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ブレイブメーカー  作者: M.Shah
第二部
18/24

沼

 回廊を抜けると、湯気が顔に貼りついた。


覆面の布がすぐに湿って、息を吸うたびに口へ寄った。耳の奥が水に潜ったときのように詰まった気がして、胸の底まで息が入らなかった。足元の岩は数歩で途切れ、その先は黒い水だった。人の背より高い葦が茂り、腐った水草の匂いが布越しにも鼻に来た。ランタンを掲げても、光は霧に散って三歩先で白く濁った。


先頭は大男のボルクで、その少し後ろの横をテオドラが歩いた。槍で足元を確認しながら水の浅い所を選んで足を置いていく。その後ろに魔術師の夫婦と、杖をついた神官が続き、四人は最後を歩いた。


テオドラの鞘の革は擦り切れていたが、鎖帷子の目は細かく、輪の一つ一つが鋲で留めてあった。恐らく慣らしが済んでいるミスリル製だが、あれ一着でいくらになるのだろうか。夫婦の杖の頭には拳ほどの宝石が嵌まっていたが、そちらの値段も考えないことにした。


回廊に入る前に、エレナは四人の舌に青茸の粉をひとつまみずつ載せ、袖口と襟を紐で縛らせた。帝国の五人の分はなかった。治ったばかりの体には同じ病はしばらく寄りつかない、とエレナは言った。


羽虫は目より先に耳に来た。高く細い音が霧の中から湧いては、耳元を掠めていく。準備がいいことにエルンストは腰に小さな香炉を提げていた。上の焚き火から移した燠に湿った葦をかぶせてあり、細い煙が後ろへ流れた。煙の中にいれば、羽虫の音は少し遠のいた。


首筋がちくりとした。叩くと、手袋に黒い点と血の筋が付いた。


リディアは葦の茎に張りついたナメクジに指を伸ばして、エレナに手首を叩かれていた。


「めっ!触らない」


「手袋してるよ」


「その手袋で、あとで顔の覆面を直すでしょう」


リディアは口を尖らせ、葦の茎ごと折り取って、ナメクジを目の高さに掲げて歩いた。


最初の亡骸は、葦の切れた岩の上に座っていた。荷を背負ったまま膝を抱え、顔を膝に埋めている。手の甲の皮が剥けて、指先が黒かった。脇に立てかけた盾の表に、王国の紋が塗ってあった。先頭のSランクパーティは足を止めずに進んだ。その先は、亡骸を数えるのをやめた。


足が重くなってきたころ、水から黒い岩が背を出している所に着いた。焚き火の跡が三つあり、どれも灰が湿って固まっていた。まわりの葦に、半ば埋もれた亡骸が六つか七つあった。


テオドラはそこで止まった。


「ここから先は知らぬ。ここで異変を感じて来た道を戻ったが、もはや既に発症していた」


柄から離した左手が、胸の合わせ目に触れた。テオドラはすぐに手を下ろした。


エルンストは岩のまわりを一回りしてから、少し戻った所の岩棚を顎で示した。水面から腰ほど高く、背に岩壁があり、亡骸からも離れている。その晩はそこで火を焚いた。テオドラは焚き火の奥の側に座り、道の先へ顔を向けていた。



◇



 翌日は、奥へ進むほど亡骸が増えた。


焚き火の跡もあちこちにあった。葦を刈って寝床にした跡があり、折れた槍が泥に刺さり、太矢が何本も水草に絡んでいた。奥へ向かう足跡に、戻ってくる足跡が何度も重なっている。亡骸も、奥へ頭を向けたものとこちらへ向けたものが入り混じっていた。


霧はいつのまにか薄れて、水面から細い湯気が立つだけになっていた。覆面の額に、ぽつりと滴が落ちた。指で拭うと、茶色い泥だった。ランタンを高く掲げると、頭上に濡れた岩肌がぼんやりと照り返した。王都の大聖堂の天井ほどの高さがある。目を凝らすと、岩肌に黒い筋が一本走っていた。滴はそこから落ちてくるらしかった。


腐った水草の匂いの下に、重く甘い腐臭が混じり始めた。臭いには慣れると誰かが言っていたが、あれは嘘だった。


羽音はもう耳元を掠めるだけではなかった。闇の奥から、途切れずに唸っていた。


先頭のボルクとテオドラが止まった。


エルンストは矢を一本抜き、矢じりの後ろに布を巻いて、ランタンの油を垂らした。火を移して、葦の上へ高く射た。火は赤い弧を描いて、ずっと先の泥に刺さった。燃える油の明かりが、まわりを丸く照らした。


泥の上に亡骸が並んでいた。どれも奥へ頭を向けて、うつ伏せに倒れていた。その奥の岩壁に、黒い入口が開いている。入口の前に、岩の小山のようなものがあった。


小山が動いた。


長い首がゆっくり持ち上がり、火のほうを向いた。皮がたるんで、ところどころ骨の白が覗いている。たるんだ皮の縁が見ているうちに寄り合って塞がり、別の所がまた剥がれて泥に落ちた。体のまわりだけ湯気が濃いと思ったが、湯気ではなかった。蚊だった。


首はしばらく火を見ていたが、やがて戻り、小山はまた動かなくなった。


「竜だ」


リディアが葦を握ったまま身を乗り出した。


「ねえ、鱗、残ってるとこあるかな。どろどろしてる、ずっとああなの?」


エレナは目を細めていた。


「崩れたそばから繋がっています、病魔を中に閉じ込めたまま」


テオドラが長剣の柄に手を掛けた。


「動きは緩い。ヒットアンドアウェイで削り、退いて休み、また攻撃すればいつかは倒れる」


病魔に侵されながら著しい回復力で生き続けている竜だ、果たして本当にそうだろうか。フェリクスは泥の上の亡骸を見た。皆、そうしたのだ。そのような消耗戦を何日続ければ、あの山が倒れるのか。同じことを思った他の隊は病もあり、力及ばず亡くなったのだろう。Sランクパーティについて行けば安泰だと勘定したのは自分だったが……


「テオドラ殿、勝算はありますか」


テオドラは火のほうを見たままだった。油が尽きかけて、明かりが縮んでいく。夫婦が顔を見合わせた。


「わからぬ」


火が消えた、羽音だけが残った。


「撤退するべきです、少なくとも我々はここまでです」


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