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ネクロマンサーの足音









 アッシュ達がダルムボーグに訪れて3日が経ったが、一度も魔物と出くわさなかった。

 

 平穏すぎる。そのこと自体が異常ではあるのだが、分かりやすい脅威の姿が全く見えないとなると、緊張感も自然と緩んでくるのか。

 

 広大なダルムボーグをうろついていたアッシュ達は、何組かの冒険者パーティ、それに大人数のクランなどを見かけたが、彼らの多くは覇気のない顔つきをしていた。


 彼らは目ぼしい廃屋内に踏み入ったり、その屋上から周囲を見回したりしていたものの、何となく諦めムードが漂っていて、なんとも気だるげな様子だったのが印象に残っている。


 対照的に、廃墟と廃墟の合間を忙しそうに、素早く、それに規則正しく隊列を組んでネクロマンサーの捜索にあたっている者達もいた。


 クラン『ゴブリンナイツ』。


 子供ほどの小柄でありながらも、騎士団風の重厚な装備を揃え、全員が分厚くて大きな盾を持ち、長大な突撃槍を携えているゴブリンの戦団だ。


 アードベルの第10号区に居住する彼らは、凶暴な野生のゴブリンとは違い、人間との共存を可能にした種族で、“ハイ・ゴブリン”と呼ばれている。


 優れた筋骨と知能を備え、人間と同じく女神教を深く信仰し、治癒魔法も授かっているのが、種族としての大きな特徴だ。


 大陸南西部には、ハイ・ゴブリン族だけの小国家もあり、彼らはいわば、アードベルに出稼ぎに来ている戦士達らしい。強力な戦闘集団でもある彼らは、アードベルきっての大所帯で、メンバー総数は200人以上とも言われている。


 ギルドの要請を受けたのだろう彼らは、かなりの数でダルムボーグを見回っている様子だった。


 それに加えて、今のダルムボーグには、ネクロマンサーの懸賞金に釣られて押し寄せてきた大勢の冒険者も入り込んでいる。


 もともとダルムボーグをねぐらにしていた魔物達は、そんな事態の急変を察知して逃げ出したか、或いは、もう狩り尽くされてしまったのか。


 廃墟ばかりで見通しは悪いが、アッシュ達の周りには戦闘はおろか、冒険者同士の諍いの気配すら全くない。時折、涼やかな風が吹いてくる程度だ。


 ここ数日と同じく、青空の下の廃都ダルムボーグは長閑なものである。


「せっかく色々と準備もしてきたってのに、ネクロマンサーも空振りで魔物も狩り損ねるとなれば、流石に赤字になるぜ」


 欠伸を噛み殺すカルビが、大戦斧を担ぎ直しながら首を鳴らした。

 

 「言えてるわね」

 

 周囲の廃墟に視線を走らせているネージュも、小さく息を吐く。

 

 「私以外の冒険者の姿も、かなり目に付くようになってしたし……。そろそろ潮時かしら」

 

