21.お茶会と新たな関係
テオドール様に無理を言ってあらかじめ情報を詰め込んだのに、焦っていた私にはそもそもの前提が抜けていた。
婚約者のご両親に挨拶をする作法、どうして学んでおかなかったのだろうか。
しばらく領地にかかりきりになりそうだと聞いていたから、時間は出来たはずだったのに。そこで早めに学ぼうという考えが浮かばなかったのだから、浮かれていると怒られても頷くしかない。
「この場には私達しかいないから、楽にしてくれていいんだよ」
「お心遣いありがとうございます。甘えさせていただきます」
イングライト侯爵――テオドール様のお父様は、先ほどあった時よりも少し楽な服装に着替えている。それでも皺ひとつないスーツを着ているのだから、さすがとしか言いようがない。
ただ座ってお茶を飲んでいるだけなのに、この場所の雰囲気もあってか一枚の絵画を見ているような気分になる。
「改めて、自己紹介させてもらおうか。
私は、チェスター・イングライト。侯爵として、この国の北の領地を預かっているよ」
「フローレンスよ。テオがこんなにも素敵な婚約者を連れてくるなんて、思っても見なかったわ」
「母上、なにを……」
この場がテオドール様ではなく、私のために作ってくれたのだと分かっているからか、最初は耳だけ傾けてお茶を楽しんでいたのに。自分の名前が出たとたんに、テオドール様は慌ててお茶を置いた。
カチャンと小さく鳴った陶器の音は、思っているよりもよく響いた。
「あらあら。自分で言っていたじゃないの。同じくらいの会話ができる令嬢がいないって」
「そ、それは……」
私から顔色を隠すようにふいと横を向いたけれど、テオドール様の耳が赤くなっているのが良く見えるようになっただけだ。
しっかりしているし、実際に私よりもてきぱきと執務を捌く姿は尊敬しているけれど、こういう姿を見るとなんだか、かわいらしいという気持ちを抱いてしまう。
「それよりも、私はあなたのことを知りたいわ。ねえ、リリアーナ様。テオの隣は、負担じゃないかしら」
首を傾げたフローレンス様に合わせて、金髪が揺れる。細められた水色は月のように見えるし優しい光をたたえているのに、見せない裏側があるのではとつい構えてしまう。
ぎこちなく肩を揺らした私に、テオドール様はそっと手を添えてくれた。テーブルの下で握られた手から、なにか力でも流れてきているのではないだろうか。テオドール様の手が触れただけでそう思えるのだから、自分のことながら単純だなと笑ってしまう。
「改めまして、ご挨拶を申し上げます。リリアーナ・クローリーと申します。隣国、アンティケードにて伯爵位を預かっておりました。今は、ただのリリアーナでございます」
私の事は当然、調べているだろう。一人息子で侯爵令息の婚約者が素性知らずの女だなんて、何かあったら侯爵家が社交界で笑いものにされてしまう。
だからといって、今のわたしにテオドール様の隣がふさわしいと言えるほどの実績など、ないけれど。
これは、ただの虚勢だ。テオドール様の手の温もりだけで胸を張る、自分に何の自信もない私が出来る、精一杯の。
「このような場で口にできる話題ではございませんが、私には令嬢としての教養が欠けています」
今の私を形作るものを、全てご両親に聞いてもらう。隠したところで、いずれ綻びが出てしまうだろうから。
それに、こんな私だと分かっていて選んでくれたテオドール様に、嘘をつくような真似はしたくない。
「話題の歌劇は知らず、食の流行も追えません。刺繍の腕はそれなりですが、手が早いわけでもパターンの造形に独自性があるわけでもありません。かわいげのない、女性としては足りないところだらけです」
きっとロザリーだったら。もう、会うことはないだろう義妹を思い浮かべる。あの子のように男性を楽しませる会話は出来なかったし、流行を熱心に追いかけて学んでもいない。一度だけ見たハンカチから察するに、刺繍の腕はたぶんどちらも微妙。
それでも男性の隣に立って華があるのは、やはりロザリーだから。もう、記憶の中にしか姿がない義妹を、今更ながらすごいと思った。
「テオドール様に選んでいただいたのですから、もちろん努力を怠るつもりはございません。ですが、他の令嬢のようなこれまでの積み重ねは、ありません」
「リリアーナ……」
「もともと、出来ないことだらけなのです。隣に立ってご指摘があるのは当然なのですから、それを負担だなんて、思いません」
伯爵家と侯爵家では、家の名前の重みが違う。これから、テオドール様の婚約者だと話が広がっていくにつれて見られる目だって変わってくる。
