出発
その日、王都の大通りはひとつの隊のために開けられていた。
窓という窓から花びらが撒かれ、馬に踏まれた花の匂いが通りに満ちた。沿道の子どもたちは、騎馬の列が過ぎていくのを目を輝かせて見上げていた。
先頭の馬上で、アルベルト・ヴァイスは手袋を締め直した。
灰の坑道は構造も魔物も最深部の主も、すべてが解き明かされた古いダンジョンだ。彼らはそこを100回以上踏破し、ギルドはその功績をたたえ、最上位の等級を与えた。踏破の数は途中からギルドの記録に任せた。自分で数えるのは、坑道を出るときの人数だけでいい。毎回、入ったときと同じ数だった。
後ろに六人が続いていた。盾を背負った二人、杖を抱えた魔術師が二人、法衣の神官、身軽な斥候。王国の宝物庫から下げ渡された装備はどれも革の匂いがまだ新しかった。
勇者さま、と沿道の誰かが呼んだ。アルベルトは群衆に片手を挙げた。
「皆の期待に、必ず応える。七人全員で、帰ってくる」
歓声が大聖堂の鐘をかき消した。
◇
二層への回廊は、一層の突き当たりの岩壁に開いた、二人並んでは通れないほどの穴だった。手前の窪地は茸の傘が屋根のように重なり、その下を数えきれないゴブリンが埋めていた。奥に座ったひときわ大きな一体は、人の倍近い背丈で、首から茸の傘を幾重にも連ねて下げている。大きさからするに、ゴブリンキング相当の個体と考えて間違いないだろう。
実際に相手にするのは初めてだ。ゴブリンキングが吠えると群れが一斉に白い袋を投げ、袋は盾に当たって割れ、窪地に煙が広がった。魔術師の放った火が届いた途端、その一角が轟と燃え上がり、前に出ていた盾役は眉と髪を焦がした。焼けたゴブリンの上を次のゴブリンが踏み越えてきた。
アルベルトは火を止めさせた。盾役が正面で受け、魔術師が術で削り、神官が火傷を塞ぐ。彼らが100回繰り返した型は煙の中でも崩れなかった。三時間の消耗戦の末、ゴブリンキングは膝をついた。窪地は群れの骸と裂けた袋で埋まり、歩くたびに乾いた骨が足の下で砕けた。
アルベルトは剣を納め、仲間の顔を一人ずつ見渡した。誰も欠けていなかった。
「見事だ。皆、よく持ちこたえてくれた」
盾役の一人がへこんだ盾の縁を拳で叩きながら笑った。
「普通のゴブリンと比べて、数が多いのと煙幕がうっとおしいだけでしたね」
否定する者はいなかった。
回廊の入口のまわりだけ茸の森の土が途切れ、白い岩に拳ほどの白い袋茸が群れて生えていた。斥候の青年が屈んで一つに触れた所、指先が白く曇った。
「これ、さっきゴブリンが……」
斥候は粉のついた指先を擦り合わせ、それきり袋茸を見下ろしていた。
「値はつくのか」
「買い取り表には、なかったと思います」
「なら置いていこう。荷は軽いほうがいい」
斥候はもう一度だけ袋茸を振り返り、白く曇った指先を外套で拭った。同じ茸が回廊の中の岩肌にも点々と生えていた。誰も摘まなかった。
◇
回廊を抜けると、茸の傘が頭上から消え、足元の菌糸の光も途絶えた。ランタンに照らされた岩肌は奥へ進むにつれて白く濁り、天井から垂れる滴の一つ一つが、床から伸びる石の柱の先に落ちては小さく鳴った。
石の柱の一本が身じろぎして、盾役の脛に食らいついた。柱の上からは、翼のある石の塊が降ってきた。刃は滑ったが、灰の坑道にも石の魔物はいた。盾役が受け止め、魔術師の術が砕いた。罠は斥候が見抜き、傷は神官が塞いだ。まだ誰の足跡もない白い岩の上を、彼らは一日も足を止めずに降りていった。
二層の半ばで野営した夜、アルベルトは見張りを二重にした。灰の坑道で決めた手順の通りだった。
