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廃墟の都





 

 廃都ダルムボーグを訪れたアッシュ達は、大通りから少し外れた街路を進んでいた。


足元の石畳は割れまくって荒れているし、連なるように立ち並んでいる廃墟、廃屋の群れは、まさに巨大都市の死体といった風情である。

 

 夕暮れ空には雲も疎らだった。

明日も晴れそうである。

 

「廃墟の群れに隠れている賞金首を捜すというのは、思っていたよりも骨が折れそうですわね……」


 漆黒の重装鎧を着込んだエミリアが、声にやや疲れを滲ませて溢した。夕日に横顔を照らされている彼女も、アッシュと同じように夕焼けを見遣っている。


「かなり歩き回ったはずですけれど、ネクロマンサーの気配など全く感じられませんでしたし」


「まぁ、ダルムボーグは超大型都市だったからね」


 魔導ショットガンを手にしたローザも、いつものボディスーツと黒のジャケット姿だ。


身軽な装備だが、彼女の両手に嵌められた手袋の内側には、指輪型のアイテムボックスが多数嵌っているに違いない。


 アードベルを発つ前のローザが、「今回も新兵器は持っていくから」と話していたので、魔導アイテムか、ショットガンやハンドガンとは別類の魔導銃を収納しているのだろう。


ちなみに冒険を同行するにあたって、アッシュも通信用の指輪を貸して貰っている。


「アードベルよりもちょっと狭いけど、それでも十分過ぎるほど広いもん。ネクロマンサーの噂が本当だとしても、そう簡単には見つからないって」


ローザが軽く笑うと、埃っぽい乾いた風が吹き抜けていった。


杖を握り直したアッシュは周囲を見回してから、少しだけ視線を上げてみる。


 朽ちた建物が雑然と並んだ光景と、夕空のコントラストが眩しい。


退廃的なダルムボーグの景色が、澄んだ茜色の光に浸されながら、宵闇へと向かう静寂に沈んで行こうとしている。


かつてのダルムボーグは、アードベルと同じく冒険産業で栄えた大きな都市だったが、エレメンタルの軍勢に攻め滅ぼされた。


 このエレメンタル達は、ダルムボーグとアードベルを隔てるようにして横たわっているブルーズニーグ森海で発生した魔物である。彼らは木々や蔦、草花などに宿った悪性の精霊であり、恐れを知らない植物の怪物たちだ。


 ただ、基本的にエレメンタル達は森の外にでることはなく、本来なら人々の生活圏に現れるような積極的な脅威ではない。


 だが、ある日事件が起こった。


 ダルムボーグを拠点としたある冒険者のパーティが、乾季のブルーズニーグ森海で迂闊な炎魔法を使用し、大火事を起こしたのだ。


 幸い、他の冒険者のパーティやクラン、ギルドからの協力もあって火は消し止められたが、森を焼かれた報復として、群れを成したエレメンタル達がダルムボーグを襲撃したのだ。


 エレメンタル達の目的はダルムボーグの征服でも支配でもなく、そこに住まう人間達を完全に排除することであったため、彼らの侵攻には一切の容赦が無かった。


 ギルドから招集された冒険者達だけでなく、駐在する正規軍の兵士たちも、ダルムボーグを護るべく抵抗した。だが、エレメンタル達の猛攻を凌ぎきれなかった。


 防壁を崩されたダルムボーグは、その日のうちに内部を蹂躙され、多くの死傷者を出すことになる。


 防壁を建て直して都市を復興させるという話も何度か出たらしいが、もともとの住民も必要な仕事も、その殆どがアードベルに移って定着しつつある流れであったため、結局、ダルムボーグは打ち捨てられることとなった。


 完全な廃都となった今では、人々の住まう場所ではなく、冒険者達の狩場の1つとなっている。


だが、決して楽に稼げるスポットではない。

 

