第36話:1500ページの深淵(同人誌)を前に命を懸けるカエルwww 〜徹夜のネーム添削レスバと、部屋を満たす執念のインク臭〜
鉄鋼の国ヴァトンの最果てにある魔鉱山。そこから、北の令嬢シルフィ・エドワードの圧倒的な財力(北海金貨の山)によって「不良在庫」として買い戻された黄色い二足歩行のカエル――ことなんJ民。
地獄の強制労働と溶鉱炉による即死イベントを回避したまでは良かったが、彼が連れてこられたのは、解放の楽園などでは決してなかった。
ヴァトンの王都にある最高級宿『黒鉄の王座亭』。その最上階にある、一泊で一般市民の年収が吹き飛ぶというロイヤルスーツの一室だ。
豪奢なシャンデリアにはめられた魔鉱石が眩い光を放ち、毛足の長い絨毯が敷き詰められた広い部屋の、その中央。巨大な黒檀のデスクの上に、それは鎮座していた。
ドサァッ……!!!
あまりの重量に、頑丈な黒檀の机がミシミシと悲鳴を上げる。
なんJ民の目の前に積み上げられたのは、厚さにして優に大人の太ももほどはある、狂気的なまでの紙の束。白くて上質な羊皮紙の群れが、部屋の明かりを反射して怪しく輝いている。
「……おい、シルフィさんwww これ、何や? www ワイ、ちょっと遠視入っとるから、これが何かの巨大な建築資材に見えるんやがwww」
でっぷりとした黄色い巨体を高級なソファーに深く沈め、なんJ民は大きな吸盤の指でその紙の山を恐る恐るつつきながら尋ねた。
その背後、部屋の入り口に鍵をかけ、窓のシャッターを完全に閉め切ったシルフィが、静かに歩み寄ってくる。彼女の手に握られているのはインクがたっぷりと染み込んだ、禍々しい輝きを放つ黄金の羽ペンだ。
「何をおっしゃるのですか、師匠」
シルフィは、お嬢様としての礼儀正しい敬語を崩さないまま、しかしその瞳のハイライトを完全に消滅させて微笑んだ。その顔には、一ヶ月間不眠不休で執筆を続けた者だけが宿す、特有の「印刷の死神」のようなオーラが漂っている。
「これが、貴方がドラシールの女王に連れ去られてからの三十日間、私が一睡もせず、時には血を吐きながら描き続けた『北壁の守護者:薔薇の刻印』の第二章から第十章までの全ネーム、総計1500ページにございます。さあ、約束通り添削をしていただきましょうか」
「1500ページ!? www お前、一ヶ月は三十日やぞ!! ww 計算合わんやろがい!! ww 一日何ページ描いとんねん!! 連載漫画家でも過労死するレベルのスケジュールを、素人が同人活動で達成するなや!! www 期待値、人間の限界を超えとるわ!! www」
「一日平均五十ページですが、何にか問題でも? 師匠がいない寂しさを妄想のエネルギーに変換したところ、指の骨が二回ほど折れ曲がりましたが、竜人の再生力で一時間で治しました。そんなことより――」
シルフィは机の両端に手を突き、巨躯を誇るなんJ民の黄色い顔面の一センチ手前まで、その美しい顔を近づけた。彼女の呼吸からは、極上の香水の匂いに混じって、濃厚な「鉄分」と、なんJ民がかつて愛した「ポテトの揚げ油」の匂いがした。
「今夜は一歩もこの部屋から出しません。この1500ページ、すべてを師匠の『なんJの視点』から査定し、徹底的にレスバ(添削)をしていただきます。もし、私の解釈違いを論理的に論破できなければ……師匠、貴方をこのインク壺の中に漬け込んで、一生私の専属の『喋る文鎮』にして差し上げます」
「ヒエッ!? www お嬢様、丁寧な言葉でサラッとエグい拷問予告するのやめーや!! ww 頼むからクーリングオフさせてクレメンス!! www ワイ、魔鉱山の方がまだ肉体的に楽やった気がしてきたぞ!! 」
徹夜の修羅場がスタートした。
なんJ民は、人間大の大きな手で、分厚い原稿の一ページ目を必死にめくり始めた。
そこに描かれていたのは、エドワード辺境伯の館にいたあの最強の騎士ガルドと、若手騎士ルカの、戦場での一幕である。
「おいおいおい!! www ちょっと待て、シルフィさん!! www」
開始五分、なんJ民の大きな吸盤が原稿の112ページ目をバシィン! と爆音を立てて叩いた。
