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第29話:連合会議

 かつて大陸北部に位置したエルフの国ドルフは、豊かな森林資源と高度な魔術文明を誇る、中央諸国連合の要石であった。エルフたちは長命ゆえに保守的であり、その魔術行使も自然との調和や治癒、あるいは防衛に特化したものが主流であった。しかし、その数千年の静寂を破ったのは、外敵ではなく一人の同族であった。


 後に「西の魔王」と呼ばれることになるその男は、ドルフの王都アルハに突如として現れた。彼が最初に行使した魔法は、既存の魔道体系を根底から覆す根源的な破壊であったとされるが、それがどのような魔法だったのかは定かではない。


 当時、ドルフが誇った宮廷魔術師団は北部大陸でも屈指の実力者が揃っていた。しかし、西の魔王が放った何により、その国にいた魔術師の約3割が、呪文を唱える間もなく塵へと帰した。 彼らの防壁魔法は紙細工のように無力化され、魔力の質そのものの圧倒的な差を見せつけられた。

 物理的な抵抗を試みた近衛騎士団もまた、前線にいた戦士・剣士の5割が瞬時に戦闘不能、あるいは命を落とした。 この数字は、単なる戦闘の犠牲ではない。魔王はあえて効率的にエルフの防衛力を削ぎ落としたのだ。かつて同族であった者たちを、一切の迷いなく、むしろ明確な意図を持って屠っていくその姿に、生存者は筆舌に尽くしがたい憎悪を感じ取ったという。


 ドルフを単独で制圧した男は、自らを西の魔王と自称した。彼は王座を奪うと同時に、生き残ったエルフたちに恐怖による服従を強いた。かつて芸術や学問に費やされていたエルフの強大な魔術適正は、魔王の命令によりすべて兵器開発と軍事用の魔法の研究へと転換された。

 こうして、平和な森の都であったドルフはわずか数年で大陸最強の軍事国家へと変貌を遂げた。

 現在、西の魔王の軍勢が牙を剥いているのは、東方の竜人族国家「ドラシール竜王国」と、西方の鬼人族国家「マキア」である。

 本来であれば、肉体強度で勝る竜人や鬼人が優位に立つはずの白兵戦においてすら、エルフの魔法適正を極限まで戦闘に特化させた魔王軍は、それらを凌駕する火力を発揮している。


 西の魔王という共通の脅威を前に、長らく小競り合いを続けていた中央諸国連合の諸国もついに腰を上げた。

 かつてドルフを同胞として見捨ててしまった(あるいは救援が間に合わなかった)後悔と、次は自分たちの番であるという生存本能が、彼らを突き動かしている。各国の指導者たちは秘密裏に会合を持ち、反魔王連合軍の結成に向けて動き出した。

 しかし、懸念点は残る。

 魔王が元エルフである以上、エルフ固有の弱点を知り尽くしているはずだが、彼自身の魔力はもはやエルフという種族の枠を超越している点だ。

 予断を許さない緊張状態の中、大陸はかつてない大戦の火蓋が切られようとしていた。






 窓外には春の陽光が降り注いでいるというのに、円卓を囲む閣僚たちの顔は一様に凍りついていた。

 円卓の中心に浮かび上がっているのは、魔法投影された大陸北部の地図だ。かつて鮮やかな緑で塗られていたエルフの国ドルフの版図はいまや禍々しい漆黒に塗り潰され、その触手は隣接する竜人族国家ドラシールと、鬼人族のマキアへと伸びている。


「……以上が、先週付で届いたドラシール竜王国からの救援要請、およびマキア国境付近の戦況報告です」


 議長を務める神聖レヴィアント教国の枢機卿、テロフォンスが重い口を開いた。彼の震える指が、地図上の一点を指し示す。


「ドルフ陥落からわずか三年。我々が『エルフの内紛』と高を括っている間に、事態は修復不可能な段階に達しました。ドルフの生存者――いえ、魔王の軍門に降ったエルフたちは、もはや我々の知る穏健な民ではない。彼らは魔王の恐怖に怯え、生ける魔導兵器と化している」


「笑えぬ冗談だ」


 吐き捨てるように言ったのは、鉄鋼の国ヴァトンの軍事宰相、ガノストローファだった。彼は筋骨隆々とした腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「エルフといえば、木の実を食って詩でも詠んでいる連中だろう。それが、あの精強なる竜騎士団を空から叩き落とし、鬼人の剛力を魔法障壁一枚で撥ね返しているというのか? 報告書を書いた奴は、よほど強い酒でも飲んでいたに違いない」


