鍾乳洞
回廊を抜けると、エレナの杖が床を突く音が硬くなった。茸の光はそこで途切れていた。先頭のエルンストが掲げるランタンが白い岩肌に跳ね返り、四人の影を天井まで伸ばした。一層より空気が冷たく、濡れた白墨の匂いがした。床には泥の足跡が幾筋も、下へ向かって続いていた。どれも茸の森の黒い土だった。
エルンストが手を挙げた。足元の小石を拾い、道の脇に立つ石の柱へ放った。柱の根元が割れるように開いて、小石を噛んだ。並んだ歯は石の色をしていた。エルンストは柱を大きく避けて通り、三人もその跡を踏んだ。エレナは通りしなに、閉じた口の継ぎ目を目でなぞった。唇も歯茎もない。石が割れて、また閉じただけだった。
二日目に、上から来た。柱の上でうずくまっていた岩が翼を広げ、リディアの頭めがけて落ちてきた。フェリクスが前に出て突いた。切っ先は石の肩を滑って火花を散らし、刺剣がしなった。爪がフェリクスの外套の胸を裂いた。エレナは横から杖を振った。鉄の頭が翼の付け根に当たり、ゴブリンの脇腹を打ったときの濡れた音とはまるで違う、瓶の割れるような音がした。翼が一枚、床に落ちて砕けた。残った片翼で跳ねるところを、もう一度打った。首がもげて転がり、それきり動かなくなった。
エレナは膝をつき、もげた首を拾い上げた。断面は芯まで灰色で、筋も血の管も通っていなかった。どこを打っても同じだったのだろう。首は柱の根元に置いた。
「理解に苦しむわ」
その日の夕方、道の脇に白い石が一抱えほど積もっていた。天井から崩れたにしては、どの石も角が揃っている。リディアがしゃがみ込み、一番上の一つに指を伸ばした。石の山が持ち上がった。下から細い脚がいくつも、継ぎ目を鳴らして開いた。一番上の石だと思っていたのは、頭だった。リディアは尻餅をついたまま、下がらなかった。目は脚の付け根を追っていた。エレナが横から割って入り、手前の脚を打った。乾いた音がして、膝から先が床に跳ねた。蜘蛛は残りの脚で横ざまに走り、柱の陰の割れ目へ、石を落としたような音を立てて潜り込んだ。
リディアは床に残った脚を拾い、継ぎ目を曲げたり伸ばしたりした。
「ねえこれ、石と石が噛み合ってるだけだよ。筋もないのに、なんで曲がるの? 油? でも匂いしないし。ねえ、もう一匹いないかな」
エルンストは割れ目のほうを一度だけ見て、道の反対の端を歩き出した。
三日目の晩は、水たまりの脇で火を焚いた。一層ではエルンストは毎晩、壁を背にできる窪みを探して歩き、見張りの順を決めるまで横にならなかった。今夜は柱の口が届かない所まで離れた平らな床を爪先で示すと、そのまま寝袋に足を入れた。
「見張りは」
フェリクスが聞いた。
「一人でええ」
「一層では、二人ずつ立てました」
エルンストは顎で道の脇の柱を指した。
「あいつらは待つだけじゃ。ゴブリンと違うて、寝とるところへは来ん」
寝袋の口を肩まで引き上げてから、もう一言だけ足した。
「ここのほうが、よう眠れる」
フェリクスは焚き火の向こうの暗がりをしばらく見ていたが、やがて腰を下ろした。
水の底を、白い魚がゆっくり泳いでいた。エレナは一匹すくい上げて、小刀で開いた。目のあるはずの所は薄い皮で塞がっていたが、腹の中には、ふつうの魚と同じ順で臓物が並んでいた。こちらは、他とは違って真っ当な生物だった。
◇
広間の手前では、石の柱のあいだが平らに踏み均されていた。黒い焚き火の跡がいくつも残り、白い天井を這う煙に焦げた脂の匂いが混じる。火は四つ。その奥の暗がりに、広間へ続く通路の入口があった。
通路を進むと、耳の奥が詰まったような気がした。唾を飲み込んでも抜けなかった。
ゴブリンが止まった。耳を伏せて尻を落とし、縄が張るのも構わず後ろへ下がろうとする。エレナが縄を手繰り寄せるたびに、床に爪の跡が四本ずつ残った。
不意にエルンストが手を挙げた。停止の合図だ、前方の奥にゴーレム、その周囲に倒れた探索者らしき遺体が見える。
広間の付近にはいくつかのパーティが陣を張って様子を見ているとは聞いていたが、いなかったところを見ると全員しびれを切らして帰ったのかもしれない。
エルンストは遠目に違和感を感じた。死体の配置を見るに、リーダーで前衛のアルベルトが一番手前、入り口から7mほどの場所で倒れているのが剣から推察される。殿と思われる盾役は入り口から20mほどの位置に二人、入り口から10mほどの位置に後衛の魔術師二人と神官。
「恐らく後衛が真っ先に落ちた。その次に前衛が盾ごと貫かれて、最後に撤退しきれなかったリーダーの前衛だ。だが、方法がわからん。地面が綺麗な所を見ると岩を投げたわけでもなさそうだ」
フェリクスは目を細めた。遠目でよくわからなかったが、言われてみればそのようにも見える。しかし仮定や推察は好きな方ではない、私は実利を好む。
「実際に見てみましょう。そこの味見番八号を、放してみては」
エレナが縄の先を見下ろした。ゴブリンは床に爪を立てたまま、通路の暗がりを睨んでいた。エルンストは黙ってゴブリンの後ろへ回り、来た道を塞ぐように立った。
「ほどけ」
エレナが足首の縄を解いた。
「さようなら、八号……心苦しいけど、これからは精一杯生きるのよ」
ゴブリンは真っ先に来た道へ振り返り、そこに立つエルンストを見上げると、逆へ跳んだ。
四人は通路の壁に身を寄せ、入口の縁から目だけを出した。ランタンは来た道に置いてきた。エレナが首を伸ばしかけると、エルンストの手が後ろ頭を押さえて、拳一つぶん下げた。
広間の奥、向かいの壁の手前に、クリスタルゴーレムが立っていた。暗がりの中で、胸の奥の赤い光だけがゆっくりと脈打っている。その左右の宙に、子機らしきものが二機、音もなく浮いていた。
ゴブリンが壁に沿って走り出すと、ゴーレムの子機も動き始め、本体の胸の赤い光が強まった。広間の奥で、硝子の杯を指で弾いたような、キンと澄んだ音がした。壁際の岩が一瞬赤く灼け、肉の焦げる匂いが通路まで流れてきた。ゴブリンは転がり、片方の肩から煙を上げながら起き上がると、壁に爪を立てて掻きむしり、また壁沿いを走り出した。
キン、とまた鳴った。ゴブリンの側面を貫通し、近くの壁がジッと鳴った。閃いたのは、ゴーレムの目ではなく、右の子機の面だった。ゴブリンはしばらく痙攣した後、動かなくなった。
ゴーレムは一歩も動いていなかった。しばらくすると、ゆっくりと赤い光が淡くなり、沈黙が戻った。
誰も声を出さず、微動だにしなかった。最初に動いたのはエルンストで、光が淡くなったのを確認した後に縁を離れ、来た通路を戻り始めていた。歩くたびに、腰のポーチが重たげに揺れた。