私だって分不相応だと思っている。けれど、この家で共に時間を過ごすうちに、テオドール様の隣で私以外の女性が書類を手伝ったり、日々の他愛ない会話をする姿を想像して、胸にもやっとした感情が広がったのも事実。
「どうぞ、これから厳しくご指導くださいませ」
頭を下げると、テオドール様の手に力がこもったのが分かった。隣を見れば、小さく頷くテオドール様。幼い頃からそうあろうとして自身を厳しく律してきたのだから、テオドール様が私に付き合う必要なんて、全くないのに。
「あなた、テオドール」
「ああ」
「?」
私の言葉を、静かに聞いていてくださったフローレンス様が口を開く。ただ、名前を呼んだだけだ。それなのに、チェスター様は何もかもを承知したとばかりに席を立つ。テオドール様の肩を掴んで、共に行くのだという意味なのだろう。同じく名前を呼ばれたテオドール様は、意図を読めずに首を傾げていたけれど、チェスター様の勢いとフローレンス様の笑顔に負けたのか、ゆっくりと手を解いてから立ち上がった。
「リリアーナ様」
行ってらっしゃいと優しく男性二人を送り出したフローレンス様が、私の名前を呼ぶ。先ほどまでの様子を見ていたから、私は何を言われるのだろうか、ちゃんとにフローレンス様の思う通りの行動がとれるだろうか、なんて考えが巡って動けない。
「そんなに構えないで、と言っても無理よね。少し、お話ししましょう?」
合図を出すと控えていた使用人が新しいお茶を淹れてくれる。ふわりとオレンジのような香りが漂う。進められて口をつけると、ほのかに甘いけれど後味はオレンジみたいにさっぱりとしていた。
「まずは、テオドールの婚約者になってくれてありがとう。父親の真似をしているのに、感情表現は得意じゃないのよ」
「少し、分かります。テオドール様は言葉も、飾りませんから」
冷静、侯爵子息として優秀。だけど、近寄りがたい。そういった評判は交流会の時からすでにあった。遠回しな表現を嫌うから、思ったことを割とはっきりと指摘する。それは、仕事の面では重宝されるのかもしれないが、貴族としての交流では場合によって敵を作る。
テオドール様本人もそれを分かっているからこそ、あまり交流の機会を作らなかったようだけれど。そう考えたら、あの日に出会えたのは本当に幸運だったのだろう。テオドール様の目に、止まったことも。
「分かってくれて、嬉しいわ。侯爵夫人として失格かもしれない。けれど、あの子を理解してくれるパートナーに出会えることを、ずっと願っていたのよ」
目元をほころばせるフローレンス様は、ただの母としてテオドール様の幸せを願っているのだろう。そう思える笑顔に、私の母は今の私の姿を見てどう思うのだろうか、なんて考えが浮かんでしまう。
こちらに来てから家族を思い出す時間はどんどんと少なくなっていたというのに、今日はどうしてもあの時、私が必死に手を伸ばした存在がちらついてしまう。
「私で、良かったのでしょうか」
「テオが選んだ人を、私達がどうこう言う理由はないわ。さっきの質問は意地悪だったわね。許してもらえるかしら」
「そんな、頭を下げていただくことなど……! 私に足りないものが多いのは、事実なのですから」
流れるように椅子から立ち上がり、謝罪をするフローレンス様の目線に合わせるように、慌てて床に膝をつく。とはいってもここは毎日、使用人がきちんと掃除をしている部屋で、テーブルの下には床が傷つかないように毛足の長い絨毯が敷かれているから、私の膝にはドレス越しにふんわりとした感触だけが伝わってくる。
そのままフローレンス様を見上げれば、きょとんとした水色の瞳と目が合った。テオドール様が時々見せる表情に似てるなあと思うのは、さすがに親子といったところだろうか。
しばらく見つめ合ってしまったけれど、少ししたら笑い声が降ってきた。ゆっくりと座り直してから、冷めてしまったお茶を飲む。
「呼ぶことに無理強いはしないわ。でも、私の事も母だと思ってくれないかしら」
進められた焼き菓子に手を伸ばした時に告げられた言葉を理解するのに、少し時間がかかってしまった。
出来ることなど少ないと言ったばかりの私をそう思ってくれるなんて、都合のいい夢を見ているのではないか。
焼き菓子を摘まもうとした手を引っ込めて、膝の上でぎゅっと握る。
「お……お義母様と、お呼びしても、よろしいのでしょうか」
「もちろんよ。私、娘が出来る日をずっと待っていたの」
戻ってきた二人が、この短い間で距離を縮めた私達を見て首を傾げるのは、もう少し後の話。