「このシーン何や!! www ガルドさんが敵の夜襲を受けてピンチの時、ルカ君が盾になって庇うシーンやけどな!! www なんでルカ君、攻撃を受ける直前に『ガルドさん、貴方の背中は私が守ります……っ!』とか言って、わざわざ首筋の鱗を強調するようなポーズ取っとんねん!! www」
「それが何か? ルカの献身性と、竜人としてのアイデンティティである『鱗』の艶やかさを同時に表現した、最高のハイライトですが」
シルフィは冷静沈着に、しかし凄まじい眼力で反論に応じる。
「甘い!! www 甘すぎるわ!! www 砂糖ドバドバのココアかお前は!! www」
なんJ民はソファーから立ち上がり、その大柄な身体を揺らしながら持論をぶちまけた。
「いいか、シルフィwww ガルドさんみたいなゴリゴリの武闘派『攻め』がピンチの時、ルカ君みたいな年下の『受け』が庇うシチュエーション自体は『特級呪物級の萌え』や。だがな、そこに至るまでの『無言の空気感』が全く足りてへん!! www 男同士の熱き絆(物理)ってのはな、そんな安易に口に出して愛の告白みたいな台詞を言わせたら台無しなんや!! 」
「台無し……? 私の百時間の妄想が、台無しとおっしゃるのですか?」
シルフィの黄金の羽ペンが、不穏な音を立ててパキリと軋んだ。
「せや!! www ここはな、ルカ君は無言で、ただガルドさんの前に飛び出すだけでええんや!! ww その代わり、描き込みを増やすのは台詞じゃなくて『視線の交錯』や!! www ガルドさんが『……しまっ、』って思った瞬間に、ルカ君の背中が視界を遮る。その時、ルカ君の肩の筋肉が、恐怖で一瞬だけ微かに震えてる描写を入れるんや!! ww 口では何も言わんけど、身体が先に動いちゃったっていう『無自覚な執着』!! これこそが期待値を天井に叩き込む、なんJ式黄金比率やぞ!! www お前のはこれ、ただの少女漫画の恋愛シミュレーションやろがい!! www」
「……っ!?」
シルフィは、ハッと息を呑んだ。
彼女の脳内で、なんJ民の指摘した「無言の執着」「肩の微かな震え」という映像が、超高画質(4K)で再生される。
「無言の……、背中……。恐怖による、筋肉の微弱な収縮……っ。ああ、それによって、年下受けの『健気さ』と、その後のガルドさんの『狂おしいほどの罪悪感と独占欲』が、通常の三倍の速度で加速しますわ……!」
「せやろ!! ww わかりゃええんや!! ww はい、ここの30ページ、全部描き直し(ボツ)な!! www」
「くっ……! 流石は師匠です……。言葉のドッジボールにおいて、私の浅はかな性癖(ペラペラな解釈)が、完全に粉砕されました……! 素晴らしいです!!」
シルフィは悔しそうに歯噛みしながらも、即座に手元のメモ帳に「無言の震え」「罪悪感のインフレ」と猛スピードで書き留めていく。
一ページ目からこれである。残り1400ページ。カエルの寿命が尽きるか、令嬢の脳が完全に腐り落ちるか、最悪の知的総力戦はさらに加速していく。
時計の針が深夜の二時を回る頃、部屋の中は異様な熱気に包まれていた。
床には、なんJ民の鋭い添削によってボツとなった原稿が、まるで雪のように散らばっている。高級宿の絨毯は、すでに黒いインクのシミだらけになっていたが、今のシルフィにそれを気にするような理性は一ミリも残っていない。
「……師匠。では、この第五章の『温泉地での合同訓練編』は、いかがでしょうか? ここは私の、この一ヶ月の『鱗表現』の集大成なのですが」
シルフィが差し出してきた原稿を見た瞬間、なんJ民は文字通り白目を剥いた。
「おいおいおいおい!!! wwww シルフィさん、お前これ、アカンやろ!!! wwww 完全に一線越えとるぞ!!! 」
そこに描かれていたのは、温泉の湯気の中で、竜人族の騎士たちがお互いの鱗を磨き合うという、あまりにも濃厚で湿度20%の変態的描写であった。しかも、その描写の細かさが異常だった。網掛けトーンの重ね貼りが十層近くに及び、紙がインクの水分でベコベコに波打っている。
「何がアカン…のですか、師匠。竜人族にとって、鱗のケアは信頼できる者にしか許されない、極めて聖なる行為。それを男同士で、しかも湯気の中で行うことの、どこに問題があるとおっしゃるのですか!」
