2.必要なのは
「リリアーナ! 仕事だぞ! 早く!」
「……おはよう、ございます。お父様」
「さっさと執務室に来るんだ!」
まだ日も登りきらないうちに、私の部屋に飛び込んできたのはお酒の匂いをぷんぷんさせたお父様。真っ赤な顔で乱れた襟元も直すことなく、むせ返りそうなほどの酒精を漂わせている。
「今から、ですか!?」
「俺がどれだけ苦労して取り付けたと思っているんだ!」
ある早朝に飛び込んできた、一週間で領地を売り込むための晩餐会を開催するという、お父様からの無茶な依頼。
家令であるアルバートも合間を縫って準備を進めてくれたおかげで、どうにかご招待した方々に不満を感じさせることなく、晩餐会は終了した。ここに至るまでどれだけ苦労したのかをきっと、お父様は知ろうともしないだろう。
「素晴らしい夜だった。今日は、良い夢を見られそうだ」
「その言葉が私にとって何よりも素晴らしいものです。帰り道、どうぞお気を付けて、閣下」
王都から馬を飛ばせば一日で着けるうちの領地では、農作物の育成に力を入れている。というのも、王都で何かあった時のために食糧庫の代わりになれるように、とおじい様のそのまたおじい様が鍬を持ち、野菜を育てていたのがそのまま領民たちに根付いたからだ。
その野菜を売り込むのが、今回の晩餐会の目的。領地の野菜をふんだんに使った料理は、招待客からも評価は高かった、と思う。食事を残された方がいなかったから、きっとお気に召していただけたはずだ。
「晩餐会の感触は良かったな。これなら、領地の作物が売れるだろう。最近は少し、余り気味だったからな」
「ええ。料理がおいしかったと評判でしたわ。それに、領地の野菜を腐らせないように晩餐会を催して売り出すなんて! さすが、エドガー様ですわ」
「お義父様のお力になれるために、わたし頑張ったんですよ!」
「ああ、見ていたよ。ロザリー。晩餐会の雰囲気が良かったのは、お前の愛嬌のおかげだ」
テーブルの食事の進み方に気をつけていたから、招待客ひとりひとりの表情を全て読み取ることは出来なかったけれど、その手の感情に敏感なお父様が何も言っていないうえに上機嫌。
上手くいって良かったと思うのと同じくらい、いいえ、きっとそれ以上に忙しかった一週間が終わって良かったと安心した。
無事に晩餐会が終わったことで気が抜けてしまって漏れた溜息は、ロザリーがはしゃぐ声に紛れて三人までは届かなかったようだ。
ここで疲れた様子など見せたら、お義母様から何を言われるか。今すぐ座って休みたいと思っていても、自室に戻るまでは気を張っておかないと。
「リリアーナ」
「はい」
ロザリーの頭を撫でていた手を止めて、くるりと振り返ったお父様の眉間には、先ほどまではなかったはずの皺がある。
私が一番よく見ている表情、ロザリーには見せない顔。これは、執務を渡される時に見せる、当主の顔。
お義母様は、ロザリーと共に食堂を出て行こうとしている足を止めた。私が何を言われるか、そして何を言えるかを待っているのだろう。そんな様子ばかりを見せるから、ロザリーは私が家の執務をしていることを当たり前だと思うようになったというのに。
「今日の招待客に食材を送る手配を」
「分かりました。明日から取り掛かる準備はしてあります」
領地の食材を売り込むのが目的なのだから、きっとそう来ると思っていた。テーブルの招待客の食事の進み具合を見ていたのは、そのためだ。手が進んでいた食材を、多めに手配するために。
ほんの少しだけ、私が怒られないように、失望されないためにという保身もあった。無駄にならずによかった、そう安心できたのはほんの一瞬。
「遅い。明朝に届くように進めろ!」
「ですが、お父様。今日はもう遅く……」
「だからこそだ! 王都の中とはいえ今晩の食材が明朝に届けば、我が家の手配が早いことにも感心するだろう」
お父様の頭に広がっているのは、明朝に届いた食材を前にして感嘆している招待客の姿。そこにあるのは、自身に集まる称賛だけ。その陰に、どれほどの苦労があるかなんて想像していないのだろう。
「あなたはロザリーのように晩餐会を上手く回せなかったのだから、そのくらいさっさとやりなさい。
エドガー様からの仕事を断るなんて……まったく、かわいくない」
「……失礼します」
お義母様に言い返す気力もなかったけれど、何か癪に障るようなことを見咎められてしまえば、無駄な時間を取られてしまう。日付が変わるまで、あと3時間ほどしかない。
今日は使用人を多く配置しているけれど、食材の手配に使うのはホールにいるのとは違う人手。
