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僕は弱い1





 今しがたトロールダンプの地下から“セーブエリア”に上ってきたアッシュとローザは、エリア内に店を出していたアイスクリーム屋台に立ち寄った。


「やっぱりアッシュ君に同行して貰うと、パーティ戦の安定感が段違いだよ」


「そ、そうですか?」


「そりゃそうだよ。アッシュ君がいれば、前衛も後衛も任せられるもん。どのタイミングでも、誰のカバーにでも入って貰えるしさ」


 アイスを片手に雑談しながら、地上へと向かう。

 

 赤い舌でイチゴアイスを舐めたローザは、「私だと援護できない時でも、アッシュ君なら皆を助けてくれるっていう安心感があるもん」と付け足した。


 エルンの町から帰ってきて、今日で一週間ほど。


 クラン『正義の刃』の派遣部隊と力を合わせ、無事にエルンの町を防衛出来たことに関しては、相応の貢献度をアッシュも加算されることになったものの、等級自体の変化は無かった。


 また、アッシュやローザ達がエルンの町の防衛任務に参加したのも、墳墓ダンジョンを崩落させたことに対する、半ばペナルティめいた部分もあったため、得られた報酬もそこまで大きな額では無かった。


 食糧や水以外の消耗品を殆ど扱わないアッシュはともかく、ローザは今回の冒険で魔法薬や魔法弾を大量に消費してしまう結果になった。


 この出費を取り戻すべく、ローザ達は冒険者としての日常へと迅速に戻り、またアッシュも、彼女達の依頼によって同行していた。


「オマケに今回は、アッシュ君に斥候まで任せちゃってるもんね~。……いやぁ、人使いの荒いパーティで申し訳ないよ」


「いえ、そんなことは……。僕のは斥候なんて上等なものじゃなくて、ただ、コソコソと周囲を窺っているだけですから」


「またそんなこと言って謙遜しちゃって」


 悪戯っぽい笑みを浮かべたローザが肘を曲げ、アッシュの顔を覗き込むようにして腕を軽く小突いてきた。


「今日だってアッシュ君の御蔭で、トロールを避けるルートを選べてるからさ。7階層まで余計な戦闘が無い分、弾薬費もメチャクチャ節約させて貰ってるし。ホントに助かってるよ」


 アッシュは知らなかったが、トロールダンプの7階層周辺はレア鉱石である精霊鋼の採掘ポイントとしても有名らしい。


 精霊鋼は魔法伝導率が非常に高いのが特徴で、各種産業で需要があって高値で売れるダンジョン産の鉱石だ。また、ローザが使用する魔導弾の材料にもなるいうことで、この数日のアッシュはその採掘活動を手伝っていた。