 ダルムボーグを捜索し始めたころのネージュは、立ち並ぶ廃墟の影や死角から魔物が襲ってこないだろうかと注意していたはずだ。


 だが今は、魔物よりも冒険者の気配で充満しつつあるダルムボーグでは、まともな冒険も利益も見込めないと判断しているようだった。


「うん。本格的に魔物も狩れそうになかったら、今日で探索を切り上げてもいいかもね」


 あっさりとした様子で、ローザも軽く鼻を鳴らした。


「得るものが無いのなら、廃都で長居も無用だし。近場にある他のダンジョンに、探索の場所を変えた方が賢明かも」


「アッシュさんにも同行して頂いているのに、この冒険活動で何の収穫も無しでは申し訳ないですもの」


 エミリアが腰に手を当て、長閑なダルムボーグを改めて見回した。温かな陽射しの中を、乾いた緩い風が吹き抜けていく。


 その風にツインテールの髪を揺らしたローザも、「だね」と頷いた。


 「明日以降は、他所のダンジョンに向かうとして……。まぁ今日のところは、もうちょっとダルムボーグを見て回ろうか。せっかく来たんだし」


 気を取り直すように言うローザが、隣に居るアッシュの方を見てウィンクをしてみせる。


「えぇ。ダルムボーグの全部は無理でしょうけれど、出来る限り回ってみましょう」


「ありがと、アッシュ君。付き合ってくれて」


 優しい言い方をしてくれるローザは、腰のポーチからダルムボーグの地図と、ネクロマンサーの手配書を取り出して苦笑した。


「やっぱり、そう簡単には見つからないか~」


 ギルドで貰って来たその手配書には黒髪の男が写っている。ある賞金稼ぎが魔導機器で撮影に成功したものを、色付きで印刷したものだ。


 手配書の男は、20台後半ぐらいか。


 黒髪を肩辺りまで伸ばしている。顔立ちは整っているが、どろっと濁った黄土色の瞳のせいで、不吉な印象を拭えない。浮かべた薄ら笑いにも、残忍さや邪悪さが滲み出ているようでもあった。


 手配書の上覧には『ギギネリエス=ノーキフ』と記載され、懸賞額である3億ジェムの表記と、“死の門”という通り名のような文句が付随している。

 

「でも、見れば見るほど不気味だよね~……」


 考え込むような表情のローザが、広げた手配書に視線を落としながら呟いた。それからアッシュの方を見て、「知ってる?」と手配書を揺らした。


「このネクロマンサー、100年近く見た目が変わってないらしいよ?」


 気味悪そうに言うローザに、「えぇ」とアッシュも軽く頷いて応えた。


「確かギルドの記録では、賞金首に登録されたのも約100年前だそうですね」


「ソイツ、元は冒険者だっつー話だぜ」アッシュ達の前を歩きながら、カルビも話題に参加してきた。


「4等級の魔術士だったんだとよ」


「……しかも、最初はネクロマンサーとしてではなく、レイダーとして賞金首になっていたようね」


 振り返ったネージュは、ローザが手にした手配書を一瞥して眉を顰めた。


「別のネクロマンサーを大量に殺害したという件で、今の賞金額になったらしいけれど……」


「そうなんだよね~」ローザも不味そうな顔になって耳を掻いた。「3億の賞金首なのに、分かってるのがそれぐらいなんだよ」


「情報の少ないのは、目撃者や形跡が残っていないということですものね……」


 エミリアが目を細めつつ、思案するように顎に手を触れた。


「他のネクロマンサーを手にかけたという話が事実なら、とにかく不穏ですわ」


「ネクロマンサー同士がどのような関係を築いているのかは判然としませんが」


 エミリアに続いてアッシュも頷きながら、エルンの町での戦いを思い出していた。


「このギギネリエスという賞金首の危険さは、ギルドが設定した懸賞額が物語っていると見るべきだとは思います」



 大量のゾンビを操るネクロマンサーは、冒険者や騎士団に守られているはずの町を滅ぼすほどの力を持っている。


 また、このギギネリエスが手にかけたネクロマンサー全員が、かなりの高額賞金首だったということも分かっている。だからこそ懸賞額が吊り上がり、3億という莫大な額になったのだ。


「つっても、冒険者にとってはネクロマンサーの脅威よりも、その超高額の賞金に目が行くんだよな。悪い言い方をすれば目を曇らせるんだよ」


 警戒したように目を窄めたカルビが、手配書を軽く睨んだ。


「そもそも、ネクロマンサーとガチでやり合う機会なんて、アタシ達だってほとんど無かったからな。他の魔物と比べても、体感としての危険さが掴みにくいんだ。それに加えて、元4等級の低級冒険者だったとかいう余計な情報も、冒険者側の油断と判断ミスを誘う」


 ローザの持つ手配書に指を向けたカルビが、鼻を鳴らしてぐるっと周りを見回した。


「ここ最近のダルムボーグに、冒険者達が過剰に集まってる状況には、ギルドも頭を抱えてるはずだぜ」


 万が一、ギギネリエスが本当に姿をあらわしたとき、あまりに多くの冒険者が殺されたりゾンビにされたりする被害が出る可能性もある。


 そういった大きな被害を危惧した冒険者ギルドは、実力のあるクランをダルムボーグに派遣することを決定している。


 そのうちの一つが、クラン『ゴブリンナイツ』。


 そして、もう一つのクランが――。


「……あれは」


 そこで、何かに気付いたらしいネージュが声に緊張を含ませた。


 ローザとカルビも、ネージュの視線の先へと顔を向ける。アッシュもそれに倣って前方を窺った。


 少し離れた脇道から、2人の女性が姿を現していたのだ。


 1人は薄く紫がかった短め銀髪を靡かせていて、もう1人は、金髪に近い茶髪を後ろで纏めていた。2人とも美しい女性騎士風の姿なのだが、放っている気配はひどく剣呑だった。


