23.宝物の言葉
「ねえ、私にも見せて」
「しょうがないなあ。ほら、ここ座りなよ」
「ありがとう!」
こんなに穏やかな日々を過ごせるようになるなんて、想像もしていなかった。クローリー伯爵家にいた時の私は、ただ必死に家族のためと言いながら、自分の事を認めてもらいたがっていたから。
もし、過去に言葉を送ることが出来るのならば、こう伝えよう。
「あ、お母様!」
「アンネマリー、ジークハルト。何を見ているの?」
テオ様の色を継いだのは、長女のアンネマリー。青い髪はお父様と一緒だと喜んで伸ばしている。くるくる変わる表情を彩るのは、水色の瞳。
ジークハルトは私の髪色と、テオ様と同じ瞳。アンネマリーが活発だからか、ジークハルトは姉のフォローに回る機会が多くなってしまった。弟なのに落ち着いて見えるのは、それが理由だろう。
お父様のようですね、という褒め言葉をもらうことが一番多いけれど、本人はそれがまんざらでもない様子だ。
「お母様、こちらに座って!」
「分かりました。それで、何を見ているのか教えてくれるかしら?」
「これです! 父上と母上のお写真です!」
ジークハルトが表紙を見せてくれる。シンシアの手で飾り付けられた冊子には、どの写真にも写っている人がそれぞれで一言を残している。だからだろうか。その冊子を開くとまるで、当時に戻ったような気持ちになれるのは。
そして時間を置いてから見ると、あの時、あの人はこんなことを考えていたのかという新たな発見にもなる。提案をしてくれたテオ様に感謝だ。
「懐かしいものを見つけたわねえ……」
冊子の拍子を撫でると、ざらりとした手触りが伝わってくる。そうだ。この頃の製本技術はまだまだ粗削りで、それでもうちで始めたものだからと、テオ様が職人を巻き込んで日夜改良をしていた。
おかげで私も随分と紙の見る目を養われたものだ。その分、今は紙を作る技術ではこの国で一番だと胸を張れるけれど。
「でも、当時は貴重なものだったのでしょう? よく残っていましたね」
「たぶん、お父様が頑張ったのよ。お母様の事、あーんなに大事にしているんですもの」
女の子の方が精神的に成長するのは早いと聞くが、どうやら本当のようだ。アンネマリーは長女だし、うちは男女どちらでも家を継ぐ権利があるから、一足先に勉強を始めたというのもあるかもしれないけれど。
「母上」
「なにかしら」
アンネマリーの言葉にきょとんとしていたジークハルトは、少しだけ考えるそぶりを見せると、ひとつ頷いた。きっと、自分のなかで決めたことがあるのだろう。すぐにそう思えるのは、ジークハルトは素直に感情を表現する子だからだ。
「僕、もっと頑張ります! アンネマリーにも、父上にも追いつけるように!」
「あらあら。ジークハルトはもう頑張っているわよ」
そっと頭を撫でると、嬉しそうにふんわりと笑うジークハルト。普段はテオ様の真似をしているみたいだけれど、こういう姿は歳相応だ。
ジークハルトの様子を見ていたアンネマリーがすすっと近づいて来たので、こちらも頭を撫でておく。二人とも、子供特有の髪の毛の柔らかさがまだ残る年頃。そして、まだまだ甘えていて当然の年だ。
「それに、アンネマリーも。お母様が二人の年の時には、こんなにお勉強していなかったわ」
アンネマリーがもう一つ歳を重ねた頃にはお父様から執務を教えられたくらいだとは思うけれど。それは、この子たちに伝える必要はない。私のような思いはさせたくないし、させるつもりもない。
自分からやりたいと言ってきたから始めた当主としての勉強だって、テオ様ももう少し後からでもいいと言っていたくらいなのだから。
「リリィ。ここにいた……二人も一緒か」
そのまましばらく写真を見ながら子供たちと話していたら、少し焦った様子のテオ様が顔を出した。
今日は領地についての報告で王城に上がると聞いていたから、こんなに速く帰ってくるはずはないのに、何かあったのだろうか。
「テオ様。おかえりなさいませ」
「ただいま……ってそうじゃなくてだな。君が病院に行ったと聞いたが?」
そうだった。ここしばらく、起きた時に気分がすぐれない日が続いていたから、念のためとお医者様に診てもらったのだった。テオ様が心配してくれていたのには気づいていたから、一応使いを出して問題ないと伝言を頼んでいたのだけれど。