 ちなみに、今回のトロールダンプでの探索は順調で、採れた精霊鋼の量も十分だったようだ。採取したトロールの魔骸石も含め、大きな収入になる。ローザの機嫌も良さそうだ。


「僕の逃げ足の速さが、ちゃんとお役に立てているなら良かったです」


「役に立つどころか、こっちが恐縮しちゃうぐらいだよ。あ! そうそう!」


 アイスを舐めながら笑みを作ったローザが、声に高揚を含ませた。


「アッシュ君と出会った時に討伐したシャーマントロール、覚えてるよね?」


「えぇ。……強かったですよね。多彩な魔法を高レベルで扱っていましたし」


 よく覚えている。忘れられそうにない。

 だってあれは、ローザ達と出会った日のことだ。


 トロールのシャーマン……。杖や水晶といった装備に、じゃらじゃらと身に着けた腕輪やら首輪などの装飾品が特徴的だった。


「それで気になって、歴史とかダンジョンとか、魔物だとかのマニアに色々と話を訊いて回ってたんだけど」


 そこで勿体ぶるような間を置いたローザは、妙に嬉しそうだった。


「どうもあのシャーマントロール、昔から有名っていうか、伝説的な上位トロールかもしれないよ」


 ローザが聞いてきたという話は、トロールダンプで大昔に行われた“大遠征”まで遡る内容だった。


 この“大遠征”は、ダンジョンの最奥まで踏破して、そこに残されているとされる“魔王”達の負の遺産――異界に繋がったままの次元魔法の術陣を解除しようというものだ。


 この世界と異界との接続を断ちって、これ以上トロール達が侵入してくることを防ごうとしたのだ。


 当時、トロールダンプから湧き出てくるトロール達は、周辺の農村や集落に壊滅的な被害を与え、牧草地や農地を荒らしまわっていた。


 強靭な身体を持つトロール達は環境適応力も高く、このままでは地上を侵略されてしまう。


 そこで王国は、トロールダンプを踏破させるべく、かつての“勇者”の末裔達を招集してパーティを編成、これを王国正規軍に加え、更に高名な神官と治癒術士を多数同行させた。


 この“大遠征”は、世界最強クラスの戦力を投入したダンジョン攻略だった。


 だが、失敗した。


“勇者”の末裔たちと、そこに従う軍属のパーティが60階層まで踏破したところで、思わぬ強敵と遭遇したのだ。


 それが、上位トロールの戦闘集団だった。


 前衛の戦士と後衛のシャーマンに分かれた彼らの集団は“オーグルス”と呼ばれ、勇者の末裔パーティと遜色のない戦闘力と連携を見せたという。


“大遠征”は何度か行われたが、この“オーグルス”たちによって勇者パーティは悉く退けられていた。


 そして、ローザが聞いてきた話によると、アッシュ達が討伐したあのシャーマントロールは、この“オーグルス”の生き残りではないかと噂されていたようだ。


 ローザがこの話を聞き出したのは元冒険者の鍛冶屋からで、もう10年以上前になるが、トロールダンプの10階層付近には時折、洒落になっていない強さのシャーマンが出没するという噂が流れていたらしい。


 周囲に多数のダンジョンが存在するアードベルには、胡散臭い伝説や大袈裟な噂、与太話の類は山ほどあるし、毎日のように追加されては淘汰されたりしている。


 だが、“オーグルス”の生き残りが出没すると噂された当時、上級者パーティがトロールダンプで全滅、あるいは潰走したりしてくることもそれなりにあったのは事実らしい。


 地上へ逃げかえって来た冒険者達は口を揃え、“やばいシャーマンと出くわした”と証言していたという。


「そのシャーマンの特徴と、アッシュ君が前に討伐したシャーマンの特徴が、ある程度一致してるんだよ。……どう? ちょっとロマンを感じない?」


 手にしたアイスを舐めながら、少年のように目を輝かせるローザは楽しそうだった。


「鍛冶屋のオジサンからその話を聞いたらワクワクしちゃってさ。昔の上級冒険者だけじゃなくて、勇者の末裔パーティまで苦戦させた伝説の魔物と、私達は出くわしたのかも! ってね」


 はしゃいだ声で言うローザだったが、すぐに「まぁ討伐したのは、私達って言うか、アッシュ君なんだけど」と肩を竦めた。「御蔭で私達も全員、無事に帰ってこれたしさ」


「あのときにシャーマンを斃したのは僕かもしれませんが、皆さんが無事だったのは、ローザさんの援護があったからこそですよ」


 アッシュは緩く首を振ってから、あたりを見回した。


 ちょっと不穏な地下商店街といった雰囲気のセーブエリアは、不健全さと活気のある騒がしさで辺りを満たしている。


「そう言えば、他の皆さんは買い物に行かれたんですよね」


「うん。ちょっと色々と見てくるって言ってたよ。あの3人が目の届かないところに居ると、どこかで揉め事でも起こしてないか、仲間ながらちょっと心配になったりするんだけど」


