10.ふたつの選択肢
「私……?」
思えば、馬車を別にされたところから王家による私達の査定は始まっていたのかもしれない。向こうの馬車で何を話していたのかは分からないけれど、例えば私と同じような話題を振られていたのだとしたら。
お義母様とロザリーはもちろん、お父様だってきちんとした返答が出来ていたとは思えない。王宮に着いたときの言動も全てを見たうえで、私が正式な跡継ぎだと、国王陛下はそう言ってくれた。
「そうだよ、リリアーナ嬢。クローリー伯爵家の正式な跡継ぎは、君だ」
「テオドール様」
隣に座っているテオドール様が、静かに頷いている。国王陛下の言葉があっただけでなく、隣国の事なのにわざわざ調べたと言っていたテオドール様が同意しているなら、私の知識もきっと間違ってはいないのだろう。
膝の上で拳を握り締めているお父様の顔色は真っ青だ。いきなり伯爵家の当主ではないと国王陛下から宣言されたのだから、無理もない。
「さて、詳しい説明も必要だろう。リリアーナ嬢には別室に移動してもらいたい」
国王陛下の言葉に頷いて、椅子から立ち上がる。テオドール様が当然のように立ち上がり、エスコートするように手を差し出してくれた。その手を取ってもいいのかどうかは少しだけ悩んだけれど、私から逸らされることのない水色の瞳に根負けした。そっと手が触れた瞬間、嬉しそうに目を細めた表情に、ドキッとしてしまう。
「待ちなさいよ!」
「お母様……?」
ここがどこなのかを忘れるくらい、怒りに染まった顔でお義母様が立ち上がる。そんなお義母様の顔を見るのは初めてなのだろう、ロザリーが本気で怯えている様子で身を縮こまらせた。
お父様の後ろに控えていた青年が、すっと立ち位置を変える。お義母様から手が出た時に即座に対応できる距離へ。
「信じられるわけないでしょう! なんでそいつなのよ!」
「確認するが、そいつとは誰の事だ」
「決まってるじゃない! そこの、無表情の金髪女よ!」
ああ、お義母様はやはり私が嫌いだったのか。そうだろうと思っていたけれど、まさかこのような場で名前を呼ぶことすらしない程だとは。
激しく動いたときにほつれた自身の茶髪をうっとおしそうにかき上げて、お義母様は私を睨みつける。扇子くらいは飛んでくるかと覚悟したけれど、テオドール様が私を守るように前に出てくれたからか、今のところその様子はない。
「……クローリー伯爵。そなたの妻だぞ」
「は、はい。存じております」
「自分の妻が、娘を侮辱するのを止めることすらしないか」
ハッとした様子のお父様が、ようやくお義母様の言葉を遮ろうとする。けれど、今までそんなことをしてこなかったお父様は、どう言ったらお義母様の事を止められるかが分からないようだ。
ミシミシと音を鳴らすほど握りしめられた扇子は、そろそろ耐え切れずに折れてしまうのではないか。
「エドガー様! あんなかわいげのない女が当主だなんて!」
「ジュリエッタ、少し静かにしてくれ」
「黙って受け入れろって言うの!? 伯爵家の当主だからと思って嫁いだのに!」
お義母様の言葉は、この場に沈黙を降ろすのに十分すぎた。お義母様の手を握ろうとしたお父様はその場で凍り付き、当のお義母様はしまったといった様子で自身の口を隠した。
お父様とお義母様が再婚した時のことなど、ぼんやりしか覚えていないだろうロザリーは、この場の空気を敏感に感じ取っておとなしくしている。気まずそうな両親の間に挟まれている姿は、かわいらしいよりもかわいそうに見える。
「……リリアーナ嬢を別室へ。王妃、彼女に説明を頼む。私は、こいつらとじっくり話をしなければならなくなった」
「仰せのままに、国王陛下。それでは、参りましょうか」
「で、ですが……」
問題どころか、爆弾のような発言が飛び交ったけれど、それでも私の家族だ。私にも関わってくる話が出たのに、この場から離れてしまったらもう、聞くことも出来なくなってしまう。
そんな私の気持ちは顔に出ていたのか、王妃様がにっこりと笑ってくれた。
「大丈夫。それぞれの立場に応じた話をしたら、またここに戻ります。手短に済むでしょうから」
「そういう、ことでしたら……」
いくら広い謁見室といっても、お義母様のあの声で叫ばれてしまったら、話をしていても気になってしまう。向こうから見ても、それは同じだろう。だから、場所を変えて少しだけ説明するのだと言われて、ようやく少し気持ちが落ち着いた。
最近はあまり見なかったお義母様のあの姿に、恐怖がなかったとは言えないから。
そうして今度こそテオドール様のエスコートで、私は謁見室を出た。案内されたのは角を三つほど曲がった先にある部屋。
狭い部屋だと王妃様は言うけれど、私の自室よりは広いし、いつでも使えるよう綺麗に整えられている。
ふわふわなソファーに身を預けたら、緊張がほんの少しだけ和らいだ。何の躊躇いもなく、王妃様が前に座ったからまた、緊張がやって来たけれど。