「描写がニッチすぎるんや一!! wwww」
なんJ民は叫んだ。
「いいか、シルフィ!! www お前、竜人としての誇りをこじらせすぎて、読者を置いてけぼりにしとるぞ!! www 誰がここまで精緻な『鱗の裏側の皮膚の弛み』の描き込みを求めとんねん!! www これ、同人誌のジャンル分けで言うたら『BL』じゃなくて『生物学の解剖図譜』やろがい!! ww お前のこだわりは素晴らしいけどな、エロティシズムってのは『見せる』ことじゃなくて『隠す』ことで成立するんや!! 」
「隠す……? この美しい鱗の輝きを、隠せというのですか!?」
シルフィの目が血走る。
「せや!! www 湯気をもっと濃くしろ!! www 読者に見せるのは、直接的な鱗の擦れ合いじゃなくて、湯気の向こうから聞こえてくる『……くっ、そこは、まだ……、』っていうガルドさんの、普段の戦闘からは想像もできんような掠れた『吐息(台詞)』だけでええんや!! そして、次のコマでは、湯気から上がったルカ君の、真っ赤に上気した顔のアップ!! ww これだけで、読者の脳内再生プレイヤーが勝形で『湯気の中のすべて』を補完して、期待値がビッグバンを起こすんやで!! www 描き込み200%ってのはな、全部細かく描くことじゃなくて、読者の妄想力を200%引き出すっていう意味やろがい!! 」
「読者の……、脳内補完……っ!!」
シルフィはゴクリと唾を読み込んだ。彼女の背中に、ゾクゾクとした快感の鳥肌が立つ。
師匠の言う通りだ。すべてを描き切ってしまえば、それはただの事実の羅列。しかし、あえて隠し、音と表情だけで想像させることで、読者の数だけ「無限の深淵」が生まれるのだ。
「……師匠。私は、私はなんて愚かだったのでしょう……。自分の技術の誇示に走り、真の『尊さの余白』を見失っていましたわ……!」
「わかればよろしい!! www はい、この温泉編の200ページも全面描き直し(ボツ)な!! www」
「はいっ!! 喜んで描き直します、師匠!!」
シルフィは狂ったように黄金の羽ペンを走らせ、温泉編の原稿を次々と破り捨てていった。その姿は、完全に「創作の悪魔」に魅入られた狂信者そのものであった。
午前四時。
なんJ民の体力は、完全に限界を迎えていた。もともと魔鉱山での過酷な労働で消耗していたのだ。そのぶ厚く頼もしかった黄色い背中が、度重なる高密度のレスバによる精神的疲労で、今はひどく小さく、しぼんだように見えた。
「おい、シルフィ……。もう許してクレメンス……。ワイ、もう脳みそのシナプスが全部ぬめって、受けと攻めの区別すらつかなくなってきたぞ……。実質、ワイの脳内デフレや……」
「ダメです。まだ第九章の『雨の野営地、壊れた角の秘密編』が残っています、師匠。ここを乗り越えなければ、私たちの夜明け(脱稿)はありません」
シルフィは、疲れを一切見せない完璧な姿勢のまま、なんJ民の目の前に最後の原稿の束を突きつけた。
それは、シルフィ自身の「角が折れ曲がっている」というかつてのトラウマを、ガルドというキャラクターに投影した、彼女の魂の縮図とも言える章であった。
なんJ民は、半分閉じた目でその原稿を見た。
作中、ガルドは戦傷によって角の先端が欠けてしまい、それを「竜人としての強さの喪失」として一人、雨の中で思い悩む。そこへルカがやってきて、その欠けた角に優しく触れ、「私は、この傷跡こそが、貴方がこれまで私たちを守ってきた『誇りの証』だと思います」と慰める――。
一見すると、非常に美しく、王道で、涙を誘う感動的なシーンだ。
だが、なんJ民はその原稿を読んだ瞬間、残されたすべての力を振り絞って、今日一番の、激しい怒号を上げた。その威風堂々たる咆哮は、まさに人間と同等の体躯を持つ生命体としての、凄まじい声量であった。
「……シルフィ、お前、本気でこれを最高傑作やと思っとるんか!! 」
「え……?」
シルフィは、なんJ民のこれまでにない真剣なトーンに、思わず背筋を正した。
「このシーンのルカ君の台詞……、一見すると綺麗やけどな、ワイから言わせれば『最悪の偽善』や!! www」