 冗談めかしたローザが、明るい苦笑を漏らした。


「特にカルビとネージュは、前の決闘劇でもやらかしてるしさ」


「えぇ……、そ、そうなんですか?」


 決闘劇とは、アードベルの8号区大広場で開催される一種のお祭りであり、腕自慢の冒険者達が一騎打ちをする大会だ。


 冒険者ギルドや魔導機械術士組合、魔術士協会、錬金術士協会などが合同して主催しており、勝てば賞金や景品も出るし、自分の名を売ることもできる。


 そのため、我こそはと思う冒険者達は他の街からも足を運んでくるため、決闘劇は毎回大盛況なのだ。


「ほら、決闘劇って、観光行事みたいなところもあるからさ。貴族さんとかが観に来て、そのままお気に入りの冒険者を“お抱え”にして帰っていくことも少なくないし」


 歩きながらアイスを舐め終えたローザは、困惑するアッシュを横目にコーンを齧りながら、目許を緩めた。


「だから参加する冒険者って皆、自分の強さをアピールすることに余念がないっていうか、血の気が多くてさ。1対1でカルビとネージュに負けた冒険者達が、会場の外で2人を囲んだんだよ」


「それは、単なる逆恨みなのでは……」


 アッシュが眉を顰めると、ローザは思い出し笑いを堪えきれなかったように軽く息を吐きだした。


「それでカルビとネージュが、取り囲んできた他の冒険者30人ぐらい叩きのめしちゃってね。エミリアが何とか2人を止めてくれたんだけど、賞金も無しになって、ひどい有様だったよ」


 楽しそうに話すローザだが、聞いているアッシュの方は頬が引き攣った。


「市街地での冒険者同士の戦闘は、普通だったら厳罰ものじゃないですか」


「まぁ、そもそもが物騒なお祭りだったし、先に手を出したのもカルビとネージュじゃなかったから。そこは正当防衛ってことで、お咎めは無かったよ」


 とは言え、2人とも過剰防衛気味だったことは間違いないんだけどね~……。そう付け足したローザは、もう笑うしかないといった感じである。


 カルビとネージュの2人が、無闇に誰かを傷つけたりする人間ではないことはアッシュも理解しているつもりだ。


 だが同時に、敵意と悪意を持って近づいてくる者には容赦しないだろうということも想像に容易いので、ローザに引き摺られるようにしてアッシュも眉を下げた。


「……ねぇ、アッシュ君」


 アイスのコーンまで食べ終えたローザが興味深そうというか、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべ、隣を歩くアッシュを横目で見下ろしてきた。


「な、なんですか?」


 アッシュは少し警戒しながら、半歩だけ距離を取った。猫みたいな口になったローザが、キラリと目を光らせていたからだ。


「いや、今度の決闘劇、アッシュ君も出てみたらどうかな~って思って」


「えっ、ぼ……、僕がですか?」


「そ。アッシュ君だって、めちゃんこ強いじゃん? 結構イイ感じで活躍できるんじゃない? 何なら、賞金もガッポリだよ?」


「そ、そうですかね……」


 曖昧に応じながら、アッシュはどう答えるか迷った。


 気が乗らないというワケではなく、そういった“正しさのある賑やかな場所”に、自分は相応しくないと思ったからだ。だが、それを正直に伝えるのも憚られて、結局は誤魔化すようにして質問を返してしまう。


「ローザさんは、出場されないんですか?」


 話しを逸らすようにアッシュが尋ねると、「私はパス」とローザは首を竦めた。


「あの2人と違って、私は近接戦闘もそこまで得意じゃないし、魔法も生まれつき使えないからね。一騎打ちでの対人戦なんて向いてないよ」


「でも、ローザさんの扱う魔導銃なら……」とアッシュが言いかけたところで、ちょっと真面目な顔になったローザが指を立てて見せた。


「あとついでに言うと、市街地での魔導銃使用はマジで厳罰だから。下手すると死刑だもん」


「え……、冒険者の戦闘行為が許される決闘劇でも、ですか?」


「そうなんだよ。やっぱり魔導銃ってのは、王族や貴族の人達も危険視している武器っぽいからね~……。ほら、かなり暗殺向きでしょ?」


 声を潜めたローザは、ちょっと悪い顔を作ってみせた。冗談だと分かっているので、アッシュも苦笑で付き合った。


「言われてみれば、そうかもしれません」


 引き金を引く。その小さな行為だけで、強力な魔法攻撃を齎す武器というのは、権力者や指導者階級の人間にとっては、あまり面白くない存在なのかもしれない。


「魔導銃とか魔法弾を所持するだけで、個人情報をギルドに提出しなくちゃいけないし。売買するのも届け出が必要だし」


 僅かに目を細めたローザが、肩から下げた魔導ショットガンをチラリと見た。


「でも裏を返せば、その煩雑さ自体そのものが、魔導銃の強力さの証だからね~。……まぁつまり何が言いたいかって言うと、私が強いんじゃなくて、私の持ってる装備が強いってこと」


