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ブレイブメーカー  作者: M.Shah
第一部
1/24

四人

 男は現実的であった。いや、現実的すぎたと言ったほうが正しい。


勇者公募の布告が広場で読み上げられ、周りの者たちが帽子を投げ上げているあいだに、男は布告の末尾に添えられた支度金の額を見て、一隊の半年分の糧食にも足りないことを確かめた。無謀な博打だ。だが、無謀だと分かっていれば、誰が胴元で誰が賭け金なのかもよく見える。


春の地震で国境の川に中州が生まれ、そこにダンジョンができてから、まだ二週間しか経っていない。


緊張が高まる王国軍。対応に追われて協議する元老院。威光を示したい王族。そして、熱に浮かされた探索者たちの列に、家の余り物を紛れ込ませて間引こうとする貴族たち。


その余り物の一つが、自分だった。


翌日、父の書斎に呼ばれた。父は書類から顔を上げず、王家の紋の入った任命状を机の端へ滑らせた。不本意ではあったが、家から無一文で放り出されるよりはマシだ。少なくともこの任務には、実現可能性があったという体裁を保つための資金と、最低限の権威が付く。男は添えられた小切手の額面を確かめてから、礼を言った。


運に賭ける者なら、もう布告の前に列を作っている。要るのは、勝率を計算で積み上げられる人間だ。



◇



 老人は老いていた。外套の肘は何度も繕われ、腰のナイフの柄は長年握り込まれて黒い艶を帯びていた。娘夫婦はすでにこの世になく、残された孫娘は重い病に伏していた。


かつては名の知れた探索者だったが、些細な判断の差から評判は転げ落ち、歳も重なって、今の彼と組もうとする者はほとんどいない。ギルドの記録を見る限り、彼の同行したパーティの生還率は驚異的に高い。例外は、彼の撤退の進言を退けた隊だけだった。帰ってきたのは、いつも彼一人だった。仲間を見捨てて生き残った男。酒場では、そう呼ばれていた。


男が老人を見つけたのは、煎じ薬の匂う施療院の廊下だった。老人は長椅子の端に座り、膝の上で薬代の請求書を四つに畳んでは、また開いていた。


「勇者公募の布告は、お聞きになりましたか」


老人は顔を上げなかった。


「私の隊で、ダンジョンに降りていただきたい。報酬として、お孫さんの残りの治療費の五割をこちらで持ちましょう」


請求書を畳む手が止まった。


「撤退の判断も、あなたに預けます」


老人が、初めて顔を上げた。


「随分と詳しいのう」


「調べましたから」


「……なぜワシなんじゃ」


「生還率」


老人は請求書を膝の上で伸ばした。


「六割じゃ」


男は老人を見下ろした。


「……根拠は」


「命に替えはないぞ」


男はしばらく黙っていた。それから帳面を台にして、小切手を一枚切った。ペン先が紙に引っかかり、額面の横に小さな染みが残った。男はそれを老人の膝に置いた。


男が廊下の角を曲がると、老人は小切手を請求書と重ねて四つに畳み、胸の隠しにしまった。


翌週、老人はまた施療院の受付に立ち、銀行で小切手と引き換えてきた銀貨の袋の横に、革の小袋を並べて置いた。四年かけて貯めた銅貨と銀貨は足りない分にちょうど届いた。受付の女が数え終え、帳簿の孫娘の名の横に「完納」と書き込んだ。


老人は空になった小袋を畳み、胸の隠しに戻した。



◇



 次に加わったのは、魔術師であり、同時に錬金術師でもあったドワーフの女で、誘われたのではなく、自分から売り込みに来た。王立魔導院にいた頃、彼女は自作の触媒で術の出力を数倍に引き上げてみせた。それを「魔術の純粋性を損なうインチキだ」と保守的な教授たちに難癖を付けられ、退学処分を受けている。


退学処分を受けて彼女が悲嘆に暮れたかというとそんなことはなかった。むしろ愚かな教授陣と魔導院に憐れみを感じて憤慨した。その憤慨も、三日でおさまった。正直なところ魔導院にも飽きていたのである。


困ったのは金だった。王都の外れに借りた倉庫は扉の外まで酢と焦げた毛の臭いがして、棚には色の違う薬瓶が何十本も並ぶ。傷薬、気付け、油に沈めた鈍い銀色の欠片。それから、栓を蝋で固め、「開けるな」と札を下げた瓶がいくつか。どれも、売れば材料費にしかならなかった。


勇者公募の隊を組んでいる貴族の三男の話は、ギルドの酒場で笑い話として聞いた。声をかけた探索者に片端から断られ、ようやく雇えたのが、仲間を見捨てて生き残ると噂の老人だという。彼女は笑わなかった。翌日、ギルドで老人の記録を写させてもらうと、生還率の欄は王都のどの隊よりも高い数字だった。


酒場で聞いた安宿を訪ねると、男は食堂の隅にいた。広げた帳面には人の名前が二十ほど並び、そのほとんどに線が引いてあった。彼女は断りもせず、向かいの椅子によじ登った。