「ダルムボーグは広いだけじゃなくて、とにかく見通しが悪いのも危険ね」


ネージュは歩きながら、落ち着いた様子で周りを見回した。


「廃墟の彼方此方に、野生の魔物も潜んでいる可能性もあるわ」


 黒と蒼の鎧を着こんで大槍を携えた彼女の眼差しには、遭遇した魔物を即座に凍結させてしまうような剣呑さに満ちている。


 そんなネージュの隣で、「くぁぁ~……っ」と大欠伸《おおあくび》をしてみせたのはカルビだ。


「……緊張感が足りないんじゃない? 怪我をしても知らないわよ」


 じろっとカルビを睨んだネージュが鋭く注意する。


「カルビさん。貴女が飽きやすい性分なのは分かっていますが、せめて油断はしないよう、お願いしますわよ」


 エミリアも顔を顰めつつ、やれやれと首を緩く振った。


「油断してるワケじゃねぇよ。それなり気配も探ってる。ダルムボーグに行くぞって言い出したのもアタシだしな」


 眠たそうに声を揺らしたカルビの方は、大戦斧を肩に担ぐように持ったままで、ヒラヒラと手を振ってから、「でもよ~」と欠伸交《あくびま》じりに首をゴキゴキと鳴らした。


「こんだけ歩き回って、ネクロマンサーどころか魔物の気配もしねぇし、姿も見えねぇっ、てのはな。流石に退屈もするだろ?」

 

「時間が経って、ネクロマンサーの噂が広まった所為もあるのでしょうが」


 街道の左右に視線を流したアッシュは、注意深く周りを見渡す。


「やっぱりダルムボーグを訪れている冒険者が多いのでしょう。ここら一帯に潜んでいた魔物も、おおかた狩られてしまったのかもしれません」


この場所から捉えることができる気配と言えば、他の冒険者パーティのものぐらいだった。腰に手を当てたローザも、首を巡らせて軽く息を吐いている。


「目ぼしい魔物は、もう狩り尽くされちゃってる可能性はあるかもね~」


 アッシュ達の周りに広がる廃墟の群れは相変わらず静まり返っており、不気味さよりも長閑ささえ感じる。眩しい夕日も暖かいせいか、歩きながらカルビがまた欠伸を溢した。


ついでに、カルビの腹が『ぐぅぅぅ』と盛大に鳴った。


 全員が2秒ほど黙ってから、またエミリアが眉を顰める。


「……カルビさん貴女、本当に緊張感が無いですわね」


「しょうがねぇだろ。昼飯だって、干し肉とパンをちょっと齧っただけだぜ」


「そこは我慢してね」とローザが苦笑する。


「ダルムボーグに滞在するための食糧は買ってあるけど、皆が毎食、お腹一杯になるほど食べてたら食費も嵩むんだから。流石に飲み水は十分に確保してあるけど」


 このダルムボーグでの滞在中、野宿や食事のために必要なものは、殆どローザのアイテムボックスに収納してある。


 エルンの町に向かう道中でもそうだったが、魔導具に詳しいローザは、食品を長期冷蔵保存できるような機能を持つアイテムボックスや、魔導機械術製品の寝具、温水発生器つきの簡易シャワー、調理器具、テントなどを用意してくれている。


 一応、こういった品々を持ち運ばなくても冒険活動は十分にできる。


 身体や衣服の清潔さを保つためには、魔法『浄化の霊炎』で十分に事足りるし、現地で調達した食材に火を通して調理したりするのも、属性魔法を使えば可能だ。


 治癒系統の魔法には傷を癒すだけでなく、肉体の活性、脳の休息回復を司るものもあるので、やろうと思えば無睡眠での冒険活動も維持できるだろう。


 だが、魔法だけで冒険活動をこなすのは、とにかく過酷だ。ことあるごとに魔力を消費していては、いざというときの戦闘にも影響する。


 魔力を回復するには、そのための回復薬が必要になる。そして魔力回復薬も、決して安いものではない。冒険に必需品でありながらも、それなりに高価なのだ。

 

 結局のところ、何度も使える魔導具、魔導機械器具の類が必要とされるのは、戦闘以外での魔術士や魔術師、治癒士の負担を、そして、冒険者全体の経済的な負担を軽減できるからである。