 苦笑交じりのローザの口振りには余計な気負いや自嘲、自虐がなく、その言葉が本心なのだと分かった。だからこそローザは、パーティ戦での自分の役割を明確に理解しているに違いない。


「私って、等級自体はカルビとかネージュとか、エミリアよりも高いけどさ。実際のところは3人よりも全然、大したことないんだよ」

 

 ローザは窮屈そうに眉を下げて小さく笑う。


「アッシュ君にとっては、何を今更って感じだろうけど」


 自分自身を見下すようなローザの言い方に、アッシュは何となく、むっとした。

 

 ダンジョン内では誰よりも冷静に状況を把握し、前衛として戦うカルビとネージュ、エミリアに向けて的確な指示を出しながら、魔物に怯むことなく遊撃に走り、3人の援護に回る。


 そんなローザの姿を、同行依頼を受けてきたアッシュはもう知っている。


 だからだろう。生意気なことではあるが、自身のことを低く評価しているローザの言葉を、アッシュは否定したくなった。


「……でも、その魔導銃や魔導弾の使用や製作ができるのも、ギルドから許可を得た一部のひとだけですよね?」


 そう言いながらアッシュも、ローザが肩から下げているショットガンを一瞥してから、ローザを見上げた。


「魔導銃を扱うには、発砲の際の多大な魔力消費に耐えうる魔力量だけでなく、魔導弾を製作するための特殊な技術や知識が必要だということも、僕は最近になって知りました。……その全てを備えて活躍しているローザさんは、やっぱり凄いですよ」


 自分で思っていたよりも真剣な声が出てしまい、アッシュは少し焦った。


 だが、間違いなく本心であったので別にいいかと思った。数秒の間、驚いたような顔になったローザはアッシュを凝視していたが、すぐに視線を逸らした。


「えぇと、うん、まぁ、……そう、なのかな?」


 鼻の頭を指で掻くローザは、アッシュに一瞬だけ目線を返してから、少しだけくすぐったそうに笑みを過らせた。照れ笑いを隠し損ねたようでもある。


「……エミリアとかカルビとか、ネージュとかと比べるとやっぱり、ちょっとしょっぱいかもだけどね」


 微かに頬を赤くしたローザが眉尻を下げた笑みで、ぽしょぽしょとした声を溢したのは、それから少ししてからだった。


 ロセーブエリアの賑やかさに攫われてしまいそうな呟きだったが、アッシュは聞き逃さなかった。


「きっと皆さんも、ローザさんのことを頼りにしていると思います。そうでなければ、ローザさんに背中を預けたりはしないはずですよ」


 どんな明確な事実であっても、身近にあり過ぎると真実味を失うのかもしれない。


「“ローザさんよりも強力な魔導銃を使う人がいたとしても、後衛と遊撃を的確にこなしたり全体の状況を読むことに関しては、誰もローザさんに敵わない”と……、皆さんも言っていましたし」


 ほとんど反射的にそこまで言ってしまってから、自分は何を出しゃばった真似をしているのだろうとアッシュは自省する。自分勝手な真剣さが恥ずかしくなった。


 ちょっとだけ頬を赤くしたローザの方も、俯き加減になって「そっ、そうなんだ……」と呟き、右手で髪を弄っている。


「す、すみません。同行しているだけの身で、生意気なことを言ってしまって……」


「えっ、いやいやっ、同行して貰ってるのは私達の方だから! 生意気だなんてとんでもないよ」


 ローザは髪の毛を弄っていない方の手を振って、明るい声を出した。


「私がいじけたせいで、気を遣わせちゃったね。ごめん」


「いえ。そんなことは……」


 アッシュも緩く首を振った。片付けにくい沈黙が続きそうになったところで、セーブエリアの出口が近づいてきた。外の空気が流れこんできているのが分かる。


 緑の匂いがした。幅の広い通路と階段を上りきると、夕日に近づく太陽の光が、ローザとアッシュを迎えてくれた。


 トロールダンプの出口周辺は公園のようで、背の低い草原が広がっている。さぁぁっと涼しい風が吹いてきて、アッシュ達を包むように流れていく感触が心地よい。


「う~ん! やっぱり、外の空気の方が美味しいね~!」

  