「ガノストローファ閣下、現実から目を背けるのは勇気ではありません。それはただの愚鈍です」


 静かに、しかし剃刀のような鋭さで反論したのは、魔導都市国家フィーゲルの若き賢者、セリナだった。彼女は手元の水晶に触れ、いくつかの数値を空間に投影する。


「見てください。これはドルフ国境付近で観測された魔力波形の解析結果です。通常の高等魔法を遥かに凌駕する出力……しかも、それが一箇所ではなく、軍全体から均一に発せられている。これは個人の資質ではありません。西の魔王という巨大な核から、ネットワークを介して全兵士に魔力が分配されていると見るべきです。一人の意志が、数万のエルフの指先まで支配しているのです」


 会議場に戦慄が走った。それは、個々の兵士が魔王の分身として機能していることを意味していた。


「解せないのは……」


 それまで沈黙を守っていた自由交易都市連合の代表、ロレンゾが、脂汗を拭いながら呟いた。


「なぜ、彼なのか、ということです。西の魔王……彼は純血のエルフであったと聞き及んでいます。エルフは種族への愛着が人一倍強い。その彼がなぜ自国の魔術師を三割、戦士を五割も殺戮し、同胞を奴隷のように扱う必要があるのですか? 領土拡大にしてもそうだ。富が目的ならば、我が国の交易路を封鎖すれば済む話。だが彼はただ破壊し、塗り潰し、軍事化することに固執している。まるでこの世界そのものを憎んでいるかのように」


「その通りです」


 テロフォンス枢機卿が頷く。


「ドルフから命からがら逃げ延びた数少ない亡命者は、異口同音にこう証言しています。魔王が玉座に座ったあの日、彼はたった一言だけ、同族たちに向かってこう告げたのだと。――『お前たちが守ろうとした、この無価値な静寂を、私が永遠に終わらせてやる』……と」


「動機など、死体に聞けばいい!」


 ガノストローファ宰相が机を叩いて立ち上がった。


「ドラシールが落ちれば、次は我が国の鉄鉱山が狙われる。マキアが潰れれば、中央諸国への防波堤は消える。もはやエルフの内情に同情している暇はない。枢機卿、連合軍の動員を承認しろ。我が国の重装甲歩兵連隊を直ちに出撃させる」


「フィーゲルも、封印指定されていた広域破壊魔術の解放を検討します」


 セリナもまた、苦渋に満ちた表情で同意した。


「ただし、条件があります。この連合軍の目的は『ドルフの解放』ではなく、『西の魔王の抹殺』に限定すること。彼という核を潰さぬ限り、エルフたちは魔力供給によって暴走し続け、最後には自壊するでしょう」


 円卓に集まった指導者たちは、互いに視線を交わした。かつてない規模の軍事同盟。しかし、その顔に高揚感はない。あるのは、自分たちが戦おうとしている相手が、常識の通じない深淵そのものであることへの、根源的な恐怖だった。

 会議場を満たした静寂は、もはや恐怖を超えた困惑へと変質しつつあった。

 西の魔王という未曾有の脅威に加え、報告書にはさらなる信じがたい事態が並んでいたからだ。枢機卿テロフォンスは震える手で二通の極秘公電を円卓の中心へと投じた。


「……魔王の進撃、エルフの兵器化。それだけでも大陸の終わりを予感させるには十分でしょう。しかし、諸君。運命という名の神は我々にさらなる試練――あるいは滑稽なまでの混沌を投げ与えたようだ」


 円卓の上に、新たな二つの領域が赤く点滅する。南の大国レイネシア王国、そして東のドラシール竜王国だ。

 円卓に映し出されたレイネシア王国の地図。


「……続いて、南方のレイネシア王国に関する極秘報告です」


 テロフォンス枢機卿の声は、先ほどよりも一段と低く、かすれていた。


「諸君も知っての通り、レイネシアの辺境には、古の時代に賢者が命を賭して封印した焔竜ンゴンゴが眠っていた。……いや、眠らされていたはずだった。奴は万物を焼き尽くす邪竜であり、その封印が解ければ大陸の南半分が灰に帰すと予言されていた、文字通りの生ける厄災だ」


「それがどうした? 封印が弱まったとでもいうのか?」


 ガノストローファ宰相が苛立たしげに尋ねる。


「……逆です。消滅したのです。戦いの形跡もなく、封印が破られた兆候すらなく。ただ、ある朝巨大な魔力源が忽然と消えたのだと。」


 会議場を、心臓の鼓動さえ聞こえそうなほどの静寂が包んだ。

 封印されていた最強の邪竜が、戦うこともなく消滅する。それは、この世界の生態系や魔術的な道理では説明のつかない、いわば存在の抹消であった。


「……何かの間違いではないのか? 転移魔法か、あるいは……」


「いいえ、セリナ殿」


 テロフォンスが彼女の言葉を遮った。


「ンゴンゴの消滅後、レイネシア王都では別の異変が起きた。かの国の象徴であった聖女リリィ、そして水の精霊カミラ。この二名がまるで何かに怯えるように、あるいは何かに突き動かされるように暴走を開始。王都を水没させ、民衆を捨て、狂ったように北上を始めたのだ。……彼女たちは、中央諸国連合を目指している」