 彼女達が纏っている全身鎧は、漆黒と白金を基調としている。高貴で頑強そうな鎧だ。女性用の装備なのだろう。カルビやネージュが身に着けている鎧と雰囲気は似ている。


 彼女達の装備も個性的だった。


 銀髪の方の女性は、少し変わった形状の大剣を手にしている。柄に対して剣身が異様に長い。扱うのがかなり難しそうだ。茶髪の方の女性は、威圧感たっぷりの大戦槌を肩に担いでいる。


 彼女達のうち、紫がかった銀髪の方の女性が、アッシュ達に気付いた。


 睨み据えるような鋭い視線を向けてくる。


 彼女の瞳も薄い紫色をしていて、水晶のような不穏な輝きを宿しているのが分かる。彼女が発散する攻撃的な気配と存在感は、周囲の者を大いに萎縮させるに違いない。


 金に近い茶髪の方の女性は身長が高く、恐らくはカルビよりも高身長だ。エミリアに負けないぐらい体格も大きい。そんな彼女もまた、アッシュ達の方を一瞥した。


 彼女達の眼差しは、見つけた不穏分子を厄介そうに眺める目つきだった。


「おい、もしかしてアタシ達、喧嘩売られてんのか?」


 楽しそうなカルビが悠長な声を発して、「どうかしらね」とネージュが面倒そうに応じる。


 ローザは苦笑を浮かべ、此方にトラブルを起こす気は無いという意思表示のように、2人の女性に会釈してみせる。エミリアも同じ意図からだろう、優雅な仕種で頭を下げていた。

 

 取りあえずと言った感じで、アッシュも頭を下げておいた。


 2人の女性は、ローザ達に同行しているアッシュのことを怪訝そうな目で見ていたが、それも束の間で、すぐに視線を逸らして廃都の奥へと進んでいった。


「……アイツらが来てるってことは、やっぱり噂はガチっぽいな」


 喉を鳴らすように低く笑ったカルビが、その瞳をギラつかせる。アッシュはおずおずと尋ねた。


「今の鎧を着た女性2人は、もしかして『鋼血の戦乙女』の方々ですか?」


「あぁ。そうだ。あのデケェ剣を持ってた方がシャマニ、ごつい戦槌を持ってた方がヴァーミルだ」


 カルビは、さっきまで引き摺っていた眠気を払うようにして、首を左右に曲げてゴキゴキと鳴らした。


「『鋼血』の主要メンバーまで足を運んでやがるとは、ダルムボーグは大繁盛だな」


「廃都はお店ではありませんけれどね」


 腕を組んだエミリアがツッコんで、ネージュも鼻を鳴らした。


「王都に出てている賞金稼ぎクランが動いていないみたいだから、今日は大繁盛と言うよりも、まだ繁盛のレベルでしょうけれど」


「いや、大繁盛で正解だろ。ダルムボーグを攻めてる冒険者の数だけで言えば、マジで今までで一番多いんじゃねぇか」


 このカルビの発言に何か引っかかるものがあったのか。


「ローザさん、どうされました?」


 アッシュは、黙り込んだローザが俯き、顎に触れていることに気付く。


「……もしかしたら」と顔を上げたローザは、危機感を抱いた表情だった。


「カルビが言うような大繁盛になるのを、ネクロマンサーは待ってたのかも」


「あん? どういう意味だよ?」


 耳を掻いたカルビが、相変わらず悠長な声で応じたときだった。


 ぬるく湿って、重みのある濁った風が、アッシュ達の足元をザザザザザァァァーーっと這って行った。同時に、ズズズッ……、と、ダルムボーグ全体の空気が短く振動するのが分かった。

 

 つい先程までの長閑な空気は消し飛び、廃墟が並んだダルムボーグの景色は圧倒的な不穏さで塗りつぶされていく。

 