 深呼吸しながら空を見上げたローザが、少しだけ勢いをつけて腕を上げ、ぐぐぐっと大きく伸びをした。ローザの大きな乳房もぐぐぐっと強調されていた。


 何気ない仕種であっても、美人でスタイルの良いローザがやると、とんでもないセクシーポーズに見える。


 アッシュは慌ててローザから視線を逸らすついでに、トロールダンプの入り口を振り返った。


 トロールダンプの入り口は、端的に言えば、地面に空いた巨大な穴だ。縦向きの洞窟と言った風情でもある。


 アッシュ達が立っている草原の周囲には塁壁が築かれ、少し離れたところには正規軍の監視砦まである。万が一、トロール達がセーブエリアを越えて地上に出てくるようなことがあっても、王国の正規軍が食い止めるためだ。


 だが、今はそんな非常事態の雰囲気は全くない。


 長閑といっていい平穏さだ。

 アッシュは頭上に視線を投げた。


 空は青く、太陽は頂点を少し過ぎた位置にある。


「地上に戻ってくるのは夕刻になると思っていましたが、早めに帰ってこれましたね」


 アッシュも深呼吸をしてから言うと、隣にいるローザがアッシュの肩を軽く叩いてきた。


「行きも帰りも、余計な戦闘を省いてるからだよ。これもやっぱり、アッシュ君が斥候に出てくれる御蔭だって」


 ローザは明るい笑顔で言ってから、「カルビ達、まだ来そうにないね~……」と、トロールダンプの入り口を振り返る。


「カルビ達を待つ間、ちょっと向こうで座ろうよ」


 ローザが指差したのは、塁壁から少し外に出たところにある木陰だ。アードベルの広場にようにベンチなどは設置されていないが、短い草が芝生のように茂っていて、座り心地は良さそうだった。


「えぇ。行きましょう」とアッシュが頷いてみせると、ローザはすぐに駆け足になって木陰に入り、「ひゃ~、気持ちぃ~」と大の字になって寝そべった。


 アッシュを信頼しているのか、男として見ていないのか。


 あまりに無防備な姿である。草むらの上に豪快に寝転んだ彼女の乳房が、“ぷるるんっ”というか、“たぷたぷんっ”という感じで健やかに弾んだ。本当に気まずくて仕方がない。


「あんまり無警戒だと危ないですよ。トロールダンプはレイダーも多いそうですし」


「……みたいだね~」大きく伸びをしたローザが声を少し固くした。「でも、今はアッシュ君がいてくれるから」


 ゴロンと寝返りを打ってアッシュに身体を向けたローザは、感情的な強張った声を誤魔化すように、冗談めかしてみせる。


「もしも私がレイダーとかに襲われても、アッシュ君が守ってくれるって信じてるからね。だからこうやって、安心して寝転がってられるってワケ」


 横になって肘杖をつく姿勢になった彼女は、少女のように「にひひっ」と悪戯っぽく笑った。じゃれついてくる口調だった。


 彼女は美人だが、こういう時には可愛さが前に出てくる。


 ただ、先程からローザが“レイダー”という言葉を口にする度に、その声音には微かな翳りと、暗い憎悪の気配があるのをアッシュは感じていた。

 

 エルンの町に向かう途中でレイダーに襲われた時も、ローザは取り分け、レイダー達に対して厳しい態度を取っていたのを思い出す。


 彼女の過去において、レイダーというものが何らかの影を落としているのは間違いないだろう。

 

 それを尋ねるのも憚られたし、この場で訊くべきことでは無いだろう。代わりに、アッシュは静かに頷いた。

 

