演習
盾は朝にはできていた。
マイコニドの傘を表にして、裏を鎧虫の殻で補強し、縁を丸く削ってある。裏には穴が開けてあり、テントの予備の綱を通して腕に掛ける輪と握りを作っていた。前腕に載せると、肘から手首までがちょうど隠れた。思っていたより軽い。表には油を吸わせてあって、指でなでるとぬめった。ランタンの油が、一晩分減っていた。
「まっすぐ受けないで。斜めに当てて滑らせるの。父さまがそう……」
リディアはそこで口を閉じ、自分の袋の口を縛り直した。
エルンストは焚き火の跡のそばで、ショートボウに弦を掛けていた。片端を足の甲に当てて弓を撓め、弦の輪をもう一方の端へ滑らせる。
昼前に、エルンストは三人を連れて、毎朝ゴブリンを引いてきた道の奥へ入った。しばらく行くと傘が途切れ、岩の天井の下に浅い窪地が開けた。底に水が溜まっていて、ゴブリンが六匹、膝まで浸かったり縁にしゃがんだりして、何かの骨をしゃぶっていた。
エルンストは窪地の手前、岩壁が張り出したところで足を止めた。壁を背に、太い軸が左右に一本ずつ立っていて、そのあいだは人が三人並べるほどしかない。エルンストは足で地面に線を一本引いた。
「ここから出るな。こうしとけば、来るのは前からだけじゃ」
フェリクスを線の真ん中に、エレナをその右に立たせ、リディアは二人の後ろの壁際に下げた。エレナは張ったクロスボウに太矢を載せ、メイスを手前に置いた。
エルンストは腰の小壺の栓を抜いた。底に、黒い汁が溜まっている。矢じりの先をそこへ浸し、壺の縁で余りを切った。矢じりは鉄ではなく、黄ばんだ骨を削ったものだった。
エルンストは右の軸の陰に片膝をつき、矢をつがえたまま、長いあいだ水際を見ていた。引くのも放すのも、一息だった。
弦の音は、思ったより小さかった。矢は放物線を描き、水際にしゃがんでいた一匹に当たり、甲高いゴブリンの鳴き声が響いた。残りの五匹が一斉に顔を上げた。
◇
鳴き声を上げて、五匹が窪地を駆け上がってきた。
先頭が登り切ったところで、右で弦が鳴った。太矢がゴブリンの胸に入って背から抜け、駆け上がってきた斜面を転がり落ちた。
次の一匹が縁を越えたところへ、リディアが壁際から指を向けた。拳ほどの火が顔に当たり、ゴブリンは顔を掻きむしって足を止めた。すぐ後ろの一匹がその背にぶつかり、二匹がもつれて縁の岩に転がった。焦げた毛の匂いがした。顔を焼かれたほうは、鳴きながら窪地の底へ這い戻っていった。
転がった一匹を踏み越えて、二匹が来た。
正面の一匹の棍棒を、フェリクスは盾で受けた。衝撃が肘から肩へ抜けた。まっすぐ受けていた。棍棒は油の上を滑らず、傘の上で止まって、ゴブリンの腕が伸びきった。その脇へ刺剣を突き込んだ。二突き目で止まった。
左の軸の陰から、もう一匹が出てきた。盾のある側だった。右の軸の陰で、エルンストが二本目の矢をつがえ、弦を半ばまで引いていた。そこからなら届く。だが矢先は動かず、目はゴブリンではなく、こちらの盾に向いていた。腕を上げて受けた。またまっすぐだった。さっきより重い一撃が、盾ごと前腕を打った。熱さが先に来た。刺剣は落とさなかった。盾を半分垂らしたまま、喉を突いた。一突き目は浅かった。二突き目が入った。
右で、また弦が鳴った。縁で転がっていた一匹が起き上がり、線を回り込んで壁際のリディアへ向かうところだった。その一匹が、リディアの手前で横ざまに倒れた。脇腹に太矢が埋まっていた。エレナはもう弓の先を地面に下ろし、次の弦を引き上げていた。
窪地の底で、焼けた一匹がまだ鳴いていた。エルンストは軸の陰から立ち上がり、三人を順に見た。それから窪地の底へ向き直り、弦を引ききった。鳴き声が途切れた。
フェリクスは盾の輪から腕を抜こうとして、指が握りから離れないのに気づいた。一本ずつ開いて、腕を抜いた。前腕が赤黒く腫れ始めていた。エレナがその腕を取り、指で骨をたどった。指の腹の皮が、弦の当たる筋に沿って赤く剥けていた。見ているうちに、そこが白く塞がった。
「折れてはいません。冷やしてください」
それだけ言って、エレナは腕を返した。フェリクスの腕には、術を使わなかった。