 直後には、「GU、UUUU、……U、UUUUU、UUUぅうううう……」という低い呻き声が、彼方此方から響いてきた。


 大勢の人間の苦しむ声を無理矢理に束ねたような、不吉でおぞましい迫力に満ちていて、明らかに普通の生物が発するものでない。


 何かが起ころうとしている。

 いや、もう起こっているのか。


 アッシュ達は視線を交し合ってから、すぐに隊列を整える。


 同時だったろうか。


「……悲鳴が聞こえましたわね」


 エミリアが大盾を担いだままで、脇道へと身体を向ける。


 確かに、アッシュにも聞こえた。少し距離はあるが、複数の声だ。


 怒鳴り声も聞こえる。濃厚な戦いの気配が流れてくる。轟音が2度、3度あった。建物が崩れる音。廃墟の向こうに、濛々と土煙が上がっているのが見える。


「私達も行こう!」


 声を引き締め、ローザが短く提案する。


「えぇ」


「分かりましたわ!」


 肩越しにローザを見たネージュとエミリアが駆け出す。その少し後ろにカルビが並び、ローザとアッシュが続いた。


「もしも怪我人が居たら、治癒魔法はカルビに任せるから。アッシュ君は、後方と私のカバーをお願い」


「おう」とカルビが頷き、アッシュも「分かりました」と続く。


 アッシュ達が廃墟の間を移動する間にも、不吉な振動が絶えず足元から這い上がってくる。ダルムボーグ全体が揺れているような感覚になるが、違う。そうじゃない。


 巨大な何かが、激しく動いているのが分かる。


 それも1体だけじゃない。複数だ。あちこちから振動が届てくる。この振動は地面だけでなく、廃墟の群れを絶えずビリビリと震わせている。


 再び轟音が響く。

 複数の建物が一斉に崩れる気配。


 アッシュ達が駆けている道路にも、粉塵混じりの分厚い土煙が流れ込んでくる。


 その土煙から逃れるようにして、4人の男性冒険者が此方に走って来ていた。


 彼らはひぃひぃと必死な様子で、まさに命からがらといった風情だ。


 彼らは、「お前らも逃げろ!」「どけどけ!」と叫んだりして、アッシュ達の脇を乱暴に走り抜けて行く。


「ちょっと待って! 何があったの!?」


 大慌てで逃げ散っていく彼らの背中に向けて、ローザは叫んだ。だが返事は帰ってこない。


 前衛のカルビとネージュ、エミリアは、逃げていく冒険者達には見向きもしていない。彼らに道を譲るように体を退けながらも、油断なく前方を見ている。

 

 逃げ散る冒険者達を追ってくる“何か”がいた場合、それを迎え撃つためだろう。


 すると、今度はまた別の男性冒険者が2人、アッシュ達の前の路地から出てきた。


 1人が脚に大きな傷を負っていて、もう1人の方が肩を貸している状態だった。肩を貸して貰っている方の冒険者の傷は深いようで、彼が脚を引き摺ったあとには、流血の跡が地面に生々しく続いてきている。


