3.出さない、出せない
領地から手紙の束が届いた、と連絡が来た。定期連絡からは少し時期がずれているし、きっと何か困ったことが起きたのだろう。朝食の席でお父様に一言お伝えしたけれど、いつものようにお前が処理しろとしか言われなかった。
お義母様にはそのくらい自分で考えろと言われ、ロザリーはせっかくの朝食なのに難しい話ばかりでつまらないわ、と頬を膨らます。表情を曇らせたロザリーを慰めるのに夢中なお父様は、私が食事途中で席を立ったことに気付きもしないでしょうね。
「ごちそうさまでした」
「わざわざありがとうございます、リリアーナお嬢様」
「いいのよ。……まだ、食事中だもの」
晩餐会の後から、厨房の料理人たちが声をかけてくれるようになった。どうやら、アルバートが私が伝えた以上の何かを話したようだけれど、それを本人は教えてくれない。ただ、冷えて脂の浮いていたスープは、細かい野菜も混じる風味豊かなものに変わった。
「のちほど、軽食をお届けしますね」
「ありがとう。執務室にお願いね」
朝食へ行っている間にシンシアがまとめてくれた手紙の束、それからベッドの横にある資料を抱える。昨晩、寝る前に読んでいた資料がすぐに役立つかどうかは分からないけれど、どこにあるか探す時間がもったいない。まだ読み切っていないし、執務室に持って行くことにしよう。
「リリアーナ様よ。まあ、あんなに書類を抱えて」
「あなた、今は手すきでしょう。手伝って差し上げたら?」
「……少し前に断られたのよ。あなたの仕事の領分ではないでしょう、ってばっさり。さすがに二度目のお声がけはできないわ」
「そうだったの。そういえばわたしも……」
私に聞こえていないと思っているのか、話し声は小さくなるどころか大きくなっていく。廊下で話に花を咲かせ始めた彼女たちには今、掃除を任せているはずだ。
このままにしておくと業務に差し支えるので声をかけようと出した足は、軽やかな足音で遮られた。
「あら、あなたたち! もう仕事は終わりかしら?」
「ロザリー様。ええ、もうすぐ終わりますわ」
私を軽んじていても、使用人たちは悪意のある言葉を直接、誰かの耳に入れるような真似はしない。言葉はなくとも態度に出るから、そういう行動が正しいのだとロザリーが学んでしまったことを、少しだけお義母様は後悔しているようだから。
社交に出るようになったら人から突かれると分かっているのだろう。使用人たちに注意を促し、お義母様の理想のかわいらしさを身に付けたロザリーには、これ以上の振舞いを覚えさせないようにしたくらいだ。
「だったら、私の部屋に刺繍の道具を用意してくれない? ハンカチの用意をしないといけないの」
ロザリーは可愛らしくおねだりのようなしぐさで自分の意見を通すけれど、人の悪口を言う姿は見たことがない。私をどうあっても下に見たいお義母様と一緒にいるから、ロザリーもそういうタイプなのだと思って警戒していた時期でさえ、一度もだ。
もしかしたら悪口という行為は、ロザリーの思うかわいらしさから遠い位置にあるのかもしれない。ロザリーはお義母様とは違う、ということにひどく安心した時期があるのを覚えている。
「かしこまりました。すぐに、ご用意いたします」
「ありがとうっ! 嬉しいわ!」
タッタッと軽い足音を残してロザリーは自室の方へ向かって行った。朝食も終わって機嫌が良くなったのだろう。メイドの手をぎゅっと握って笑顔を見せるロザリーは、確かにかわいらしく映る。
「あんなにかわいらしくお願いされたら、ねぇ? 温かいお茶と簡単なお菓子も一緒にご用意しようかしら」
「ハンカチへの刺繍でしょう? それなら、手が汚れないようなものがいいわね」
「ロザリー様はあんなにかわいらしいのに、リリアーナ様には愛想がないのね。笑顔を見たことあるメイド、いるのかしら」
「さあ? 奥様がかわいげないとおっしゃる通りよね」
私のことを囀っていたその口は、どうやら随分と軽やかなようだ。あれが普段の勤務態度だったなら、掃除以上の仕事を任せる機会など巡ってこないだろう。
場合によっては、掃除ですら任せられないかもしれないけれど、それを決めるのは私ではない。仕事ぶりを見て判断するのは、家令であるアルバートだ。今、見たことは私からアルバートの耳に入れさせてもらおう。
それにしても。
「出さないように、してるだけなのに……」
最初の一言は、いつだったのか。覚えていないけれど、言われた言葉は忘れられない。泣いてもかわいくない、だった。