「邪竜が消え、聖女が狂い、北へ向かう……。地獄の行進だな」


 ロレンゾが震える手でハンカチを握りしめた。


「……そして、この怪現象に拍車をかけるのが、東方ドラシール竜王国からの報告だ」


 テロフォンスは、さらに不気味な報告書を提示した。


「邪竜ンゴンゴが消えた直後、ドラシールに一人の怪異が現れた。名はなんJ民。……信じ難いことだが、ドラシールの女王と、あのバルデッダを精神的に破壊し、王都に火を放って逃亡した。このなんJ民なる存在の移動経路と、ンゴンゴが消滅したタイミング、そして聖女たちが北上を開始した方角……。これら全てが、驚くべき一致を見せている」


「待て……」


 ガノストローファが、顔面を蒼白にして立ち上がった。


「つまり、貴様はこう言いたいのか? そのなんJ民とやらが、封印されていた邪竜を消し、聖女を狂わせ、今この連合に向かってきていると?」


「……因果関係は不明です。しかし、状況証拠はそう示している。このなんJ民。彼は、西の魔王のように軍を率いて征服するのではない。彼が通った後には、ことわりが崩壊し、伝説が消滅し、ただ無秩序な混沌だけが残る。……セリナ殿、解析を」


 セリナは、投影されたなんJ民の(適当に描かれたような)似顔絵を凝視した。


「……これは、強さの数値化が不可能です。魔王が巨大な火の玉だとしたら、この存在は火そのものを概念から消し去る水に近い。……いえ、それすらも違います。彼は、この世界の物語シナリオを台無しにする、不純物そのものです」


「そんな馬鹿なことがあってたまるか! カエル一匹に、大陸が振り回されているというのか!」


 ガノストローファの怒号が響くが、その声には隠しきれない震えが混じっていた。


 テロフォンス枢機卿の手元にある水晶がさらに不吉な紫色の光を放った。円卓の中央、大陸西端に位置する鬼人族の国家マキアの領域が激しく明滅を始める。


「……さらに、諸君。これら外部からの脅威に呼応するかのように、我らが連合の一角、マキアからも不穏な報告が届いている」


「マキアだと? あの戦闘狂の鬼どもが、魔王軍を前に内紛でも始めたというのか?」


 ガノストローファ宰相が身を乗り出す。


「内紛であればまだ救いがあった。……マキアの王家直属、武闘派組織一刻いっこく。彼らが王命を待たず、独断で大規模な討伐部隊を編成。現在、国境を越えて東――つまり、この中央諸国連合の深部へと向けて移動を開始した」


 会議場にどよめきが走った。「一刻」といえば、マキアの中でも選りすぐりの精鋭、文字通りの人斬り集団だ。彼らが動くということは、国家間の軍事協定を無視した「暗殺」あるいは「強行排除」を意味する。


「指揮を執るのは第二王子、ヴェルサ・トゥーレム・ゲルムド。そして……」


 枢機卿が声を落とす。


「その傍らには、千里眼がいるという報告だ」


 その名が出た瞬間、魔導賢者セリナの顔から血の気が引いた。


「……あの齢14歳の処刑人ですか? 彼女が動くということは、標的は既に『視えている』ということ……」


「そうだ。彼女のスキル《神域の観測者》は、大陸のどこにいようと標的の因果を捉える。マキアの狙いは魔王軍ではない。彼らが追っているのは――ドラシールを燃やし、邪竜ンゴンゴを消滅させた元凶、なんJ民だ」


「待て、話が読めんぞ!」


 ロレンゾが叫ぶ。


「なぜマキアが、ドラシールの件でそこまで躍起になる? 恩義などないはずだ!」


「恩義ではない。……恐怖だ」


 テロフォンスは冷徹に言い放った。


「マキアのヴェルサ王子は、邪竜を概念的に抹消したなんJ民の力を、世界を壊す者として危惧している。あるいは……その異能を自国に取り込もうとしているのか。いずれにせよ、彼らはこの連合の地で、カエルを仕留めるために手段を選ばないだろう」


「……狂っている」


 セリナが震える声で呟いた。


「北からは理を統べる西の魔王が南下し、南からは絶望した聖女と精霊が北上している。そして東からは正体不明のカエルが這い回り、西からは殺戮集団『一刻』がそれを狩るために、連合の法を無視して突っ込んできている……。ここは、もはや戦場ですらない。世界中の厄災が一点に集まる、地獄の交差点です」


 ガノストローファ宰相は、もはや怒鳴ることさえ忘れ、地図上にひしめく無数の赤い点を見つめていた。


 会議場の天井を、春の陽光が虚しく照らしている。

 だが、閣僚たちの脳裏にあるのは、もはや勝利の二文字ではない。この混沌の後に、果たして大陸という形が残っているのかという、根源的な疑念だけだった。

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