 やはり彼らも、“何か”から逃げてきたのだろう。


「……おい、見せてみろ。治してやるよ」


 すぐにカルビが治癒魔法の準備に入りながら、2人の冒険者に近づいた。周囲を警戒してくれるネージュとエミリアに続き、ローザとアッシュも冒険者達の傍へと向かう。


「あ、あんた達は……!」


 赤と黒の派手な全身鎧を着込み、さらに大戦斧を担いだカルビが近づいてくるのを見て、2人組の冒険者、とくに怪我をしていない方が顔を引き攣らせていた。


 肩を貸されている方は、苦痛に顔を歪めながらカルビを見たが、大きな反応は見せなかった。痛みのせいで、驚いたり怯んだりする余裕も無いのか。


 その傷の具合を素早く見て取ったらしいカルビは、肩を貸されている方の冒険者の傍にズカズカと詰め寄ってしゃがみこみ、すぐに治癒魔法円を展開した。


 無詠唱での治癒魔法の行使は、カルビが優れた治癒術士であることの証でもある。


「治療代はいらねぇ。その代わり、訊いたことに答えろ」


 有無を言わさぬ口調でカルビが言うと、2人の冒険者は視線を交し合った。


「あ、あぁ」と肩を貸している方が、素直にカルビに頷いた。負傷して肩を貸して貰っている方も、「すまない。助かる……」と頭を下げる。


「気にすんな。この業界じゃ、困ったときはお互い様だ」


 治癒魔法を扱いつつ、カルビが思い遣りのある言い方をしたときだ。


 また轟音と振動が響いてくる。

 周囲の建物がビリビリと震え、グラつき、パラパラと細かく壁が崩れた。


「のんびりとは出来そうにねぇな。……取りあえず、この暴れまわってるのは何だ?」


「わっ、悪ぃ……、俺達も詳しくは分からねぇ……。に、人間の死体を、幾つも幾つも組み合わせた感じの、ばっ、化け物だった……」


 治癒魔法を受けている方の冒険者が、痛みとは別種の感情で青ざめた唇を、ぶるぶると震わせて答えた。


「あぁ。大勢の人間の死体を、出鱈目にくっつけたような……」と、彼に肩を貸している方の冒険者も、思い出したように声音に怯えを滲ませている。


「俺達の他にも、いくつかのパーティでクランを組んでいたんだが、いきなり化け物共に取り囲まれて、それで……」


 冒険者の掠れた言葉を聞いているうちに、アッシュの胸の中に、ザワザワとしたものが広がった。


 他のパーティと組む。確か、ダルムボーグに向かう前のリーナもそんなことを言っていなかっただろうか――。アッシュは脳裏に浮かんでくる暗い想像を追い払う。


「お前らの他に逃げ遅れた奴らは? どれぐらい居る?」


 カルビは質問を重ねると、2人の男性冒険者が顔を見合わせて、記憶を確かめ合うように短い遣り取りをした。


「あの場で残ったのは、どれくらいだ? 20人ぐらいか……?」「いや、14人だ。回復役のヤツが、ほとんど逃げ出してるのは見たぞ」「あぁ。神官で残ってたのは確か、……オリビアぐらいか」「あぁ。あとは治癒術士が1人か2人、いればいい方だったぜ……」


 彼らの交し合う小声の中に、知っている名前を聞いた。


 オリビア。


 あの優しい声を思い出して、アッシュは軽い眩暈を覚える。


「……お2人の味方のパーティとは、リーナさんの一行ではないですか?」


 この嫌な予感が外れて欲しいという思いで、アッシュは無意識のうちに質問を挟んでしまった。ローザとカルビ、エミリアが、アッシュの方を見た。


 リーナの名前を聞いたネージュが一瞬だけ呼吸を止めて、目を細めてから2人の冒険者に向きなおる。


 2人の男性冒険者達は揃って唾を飲んだあと、「あぁ」「そ、そうだ」と、視線を彷徨わせてから、アッシュの足元を見ながら頷いた。


 つまり、リーナ達のパーティも、その“化け物”とやらに囲まれたのだ。


 いや、正確には、現在進行形で囲まれている。


 リーナだけではなく、レオンやロイド、それにオリビアの顔が、頭の中に順に浮かんだ。


 ……彼女達は無事だろうか。気付けば、アッシュは唇を何度も噛んで、足元の地面を数秒ほど見つめていた。


 そこでローザとカルビ、エミリアの視線に気付く。


「……すみません。余計なことを訊きました」


 表情を引き締めて、アッシュは頭を下げる。


 リーナ達のことが気に掛かるのは確かだったが、今のアッシュはローザ達に同行依頼を受けている立場だ。他のことに気を取られるべきではない。


「それで、リーナ達はどうなったの?」


 真剣な表情のネージュが口を開いたのは、そのときだった。エミリアが記憶を辿るように目を伏せ、あとに続く。


「リーナというのは、確か……、アッシュさんの幼馴染では?」


「えぇ。それに、私の友人でもあるわ」


 表情を消したネージュが短く答える。


「クランだとか何だとか言ってるトコから、何となく状況は察せるな」


 渋い顔になったカルビが言うと、ローザも男性冒険者達に視線を移した。

 

