焚き火
八日目の晩、白軸茸を焼く匂いが焚き火のまわりに溜まっていた。フェリクスは荷からあの瓶を出して、蝋の栓を刃先で割った。
「ダンジョンに入ってから一週間、誰も欠けませんでした。お祝いに飲みましょう」
リディアが真っ先にコップを突き出した。エレナは自分のコップを一度拭ってから差し出した。エルンストは串を返す手を止め、瓶の口から立つ匂いをしばらく嗅いだ後、コップを差し出した。王都の酒場では、麦酒に口もつけなかった男だがブランデーには弱いようだ。
乾杯の後、エルンストはちびちびと飲み始めた。それから串を返し、向かいに座ったフェリクスの手元を見た。右手に串、左手は膝の上にある。エルンストは少し考え、迷った後、言葉を発した。
「左が空いとる」
フェリクスは戸惑った。愛想の悪い老人がいつも通り少ない言葉で語りかけてくる。解読する身にもなって欲しい。
熟考の末、彼は一つの結論に達した。この老人は労いで自身の白軸茸をくれるようだ。フェリクスは老人の言葉に従い焼かれている最中の彼の白軸茸を左手に取った。
若干の硬直の後、エルンストはため息を吐きながら下を向いた。そして前を向き饒舌に語り始めた。
「その剣は、一人を相手にする剣じゃろう。普通は、一匹ずつは来ん。盾を持ったほうが応用が効く」
全員が目を見開いた。
老人はしまった、と少しきまりが悪そうだったが、続けて少しずつ語り始めた。
「最初はワシがまだ若かったころじゃった。今思えば運も良かったのじゃろう。一攫千金を夢見て探索者になったワシは成功した。斥候として様々なダンジョンへ行って、色々なパーティと組んで経験と知識を積んだ」
「ある時、とあるパーティと組んだ際に連携の練度が悪いことが目に付いた。前衛が前に出すぎていて神官へのケアが足らんかった。その時は何とか魔術師とワシが上手く対処したんじゃが、懸念要素は無くした方がいい。指摘したんじゃが、ワシの言い方が悪かったのもあったかもしれんが、結局口論になり、そのままワシはそのパーティを抜けた」
フェリクスは言い方が悪かったのだろうと思ったが口には出さずに聞いていた。リディアが頷いていたので睨みつけた。
「後日、ワシが抜けた後そのパーティが全滅したと聞いた際は後悔した。ただ、その時はまだ前に進めたんじゃ」
「その九年後、よその国のダンジョンで、別のパーティでワシは指揮をしとった。自分の判断を疑ったことはなかった、が、それが仇となってワシの間違った指揮でパーティが壊滅した。殿を務めたのは前衛の義理の息子で、生き残ったのはワシだけじゃった。それ以来、あまり口出ししないようになって、全てが上手くいかなくなったのじゃ……」
エレナとリディアは泣いていた。フェリクスは自分のパーティは大丈夫だろうかと心配していた。
そうこうしていたらエルンストが自分の左手から白軸茸の串を奪い返した。
「じゃが、お前らは危なっかし過ぎて見ておられん! フェリクス! お前には盾がいる!」
ギルドの買い取り表の一行目が頭に浮かんだ。鎧虫の背の殻、一枚銅貨8枚。盾の裏に張ると軽くて割れにくい。職人が買う。地上に戻って盾を一枚買えば、その何十倍になるか。往復で何日潰れるか。酔っていて我々がダンジョンの中にいることを忘れているだろうから思い出させてやろう。
「どこで手に入れればいいのでしょう」
エルンストは串を回す手を止め、焚き火の向こうのリディアに顎をしゃくった。フェリクスがそちらを見ると首をブンブンと横に振っている、再度エルンストに目を戻すと、エルンストは眉を上げた。
「知らんのか? ドワーフの女は嫁入り前に、武具の一揃いを自分の手で拵えるもんじゃ。名を三つも連ねる家の娘なら、さぞ厳しゅう仕込まれとるじゃろう」
リディアが白軸茸をくわえたまま、肩を落とした。
