幕間1
会議の間の長卓には、中州のダンジョン付近の地図が広げてあった。王国は赤く縁どられ中州を囲うように中央に存在し、北に帝国、南に連邦、東には海と湾があった。四隅を燭台で押さえてあるので、蝋が垂れるたびに地図の端が少しずつ固まっていった。
書記は卓の末席で、羽根ペンの先を削り直していた。今日の記録は長くなる。
「二層の進展はないのか、武具の回収はまだか」
国王は報告書を指先で卓の中ほどへ押しやった。同じ質問をするのは今週で三度目だった。
「回収できたのは斥候だけです。残り六人はまだ二層の底の広間にあります」
宰相が答えた。国王は報告書から目を離さなかった。
「層主に挑戦したものは」
財務卿が咳払いをした。
「まだ広間に入った隊はございません。手前に四組ほど控えておりますが、どれも入りたがらないと。それと以前もお話しした通り、剣は折れており修復は不可能です」
宰相が地図の白い中州に指を置いた。
「陛下。秋分の会議まで、残りは半年を切っております。それまでにギルドに充分な進展がないと判断されればダンジョンの管理不行き届きを言い分に、帝国も連邦も、自前の部隊を大々的に中州へ入れてきます。こちらはギルドと締結している条約により断れません」
「そうなれば土地とダンジョンの利権の割譲も主張してきますな」
「でしょうな」
財務卿が目録の下から、紙を一枚引き出した。
「帝国の応援という名目の小規模な横槍も、そろそろ中州へ着きます。Sランクのパーティが一つと、それに付き従う隊が二つ。荷車にひと冬越せるほどの糧食が積んであると密偵からの報告です」
「応援に、ひと冬の糧食が要るか! あわよくば自分たちで攻略して、利権を主張するつもりなのだろう」
国王の拳が卓を打った。燭台が跳ね、蝋が一筋、地図の川の上に垂れた。
「管理が行き届かぬと言い立てて、中州の土地も、ダンジョンの利権も、まとめて攫っていく気だ。まったくもって図々しい」
宰相は、垂れた蝋が川筋の上で白く固まっていくのを見ていた。
将軍が身を乗り出した。椅子の脚が床を擦った。
「広間の化け物の素材ですが、武器にすれば軍事転用できるのでは。Sランクのパーティが手も足も出なかった層主です」
国王が初めて顔を上げた。
「あれの素材でそのような武器が作れるのか」
「やってみなければ分かりません。ですが、他国に先に拾われては困ります。素材は、確実にこちらの手で」
「どうやって手に入れる。手前の四組は倒す気がないのであろう」
将軍は地図の中州の縁を指でなぞり、それきり黙った。
「公募で降りた中に、ほかに見込みのある隊は」
財務卿が目録の頁を繰った。
「Aの隊が三つ、下りております。王都近辺のBの隊は、初めは七割がた中州のダンジョンに入っておりましたが、二層で止まっていると聞いて引き上げる者が出て、いま三割ほどしか……」
将軍が地図から指を離した。
「牢の者を送るのはいかがでしょう。北の塔で縛り首を待っている者が40名ほど。ゴーレム討伐と素材の献上を条件に恩赦を約して得物を持たせ、一度に広間へ入れる。あれも、四十を一度には断てますまい」
宰相が眉を寄せた。
「罪人に剣を持たせて、ダンジョンで放すのですか。帝国と連邦の目もありますぞ」
「生きて広間から出てくる者は、そう多くありますまい」
国王は答えず、椅子に座りなおした。広間が静まり返った。
扉が二度叩かれ、近侍が入ってきた。手にした紙片は、封もされていなかった。近侍は宰相の耳元へかがんだが、宰相は手を振って、声に出すよう促した。
「二層の層主が倒されたとのことです。広間の様子を確認しに向かったBの隊が一つ、それを確かめて亡骸と、武具を回収しました。いま、王都へ向かっていると」
燭台の火が揺れた。書記のペン先から、インクが一滴、紙に落ちた。
「誰が倒した」
国王の声は低かった。
「分かりません。その隊が広間に入ったときには、もうゴーレムの核は破壊されて素材は持ち去られていたと」
「Aの三つのどれかでは」
将軍が言った。近侍は紙片に目を落とした。
「使いの話では、どうも違うようで。追って確かめさせます」
「なら、順当に行けば、倒した者はそのまま三層へ向かったかと」
将軍が続けた。国王は地図の中州を見ていた。
「中州のダンジョンの前に検問を置け。上がってくる隊は一組残らず荷を検査せよ」
「はっ」
「それから、ゴーレムの素材らしき物を持っている隊がいれば、表沙汰にせず押さえろ」
将軍が頷き、宰相は黙って書記のほうを見た。