 こういった魔導具、魔導機器類を過不足なく揃え、十分に使いこなしているローザ達のパーティは、実際にお金にルーズなところがない。


「一応の贅沢品は、今日の晩御飯だけ。お酒とか、そういう余計な嗜好品も持ってきてないから、そのつもりでね」


 確認するように言うローザから指を向けられ、カルビは「分かってるよ」と応えつつも、しょぼくれた顔をした。だが、すぐに何かを思い出すように「あ」と声を上げたカルビが、目を輝かせて、またアッシュを振り返って来た。


「そういや、晩飯の弁当はアッシュが作ってくれたんだろ?」


 期待を含んだカルビの声音は、既に弾み始めていた。


 今日の早朝、野宿で寝ているローザ達を起こさないように、アッシュは夕食の準備をしたのだ。弁当が傷まないよう、冷蔵保存用のアイテムボックスに収納してある。


「えぇ。前にリクエストを頂いていたので、焼き肉弁当にしています」


 アッシュが頷いてみせると、「マジかよ最高だな」とカルビは嬉しそうに目を細めて、陶然とした表情になったエミリアが「じゅるるっ」と涎を啜るような音を鳴らした。


 「私《わたくし》も正直、今日の晩御飯が楽しみで仕方がありませんでしたのよねぇ……!」


 「だよなぁ! じゃ、ネクロマンサーより先に、ゆっくり晩飯を食える場所を探そうぜ?」

 

 「えぇ、それもそうですわね!」

 

 急に元気になって暢気なことを言いだすカルビとエミリアが、きょろきょろと廃墟の群れを見まわし始めた。


「……私達はピクニックに来てるワケじゃないのよ?」と、低い声を出したネージュが更に眉間を絞った。


「そんなに緊張感マシマシで捜索がしてぇんなら、ネージュだけ晩飯抜きでやれよ」


 鼻を鳴らしたカルビが、また腹を鳴らしながら言い返した。


「お前の分のアッシュお手製弁当も、アタシとエミリアが美味しく食べといてやるからよ」


「えっ!? ネージュさんの分も頂いていいんですの!?」


 子供のような無邪気な口振りのエミリアが、物凄い笑顔になってネージュを振り返った。その瞳がキラキラと輝いている。


「良いわけないでしょう」


 片方の眼を物騒に窄めたネージュが、魔力交じりの殺気と冷気を漲らせた。その魔力の放散によって、廃墟を吹き渡ってきた乾いた風にまで粉雪が混ざりはじめる。


「私のために、アッシュ君が愛情を籠めて作ってくれたお弁当よ」


 断定口調のネージュは、めちゃくちゃ低い声で言いながらゆっくりと首を傾けた。


「もしも勝手に食べたりしたら、本当に殺すわよ?」


「はいはい。そこ、喧嘩しない」


苦笑気味のローザがすぐに割って入る。


「でも、そろそろ今日の野宿場所は決めよっか。日も落ちて来てるしさ」


 腰に手を当てたローザは、眩しそうに夕日を一瞥してから周りを見渡し、アッシュにウィンクをしてみせる。


「この冒険で利益が出なかった場合は、帰りに違うダンジョンとか、他の狩場にも寄ってみようかと思ってるけど。そのあたりの話も、ちゃんとアッシュ君としたいしさ」


「はい。アードベルに戻るまでは、ローザさん達と同行させて貰うのが今回の依頼ですから」


 それからアッシュ達は、日が落ちきってしまう前に、街路の脇にテントを設置することにした。


 テントとは言っても普通のものではなく、魔導機械術製品で、黒くて無骨な箱のような形状だった。


丈夫な特殊合金の柱、それに耐刃、耐衝、耐毒などの防御魔法紋を施した金属繊維が使われており、見ようによっては超小型の砦のようでもある。


 その性能とは裏腹に組み立ても簡単で、中も広く、風通しも良くて快適だ。このテントが今日のアッシュ達の寝床になる。


 温水発生器付きのシャワーは、テントの直ぐ後ろにある廃墟内で使おうということになった。これなら周りに冒険者が居ても覗かれにくいし、着替えもしやすい。


 アッシュ達が食事を終えてから、誰がシャワーを浴びるかという話になり、コイントスをしたところ、ローザとカルビ、エミリアに決まった。


アッシュとネージュは廃屋の外での見張り役だ。


「仮にレイダーだろうが魔物だろうが、アタシ達のシャワー中に襲ってきたところで特に問題はねぇんだけどな。装甲服も鎧も、ついでに戦斧もアイテムボックスに仕舞ってあるんだ。ぬかりは無ぇ」


