首を傾けた。
「考え中ね。百年ほど」
卓のまわりで、笑いが弾けた。カミラが真っ先に声を上げて笑い、隣のドーラの肩に額を寄せる。ドーラは口元に手を当てて、困ったように、それでも確かに笑っていた。フィナは笑い声に合わせて小さく肩を揺らし、カップに目を落とした。ヴェラは「まあ、ノエラったら」と窘めるように言ったが、その目は細く、柔らかく笑っていた。
そしてリタも、笑っていた。
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ウロは、茶器を抱えたまま考えた。百年は、とても長い。リタが答えるまでに、百年はかからない。言われたことは間違っているのに、言われた本人まで笑っている。ということは、これは間違いを言い合う遊びで、皆で笑うためのものなのだろう。ゴブリンの巣でも、地面に伸びたウロを見て、見張りが喉の奥で笑った。笑う者たちは、同じ側にいるのだ。
面白いなら、笑えば仲間なのではないか。
ウロは笑った。笑い声はもう止みかけていたので、少し遅れた。声は旅の娘のものだったが、笑いの刻み方は、いちばんよく聞こえていたカミラのものをそのまま借りた。高く、短く、三つ続けて、四つ目で息を吸う。茶器の蓋が、笑うたびにかたかたと鳴った。
卓のまわりが、しんと冷えた。五つの顔が、一度にウロのほうを振り返る。カミラの口が半分開いたまま止まり、ドーラは手を口元に当てたまま、ノエラは眉を上げ、フィナは初めて顔を上げた。リタだけが、耳まで赤くして俯いていた。ウロは笑うのをやめた。笑いの終わり方が分からなかったので、最後の一つは、喉の途中で切れた。
最初に口を開いたのは、ヴェラだった。
「面白い子を連れていらしたのね、リタ様」
声は柔らかく、少しも怒っていなかった。リタは「ご、ごめんなさい……あの、まだ、見習いで」と頭を下げ、何度も謝った。ヴェラが軽く手を上げると、侍女頭が音もなくウロの隣に来て、茶器を取り上げた。木陰の列へ戻される途中、ノエラの声が背中に届いた。
「主人に似て、笑うのも遅いのね」
また、笑いが起きた。今度は、ウロは笑わなかった。笑えば仲間になるのなら、さっきの笑いで卓のまわりの誰かが、ウロのほうへ寄ってくるはずだった。誰も寄ってこなかった。リタも皆と一緒に笑っていたのに、誰の肩も、リタのほうへは寄っていかなかった。
木陰の列に戻ると、ほかの家の侍女たちが、ウロから半歩ずつ離れた。ゴブリンの巣で、隣の寝床の者が寝床を引きずって離れていったのと、同じ動きだった。それから茶会が終わるまで、ウロは列の端に立って卓を見ていた。リタのカップの茶は一度も減らず、皿の焼き菓子にも、リタの指は一度も伸びなかった。
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帰りの馬車の中で、リタは窓の外を見ていた。茶会のあいだに作っていた笑顔が、まだ顔に残っている。口の端は同じ高さのまま、目だけが、流れていく塀の石を一つずつ追っていた。ウロは向かいの席に座り、膝の上で手を重ねて、それを見ていた。
どうして、わたし、うまく返せないの。格子の下で初めて聞いた言葉を、ウロは思い出していた。あの言葉がどの瞬間のことを言っていたのか、今日、ウロはそれを見たのだ。三つ目の息を吸ったところで、言葉より先に笑いが来た。言葉を探しているあいだに、探している場所ごと笑われたのだ。
馬車が屋敷街の角を曲がり、ヴェラの屋敷の塀が窓から消えたときだった。リタの口の端が、ふっと下がった。上げていた糸が切れたように頬が落ち、唇が震えて、リタは手袋をはめたままの手で口を覆った。声は出なかった。肩だけが小さく揺れ、額が窓の硝子に触れて、こつ、と小さな音を立てた。
ウロは何か言うべきなのかを考えたが、宿の窓際の男の顔を思い出して、口を閉じたままでいた。御者は前を向いていて、付き添いの侍女はウロしかいない。崩れていくリタの顔を見ていたのは、ウロだけだった。