まさか、それを聞いて戻ってきてくれたのだろうか。領地についての報告はたくさんあったはずなのに。申し訳ないと思った私が謝罪を口にするよりも早く、子供たちが動いた。
「え!? お母様どこか悪いの?」
「引き留めてしまってすみません! 早くお休みに……」
私の手から素早く冊子を取ったアンネマリーは、ジークハルトに目配せする。それを受けたジークハルトは、私を寝室へ案内できるようにと立ち上がって部屋のドアを開けに行こうとしている。
我が子たちながら、流れるような動きにさすがだと心の中で称賛を送ってしまう。テオ様の効率よく無駄のない動きを普段から見て育つと、こういうことが自然と出来るようになるらしい。
早く早く、と私の手を取るジークハルトに、そっと手を合わせる。意図を読み取れなかったのだろう、また首を傾げたジークハルトを見て、テオ様とアンネマリーも不思議そうな顔をした。
「心配してくれて、ありがとう。大丈夫よ。
……弟か、妹が増えるわ。たぶん、庭の花が咲く頃に」
最後の言葉だけは、テオ様に向けて。庭の花は、あの日、私がアンティケードを離れる時に持ってきたものだ。子供たちはどの花かは、まだ知らない。
三人とも同じ動きで庭を見たので笑ってしまったのがよくなかったらしい。ふくれっ面したアンネマリーとジークハルトにベッドに強制連行されてしまった。
「三人とも、動きがそっくりだったんです。さすが、親子ですね」
「それを言うのなら君もだろう。子が出来たと言ってきた時の表情は、さっきの子供たちと同じだ」
「私、あんなにかわいらしくないですよ」
縛られるのは止めよう、と思ったのはいつだっただろうか。それでも時折、こうしてあの頃に残った欠片が棘のように現れる。
子供が出来たと分かって少し、気が緩んでいたのだろう。しばらく口にしていなかったそれを言葉にした瞬間に、テオ様がにやりと笑ったのが分かった。
「言っただろう。僕にはとてもかわいらしく見えるのだと。
……リリィ。それを言ったらどうするんだったかな?」
「今、それを出すのですか。本当に、テオ様はずるい方です」
「それも言ったな。僕は、ずるい男なのだと」
思う事を止められないのだったら、それを口にしたらペナルティがあればいいのではないかと提案してきたのはテオ様から。
罰があると思えば自然と口にすることは無くなるだろうという目論見は、見事なまでに効果があった。おかげで口にするどころか考えることも減ったのだから、その点は本当にありがたい。
ありがたい、けれども。
ペナルティと称してスキンシップを求めてくるのは、どうかと思う。まあ、私がその手の言葉を口にした瞬間に、人目があろうと何だろうとお構いなしに手を握ったりぎゅっと肩を抱いたりしてくるものだから、恥ずかしさに負けた私が考えられなくなった、という方が正しい。
婚約者から夫婦となり、そして親になったというのに、いまだにスキンシップを取るときには少し緊張する。そして、テオ様はそんな私の様子を見て笑うのだ。とても、幸せそうに。
「リリィ」
「なんですか」
お互いの吐息が肌をかすめてくすぐったい。くすくすと笑うとそれもまた、くすぐったくて。
「僕は、あの頃の君にかわいげがなくて良かったと思ってる。
そうでなかったら、僕は君に出会えなかった」
「……それを口にしたら、どうするんでしたっけ?」
嬉しい。今、私の顔は絶対に赤い。それを隠すように、誤魔化すようにいつも私がそう言った時のテオ様の言葉を、同じように返す。
それでも余裕がありそうなテオ様に、少しだけ意地悪をしたいという気持ちがむくりと湧き上がる。たまには、良いだろう。
「っ!」
いつもは降ってくるキスを、今日は私から。だって、今の言葉は私の中でずっとキラキラ輝く宝物になったから。
真っ赤に染まったテオ様の顔を見て、私はにっこりと笑う。それが挑発だと取られたのか、私の小さな悪戯は思っていた以上に大きくなって返って来てしまったけれど。
ゆっくりとお腹を撫でるテオ様の手は、温かい。私を見て水色の瞳がゆっくりと細くなる。そうして、今度は静かに唇を合わせた。
「リリィ。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。テオ様」
かわいげがないと言われましたが、私は今とても幸せです。
こちらで一区切りです。お読みいただきまして、ありがとうございました!