リディアは盾を受け取り、棍棒の当たったあたりを親指でなでた。油が拭われて、丸く跡になっているだけだった。
「ほら、傘は平気。平気だから、全部腕に来るの。斜めって言ったでしょ」
下の窪地で、肩に矢を立てた一匹が這っていた。脚が言うことを聞かないらしく、腕だけで地面を掻いている。そのうちに腕も止まり、脇腹だけが浅く上下した。
エルンストは斜面を降りて、その肩から矢を抜いた。骨の矢じりの先を指でなぞり、欠けていないのを確かめると、矢筒とは別の、口を革で巻いた筒に差した。エレナがその脇に膝をつき、ゴブリンの喉に指を二本当てた。
◇
沢の水は手首まで沈めると骨に沁みた。フェリクスは岩に腰を下ろし、腫れた前腕を流れに浸していた。赤黒い色は引かなかったが、脈のたびに突き上げてくる熱は少しずつ鈍くなった。
砂利を踏む音がして、エルンストが隣にしゃがんだ。
「見事な腕前ですね。一匹に一本。私は一匹に二突きずつ要りました」
エルンストは黙って、水に浸した手で顔を拭った。
「あの弓は、ここの物でしたね。だから通ったんですか」
「弓は関係ない。肝心なのは、手を離れた矢じりのほうじゃ」
「お前も、そろそろここになじむ。レベルが上がれば、その剣でも一突きで通る。もっとも、上に出りゃ、少しずつ抜けていくがのう」
刺剣は地上のものだった。一突き目が鈍るのはそのせいだと、腕試しのときにも聞いた。座学としては、潜る前から知っていた。地上の物は、ここのエーテルになじまない。長く潜っていれば、体と道具がなじんでくる。魔物を倒すとなじむのが早まると言われているが、原理は知られていない。降りた日は、どこか息苦しさを感じた気がしたが、いつからか気にならなくなっていた。
「矢じりはここの骨を削った、それで通りはする。じゃが、肩に一本で倒れたのはそのせいじゃない」
エルンストは腰から小壺を外し、フェリクスの膝の脇の岩に置いた。窪地で矢じりを浸した壺だった。
「お前なら、これにいくら付ける」
フェリクスは小壺を見た。下の窪地で腕だけで地面を掻いていた一匹を思い出した。肩に一本。それで脚から止まり、最後は腕も止まった。
四日目の晩から、焚き火の脇にはリディアの鍋と濾し布が並び、酢の匂いがしていた。何を作っているかも聞いていた。ゴブリンの数を減らす小細工だと思い、当時はあまり気にならなかった。
フェリクスは流れから腕を上げた。貴族の食卓には毒見役が立つ。掠っただけで体が止まる毒など、そうは出回らない。盛りたい者は金を積む。盛られるのを恐れる者は、もっと積む。
「小壺一つでも金貨100枚。相手が貴族ならそれでも買います。赤斑茸のほうはそれより上でしょう」
「ただ、今は売れません。紫裏茸は一層に生えています。名もない隊が今持ち込めば、どこで採ったかすぐ割れます」
割れれば、明日には一層じゅうの紫裏茸が摘まれる。値は崩れ、毒を流した隊という名前だけが残る。
「売るなら、少なくとも三層の探索が進んできてからです。下で採った物だと思わせましょう」
出どころを隠すにしては心もとない手だったが、ほかに手があるわけでもなかった。
「ワシも同じ考えじゃ」
エルンストは小壺を取り上げた。
「それまでは、誰にも見せん。矢は全部拾う。今のうちに茸はできるだけ集める」
エルンストは小壺を腰に戻し、沢を上っていった。
その晩、フェリクスは焚き火を囲んで、エレナとリディアにも同じことを話した。リディアは鍋をかき混ぜる手を止めなかった。
「売るの? いいよ、お金ないし。でも魔導院の筋は絶対だめ。あいつら粉を見たら、どこの誰が作ったか真っ先に嗅ぎ回るから。で、自分たちが作ったって言うの」
エレナはフェリクスの腰の袋を見ていた。干した赤斑茸が入っている袋だった。
「神殿には、知られないでください」
「買い手になりませんか」
「取り上げられます。祈らずに毒が抜けるなら、神殿は要りませんから」
「私の実家なら、売り先は見つかります。ただ、計算高い父の事です。取り分は半分も残らないでしょう」
エルンストは串を返しながら言った。
「ワシの知っとる口は、よその国じゃ」
「三層までにどうするか考えておきましょう……」




