9.明かされた事実
「伯爵家を継ぐ資格がない、とはいったいどういうことですか!?」
しん、と静まり返った空間に響いたのは、お父様の声。立ち上がった勢いで、用意してもらった椅子が転がる。鈍い音を立てた椅子は、さすが王宮にふさわしい造りをしていたのに、今の衝撃で飾りの一部が壊れてしまった。私の足元に飛んできた飾りを拾い上げてから、ぎゅっと握る。
チクリと感じた痛みが、先ほどの言葉は現実であることを告げている。傷つくまで握りしめていた自覚はないが、テオドール様がそっと手を添えてくれた。慌てて手を離した私は、ようやく息を吐く。思ったよりも長い吐息は、頭を切り替えるのに十分な時間をくれた。向かいで立ち上がって国王陛下を睨みつけているお父様の姿から、目を逸らしてはならない。
お父様に、伯爵家を継ぐ資格がないとは、いったいどういう理由があるのだろうか。
「……順を追って説明しよう。そうでないと、納得できぬだろう?」
「説明されても納得できるかは別ですわ! エドガー様が伯爵家を継ぐ資格がないなどと!」
立ち上がりこそしなかったが、お義母様は不愉快そうに扇子をバチンバチンと鳴らしている。その姿こそがこの場の誰をも不愉快にさせているなど、きっと微塵も思っていないお義母様。
状況を全て飲み込めていないだろうロザリーは、二人が怒っているのを見てから頬を膨らませて自分も怒っていますとアピールをしている。
向かい合って座っている今だから、良く分かる。隣や後ろに比較できてしまう人がいるからかもしれない。
そこまで感情を表に出してしまっている三人は伯爵家と言わず、貴族として生きていくのには向いていないのだと。
「エドガー・クローリー」
ため息交じりで、国王陛下が口を開く。お父様とお義母様が声を上げるのを待っていたようにすら見えた。
「貴殿は、そもそもどのようにしてクローリー伯爵家に入った。まさか、それすら忘れたわけではあるまい?」
「それはっ……!!」
「覚えているようでなにより。皆には、私から言ってやろうか」
真っ赤になって黙ったお父様に、お義母様は眉をひそめている。伯爵家に入った、国王陛下は確かにそう言った。もし、その言葉をその通りに受け取っていいのだったら、家に当時の資料が残っているはずだ。けれど、それは私が執務室に入るようになってから、一度も目にしたことはない。
ならば、お父様が持っているはずだ。私にも、誰の手も触れることのないような場所で保管しているのだとしたら。
想像が、当たらないで欲しいという気持ちとそうであったらと願う感情が同時にやって来る。
今はただ、お父様の言葉を待つしかない。チクリとした痛みが走る手を、ぎゅっと握りしめる。
「お、俺が伯爵家に……入ったのは、」
「お義父様……?」
このような時でも、ロザリーはかわいらしい仕草を崩さない。私のように、ドレスに皺を作るような握り方ではない、けれど手を握り締めているのだと分かる絶妙な力加減。
庇護欲を誘うその様子は同年代だったら通じたのだろうが、この場にいる誰からも視線を送られることはあっても声をかけられることはない。
「入ったのは、あいつが……ミレイユが、伯爵令嬢だったからだ……」
「エドガー様!」
「ああそうさ! 俺は婿としてクローリー伯爵家に入った! だが、それが何だと言うのだ! あいつが死んだんだから、当主は俺だろう!」
がつんと頭を殴られたようだった。クローリーがお母様の姓だったことも、お父様が婿入りだったことも、私には一言も知らされていなかったから。
肩で息をするお父様を痛ましそうに見ているロザリーはともかく、お父様の声を止めようとしたお義母様はきっと、知っていた。
「いいえ。違います」
「テオドール様?」
お父様の域が落ち着いた頃合を見計らってかけられた声の主は、国王陛下でもなく王妃様でもなく、テオドール様。
いっそ冷たいとも思えるくらいの簡潔な答えは、消火しかけたお父様の感情に再び火を点けようとする。けれど、それは燻って消えた。水色の瞳が、じっとお父様を見つめていたからだ。