「なんで言うの! そりゃ、仕込まれたけどさ。私は好きでやったんじゃないからね。母さまが毎日工房の鍵を外から掛けて、サボったらご飯なしで……」
「だから、やらない」
エルンストはコップの底のブランデーを揺らした。
「ギルドに一筆頼んで、親御さんに連絡しようかのう」
リディアは白軸茸を口から抜いて、エルンストを睨んだ。それから長い息を吐いた。
「……盾だけだからね。あとで腕の大きさを測らせて」
エルンストは焼けた白軸茸を串から外し、続けてリディアに語りかけた。
「ワシの組んだ魔術師で一番強いと思うた奴も魔力は大したことなかった、道を塞ぐのに術を使うとった」
「塞ぐ? 何で? 岩を落とすの? 力の術じゃ岩なんか動かないよ。火? 魔導院じゃ、的を何枚いっぺんに焼けるかで点を付けてたけど。塞いで、それでどうやって倒すの」
エルンストは白軸茸をかじって、飲み込んでから言った。
「倒さんでええ。100匹おっても、一度に来るのが三匹なら、三匹ずつ片付ければ済む。あいつは焼くより先に、来る道を細うしとった。それだけじゃない、術の使いどころが恐ろしいほど上手かった。ある時は風を起こしたし、ある時は霧を出した。魔術というよりかは発想の柔軟さが奴の武器じゃった」
「魔術師は昔から火力が重視されとるが、ワシから言わせれば大量の敵に正面から向かって高火力の範囲魔術で倒すのは下の下の策じゃ。ふとした綻びで、いつもは上手くいっている戦術が瓦解する」
リディアは口を開けたまま、腰の小袋に手をやって、黙った。
最後にエルンストはエレナへ向きを変えた。
「お主は、状況を見極めろ、無理に前に出るな」
「何故ですか?」
「フェリクスが倒れて、お主が殿になったらまず確実にお前は死ぬ。フェリクスが即死しない限り、お主ならフェリクスが殿でも何とかなる。前衛が足りない状況なら撤退しつつ、有利な場所まで誘いこむかそのまま逃げたほうがええ。敵が抜けて来たならリディアを守ってやれ」
「しかし守備ばかりでは……」
エルンストは脇に置いていたクロスボウを取り、太矢の筒と一緒にエレナの膝の前へ投げた。鉄の把手の付いた巻き上げの道具は、エルンストの袋に入ったままだった。
「神の御業だか何だか知らんが、お主の膂力なら巻き上げなしで弦が張れるじゃろ」
エレナは弓の先を地面に下ろし、鐙に爪先を入れて踏んだ。両手で弦を掴み、短く息を吸った。袖から覗く腕は細いままで、筋が浮きもしない。魔力で筋に力を足しているのだろう。腕試しで棍棒を掴んだときも、こうだった。背を起こすように引き上げる。留め金が鳴った。
「前に出んでも、それなら届く。ワシだと一回の戦闘で一回こっきりじゃ」
他に言い漏れがないかエルンストは思惑にふけった。
「腕試しのとき、ゴブリンの棍棒を掴んだのう」
「掴みました」
「振り下ろされてから手を出したんじゃ、間に合わん。お主の手は、棍棒が来る前から柄の上におった」
「神の御業です♪」
エルンストは自分の右肩を叩いた。
「振る前に、ここが後ろへ引ける。肘が上がる。腕はあとから来る。それを見りゃ、棍棒がどこへ来るかは先に分かる。年季の入った剣士なら誰でもやっとることじゃが、お主は骨と筋の付き方から読んどる。……画帳から推察するに解剖して覚えたんじゃろう、神懸かった御業じゃ」
エレナは答えず、張ったばかりの弦を指でなぞった。
「ゴブリンなら読めるか」
「読めます。人とほとんど同じ造りですから」
「分からんのが来たら、下がれ。造りを知らにゃ、どこが動くかも読めんじゃろう」
「鎧虫なら、もう解剖しました」
「下には、解剖しとらんのがおるじゃろ」
その晩は、遅くまでリディアが何かを削る音がしていた。フェリクスはテントの中で、エルンストに酒をむやみに与えないことを自分に誓って寝た。




