22.優しく穏やかに
22.優しく穏やかに
「リリアーナ、ちょっと来てくれないか」
「はい、ただいま!」
無事にテオドール様のご両親にも、私の事を認めてもらってからというもの、毎日がとても穏やかで充実している。
もちろん、今までだって十分だとは思っていたのに、それ以上に与えてくださるものが多すぎて、私に都合のいい夢を見ているのではないかと錯覚するくらい。
「お待たせいたしました、テオドール様」
私の事をとっくに調べていたご両親は、反対する理由を一つも作らなかった。領地の運営についてちょっと調べれば、それがそのまま私の経歴になるからと言っていた。けれど、一番の理由はテオドール様のことを信頼しているから、だと思う。本人には言わないけど、と前置きをしたうえで教えてくれたフローレンス様は、悪戯を仕掛けた子供のように笑っていた。
「農作について、意見を聞きたい。君のところではこの場合、どうやって対処していただろうか」
あの頃、いつか家族から認めてもらいたい一心で詰め込んでいた知識が、今こうして役に立っている。それがすごく嬉しい。叶うのならば、あの頃、ろうそくの明かりしか許されなかった暗い中でもずっと資料を探していた私に、伝えたい。
頑張ったことは、新しく関係を作った人たちに認めてもらえるのだと。そして、私はその人たちの事を、家族と呼べるようになるのだと。
「一部分だけ、育成が遅いですか……」
「ああ。水や肥料のやり方に差異はないようなのだが、去年から。この時期になると、その箇所だけ起こるらしい」
とんとん、とテオドール様の指が机を軽く叩く。ご両親がまだ領地にいる時だったら、すぐに現場に行って解決の糸口を見つけられただろう。
ただ、今はこちらに戻ってきているし、領地の一番近いところでも早馬を飛ばして三日、そこから今回の手紙が届いたところまでは一日ほどかかるらしい。
その距離を見越して手紙は早めに送って来たそうだ。今年もその兆候があったけれど、この手紙が届く頃にはまた違っているかもしれない、という一言を添えて。
「ある箇所だけに、だったら可能性はあるかもしれないです」
「そうか、必要な物は」
「その場所に、見取り図のようなものはありますか? 畑と建物の位置が分かれば」
「……なるほど。最新はここにない。父上に確認してこよう」
私の言葉から、おおよその理由を察しただろうテオドール様は、さっと執務室を出て行った。この時間だったら、チェスター様は屋敷内にいるだろう。ただ、散歩と言いながらもおそろしく早く移動しているだろうから、テオドール様が捕まえられるのはしばらく後になるはずだ。
馬の手入れをしていたら、分からないけれど。そう考えられるくらい、この家で過ごした時間が増えたのだと思うと、なんだかくすぐったい気持ちだ。
案の定、と言えばいいのか。息を切らして戻ってきたテオドール様が落ち着くのを待ってから、書類を見て先ほどの答え合わせをする。
人手が増えたことで、畑の一角に休憩用の小屋を建てたそうだ。おそらく、その小屋が日を遮ってしまって育成が遅れているのだと思う。
皆が同じ時間に休憩を取るから、影が出来ていることに気づかなかったのかもしれない。
他にも理由はあるかもしれないけれど、私に思いつくのはそのくらいだ。これが作物の病気だとしたら早めに手を打たないといけないから速達で届けるように言付けて、手紙を渡した。
「リリィ」
手紙を渡したテオドール様は、私がよく座っているソファーに沈む。二人座るのにちょうどいいサイズのソファーには、私が収まるくらいのスペースが残してあった。
呼び方が変わったのは、合図。婚約者となってから加わった日常には、まだ照れと緊張がある。
「テオ様、今日はいつもより早くないですか?」
「そうは言っても、父上は屋敷の端にいたんだ……」
少しだけ砕けた口調、和らいだ声。領主のチェスター様が屋敷に戻って来たから、今まで程の仕事量ではなくなったけれど、それでも次期領主となるテオドール様に回ってくる書類はある。
私が補佐を任されるようになったのを、実力でなくコネだと突っかかって来た人がいたこともあって、仕事中は今まで通りの口調と呼び方をするように徹底している。
「それはまあ……遠かったですね?」
「僕も体力をつけないとだな……」
婚約者となって分かったこと。テオ様は、自分の事を普段は僕と言っている。そういえばチェスター様も最近では僕、と言っているのを聞く。二人とも使い分けが上手だと思うのと同時に、公私の判断が分かりやすくていいなあと感じている。
「それなら、私も一緒にお散歩しましょうか。一人よりもやる気が出るでしょう?」
「それはそう、なんだが。リリィに置いて行かれたら立ち直れない」
「いつの事を言っているんですか」
それは、フローレンス様と二人だけで盛り上がってからすぐのこと。庭の花を見に行こうと誘われてもちろんと頷いた私を心配して、テオ様がついてきてくれた日。
領地でも毎日、散歩を欠かさなかったというフローレンス様について行けるかどうかは、正直に言えば不安だった。
結果として、一般的な令嬢よりも体力があったらしい私は、自分が思っていたよりも余裕を残して庭の散策を終えた。机にかじりついていたとはいえ、朝から晩まで働いていたからかもしれない。
その時のことを、テオ様はまだ悔しく思っているみたいだ。フローレンス様が少し煽ったからだろうけれど。
イングライト侯爵家の使用人と一緒に別の仕事をしていたシンシアに話したら、珍しく笑っていた。私がついて行けたのは当然と言わんばかりに誇らしくしていたのに。
「体を動かすのは、頭もすっきりするしいいことですよ。明日から、頑張りましょう」
「そう、だな。父上に負けたような気持ちになるが……」
「私は、テオ様と一緒にお散歩が出来れば嬉しいですよ」
「また君はそうやって……」
降参だ、と言わんばかりに軽く手を挙げたテオ様が、そのまま私との距離を詰める。鼻先がくっついてしまうほどに近付いたテオ様の顔は、やっぱりとても綺麗だ。
静かに目を閉じれば、優しい感覚が唇に伝わってくる。一日に一回は必ずこうやってキスをしてくれる。私が慣れていないと分かっているからそんなに頻繁ではないけれど、毎日欠かさずに好きだという感情を伝えてくれる。
「リリィ、顔が真っ赤だ」
「誰のせいだと思っているんですか」
「僕だな」
二人で向き合って笑う。吐息がお互いに伝わる距離は、きっとこれからも離れることはないだろう。