回廊が近づくにつれて、白い岩肌に透き通った結晶が混じり始めた。斥候の青年はときどき足を止めて結晶を覗き込み、そのたびに盾役に急かされた。
宝物庫から下げ渡された盾は石の魔物の牙を受けても欠けず、灰の坑道の最深部の素材で打たせた剣は、ゴブリンにも石の魔物にも、手応えが鈍ることはなかった。ここまでは、坑道よりもはるかに楽だ。
◇
三層へ向かう回廊は、円形の広間の奥の壁にあった。一層のそれよりも狭く、広間に足を踏み入れると、耳の奥が水に潜ったときのように詰まった気がした。
広間の奥、三層への回廊の手前に、一体のゴーレムが佇んでいた。
透き通った水晶の体。背丈は人の倍に届かないほど。一行の方へ向き直るのにも、ひどく時間をかけた。胸の奥で赤い光がゆっくりと脈打っている。左右には鏡の破片のような子機が音もなく浮いていた。
「……これが?」
二人の魔術師が拍子抜けしたように顔を見合わせた。
「動きが遅い。飾り物のようだな」
盾役の一人が笑い、もう一人が盾を構えて前に出た。視界の端で、斥候の青年が広間の隅に屈みかけるのが見えた。アルベルトは構わず手を挙げた。
「陣形を。いつも通りだ」
体が覚えた順に、彼らは動いた。盾役が間合いを詰め、魔術師が詠唱に入り、神官が杖を掲げる。ゴーレムがゆっくりと顔を上げた。
胸の光が、ひときわ強く脈打った。硝子の杯を弾いたような、澄んだ音がした。
左の子機の面が、一瞬赤く閃いた。油の跳ねるような短い音と空気の焼ける匂いがして、後衛の魔術師の一人が詠唱の姿勢のまま動かなくなった。外套の胸に黒く焦げた筋が斜めに走っていた。
もう一人の魔術師が悲鳴を上げるより先に、その首が落ちた。神官は杖を取り落とし、拾おうと屈んだその背を三度目の光が貫いた。
「後衛が!」
斥候は叫びかけて次の光に身を伏せた。
アルベルトはゴーレムが一歩も動いていないことに気づいた。それなのに、ゴーレムの目が閃くたびに誰かが焼かれた。右の子機が閃けば右から、高く上がった子機が閃けば頭上から。光そのものは、目に見えなかった。
「退け! 通路まで退け!」
叫んでから、数えた。灰の坑道を出るたびに、してきたように。盾が二枚。斥候。自分。
四人しかいない。
盾役の二人が盾を構えて前に出た。光は盾を揺らしもしなかった。盾の面に細い線が一本走り、一枚が二つに割れた。盾を割られた一人は、退く途中で膝を焼き切られて倒れた。
「神官! 膝を」
言いかけて、床に転がった杖が目に入った。灰の坑道では、ここで傷が塞がった。
もう一人の盾役が倒れた仲間を引き起こそうと屈んだ。その背中から胸まで光が抜けた。焦げた肉の匂いが喉の奥に貼りついた。
斥候の青年は通路の出口へ走っていた。あと五歩というところで足を撃たれて転び、這いながら振り返って叫んだ。
「鏡だ! 鏡が」
叫びはそこで途切れた。
鏡。宙に浮いた板の一枚がわずかに傾いて、こちらを向いた。
剣を掲げたのは、考えたからではなかった。光は刃を断ち、その先の腕に入った。熱さより先に、剣の重さが消えた。膝が床を打った。
手順を頭の中で初めからなぞった。陣形。前衛。詠唱。どこも、いつも通りだった。いつも通りだ、と言ったのは自分だ。
広間の隅に屈みかけた斥候の背中が浮かんだ。何を見ていたのか、聞かなかった。
通路の出口まではまだ十歩あった。床についた左手が誰かの外套の上で滑った。
顔を上げた。ゴーレムは最初の場所から動いていなかった。胸の光だけが、ゆっくりと脈打っていた。