「偽善……!? ルカは心からガルドさんを慕って、その傷を癒そうとしているのですよ!?」
「それがアカン(・・)っちゅうねん!! www」
なんJ民は、その大きな拳で黒檀の机をドン! と叩いた。
「いいか、シルフィ。お前はかつて、自分の角が曲がっていることを誰にも見られたくないって、一年間も引きこもってただろ? その時、誰かに『その角も個性的で素敵だよ』なんて綺麗事言われて、心の底から救われたか!? 救われんかったやろ!! 傷ついてる奴にとってな、外側からの安易な『肯定』や『同情』は、時に最大の刃(嫌がらせ)になるんや!! 」
「……あ……」
シルフィの脳裏に、かつて自分が部屋に閉じこもり、父エドワードの優しい言葉さえも拒絶していたあの暗黒の日々が蘇る。
「じゃあ、ルカはどうすればいいのですか……? どうすれば、ガルドさんの傷を救えるのですか……っ!?」
「救おうとするな!! www」
なんJ民は叫んだ。
「ここはな、ルカ君も『ガルドさんの角が欠けて、本当に格好悪くなってしまった』ってことを、残酷な事実として一度受け入れるんや!! そして、その上でこう言うんや!! 『ガルドさん、貴方の角はもう元には戻りません。強さも、誇りも、失われたかもしれません。……でも、私は、そんな無様で弱くなってしまった貴方のことが、……どうしようもないくらい愛おしいんです』ってなぁ!!! 」
「……っ!!!!」
シルフィの全身に、雷が落ちたような衝撃が走った。
手にした黄金の羽ペンが、指から滑り落ち、床に転がる。
「強さの肯定じゃない……、弱さの、……無様の共有……っ!!」
「せや!! ww 強い男が、自分の弱さを完全にさらけ出して、それでもなお、自分を無条件で受け入れてくれる存在に屈服する……。これこそが、ワイが一番最初にお前に教えた『究極の自己解放(BL)』やろがい!! www お前、自分の過去の痛みを美化して、キャラクターに嘘つかせるなや!! www 期待値、ここで回収せんといかんでしょ!! www」
なんJ民は、そこまで一気に捲し立てると、精根尽き果てたように、ドサリとソファーの上に大の字になって倒れ込んだ。
「……あ、アカン。ワイ、完全燃焼や……。あとは、お前が……お前の筆で、この『深淵』を形にするんや……。ワイは、ちょっと、寝るで……」
地響きのような豪快なイビキをかきながら、即座に眠りに落ちる巨漢のカエル。
シルフィは、ソファーを埋め尽くす巨体となったなんJ民を、まるで本物の山の神を見るかのような、深い崇拝と畏怖の念が入り混じった目で見つめていた。
「……師匠。貴方は、どこまで私の心を見透かしているのですか……」
彼女の目から、一筋の美しい涙が溢れ、原稿の上に落ちた。
だが、その直後。彼女の顔に、以前の引きこもり令嬢の面影は一切なかった。あるのは、全宇宙の商業誌を駆逐せんとする、最強の「腐の伝道師」の笑顔だった。
「わかりました、師匠。……全面描き直しです。今号の『北壁の守護者』、期待値を、本当に宇宙の果てまでインフレさせて見せます!!」
翌朝。ヴァトンの王都に、美しい朝日が昇った。
最高級宿『黒鉄の王座亭』のロイヤルスーツの一室の扉が、ゆっくりと開く。
そこから出てきたのは、髪を振り乱し、服はインクで真っ黒、しかしその瞳に神々しいまでの達成感の光を宿したシルフィであった。彼女の腕には、一晩で完全に生まれ変わった、完璧なる1500ページの原稿(血と汗と涙の結晶)が抱えられていた。
「……脱稿、いたしました」
彼女の後ろからは、徹夜の連続レスバによって完全に燃え尽き、魂の抜けた声で「んおっ……、ポテト……」と呟きながら、ノロノロと這い出てくる黄色いカエルの姿があった。
なんJ民のバグった才能と、令嬢の行き過ぎた情熱の融合。
この日、鉄鋼の国ヴァトンから、大陸の歴史を永久に変えてしまう『究極の劇薬(同人誌)』が、ついに世界へと解き放たれる準備を終えたのである。
期待値、もはや測定不能のその先へwww
二人の「薔薇の道」の旅は、中央諸国連合を巻き込みながら、さらなる混沌の領域へと突入していく。