「さっきまでの話から察するに……。化け物に取り囲まれて、逃げ切れたメンバーと、取り残されたメンバーがいるってことだよね」


 彼らは苦しげに俯き、唇を噛んでから「他の奴らが無事かどうかまでは、分からねぇ……」「俺達はすぐに逃げ出したからよ……」と、罪を告白するように溢した。


 ただ、ローザ達もアッシュも、彼らを責めるような雰囲気を出すことはしなかった。


 傷ついた彼らを糾弾しても無意味であるし、危機を前に散り散りになることなど、冒険者業界では日常茶飯事だ。協力も裏切りも、絆も憎悪も、過去も未来も、すべては冒険者の自己責任である。


「貴方達がクランメンバーと別れた場所は、どのあたり?」


 冷静なローザが質問を続ける。


「場所は、あっちだ……。崩れかけの商館の前に、広場がある。そこで俺達は襲われて……」


 肩を貸している方の冒険者が、視線を揺らしながら答える。


 それと同時か、少し早いくらいのタイミングで、カルビが展開していた治癒魔法円を消した。治療が終わったのだ。


「これで、今よりはもうちょっと早く動けるだろ。でも無理すんな。寄り道せずに、まっすぐ帰れよ」


 カルビは立ち上がり、廃墟が続く路地に顎をしゃくった。此処も安全ではないから、さっさと行けと言うメッセージに違いなかった。まだまだ振動と轟音が響いてくる。


 ダルムボーグ全体に、濃厚な戦闘の気配が立ち込め始めているのが分かる。


 二人の男性冒険者はカルビに礼を述べ、それからローザ達にも頭を下げて去って行った。


 治癒魔法を受けた方の冒険者は、まだ少し動きづらそうではあったが、肩を貸して貰ったままよりは早く逃げることができるのも間違いない。


 彼らを見送ってからすぐ、ローザがアッシュの肩を軽く叩いてくれた。はっとして顔を上げる。真面目な顔のローザと目が合った。


「それじゃ、まずはそのリーナさんっていう冒険者を助けにいこう」


「えっ」


 アッシュが呆気に取られていると、すぐ傍でエミリアが力強く声を発した。

 

 「善は急げですわッ!」


 彼女は握り拳を作ってみせる。


「今の状況はネクロマンサーの仕業だと見て間違いないでしょう。しかァァし! そのネクロマンサーの捜索よりも先に、まずは同業者をカバーすることこそ、“淑女”の道ですッ!」


 エミリアの勇ましく宣言のあと、また轟音と振動が断続的に続いた。魔法を交えた戦闘の気配が遠くから、近くからも濃密に立ち昇っている。


「これって多分、『ゴブリンナイツ』とか『鋼血』のメンバー達も、逃げ損ねた冒険者達を庇うように戦ってるんだろうね」


 ローザが視線を周囲に流しながら言うと、カルビも「そうだろうな」と低い声で続いた。


「ああいう戦闘を得意としたクランに声を掛けてたってことは、やっぱりギルドの方も、今みてぇな状況を予測してたのかもしれねぇ」


 そこで言葉を切ったカルビは、唇の端を吊り上げてアッシュを横目で見た。


「まぁ、とにかくだ。アッシュの知り合いがピンチっつーんなら、このカルビお姉ちゃんも手を貸してやるぜ」


 恩着せがましくも、ちょっと冗談めかしたカルビの言い方には、アッシュへの優しさや気遣いと同じくらい、何らかの覚悟を促すような迫力があった。


 その覚悟が、冒険者として友人を失うことについての覚悟なのか、それとも、その悲しみを予感しながらも、明らかな危険に突入していく為の覚悟なのかは、今のアッシュには判断が出来ない。


 それでも、誇り高い彼女達の申し出が、本当に有難いことは確かだった。

 

「……ありがとうございます」


 アッシュはローザ達を順に見て、深く頭を下げる。

 

 彼女達の同行依頼を、最後に受けて良かったと思った。


「急ぎましょう。アッシュ君」


 傍にいたネージュが、アッシュの手を引くようにして頷いてくれた。


 その時だった。


 怨怨怨怨怨怨怨怨オォォ……――。


 アッシュ達がいる路地へと、ズズゥゥーン!! と何かが飛び込んで来て、着地した。廃墟の屋上を渡って来たのだろう。


 全身をぐにょんぐにょん、ぶりゅんぶりゅんと震わせながら立ち上がったヤツは、なかなかの巨体だ。2メートル半ほどで、ギリギリで人型をしている。


 ただ、人間でいうところの腕や脚や胴体の部分を形作っているのは、無造作に押し固められたような多数の死体だ。


 その多くは冒険者のものだろう。


 鎧や胸当て、篭手などの装備をしたままで、剣や槍、弓、杖など、様々なものを一緒くたに飲み込んでいるため、ヤツが身体を動かすたびに、硬い金属同士が強く擦れ合うような音がする。