「えぇ。ローザさんを必ず守ります」


「そ、そっかぁ……。うん、ぁ、ありがと」


 アッシュから帰ってくる反応が、思ったものと違ったのか。少し驚いたように目を丸くしたローザが、そっぽを向いて鼻の頭を掻いていた。


 不自然な感じに会話が途切れている間に、アッシュも茂った草の上に腰を下ろしてみる。陽の光に温められた感触は柔らかく、ローザが寝転んでしまった気持ちも分かる。


 アッシュは後ろに手をついて、ゆっくりと深呼吸した。


 そして、今しがたの発言を後悔した。

 

 “ローザさんを必ず守ります”などと……。


 ただ同行しているだけの立場で、そんな勝手なことを言っている自分が酷く不誠実にも思えた。


 だが、アッシュの考え方が以前とは変わったのも事実だった。


 ソロでダンジョンに潜っている頃なら、レイダーなどの悪党の手合いは相手にせずに済んだ。徹底的に無視すればいいだけだったし、実際にそうしてきた。


 アッシュ自身を害しようと近づいてくる者達ならば、特に何も思わず、放っておけばいい。相手にする必要もない。逃走と回避によって対処した。


 だが、それがローザを害しようとしている者達ならば、今のアッシュは敵意と害意を以って、積極的に殺傷するだろうと思った。


 結局のところそれは、アッシュが自分自身よりも、ローザのことを大切に感じていることの証拠なのだろうと自覚する。この感情と、適切な距離を保つことの難しさも。

 

 ――いいかよく聞け。


 あの男の声が、じわりと耳の奥に蘇ってきた。


 ――お前は無価値だ。

 ――お前の意思になど、意味はない。

 ――お前は人形だ。

 ――お前は出来損ないだ。


 男の声はアッシュの意識の隙間を縫って、暗い記憶が滲み出す。

 

 分かっている。分かっています。

 

 頭の中に響く声に、アッシュは頷く。

 だから僕は、ローザさんのパーティには属さない。

 同行依頼を受けても、それ以上の関係にはならない。


 僕は、一人の“冒険者”であり続ける。


“冒険者”という無個性と無人称に埋没しながら、そのパッケージの内側から応答する存在――。匿名の善性と貢献を反復しながら、死を待つ希薄な存在として――。


「アッシュ君て、今は一人で住んでるんだよね?」


 傍に居るローザの快活で気軽な声が、頭の中に響いてくる男の声を掻き消してくれる。アッシュの意識を、この世界に連れ戻してくれる。


「……えぇ。アードベル4号区の貸し宿で、部屋を借りてます」


 はっとしたアッシュは答えながら、自分が拳を握り固めていたことに気付いた。


 そっと手から力を抜きながら、細く息を吐きだす。ローザの方へと顔を向けると、彼女は上半身を起こしていて、片方の膝を抱え込むような姿勢だった。


 膝の上に頬を乗せたローザは、何かを確かめるような目つきでアッシュを見つめていた。澄んだ桃色の瞳に見据えられて、アッシュは何故か少し怯みそうになる。


 ローザの眼差しが、余りにも真っ直ぐだからだろうか。


「ふぅん……。その借りてる部屋ってさ、かなり豪華だったりする?」


「いえ、冒険者居住区では質素な方だと思います。一応、シャワーとトイレはありますけど」


「なるほど~……。じゃあアッシュ君てば、実は凄いグルメだったり? ほら、料理も上手だしさ」


「いえ、多少の料理はできますけど、美食街の方に通ったりすることはありませんね」


「ほうほう。じゃあ、ギャンブルとかは? 冒険者の居住区からだと、歓楽街も近いでしょ?」


「確かに、宿から歓楽街は近いので夜も騒がしいですね。でも、足を向けたことは一度もないんです。お金もかかりますし」


「そっかー。夜遊びもしてないんだー……」


 アッシュは、この話がどこに向かうのか少し怖くなった。


 ローザの明るい声で紡がれる言葉は、紛れもなくアッシュの内部に向けられたものだ。何でもない雑談に紛れ込んだ彼女の真意が、少しずつ近づいてくるような気配がある。


 何か、話題をかえるべきだと思ったが、間に合いそうになかった。






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