5.変わるきっかけ
「イングライト様」
「テオドールで構わない。ここにいるということは、同年代だろう?」
隣国について学んでいたことは、最悪な形で生かされた。ざっと顔を青ざめた私をロザリーは不思議そうな表情で眺めているけれど、それについて何かを言えるはずもない。
イングライトの家名は古く、隣国の建国当時まで遡れる。交流会を前に、少しでも隣国について学ぼうと思ったら必ず目にしている家名のうちのひとつ。
この場でロザリーにそれを告げるという行為は、すなわち彼女が隣国の貴族の名すら把握せずにいると周りに知らしめてしまうことに他ならない。
例え、指摘された本人が周りからの視線の意味を理解できていなくても、だ。
「おそれいります。では、テオドール様と」
「ああ。……気遣い、感謝する」
イングライト様、そう最初にお呼びした時にわずかに表情が曇った。見間違いかと思ったけれど、本人からの許可もあってから名前でお呼びした時には少しだけ安心したように目元を緩ませた。
これは私の勝手な推測だけれど、テオドール様は隣国では名の知られた家の生まれ。きっとイングライト家の令息としての一挙手一投足を、常に見られているのだろう。もしくは、その名前に目のくらんだ令嬢から、歪んだ感情をぶつけられていたか。
「それで、だ。リリアーナ嬢。よければ僕と意見の交換をしてくれないだろうか。議題は、そうだな……領地についてでどうだろう」
「もちろん、喜んで」
遠慮がちに呟かれたその言葉は、先ほどの令息とは盛り上がらなかった話題だ。彼は流行を追い求めていたから、帳簿から見える数字といった現実的な話が出来なかった。
この場に招待された当初の目的は、隣国での知識を学ぶこと。ならば、テオドール様の議題に乗らないなんて、考えられなかった。
「リリアーナ嬢の領地ならではの強みとは、何だろうか」
「私のお預かりしている領地では、農作物の育成に力を入れております。近頃は、冷気に強い野菜の研究をしておりまして……」
テオドール様の話題に、私が返す。そうすると私の返事を倍以上にした情報が戻ってくるのが、楽しい。領地で作っている野菜の話は、この場はもちろん自国で交流会の予行として開かれたお茶会でさえ、誰かから意見を求められたことはなかったから。
いかに意匠を凝らした刺繍を入れられたか、話題の茶菓子とサロンのデザイン。確かにワクワクする話ではあった。何も知らない私へ最初は楽しそうに話してくれた令嬢たちが、だんだんとうっとおしそうな雰囲気に変わっていったのは、記憶に新しい。
「お義姉様、わたしも……」
「三年前に、記録的な不作があったと聞き及んでいる。その際にリリアーナ嬢はどのように対処をしたのだろうか」
それと比べてしまうのも申し訳ないくらい、テオドール様との会話が充実している。あの時、帰らなくて良かったと今では思う。
きっかけはあまりに失礼なものだったけれど、ロザリーには感謝をしなければならない。こんなにも楽しく、勉強になる会話が出来ているのは間違いなくロザリーのおかげなのだから。
「テオドールさまぁ! わたし、今日の集まりの意味を理解していますよ?」
領地の話で盛り上がってしまった私達に、ホールの注目は集まっていない。ひと段落ついたところで、私は改めて、ロザリーの非礼を詫びようと姿勢を正した。
テオドール様の意識が自分に向いたことを感じ取ったロザリーは、予想を裏切らないと言えばいいのだろうか。今までずっと隣にいても黙っていたのに、いきなり口走ったのがこれだ。
先ほどの非礼もお詫びが済んでいないのに、こうも問題を起こすなんて。
ひとまず頭を下げるしかない。そう思って動いた体は、テオドール様からの一言で止められた。
「さて、クローリー伯爵令嬢。ではお教えいただこう。いったい、今日のこの集まりは、どのような意図をもっているのかを」
「それだと、どっちを呼んでいるのか分からないじゃないですか。ロザリーって呼んでいただけます?」
あとに自己紹介した私は名前を呼ばれ、自分は家名で呼ばれるのだから、ロザリーとしてみればおもしろくないのだろう。自分は怒っていますと表現するように頬を膨らませ、それからそっと腕に体を添わせた。女性特有のふくらみをわざと感じさせるような接触に、テオドール様が眉をひそめて隙間を作る。
「ああ、そうだね。それで、俺の質問に答えてはくれないのか?」
「ふふっ! そこまでおっしゃるなら、教えて差し上げます。
この場はいい相手、つまり恋人を見つけるための集まりでしょう?」
ざわり、とホールにざわめきが走る。一部始終を見ていた人がロザリーの発言を聞いて振り返った方々に説明をしているのを横目に、どうやったらこの義妹の口を閉ざせるだろうか、とそればかりが頭の中で巡っては消えていく。
あくまでも、今日の目的は隣国との交流会だ。その裏に、ロザリーの言う婚約者探しがあったとしても。貴族として生きていくのなら、言葉の裏の意味を読み取れなければならない。その辺りの素養も、この場で評価の基準となる。
招待状を無理に手に入れたうえ、暗黙のルールを直接の言葉にしたロザリーに、今後の貴族社会で向けられる目は決まってしまった。
「テオドール様もお相手をお探しなら、お義姉様よりもわたしにしたほうがいいですよ」
「どうして、そう言い切れるのかな」
水色の瞳が、すうっと細められる。光を失った氷のように見える瞳が、ロザリーを見つめているのに気付いているのだろうか。
少し垂らした茶色の髪をくるくると指で遊ばせているロザリーは、テオドール様の視線など意に介していないように見える。
ホールの注目は、再び私達に集まっている。この場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだけれど、そんなことは出来るはずもなく。
装飾の少ない、動きやすいドレスを着ているからだろうか。どれだけドレスをぎゅっと握りしめても皺にならないのだけは、良かったと思えた。
「リリアーナ嬢とは有益な意見を交換できた。君とは同じように議論を交わせるかどうか……」
「わたしがその場にいたら、話は弾みますよ!」
「弾む? どのように?」
テオドール様の問いかけに、ロザリーは答えられない。先ほどまでの私達の会話にも入ろうとして、口を挟ませなかったのはテオドール様だったけれど、私も同じようにロザリーの言葉をわざと聞こえないふりをしていた。
家庭教師からも勉強の遅れを指摘されているのに、どうして会話が弾むと思ったのだろう。少し前の晩餐会でお父様に褒められていたからだろうか。
あれは単純に、会話の潤滑油としての役割だけだったのに。
「わたしが話すと、場が明るくなるんです! お義父様やお母様からいつも褒めてもらっているんだから!」
ああ、やはりあの晩餐会でロザリーは変に学習してしまった。あれから家でお茶会などを催す機会もなかったから、当然といえばそうなのかもしれないけれど。
テオドール様からの視線を感じたけれど、それ以上に見世物状態の今について、ロザリーは何も思わないのだろうか。
憐み、興味、蔑み……様々な感情が見え隠れしているけれど、この場の大半を占めるのは、面白がっている。それだろう。
王家が主催している交流会に、明らかな傷をつけてしまった今回の件。きっとクローリー家を見るのはこれが最後になると思っている出席者が多いはずだ。私だって、自分が当事者でなければそう思うはず。
「だって、お義姉様にはかわいげがないでしょう? 花を飾ったところで、わたしの華やかなドレスに敵わないじゃない」
「そうかな。私には、とてもかわいらしく思えるのだが」
現実から目を逸らすように違う考えに耽っていた私に、今度こそ現実とは思えない言葉が飛び込んできたのは、その時だった。