 更に、ヤツの頭の部分には、ゾンビとスケルトンの中間ぐらいまで腐敗が進んだ、人間の頭が、7人か8人分ぐらいで集合し、不規則にくっついて、おぞましい花のようになっている。


 その顔の一つ一つは苦しげに歪み、当たり前だが生気などなく、怨嗟とも憎悪ともつかない呻き声を発していた。


 先程の2人の男性冒険者が話していた通り、大勢の人間を無理矢理にくっつけて、人の形にしている。まさにそんな感じの姿だ。


 これがネクロマンサーの仕業と言われれば、誰でも納得するだろう。


 明らかに普通の魔物じゃない。


 そんな怪物が、更に2体。

 ズッシィィィ――ン!! と路地に飛び込んで来た。

 ついでに路地の向こうから、のそりと、もう1体。

 アッシュ達を見下ろすように、廃墟の上に、もう2体。

 全部で6体だ。囲まれた。


 並の冒険者であるなら、恐怖のあまり混乱に陥るか、ただ怯えて立ち竦むか、即座に逃げ出そうとするかのどれかだろう。実際、さっきの男性冒険者達は逃げてきたのだ。


「OOOOOOOォォ……」


 何人もの苦悶と怨嗟の声を束ねたような、身の毛のよだつ呻き声を上げた怪物たちは、アッシュ達を新たな獲物と認めたようだ。


 まず、アッシュ達と最も近い場所に居る怪物2体が動いた。


 巨体をのたうつようにしならせて、凄い勢いで突進してくる。


 その動きは敏捷で、相当な怪力を誇っているのも間違いなさそうだ。怪物が地面を蹴るたび、路地に並ぶ廃墟がぐらぐらと揺れている。


「邪魔くせぇなオイ……。今から助っ人に行こうってのによ」


「私の“淑女道”を阻むなら、容赦はしませんわ!」


 ただ、突進してきた怪物を迎え撃ったカルビとエミリアの踏み込みは、もっと力強くて、そして疾かった。


「シ……ッ!」鋭く息を吐いたカルビは身体を前に倒しながら、担いだ大戦斧を真っすぐに振り下ろした。エミリアの方は、真正面から大盾で殴り掛かるようにして突き出す。


 2体の怪物が、カルビとエミリアの攻撃を止めることができたのは一瞬だけで、次の瞬間には彼女達のパワーに圧されるままに叩き割られ、殴り飛ばされた。


 怪物たちは破裂同様の有り様に破壊されながら、地面に埋まるようにして圧し潰され、或いは残骸となって吹き飛んでいった。


 カルビの大戦斧が地面をぶっ叩いた衝撃で、周囲の廃墟が幾つか崩れた。エミリアが殴り飛ばした怪物が廃墟を3件ほど崩落させて土煙を巻き上げる。


 相変わらず凄い威力だ。


 怪物の残骸と共に、濁った赤と黒っぽい紫が混ざった粘液が、ビシャビシャビシャッ!!と、派手に路地内に飛び散っていた。


 だが、そうして撒き散らされた怪物の断片――人間の死体は、其々がゾンビともスケルトンも言えない姿で、ゆらゆらと立ち上がろうとしている。


 あれがネクロマンサーの手に落ちた冒険者の姿だと思うと、悲痛なものをアッシュは感じた。死んで尚、過酷に使役される彼らを解放し、弔うためか。小さな声ではあったが、カルビが女神ルミネ―ディアへの祈りの言葉を唱えたのが聞こえた。