書記は紙の上のインクの染みを吸い取り紙で押さえ、その下に「層主討伐の報あり。中州のダンジョンに検問を置き、荷物を検査する」と書いた。
宰相の目は、まだ書記の手元にあった。
書記はペンを置いた。続きの一行は、書かなかった。
◇
伝令は謁見の間の敷石に片膝をつき、封を切った書状を読み上げていた。敷石の冷たさが、膝から腿へ上がってきていた。王都に忍ばせている密偵からの報せだった。
「……広間の層主は、胸の核を割られて死んでいて倒したパーティは不明とのこと。情報を集めた結果、床は一面、白い粉に覆われ、ところどころ水が溜まっておりました。粉は燃えた跡がなく、石灰に似ております。一層のゴブリンが撒く白い煙と、同じ物と推察されるとのことです」
玉座の女帝カサンドラ・ヴェルデンシュタインが、扇を口元に当てた。
「報告にあった煙茸か」
「は、倒した隊は煙幕を使ったものと見られます。それから燃え残った盾が一つ。マイコニドの頭を鎧虫の殻で裏打ちした盾で」
「そして安物の盾」
扇の陰で、肩が震え始めた。伝令は書状から目を上げ、また下ろした。女帝は扇を膝に落とし、肘掛けに額をつけて笑った。笑いはなかなか止まらなかった。控えの侍女が水差しに手を伸ばしかけ、女帝の手のひらに止められた。
「あの七人は確実に実力があったはずだ。灰の坑道を100度抜け、王国の宝物庫の武具を貸し与えられた者たちだ。それが恐らく一瞬で死んだ。その相手を安物の盾を使う連中が難なく倒した」
女帝は目尻を指で拭い、背を玉座に戻した。
「笑いが止まらん」
伝令は書状の続きを探した。
「胸の核は砕かれて、目ぼしい素材は既に持ち去られておりました。使えそうな物は残っていなかったとの報告でした」
女帝は扇を開き、また閉じた。
「その隊を突き止めよ。王国の者でも構わぬ」
「暗殺しますか」
「帝国に引き込め、こちらから条件を聞いて丁重に扱え」
◇
(時は遡ってフェリクスが起きる少し前)
作業台の上に、親指ほどの赤い結晶が、木の枠に挟んで据えてあった。両端は削って平らにし、銀を引いてある。結晶の脇には、乳白色に濁った石のかけらが添えてあった。結晶の先には小さな丸い硝子を一枚、その先に板切れを一枚。壁には、鍔の手前で曲がった刺剣が立て掛けてあった。
リディアは椅子の上に膝立ちになり、乳白色の石に指先を当てて、短く何か唱えた。石の奥が白くほのめき、キン、と小さく鳴った。板切れの表に赤い点が一つ刺さり、細い煙が上がった。焦げた匂いがした。指を当てたまま、もう片方の手で板をずらしていくと、黒い線が、定規を当てたようにまっすぐ一本引けた。
戸が開いて、エルンストが入ってきた。作業台の上の枠を見て、足を止めた。
「それは何じゃ」
「切る道具。見て、ほら、こんなにまっすぐ」
リディアは板切れを持ち上げてみせた。エルンストは板を見なかった。枠の中の赤い結晶を見ていた。
「あのゴーレムの素材を、木っ端を切る道具にしたんか」
「だって」
「ワシは、おもちゃを作らせるために、お主にあれを預けたんじゃないぞ!」
声が梁に当たって返ってきた。エルンストが声を荒げるのを、リディアは初めて聞いた。
「しょうがないもん!」
リディアは椅子の上で立ち上がった。
「あのゴーレムの目、ただの石じゃなかったんだよ。目の結晶がたわんで、焦点を合わせ直してたの。鏡の板だって、角度を変えながら焦点を追いかけてた。あれ、どうやって作るの? 割れた欠片をいくら削ったって、合わせられるのは、この硝子一枚で届く手の先だけ。遠くは無理。無理なものは無理! だから切る道具。捨てるよりずっといいでしょ。むしろ、一番うまく使ってるんだから」
エルンストは黙って、曲がった刺剣のほうへ目をやった。
リディアは椅子から飛び降り、作業台の端の油紙の包みをつかんだ。
「だいたい、エルンストだって。勇者さまの剣、拾ってきたでしょ。王様が貸した宝物庫の剣だよ? 見つかったら、私たちどうなるの」
「ブレードマンティスの刃じゃぞ!」
エルンストは包みを指で叩いた。
「どのみち剣は折れとるし、刀身だけじゃ。ほかの物に手を付けなんだら、ゴーレムが壊したと思われる。ばれやせん」
「でも」
「お主も、ワシが拾うのを見て、口の端が上がっとったろうが」
リディアは口元に手をやった。
「……上がってないもん」
「でも、あれがあればあの刃を加工してナイフと矢じりぐらいなら作れるよ」
エルンストの動きが止まった。
「ブレードマンティスのナイフか……?」
「そう、ブレードマンティスのナイフ」
エルンストとリディア、両者の口の端が吊り上がった。