「線が引いてあるのは、断られた人? 十七、十八……実績のない貴族の隊には、誰も命を預けない。そうでしょ」


男は帳面を閉じずに女を一瞥して答えた。


「お嬢ちゃん、おうちに帰りな」


「これでも成人してます〜!」


「あのおじいさん、酒場の噂じゃなくて、ギルドの記録で選んだでしょ」


男は目を見開いた。


「やっぱり」


彼女は外套の隠しから小瓶を一本出した。油の底に鈍い銀色の欠片が沈んでいる。小刀の先で米粒ほどの一つをすくって男の皿の縁に載せ、男の杯の水に指先を浸して、一滴垂らした。欠片は皿の上で音を立てて丸く溶け、薄紫の炎を上げて弾けた。鼻を刺す白い煙が卓の上に漂った。男は帳面を引き寄せていた。


「作り方を知っている者は」


「私だけ。でも実績はない。魔導院を追い出されたから。その分、安い。他にも色々作れるわ」


男は小瓶には触れなかった。


「それと、もう一人。山あいの村に、折れた骨を数日で治す神官がいる。薬草の仲買から聞いた話。山奥の神殿なんて、魔力の足りない神官の捨て場所でしょ。その魔力で数日は、術の勘定が合わない。何か、ほかのやり方を知ってる」


「取り分は」


「下でしか採れない素材と、研究のお金。瓶代は前払いで」


「瓶代は、こちらで持ちましょう」


しばらくは退屈しなさそうだ。



◇



 その神官は、神を信じていなかった。


勇者公募の報せが神殿に届いた日の夜も、彼女は地下で技術の研鑽に励んでいた。誰かがダンジョンを攻略して褒賞を得るか、しくじって魔物の暴走で王国の一部が地図から消えるか。それ以上のことは何もない。


公募が始まると、傷を癒せる神官はどこでも引く手あまただった。彼女のところには誰も来なかった。魔力量は同期の中で下から数えたほうが早く、教典の暗記も苦手だった。一行も信じていないものは、頭に入らない。


初めて治癒の術を使ったのは、六つのときだった。孤児院の裏の森で、牙のある何かに追われ、その際に発現した。祈りの文句など、まだ一つも知らなかった。


翌月、神殿から迎えが来た。院長は寄進の包みを両手で受け取り、彼女の荷物は麻袋ひとつで足りた。


卒業と同時に、山あいの村の小さな神殿へ送られた。左遷だった。彼女にとっては幸運だった。村には医者がおらず、死者は火葬の前に一晩、神殿の地下に安置される決まりになっている。


最初の一人は崖から落ちた猟師だった。蝋燭を三本立て、小刀を湯にくぐらせてから、彼女は遺体に一礼した。神がいるなら、人を治す技術を磨くことを咎めはしないだろう。いないなら、咎める者はどこにもいない。夜明けまでに、画帳に十一枚の図が増えた。描き終えると一針ずつ縫い合わせ、死に装束の襟を元通りに整えた。翌日の火葬で、気づいた者はいなかった。


男が村を訪ねてきたのは五年目の春で、腕を折った木こりが数日で斧を振っていたという話を、王都で誰かから聞いてきたらしかった。


「どうやったのか、聞いても?」


「神の御業です♪」


「神はいませんよ」


「それは不敬です」


「罰が当たったら、帳面に付けておきます」


神官は小さく笑い、それから少しのあいだ男の顔を眺めていた。やがて書斎の棚から角の擦り切れた画帳を抜いて渡した。筋、骨、血の管の模写が頁を埋めていた。男は頁を繰った。どこで描いたのかは、聞かなかった。


「骨は後回しに。ずれを戻して、周りの筋を着実に。最後に骨を」


男は帳面に何か書きつけて閉じた。神官はその手元を見て、少し首を傾けた。


「それで、私の評点は?」


「ダンジョンに、一緒に降りていただきたい」


神官は返された画帳を、棚には戻さずに開いて眺めた。


「下の魔物は、どういう造りをしているんでしょうね」



◇



 四人が初めて同じ卓についた王都の外れの酒場は、床が零れた麦酒で靴底が粘るような場所だった。隣の卓では公募に応じた若い連中がまだ見ぬ竜の首の値段を言い合っていた。


「ダンジョンは、いずれ誰かが攻略します」


隣の卓で笑い声が上がり、男はそれが収まるのを待った。


「早いか遅いかの違いです。それが我々である必要はありません。我々の仕事は、それまで死なずに経験を積んで、稼ぐことです。この三つが守れている限り、各自が下で何を燃やそうと、何を解剖しようが、口は出しません」


老人は麦酒に口をつけなかった。魔術師は「燃やそうと」のところで身を乗り出した。神官は杯の縁をなぞっていた指を止めた。愛想のない年寄りと、頭のおかしい二人。だが、今の金で雇えるのは、この顔ぶれが精一杯だった。


頷いた者はいなかった。


男は契約書を卓に広げ、一番上に自分の名を書いた。フェリクス・ハーゲン。ペンを老人の前に置いた。


老人はペンを握り込むように持ち、一字ずつ確かめながら、エルンスト、とだけ書いた。姓の欄は空いたままだった。


魔術師はペンを受け取るなり椅子の上で膝立ちになり、リディア、と書いたあとに氏族の名を三つ連ねた。字が端まで届くと、紙を回して書き続けた。


神官は教本の手本のような字で、エレナ、と書いた。


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