それだけではない、国王陛下を始めこの場にいる誰の視線もお父様に集まっている。そこに、お父様を擁護するような色はひとつもない。
結局、小さな声をこぼすばかりのお父様は力尽きたようにその場で膝をついた。
「国が違えば守るべきものも変わるでしょう。ですから、入念に調べました。この件については間違いがないと自負しております」
「イングライト卿」
「侯爵令息とはいえ、隣国の事をそこまで学ばれておりますか」
「ええ。この国で、どうしても手にしたいものが出来ましたのでね」
止まった時計のようだった空気が、テオドール様の言葉で変わっていく。針を突きつけられているのではと錯覚するほどに緊張した雰囲気は、少しだけ和らいだ。知らずに詰めていた息を、そおっと吐く。胸に手を当てれば、ドキドキとしているのが分かった。その緊張とは違うドキドキを感じるのは、胸のもっと奥。この感情の正体を探すのは今ではないから、気づかなかったふりをして蓋をする。
それにしても、テオドール様がそこまでして手に入れたいものとは、なんだろうか。
「我が国の事を、隣国の令息の方が理解できているとはな……」
呆れているのか、感心しているのかは読み取れないけれど、国王陛下の言葉に王妃様も頷いている。そして、お父様の隣に控えている青年も。
貴族という制度は隣国にもあるし、他の国にだってある。それぞれに細かい部分で違いはあるけれど、基本的な考え方は一緒のはずだ。そうでなければ、王家主催の交流会がこうも続くはずがない。身分という考え方については同じという大前提のもとに、開催されているはずだから。
「まあ、よい。さて、エドガーよ。確かにお前の言い分通り、ミレイユ・クローリーが亡くなった段階で、当主はお前になるはずだった」
「だったら……!」
「だが、それはお前がしかるべき手続きを踏んでいた場合だ。それを怠ったお前が、当主となることは出来ぬ」
お母様が亡くなった時、私はまだ成人前。デビュタントを飾っていなかったから、お父様が当主になることに何も間違いはない。
私の知識にあるそれは、後見人という立場のはずだ。お父様がクローリー家の血を継いでいない、というのが前提だけれど、先ほどの会話でそれは成立している。
つまり、お父様に当主という立場が与えられるのは、クローリー家の血を継ぐ私が成人するまで、という期限付きでしかない。それを正式な立場にするためには、私の同意と署名が必要なはず。
「そ、そんなもの俺は知らない! あいつが死んだんだから、夫である俺が自動的に当主になるはずだろう!」
「制度を悪用されぬように、書類での届け出が必要だとは聞かされなかったか?」
「書類……だと? あいつは、そんなこと一言も……」
家のことで忙しくしていた私は、デビュタントを後回しにした。お祝いは届いたし、各所のご招待もこのような状況なので、落ち着いたらお礼に伺うという旨の手紙を送ったことで満足してしまったというのもある。
それだけ私が忙しくしていたタイミングだったから、じいやとシンシアはずっと心配そうにしてくれていた。食事だって疎かにしかけていた私に、無理にでも休憩の時間を作ってくれていた。どの書類から手を付けていいか分からなくなっていた私に、重要度と締め切りを叩き込んでくれたのはじいや。すべてを完璧に終わらせるまで、次に手を付けてはならないと思い込んでいた私に、出来ることからやればいいと教えてくれたのは、シンシア。
その二人が私に書類の渡し忘れをするはずがない。届いているのだったら、伝え忘れるはずがない。
「手続きが滞っていても、この場で伯爵に足る言動をしていれば、それなりに考慮をすべきだという意見があったからな。
不思議に思わなかったか? 伯爵家を呼ぶのに、わざわざ王家から馬車を回したことに」
「……っ!」
お父様は、もう何も言えない。当然だ。遠慮も何もなく王家が用意してくれた馬車に乗り、王宮に入ってからの言動も褒められるものではない。
正式に伯爵家の当主となれる道を、自分で潰してしまったのだから。
「伯爵家の血を継ぎ、誇りを継いでいるのはリリアーナだ。クローリー家の当主は、彼女しかなり得ない」