「……まぁ、裸から一瞬で装備を着込こむことになるから、濡れ鼠みたいになっちゃうけどね。髪とか身体とか拭けないし」


 カルビが陽気な声を出して、そのあとにローザが一応のように指摘しているのが聞こえてくる。続いて、「ムゥゥォオッホッホッホッホ!!」というエミリアの御嬢様笑いが高らかに響いてきた


「びしょ濡れになっていようとも、この私のスペシャル・フォーエヴァァァァンンヌな、淑女的戦闘力は一切衰えません故ェエ! この私の不意を突こうなどとしても、それは無駄というものですわ!」


 彼女達の声は、照明が持ち込まれている廃屋内から漏れており、肌着を脱ぐような気配のあとに、シャワーの水音が聞こえてきた。


淡い光に照らされて白くけぶった水蒸気の靄が、夜気に霞みながら昇っていく。


「まぁ、実際エミリアの言う通りだしなぁ。だからアッシュも、あんまり真面目に見張らなくてもいいぞ~。何なら、ちょっと覗きにきてもいいぜ~」


カルビが面白がるように言ってくる。その声音には悪戯っぽい艶もあり、本気でアッシュを誘うようでもある。


 廃屋内に居る今のカルビやローザ、エミリアが既に裸であることを思うと、アッシュとしては扱いに困る冗談だった。


「い、いえ、そういうワケにも……」


「そんな連れねぇこと言うなよアッシュ~。今なんて丁度、ローザがおっぱいを洗ってるところだぜ?」


「ちょっとぉっ! そんなこと実況しないでよ!」


 いつもよりも高いローザの声が響いてくる。間髪を入れずに、「カルビさん!」とエミリアが切迫した声を発していた。


「ローザさんだけじゃなくて、私《わたくし》も! 私《わたくし》の美しさと艶めかしさ、そして豊満かつゴージャスな私の肉体美も、声高に実況してくださりませんこと!? アッシュさんにも届くように!」


「あなたたち……」


ドスの効きまくったおっかない声が続く。廃屋の入り口前には、アッシュと同じく見張り役のネージュも居る。


「馬鹿なことを言っていないで、さっさとシャワーを済ませなさい」


 腕を組んだネージュが、廃屋の中に苛立った声を投げ込んだ。焚火に照らされた彼女の顔は、恐ろしいほどの真顔だった。


「分かってるっつーんだよ」というカルビの低い声も、シャワー音と共に廃屋の中から飛んでくる。


「先程も周りを見てきましたが、魔物の姿はありませんでした。ですから、ゆっくりと身体を温めて下さい」


 アッシュも廃墟の中に声を送ってから、夜空を見上げてみた。


 晴れた黒い空には星々が瞬き、痩せた月が笑みの形をして浮かんでいる。


 夜風もほとんど無く、廃都ダルムボーグの夜は静かなものだ。だが完全な静寂ではなく、時折、太い笑い声が遠くから聞こえてきたりもしている。


 野宿をしている他の冒険者達の中には、酒盛りでもしている者達もいるようだ。


 魔物の姿がほとんど見つけることが出来なかった昼間の様子から見るに、ダルムボーグに訪れている冒険者の数は、かなり多いのだろう。賞金首のネクロマンサーを狙うとあって、パーティ同士でクランを組んでいる者も多いはずだ。


 この暗がりに沈んだダルムボーグの何処かで、リーナ達が参加しているクランも野宿をしているのかもしれない。


 ぼんやりと思いながら、アッシュが街路の暗がりを眺めた時だった。


「ぎゃああああぁあああ!!?」


 声を裏返しまくったローザの悲鳴が背後から響いてきて、アッシュはぎくりと肩を震わせてしまう。いったい何事か。廃屋の方を振り返る途中で、ネージュとも目が合った。

 