「緊張しないで……と言っても無理な話でしょうから、まずは話を聞いてちょうだい。
私の事は、そうね。世話好きのおばさんとして見てくれたらいいわ」
にこにこと先ほどとは違う種類の笑みを浮かべた王妃様が、ずいぶんと近しい人のように感じてしまう。壇上におられたというのもあるし、あの場の雰囲気に圧倒されていたというのもある。
けれど、今の王妃様なら少しだけ、いつもの自分と同じように話が出来るかもしれない。そう思わせてくれるような優しい雰囲気があった。決して、おばさんとは思えないけれど。
「陛下が仰っていた通り、クローリー伯爵家の当主はあなたよ。リリアーナ嬢」
「それが、不思議なんです。お父様が、自分の権力を失うようなことをわざわざ、するはずがありませんから」
最初に疑問に思ったのは、これ。私のなかでお父様は伯爵家という名前にしがみついていて、それしか誇れるものがない人、という印象が強い。だから、その看板に泥を塗るような行為をすれば、激しい感情をあらわにする。主に領民に向かって発散されていたのを、ここ最近は上手く宥められていると思っていたのに。
「説明は、先ほど陛下がなさったわね。あなたの母君、ミレイユが伯爵家の血を継ぐものであり、エドガーはそこに婿入りしたに過ぎない。血が貴ばれるこの国では、しかるべき手段を踏まなければ例え伴侶であっても、自動的に家を継ぐことは出来ないの。
……あなたも、お調べになったのでしょう?」
「もちろんです。国によって貴族制度は違う。その細やかな部分で足を引っ張られるのはごめんですから」
当たり前のように私の隣に座ったテオドール様に、これまた当たり前のように話しかける王妃様。場の話題の中心にいるのは私のはずなのに、置いてけぼりにされたような気持ちになってしまう。
まだ混乱しているし、状況を全て飲み込めてはいないけれど、二人はそんな私の状況を考えて、話をかみ砕いてくれているようにも感じた。
「お互い、面倒なものを背負っているわね。
……エドガーはその手段を取らなかった。放棄した、とも言えるわね。定められた期間に、定められていた書類を提出しなかったのだから」
「ですが、国はリリアーナ嬢の事を把握してはいなかった。だから、ここまで何もしてこなかったのでしょう?」
「それを言われると、謝ることすら申し訳ないわ。ええ、確かに私達はクローリー伯爵家の状況を知らなかった。上がってくる報告に、何の問題もなかったから」
お父様が、正式に伯爵家の当主となるための手続きを放棄した。それは、自身が動かなければならないもののはずで、けれどシンシアはともかく、じいやは絶対に分かっていた手続き。
聞いていないのか、聞いていて動かなかったのかは私が判断できるものではない。あの時に戻ってやり直すことは出来ないのだから。
それよりも、王妃様の言葉で気になったのは、上がってくる報告が問題なかったというところだ。
「お褒めいただき、ありがとうございます。ですが、正式な手続きがあるのだったら、それを知らなかった私にも責があるのではないでしょうか」
「ないわよ! リリアーナ嬢、あなた、ミレイユが亡くなった時まだ幼かったじゃない!」
優しい、どちらかといえばおっとりしているような雰囲気の王妃様が、身を乗り出して否定する。お母様を亡くして悲しかった記憶を、自分の不手際があった申し訳なさで上書きしてしまいそうになっていたけれど、そうしなくてもいいのだろうか。あの時、お父様に言われて執務室に出入りするようになった私が、それと知らない間に書類を無くしてしまったのではないか、と思わなくてもいいのだろうか。
「今回の件は、あなたのせいではありません。それは、私が断言します。
私達が把握している限り、あなたの書類の処理はほぼ完璧よ。そんな人が、期限のある手続きを見落とすなんて、考えられないわ」
「ありがとう、ございます……!」
心の奥からじわりと優しいものがこぼれてくる。責められることなく、私のやって来たことを認めてもらえるのは、これほどまでに嬉しいものだっただろうか。
じいやとシンシアは、ずっと認めてくれていた。近頃では、家の使用人も少しだけ好意的な態度を取ってくれるようになった。それだけで、もう十分だと思っていたのに。
「家の話については、陛下が向こうと話をしているはずよ。だから、私が聞きたいのはあなたの希望」
「希望、ですか」
「ええ、そうよ」
希望と言われても、私が出来ることは家の執務くらいだ。ロザリーのような、かわいさを持ち合わせていない私には、そうして家の執務で役に立つことくらいしかないのに。
不安に思って俯くと、そっと肩に触れる感覚があった。隣に座っているテオドール様が、わざと肩を当ててくれたのだとすぐに気づいた。
この方は、どうして私の不安にすぐ、気づいてくれるのだろう。私が理解したのと同時に離れてしまった肩の温もりを、惜しいと思えるのは。
「選択肢はふたつ。伯爵家を継ぐか、それとも彼と共に隣国へ行くか」