「……動きもノロいし、それに脆い。コイツらはザコだな」


 地面を陥没させた大戦斧を再び担ぐようにして持ち直し、カルビは鬱陶しそうに視線を巡らせて、残った怪物たちを順に見た。


「トロール達の方が、よっぽど歯応えがありますわね」


 凛然とした表情のエミリアも、大盾を背負うように持ち直し、ローザとアッシュを庇うように立つ。


「提案があるのだけれど」


 その少し後ろで、ネージュは手にした大槍の穂先をすっと下げて、分厚い冷気を纏わせていた。


「ここは私達が引き受けて、アッシュ君に先行して貰うのはどうかしら? さっき逃げてきた冒険者達を見るに……、それなりの人数を抱えたクランが苦戦しているなら、治癒術士を必要としている可能性が高いと思うわ」


 状況を予測しつつ、整理するように言うネージュの声には抑揚がない。


「アッシュ君なら治癒魔法の腕も確かだし、素早くて戦闘力もある」と付け足した声音は、やはりどこまでも冷静だ。「この怪物程度なら、アッシュ君の相手にならないでしょう?」


「……リーナさんのパーティがどういう状況かわからないけど、まぁ確かに、アッシュ君が居てくれたら心強いだろうね」


 回復役が逃げちゃったとかも言ってたし……。呟くように付け足したローザは、「ふぅ」と薄く息をついてから、「……どう、行ける?」とアッシュに声を向けた。


 彼女達はこの場の怪物たちを引き受け、アッシュをリーナ達のもとへと行かせてくれようとしているのだと分かる。


「は、はい、商館の場所は分かります。地図は持っていますから、……でもっ」


 アッシュが逡巡する間にも、怪物たちがジリジリと距離を詰めてこようとしている。そこで黙っていたカルビが、アッシュに笑いかけてくれた。


「おいアッシュ。言っとくがな、こんな奴らはアタシ達の敵じゃねぇんだよ」


 獰猛に言い放つ彼女は、担いでいた大戦斧に炎を灯す。


「カルビお姉ちゃんは最強だから、マジで安心しろ。アタシ達のことはいい。行ってこいよ。ただな、無理だけはすんなよ。アッシュ。いいな? ヤバいと思ったら逃げろ。お姉ちゃんとの約束だ」


 喉を鳴らすように笑うカルビの身体からは、紅い魔力の揺らぎが陽炎のように立ち上りはじめていた。明確に周囲の温度が上がっているのが分かる。熱い。凄い威圧感だった。


 今のカルビに危険を感じたのか。


 怪物達もぶるぶるっと不気味に体を揺すって、動きを止めた。その隙に、エミリアが笑みを浮かべ、アッシュの背中を押すようにウィンクしてくれる。


「カルビさんの言う通りです! これぐらいは、私《わたくし》達のピンチに入りませんわ!」


「アッシュ君と出会った日のシャーマンは、まぁ、例外中の例外ということで」


 冗談めかして軽やかに言うローザのあとで、傍にいたネージュが「いざという時は、これを」とアッシュに何かを握らせてくれる。


 指輪型のアイテムボックスだった。


「その中にはエリクシルと、幾つかの高位魔法薬が入ってあるから。トロールダンプで助けて貰ったお礼として、預かっておいて」


 唇の端に微笑みを過らせてくれたネージュの厚意を、今は断るべきではなかった。


「……ありがとうございます」


 もう一度深く頭を下げたアッシュは、ローザ達から一歩離れる。怪物たちが近づいてくる。路地に砂埃が吹き込んできた。太陽が高くなりつつある。


「さっさと終わらせて、メシにしようぜ」と、カルビが陽気なこと言う。「確かに、お腹も空いてきたよね」ローザが笑った。「今日は節約メニューで乾パンだけですけれど……」残念そうにエミリアが続き、「……暢気なことを」ネージュが鼻を鳴らす。


「良いじゃねぇか。今日は天気にも恵まれて、最高のピクニック日和だ」


 皮肉っぽくカルビが笑うのと同時に、怪物たちが一斉に動いた。


 同時に、アッシュは怪物たちの間をすり抜けるように駆け、廃墟の壁を蹴って、建物の屋上へと一気に駆け上がる。怪物の1体がアッシュの足元に迫ろうとしていたが、これは、冷気の大渦を宿したネージュの大槍が突き飛ばしてくれた。


 礼を述べる暇はない。アッシュは廃墟の屋上を走り、飛び移り、疾駆する。ローザ達の戦闘の音を背中で聞きながら、ダルムボーグ商館前の広場を目指す。





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