 ただ、ローザが悲鳴を上げた原因に心当たりがあるのか、ネージュは特に焦った様子でもなく、その表情も「騒がしくて、ごめんなさいね」というようなものだった。


 廃屋内からは、また声が聞こえてくる。


「うぉ、すっげぇ重さ……。ローザお前、またデカくなったんじゃねぇのか!?」


 はしゃいでいるカルビの、無邪気な声だった。


「いきなり後ろから揉んでこないでよッ!! びっくりして、ひっくり返りそうになったじゃない!!」


 裏返ったままのローザの声が続く。


「まぁローザなら、ちょっと転んでも大丈夫だろ。尻にも太腿にもボリュームがあるし、ムチムチしつつも引き締まってるからな。ショック吸収のバッチリボディだ」


 悪びれることなく暢気なことを言うカルビに、普段は優しいローザも、「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!??」と声に怒気を含ませた。


「何それ、私が太ってるって言いたいの!?」


「そ、そんな怒るなよ。つーか実際のところ、おっぱいは増量中だろ」


「カルビだって大きいじゃん!」


「いや~……、流石に敵わねぇよ……」


「そんな降参気味に言われるほど大きくないよ!!」


「でも、ローザは先っぽも綺麗だよな。ぷっくりしてて、艶々のピンク色で……」


「でっかい声で言うなぁ!! 外に聞こえるじゃん!!」


「ちょっとツンツンしてもいいか?」


「ひゃあああぁぁ!? やっ、やめろーーっ!!」


 楽しそうなカルビと、ちょっと半泣き気味ローザの声が交互に響いてきて、次にはエミリアの苦情が飛んでくる。


「ちょっとちょっとちょっとォォォ! カルビさん! ローザさんも! 2人だけで盛り上がってアッシュさんにアピールするのはズルいですわよ! 私《わたくし》も混ぜなさい!」