まずはアルバートと合流して、情報のすり合わせをしないといけない。深々と頭を下げながら、これからやることをリストアップして順序をつける。
「お母様、お義父様。お義姉様だってお疲れなのよ。だから、私、厨房に行ってきますね。せめて温かいお茶があれば、お義姉様もきっと頑張れると思うんです」
「まあ、ロザリー! なんて優しい子!」
「もう遅い。晩餐会で緊張して疲れただろうから、お前たちは早く休みなさい。そこの、厨房にロザリーの言葉を届けるように」
背中で聞いた労りの言葉、“お前たち”に私は含まれない。慣れている。けれど、慣れたくない。そんな思いを押し殺すようにぎゅっと唇を噛んだ。
カツカツ、と明かりのない廊下にヒールの音が小さく響く。誰に聞かれているわけでもないのに、淑女らしくないわ、なんて思わず呟いたのは、現実から逃げたかったのかもしれない。叱ってくれる人がいたのなら、現実に戻れたのだろうか。
「お嬢様。いただいたものはこちらで終わりです」
「シンシア! ごめんなさい。付き合わせてしまったわね」
「いいのです。私はリリアーナお嬢様付きなのですから」
晩餐会のために朝から知識を詰め込んだ私の傍に控えているだけでも大変だったはずだ。普段だったらとっくに休んでいる時間に、指示を渡すために家の中で動き回ってもらっていることが申し訳ない。
普段だったら私が指示を出すことに渋い顔をする使用人もいるけれど、さすがに今回は素直に動き出してくれた。時間が迫っているうえに、お父様が指示を出しているのを、たくさんの使用人が見聞きしている。この指示を無視したら、自分の立場も悪くなるのだと理解しているようだ。
私がそれに対して何も言わないのがどうしてなのか、というところまでは考えが及んでいないようだけれど。
「ありがとう。あなたが私付きで良かった」
シンシアは素直に受け取ってくれないけれど、感謝を伝えないこととは別だ。仕事だからと言うのが、もしかして照れ隠しなのではないか、と思い始めたのはつい最近。
私がお礼を言うと少しだけ、ほんの少しだけ笑顔が優しくなるのに気付いたから。
「お嬢様。手配はこれで全てです」
「アルバート。こんな時間まで付き合わせてしまって、ごめんなさい」
「それは私が言わせていただきます、お嬢様。晩餐会の準備も遅くまでこなしておりましたのに、手配を巻き取れずに申し訳ございませんでした」
時間を考えてか、控えめなノックの音の後に姿を見せたアルバートは、何枚かの紙を持っていた。
全ての手配が終わったはずだったら、紙は手元に残っていないはずなのに。何か不備でもあったのだろうか。
「ずいぶんと助けてもらったわ。それに、これもありがとう」
すっとアルバートから差し出された紙に目を通す。なるほど、これはあると嬉しいし、私では気づけなかった視点だ。
さすがだと思っていたら、目の前のアルバートはゆるゆると首を振った。
「いえ、それは……厨房の料理人からです」
「え?」
「お嬢様の食材リストを見た料理人から、調理方法を預かってまいりました。私の独断ではございますが、手配した食材に添えてあります。お渡ししたのは、その写しです」
食材が届く側からしたら、ありがたいだろう。いきなり届いたことにだってきっと戸惑うはずなのに、準備をしてある朝食に飛び込んできた食材を使わなければならないのだから。
もしかしたら、その家の料理人は知らない食材かもしれない。レシピが一緒に届けば、どのように調理するのかを調べずに済む。そこまでは、考えが回らなかった。
「書いてくれた人に、感謝を伝えてくれるかしら。私が厨房に行ったら、きっと困らせてしまうから」
「もちろんでございます。喜ぶことでしょう」
にこりと笑ったアルバートの表情に、嘘はない。疲れなど感じていないような落ち着いた手つきで用意してくれたのは、ミルクをたっぷり入れたお茶。
ロザリーがお茶の用意を、と言った通りにワゴンは準備されていた。夜に飲んでも眠りの邪魔にならないお茶に、ミルクを添えて。
持ってきてくれたシンシアは、ただ運んできただけだと言っていたので、これは料理人たちからの気遣い。
「さ、お嬢様。こちらを飲んで、どうぞお休みください。後のことは、じいやに任せていただきますよ」
「じいやには、かなわないわね……」
熱々のお湯に、香りを抑えた茶葉。そして冷めないようにタオルで包んでくれたミルクは、時間が経って冷めたことでちょうどいい温度となり、体の強張りを解してくれる。
その温もりがそのまま、私を気遣ってくれるように感じられた。その晩のミルクティーは、今までで一番優しい味がした。




