幕間二
会議の間の地図は前と同じ燭台で四隅を押さえてあり、川の上に垂れた蝋も削られないまま白く残っていた。国王の手元には、王家がギルドに出した依頼書の写しが置いてある。三層の調査、と題があって、その下に請けた隊の名が五つ並んでいた。一つがBで、残りはCとDだった。
書記は卓の末席で、羽根ペンの先を削っていた。記録の帳面はここひと月、同じ一行で頁が埋まっていく。
「三層は」
国王は問いを最後まで言わなかった。
「依然、戻った隊はございません」
宰相が答えた。
「前金まで払ってやったのだぞ。五つ下りて、一人も上がってこぬのか」
国王の指が写しを弾いた。紙は卓から地図の上へ滑り、北の帝国の縁で止まった。宰相は拾わなかった。
財務卿が目録の頁を繰った。
「依頼はほかの隊にも回しておりますが、請ける者がおりませぬ。Aの三つは、とうに別のダンジョンへ移っております。使いをやりましたが、調査の隊が戻らぬ所へ下りるのは命と釣り合わぬ、と」
「Bは」
「悪評が回っているようで、皆、首を振ります」
将軍が地図の中州を見下ろした。
「帝国は皇女の隊を下ろしております。ダンジョンの外に補給部隊の天幕を張ったままで、まだ上がってきてはおらぬと。Sといえども、三層ではどうなりますか」
国王は鼻を鳴らした。
扉が二度叩かれ、近侍が入ってきた。今度の紙片には、中州の検問の封蝋が押してあった。宰相が頷くと、近侍は封を切って読み上げた。
「中州の検問より。三層の層主の竜、討伐。証として牙を一本検め、帳簿に記しました。討伐した隊は、帝国の」
近侍の声がそこで細くなった。
「白銀の皇女」
燭台の火が揺れた。書記はペンを持ち上げ、先を紙から離して待った。今度はインクを落とさずに済んだ。
国王は口を開かず、帝国の縁に止まった依頼書の写しを見ていた。
宰相が静かに言った。
「秋分の会議には、帝国はこの成果を卓に載せてまいりましょうな」
将軍が身を乗り出し、椅子の脚が床を擦った。
「ほかに上がってきた隊は、ゴーレムの素材を持った者は」
近侍は紙片を裏返し、裏まで目を走らせた。
「検問で引っかかった隊は、一つもなかったと」
「では、二層の層主を倒した連中は、三層で倒れたのでは」
将軍は地図の中州を指で叩いた。
「三層を探させろ、どこかに二層の層主の素材があるはずだ」
「依頼の額は」
「倍にせよ。請けると言うまで積め」
宰相は帝国の縁の依頼書を見ていた。それから書記のほうへ目をやった。
書記は「三層の層主、帝国の隊により討伐さる」と書き、その下に「三層調査の依頼、額を倍に改む」と書き足した。
◇
伝令は謁見の間の敷石に片膝をつき、細く巻いた紙を両手で差し上げていた。今朝、中州から鳩が運んできたものだった。紙の端に、乾いた泥の指の跡が付いていた。
侍女が受け取って玉座へ運ぶと、女帝は開いていた扇を膝に伏せ、紙を広げた。
細かい字が裏まで詰めて書いてあった。表は速く読んだ。裏に返したところで目が止まり、紙の端を押さえた指の下に皺が寄った。指はそのまま、しばらく動かなかった。やがて女帝は最後の行まで読み、目を閉じて、長く息を吐いた。
「病にかかって、死にかけたそうだ」
目を開けたときには、声はいつもの調子に戻っていた。
「王国の探索者に拾われて、薬をもらった。竜の前では、その者たちに支えてもらったとある」
「三層の層主は、あの子が討った。あの子の字で、そう書いてある」
伝令は顔を上げてよいものか迷い、上げなかった。