「お前の声が一番デカいんだよ、エミリア。つーか、お前……。やっぱガタイ良いなオイ。背筋とか太腿とか、あとケツの筋肉が凄ぇ」


「誉め言葉が雑ですわよぉッ!! もっと他に褒めるところが一杯ありますわよォォオン!?」


「あぁ? どこだよ? 乳首の長さとかか?」


「長くねぇ……ッ!! でっかい声で適当なことを言わないで頂けますかしら! 張り倒しますよォ!! アッシュさんの誤解を招くでしょう!?」


「良いだろ別に。誤差だよ、誤差」


「良くないですわよ! ……というか、カルビさんも綺麗なカラダしてますわね、クソ……。筋肉質で引き締まってるのに豊満さもあって……。クソが……」


「何で暴言混じりなんだよテメェ」


 好き放題に言い合う声が飛んでくる廃屋を振り返っていたネージュが、「何もかも筒抜けなのよね……」呆れたように息を吐き出している。


 一方でアッシュは気まずくて仕方なく、だが、黙っているのは更に気まずくなりそうだ。


「皆さん、仲が良いですよね」


 状況に押し出されたようなコメントをしてしまう。


「……その“皆さん”の中に、私も含まれてそうな言い方だけど……」


隣にいたネージュは一瞬だけ酸っぱそうな顔をしてから、「でも、……えぇ、そうね」と頷いてくれた。


「ローザとエミリア、それにカルビは、このパーティに私が入るよりも先に組んでいたから。それなりに付き合いも長いんじゃないかしら」


 まぁ、それでも、何年も一緒にやっている、という程ではないでしょうけれど……。そう付け足したネージュが、また廃屋の方を振り返った。


 彼女の眼差しはローザ達との出会いを思い返しているのではなく、当時の、ネージュ自身を見つめ返しているようだった。


“教団”という言葉が頭を過ぎって、アッシュは話題を変えた。


「……あの、ネージュさん達は、カルビさんと一緒に住んでいるんですか?」


「えっ」


「エルンの町に向かう途中で、そんなふうなお話されていましたから」


 アッシュに尋ねられたネージュは、見詰めていた過去から急に現実に引き戻されたような顔になっていた。


「……そういえば、以前にもカルビが馬鹿なことを言っていたわね。寝ているときの私が、アッシュ君のことを寝言で呼んでいるとかどうとか……」


 忌々しそうに眉を寄せたネージュは目を細め、カルビ達のいる廃屋の方を一瞥してから、アッシュに向き直った。


「あれは、カルビが適当なことを言っているだけだから本気にしないでね」


 焚火に照らされている彼女の顔が、これでもかというほどに大真面目なものになる。


「普段からカルビが言っていることの、だいたい8割ぐらいは意味不明でいい加減だから。あのアンポンタンの話を、いちいち真剣に聴いていては耳が腐っちゃうわ」


「おい筒抜けだぞネージュ! 聞こえてんぞ!!」


廃屋の方がうるさくなったが、ネージュは涼しい顔でそれを無視して話を戻した。


「私とカルビも、それにエミリアも、ローザの家に部屋を借りているのよ」


「あぁ、やっぱりそうなんですね。何となくではありますが、ローザさんがお金持ちというか、そういった雰囲気を感じたことはありましたけど……。ローザさんの御家って、大きいんですか?」


 アッシュが尋ねると、ネージュは少し声を潜めた。


「かなりの大豪邸よ。8号区にあるんだけどね。見たら、きっと驚くと思うわ」


「えっ、8号区にですか? そ、それは確かに凄そうですね……」


 アードベルの8号区と言えば、貴族の別荘が並んでいるほか、裕福な大商人や、地位のある役人や弁護士、それに上位の魔導機械術士などが住まう区域だ。


 警備用の魔導機械獣も多数配置されており、アードベルで最も治安の良い区域としても知られている。


 そんなところに邸宅を構えることが出来るなんて、上級冒険者の中でも一握りだけだろう。アッシュはまだローザの家を見ていないが、その事実だけで圧倒されてしまう。



 だが、普段のローザは贅沢に慣れているという様子でもなく、むしろ、かなりの倹約家という印象を受ける。今回のダルムボーグ探索でも、ローザは所持品を厳選している様子であったし、余計な嗜好品も持ってきていないと明言していた。


 無駄遣いを丁寧に避けているローザの姿と、“大豪邸”という言葉が、アッシュの中でうまく繋がらない。


アッシュが覚えた違和感を、ネージュも察したようだった。


「……ローザがどういった経緯で、今の生活を送っているのかは私も知らないわ。でも、自分の住む場所という意味合い以上に、自分の邸宅を守ろうとしているみたい」


 そう教えてくれたネージュは言葉を切って、また廃屋の方を振り返った。


「“この家を8号区で維持しようと思ったら、冒険者になってでも稼がないと”って、ローザ自身が言っていたから」


成功者として豪邸に住むのではなく、その邸宅自体を守っていくため、ということだろうか。


「それが、ローザさんが冒険者をしている理由……」


 相槌を打つ代わりに、アッシュは無意識のうちに俯き、呟いていた。


「えぇ」と頷いてくれたネージュは、自分が語れるのは此処までというふうに、また視線だけで廃屋を振り返る気配があった。


 冒険者という危険な職業を選ぶ理由は、人によって様々だ。


抱えているものや、背負っているものも、どんな過去を生きてきたのかも其々に違う。そして、それを他者にどこまで明かすのかも――。


 そういったことに対する理解に富んだ様子のネージュは恐らく、冒険者となる前のローザがどのように生きてきたのかを、ローザ自身には尋ねようとはしなかったのだろう。


 そして、他者に踏み込むことに慎み深いその態度自体が、ネージュ自身の抱えているものの重さを物語っているのではないか。


 彼女達に同行しているアッシュも、同行している“冒険者”という立場でしか彼女達との接点を持っていないことを鑑みれば、この話題にも、これ以上に踏み込むべきではないと思った。


「まぁ、ネクロマンサーの賞金が手に入れば、ローザも楽が出来るのでしょうけれど」


 アッシュに視線を戻したネージュが、少しだけ明るい声を出した。彼女もまた、話の行方を変えたかったのかもしれない。アッシュも頷く。


「賞金額は相当なものですからね。特に、生きて捕らえた場合は」


「えぇ。懸賞額3億、生け捕りした場合は、……6億。多くの冒険者を動かすだけの額ではあるわよね」


「えぇ。以前はリーナさん達も、このネクロマンサーを狙ってキュアニス鉱山に潜っていたそうです」


 アッシュが言うと、ネージュが少し驚いた顔をした。


「へぇ……。前に会ったときには慎重そうな印象を受けたけど、なかなか野心的なのね。それなら今の私達と同じように、このダルムボーグの何処かで、野宿をしているのかもしれないわ」