それから、泣かないようにと唇を引き結んで作った笑顔は嘘みたいと続き、最後には甘えるな、になった気がする。
そんなことを言われ続けて、味方になってくれる大人は、ごくわずか。それだって、いて欲しい時にそばにいられるわけではなかった。私が全部ひとりでどうにかしようとするようになるまで、それほど時間はかからなかったと思う。
「思い出してもどうしようもないわね。書類が減ってくれるわけではないのだから」
今日、やらねばならないのは領地の嘆願書に目を通すこと。そして、お父様が視察と称して領民に怒鳴り込みに行く前に改善策を見つけることだ。
気まぐれに領地を訪れては、民が訴えていることなど見ることも聞くことすらしないお父様。それなのに、何か不安要素を見つけるとその場で怒り出すし、ときには手が出る。
そうさせないために、領地での問題を早めに改善しなければ。ロザリーが自室に戻ったのならば、朝食はすでに終わっている。抱くように書類を持っているから、執務室へ向かうとは分かってくれるだろうけれど、お義母様の口が出ないわけではない。余計なことで時間を取られたくないから、足音の鳴らない最速で、執務室を目指す。
「作物の生育が計画より遅れている、ね」
この手紙の主は、寒さに強い作物を作ろうといろいろと試している人だ。計画ではこの時期に半分ほどは育っているはずの苗が、まだ芽を出していないものがほとんどだという訴え。
私に農作の知識は、ほとんどない。代々残っている資料から役に立つものがないかを引っ張り出してこないと、アドバイスも出来ないだろう。計画の練り直しも含めて検討しないと、と考えて席を立つ。
「農作の資料は……」
本棚を指でなぞりながら、ふと先ほどのメイドたちの言葉を思い出す。
基本的には家庭教師を招いて勉強しているロザリーが、ハンカチを用意するようななにか。
そのようなイベントはあっただろうか。この間の晩餐会のような突発的ではない、事前に用意を出来る程度の情報がロザリーの耳に届くまで出回っているなら、私は絶対にどこかで聞いている。
「先に確認してしまいましょう」
ここ最近の忙しさで、スケジュールから抜けてしまったのかもしれない。私の準備が必要なことかもしれないのに、全く記憶にないなんて。
パラパラとカレンダーをめくった先に、思い当たるイベントがあった。
「王家主催の、隣国との交流会。これかしら」
それは、半年ほど先の予定。
隣国には、年頃の貴族が一か所で勉強する学園がある。わが国も見習って建設中の施設だ。
基本的には家の裁量に任されている教育。それを、一か所で教えることが出来るなら、その場にいる皆が同じ知識を得ることが出来る。なんて役に立つ施設だろう。通うことが出来ないのが残念だと思うほどに。
「そういえば、少し前に招待状が届いていたわね。思い出してよかったわ」
見聞を広めるため、知識の偏りを防ぐため、いろいろと理由は付けられるが、それは表向き。婚約者のいない年頃の男女が一か所に集うのは、そういう面もあるという事だ。
その場を借りて、自分で婚約者を見つけてみせろと国から言われている。そこに、確かに私は招待されている。
普段なら三か月ほど前に届く招待状。それがこれほど早く手元にあるのは、婚約者を探す機会の前に、準備が必要だと思われているからだろう。
「我が家に届いたのは、私の分だけ。あの子にハンカチの用意は必要ないはずだけど」
そもそも、ハンカチを用意するのは必須ではなかった。令嬢としての器量を見るための刺繍ではあるけれど、それだってたくさんある手段のうちのひとつでしかない。
刺繍の腕が見たいのならば、ハンカチではなくドレスに入れたらいいだけだからだ。隣国での扱いは分からないけれど、ハンカチよりもドレスの方がより人目につくのは間違いない。半年もあれば、手の早い令嬢ならばドレスの裾と袖に、綺麗な刺繍を施せる。
私は、袖にぐるりと簡単なものくらいだろう。刺繍にだけ時間を使えるなら、それなりのものを作れる自信はあるけれど。
「この処理が終わったら、隣国の慣習も調べてみようかしら」
長子である私がこの家から出ることは、きっとないけれど。
わざわざ隣国からいらっしゃる方々に不快な思いをさせる必要もない。幸いなことに開催は半年後。ロザリーのおかげで思い出せたから、少しだけあの子のためにハンカチと糸を買ってあげようかしら。