「その者たちを帝都へ呼べ、礼を言わねばならぬ。妹の命の分と、帝国の面目の分と、二つだ」
「承知いたしました。名は」
女帝は紙の末尾に目を移した。唇がかすかに動きかけて、最初の名のところで止まった。
膝の上で、扇の閉じる音がした。
伝令は待った。女帝は末尾をしばらく見ていて、それから二つ目の名から読み上げた。
「エルンスト。リディア・フォン・アイゼン・シルト・ハンマーベルク。エレナ」
閉じた扇の先が、紙の最初の名に置かれた。
「フェリクス・ハーゲン」
女帝は紙を元のとおりに細く巻き直した。侍女が手を伸ばしたが、女帝は渡さず、膝の扇の下に挟んだ。
「呼べ。四人とも、丁重にな」
前にこの間で隊を探せと命じられたときは、女帝は肘掛けに額をつけて笑っていた。今日は扇の先が、肘掛けを二度だけ叩いた。
「敵は選べるが、恩人は選べぬものだな」
伝令には、誰に向けた言葉かわからなかった。
◇
山越えの便が着いたのは昼過ぎで、文の束にはまだ馬の汗の臭いが残っていた。見習いは束を抱えて寄り合いの間へ上がり、卓の端に置いた。
卓には三人が座っていた。寄り合いの頭の老女と、穀物の元締め、それに宝石商だった。老女は紐を自分の指でほどき、王都の両替商から来た一通を抜いて、声に出して読んだ。
「王国のギルドが、三層調査の依頼の額を倍に上げた」
穀物の元締めが鼻の脇を掻いた。
「前金を払った隊が五つ戻らなくて、その倍ですか。王家の金庫に、そんなに入っていましたかね」
老女は見習いのほうを向いた。
「帳場から、王国の銀貨を持っておいで。新しいのと古いのを、一枚ずつ」
見習いは帳場へ下りて、二枚を持って上がった。老女は黒い試金石に二枚を並べてこすりつけ、灯りのほうへ傾けた。新しいほうの筋が、わずかに赤かった。
「少しばかり、銅が増えてるね」
穀物の元締めが筋を覗き込んで、唸った。
老女は文を卓に伏せ、指で二度叩いた。
「王都の両替商に書いておくれ。王家が金を要るなら、頼まれる前にこちらから言ってやれと」
「担保と利子は」
穀物の元締めが訊いた。
「秋分の会議で、中州のダンジョンから上がる税を。利子は、前回の二割増しで」
宝石商は、そのあいだ別の一通を灯りに透かしていた。ギルドの回収の依頼の写しだった。
「竜の骨が手に入るそうですよ。三層の層主の亡骸の脇に帝国の旗を立てて、置いてあると」
「三層の骨が売り物になるのかい」
「なりますとも。運び出した骨は、ダンジョンの外のギルドの出張所に集まります。売りに出たら、まとめて買えばいい。宝飾品に仕立てて、いわれを付ければうまい商売です」
宝石商は写しを畳んで、懐に入れた。
「削って飾りにして貴族へ売ります。帝国の白銀の皇女が倒した竜の骨、そんな噂の品を手に入れて身に着けた奥方は、さぞかし鼻が高いでしょう。最初の一人は、夜会のたびに見せて回りますよ。あとは珍しさと評判で、値はいくらでも上がります」
老女は聞き流して、束の底から封の色の違う一通を抜いた。今度は声に出さずに読み、卓の上を見習いのほうへ滑らせた。
「バーデン領の注文だよ。帳場に回して、いつもの通りに」
見習いは文に目を落とした。槍の穂、鏃、塩漬けの肉、麦。荷車の数は、いつもの注文の三倍あった。
「荷の札は」
「農具と、冬の蓄え」
穀物の元締めが自分の帳面に麦の数を書き写した。
見習いは文を帳場の籠に入れた。王都の両替商へ出す文と、同じ籠だった。