 ネージュが口許の笑みを少しだけ深めて、宵闇に沈み込んだダルムボーグを眺めた時だった。


「ひゃあああああん!?」またアッシュ達の背後にある廃屋から、声を裏返したローザの悲鳴が聞こえてくる。


「本当に仲が良いわね……」


 いつまでやっているのか、という顔になったネージュが廃屋の方をチラリと振り返ってから、軽く溜息を吐いた。「仲が悪いよりはいいですよ」と、アッシュも苦笑で付き合う。


「……まぁ、確かに」眉を下げたネージュは、また溜息を吐き出そうとして、やめたようだった。「もしもネクロマンサーと遭遇して仲間割れなんてしていたら、全滅は免れないでしょうし」


 小さく笑みを浮かべたネージュが、不意に声を硬くした。


「ねぇ、アッシュ君」


「は、はい? 何でしょう?」


「えぇと、その……」


呼吸を整えるような、言葉を探すような間を置いた彼女は、慎重な親しみと、誠実な他人らしさの籠った笑みでアッシュを見た。


「もしも今回の冒険でネクロマンサーを捕らえても、やっぱり……、貢献度加算を辞退するつもりなの?」


 その問いかけ自体は、いずれ彼女達から尋ねられるだろうとは予想していたものだった。だからアッシュも、動揺することも怯むこともなかった。


 だが、一瞬だけ息を詰まらせてしまう。


 奇妙なことだが、今のネージュの浮かべている微笑みが、やけに幼く見えたからだ。


 テントに設置してある照明は、今のアッシュとネージュを照らしている。その明かりの、当たり方や角度の加減なのかもしれないが、明らかに彼女の雰囲気が違っていた。


 今のネージュの微かな笑みは、普段の静謐なものではなく、まるで小さな女の子が不安を隠し、無理をして笑顔を作っているような、そんな表情に見えたのだ。


 慕っていた年上の男の子が養護院から出ていくのを、小さな女の子が見送っていたときの表情に、よく似ている。「お兄ちゃん、行かないで」と心細い思いを抱えながらも、笑顔で見送るしかなった女の子の――。


 この場とは全く関係がない記憶が蘇り、アッシュは慌てて「え、えぇ」と頷いた。


「そのつもりです。もしもネクロマンサーを捕らえることが出来たとしても、その貢献度を加算されることには、僕は辞退しようと思っています」


「そ、そう……」


 アッシュの答えを聞いたネージュが俯き、何度も唇を噛んでいた。喉元まで出掛かった「それは何故?」という問いかけを、飲み込むか、口にすべきかを迷っている風だった。


「賞金首のネクロマンサーということですから、加算される貢献度も、きっと凄いんでしょうね」


 この沈黙が重くなってしまわないように、アッシュは少しだけ笑みを返す。


「カルビさんも言っていましたが、本当にネクロマンサーを捕まえることができたなら、ネージュさん達は上級冒険者に戻れるどころか、1等級になれるかもしれません」


 アッシュは特に他意も無く、この貢献度の話題を前に進めた。ネージュがそこで、ぎゅっと唇を噛んだままアッシュの方を横目で見詰めてきた。


「確かに、そうだけれど……」


 彼女の方が身長も高いのに、肩を窄めて背中を少し丸めるような姿勢のせいで、横向きの上目遣いのようになる。その仕種も何だか、やけに幼く見える。ネージュと話をしているのに、まるで別人と話をしているような錯覚を覚えるほどだった。


「もしも私達が、順調に上級冒険者になっても、……アッシュ君は5等級で居続けるつもりなのでしょう? 勿論、そのことについて、何かを言うつもりは無いのだけれど……、その……」


 らしくもなく言葉をぶつ切りにしたネージュは、横向きの上目遣いみたいな目つきで、チラチラとアッシュの方を窺ってくる。


「そうなるともう、アッシュ君が私達の同行依頼を受けてくれないような、そんな勝手な不安を感じてしまって……」


 どうやらネージュは、これからも継続的な同行をアッシュに依頼するつもりのようだった。


 それがネージュ個人のものか、それとも、既に彼女達のパーティメンバーで決めた方針なのかは分からない。


 だが、“冒険者”という役割を帯びている自分を、彼女たちが必要としてくれることは、やはり素直に嬉しかった。


 僕という存在が修正できないほどに穢れていたとしても、この世界に生きることの理由を、許可を、正しい在り方を、彼女達に認めて貰えるような感覚だった。

 

 暗い後ろめたさと、純粋な喜びを噛みしめる。

 

今回の冒険を最後に、僕はもう、皆さんとは会わないつもりです。


そう正直に告げるべきだと思った。

だが、アッシュの口から出たのは、全く別の言葉だった。


「……これからも同行の依頼を頂けるのでしたら、皆さんのお力になれるよう最善を尽くしますよ」


「よかったぁ」


 ネージュが表情を綻ばせた。ふわっと無邪気さが舞うような、なんとも少女然とした笑みだった。


 今までにアッシュが対面したことがない彼女の、その内部の顕れなのだろうが、やはり驚いてしまった。アッシュは不用意な程にネージュをまじまじと見詰めてしまう。


 そのアッシュの遠慮の無い視線に、自分が浮かべている表情に気付いたのか。


 ハッとした顔になったネージュはすぐにアッシュから目を逸らし、慌てて表情を引き締めながら、何度も咳払いした。


そうして自分の表情と声音を調整するような間を置いてから、まるで何事も無かったかのように「それじゃあ……」と話を続けた。


「こ、これからもよろしくね。アッシュ君」


 ネージュの声音と表情は、夜の空気に冷然と澄んで、いつも通りに戻っている。凍てつくような美貌も、沈着で動きの少ない表情も、もう普段のものだった。


 だが、今はそれらの要素が何だか微笑ましいというか、可愛らしいものに見えた。


 初めて見るネージュの少女然とした仕種や雰囲気ではあったが、似合っていたというか、自然体であるように感じたのだ。

 

 アッシュは、ネージュのことを殆ど知らない。彼女の過去や、彼女の持つ価値観や理念もだ。


 ただ、彼女と共通しているものが、間違いなくアッシュにはある。――“教団”に関わる過去という点について。


 だがネージュの過去を、この優しい時間のなかで掘り返したくはなかった。


 彼女も、“教団”のことを話し出す気配が全く無い。今はまだ、打ち明けるタイミングではない。そう判断したから彼女は、“アッシュのこれから”を話題にしたのだろう。


 でも、自分の未来の姿を考えることは、つらい。

 自分が何者なのかも分からないままでは、猶更だった。

  

『これからもよろしく』というネージュの言葉を、アッシュは心の中で既に裏切っている。


申し訳なさを覚えながらも感謝を伝える思いで、アッシュも頭を下げた。


「えぇ、よろしくお願いします」


 ただ、少しだけアッシュも気持ちを籠め過ぎてしまったようで、しんみりとした妙な具合の空気になってしまう。


ネージュが何か言いたそうに唇をむにむにと動かしたところで、また背後の廃屋内から「んほぉぉおお!!?」というエミリアの悲鳴(?)が飛んできた。


「……本当に仲が良いわね。あの3人」


 眉を寄せたネージュが呆れながら振り返り、顔を苦く歪めた。その遠慮の無い物言いと態度が何だか可笑しくて、アッシュは小さく笑ってしまう。


 胸のなかには解けない後ろめたさが残り続けていたが、後ろ向きな希望も灯りつつあった。


 僕は、彼女達に相応しい僕にはなれない。

 だが、彼女達に相応しい“冒険者”として振舞うことはできる。


 彼女達との関係を断ち切って他人になっても、僕は“冒険者”としてやっていける。他者のための善意と貢献を尽くす自分を、僕自身が赦せる未来があるかもしれないと。


 ローザ達の御蔭で、そんな淡い願いを抱くことができた。


 ――あのネクロマンサーに出会うまでは。






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