18.名前のついた感情
「私と、一緒にですか?」
「ああ。君が一緒でなければ、意味がないからな」
ある日、いつもよりも硬い表情のテオドール様から切り出された一言。
気乗りしていない様子ではあるから、私に声をかけるのも渋々、といったところのようだ。
こちらに来てからそれなりに時間が経っているし、令嬢からのお茶会には少しだけ参加をしている。けれど、公式行事に顔を出していない私は、正直に言えばあまり知られていない存在のはずだ。
そんな令嬢を伴って出席しなければならない場など、ある程度の予想はついてしまう。テオドール様だったらきっと、私の事を考えて申し訳ないと思ってくれているのだろうとも、簡単に予想はつく。それくらいの時間は、共に過ごしてきたつもりだ。
「お役に立てるのであれば、何なりとお申し付けください」
「だから、そういうところが……まあ、今はいい。では一週間後、あるパーティーに共に出席して欲しい」
やはり予想は当たった。婚約者のいないとはいえ、テオドール様が華やかな場に出席するときにエスコートする相手がいないようでは、あらぬ噂が流れてしまう。
これまでは、どう対応していたのだろうと疑問が浮かんだけれど、それを口に出すのはどうしても出来なかった。
テオドール様の隣に見知らぬ女性がいるという姿を、想像したくなかったのだと思い当たったのは、ずいぶん後になってからだったけれど。
「もちろんです。けれど、そのような場で私が役に立てることがありますか」
「ああ。だから声をかけている。君には、私のパートナーとして出席してもらいたい」
パートナー、そう聞いた瞬間に言葉を失ってしまった。どう反応を返すのが正解なのかも分からない。反応を、返すことが正しいのかすらも。
エスコートをする姿を見て周りがどう思うか、なんて考えまで及ばずに自分の感情だけで答えを予想していた私には、返事をする権利があるのだろうか。
「あの……」
その先が、上手く言葉に出来ない。言わなければと思えば思うほどに、声を出すというのはどうやるのだったかと焦りばかりが生まれて、言葉になろうとした音が消えていく。
テオドール様との間に、沈黙が落ちる。目の前で揺れるお茶の湯気が水色の輪郭をぼんやりさせているのに、私を捉えている事だけはしっかりと伝わってくる。
答えを、返さなくては。
「一度引き受けたんだ、答えを覆すような真似はしないだろう?」
にっこり、そう言葉にできるほどの綺麗な笑顔を見せるテオドール様が、逃がさないという文字を背負っているようにすら見える。
確かに私は一度、役に立てるなら何なりととは言った。言ったけれど、パートナーとは誰が想像していただろうか。夢を見たことがない、とは言い切れない。このお屋敷で過ごすうちに、日々の会話の中に、種をまかれた感情は確かにある。
「テオドール様、ですがそれは……」
「私は」
私が全てを言い終わる前に、テオドール様の言葉が遮った。家のなかであろうとも息をするのと同じくらい当たり前に、侯爵令息としての完璧なマナーをもって生活しているテオドール様が、そのような真似をなさるなどない。
私に最後まで言わせないようにしたのだと、そう思うのは当然だろう。断るのを聞きたくなかったのかも、と思うのは私の願望。
「君がいいと思った。だから、誘った。その期待を裏切ることも、しないだろう?」
「本当に、その言い方はずるいです」
「言っているだろう。僕はずるい男だからな」
わずかに口角を上げて笑うテオドール様は、私の答えに満足したようだ。そう言われたら私が断れないのを分かっていて聞いてくるのだから、本当にずるい。
「では、一週間後に。君は普段通りに過ごしてくれたらいい。ああ、茶会の予定はないな?」
「はい、ございません。手紙のやり取りは何通かございますが、そちらはよろしいでしょうか」
「この件について書かないのであれば、構わない」
これからの予定をすり合わせてから、テオドール様は席を立った。朝食でお互いの予定を確認するのが習慣のようになっているとはいえ、これほどまでの大役を担うのは初めてだ。
準備に時間がかかるのは当日の装いについてだと思うけれど、心配することはないと言われたのでおそらく、すでに手配は済んでいるのだろう。
元々、私に断れる余地などなかった。それでも引き受けると言ったのだし、テオドール様に恥をかかせることのないようにしなければ。
その日の夜、シンシアに相談をした。さすがにもう連絡が伝わっていたようで、今後のスケジュールは当然のように把握されていた。
「テオドール様が言ってくれたの、期待を裏切るようなことはしないだろうって」
嬉しかった。そう言えば断られないと私の性格を理解してくれていることも、期待を寄せてくれたことも。
「それって、私だったら、その役目を全うできると思ってくださっているのよね」
シンシアは、何も言わなかった。ただ、髪を梳かしてくれる手がいつも以上に丁寧だったのが、答えだと思う。
やって当然、ではない。やってくれると期待されることがこれほどまでに嬉しいのだとは知らなかった。テオドール様は、私に知らない感情を教えてくれる。役に立ったと思ってもらえるために身に付けた知識が感謝される日が来るなんて、考えもしなかった。充実している日々が、役に立てる満足感があるなんて。
だから頑張ろうと思って睡眠を削ってしまい、苦笑いをされてしまうわけなんだけど。
「明日からも頑張るわ。だから、力を貸してね」
「もちろんです。私は、リリアーナお嬢様付きなのですから」
パーティー当日。いつもより早起きをして、シンシアだけでなくイングライト侯爵家の使用人の手も借り、綺麗に飾り付けてもらった。テオドール様にはどう頑張っても敵わないけれど、それでも隣に立つのに相応しいと思ってもらえるように。
「……見立てに問題はなかったようだな。窮屈ではないだろうか」
「いえ、その……とても着心地がいいです」
用意されていたドレスは、深みのある青から水色にグラデーションのついた色合いで、裾はすっとしぼめられている。イングライト侯爵家の使用人から、これは最近になって世に出始めたドレスの形なのだと教えてもらった。細身の女性のスタイルを、より美しく見せるのだと言われて緊張しながら裾を通したけれど、恥ずかしい結果にならなくて何よりだ。
間違いなくテオドール様の色なんだけれど、それを指摘する人など誰もいない。それどころか、このドレスの存在を知っているだろう誰もから、微笑ましいものを見るような目を向けられている。
「よかった。では、行こうか」
手首までを水色の薄いレース地で覆った袖には、金の糸で刺繍が施されている。それが、誰の色なのか、とは聞かなくても分かってしまう。勘違いするな、と言い聞かせてここまで来たけれど、エスコートのために差し出されたテオドール様の手が、大事そうにその刺繍を撫でるから。
真っ赤に染まっただろう自分の顔を見せたくなくて、少しばかり俯いてしまう。
「リリアーナ嬢?」
「いえっ! あ、申し訳ありません。はしたない声を……」
「今日は無理を言ってすまない。緊張しているだろうが、どうか私に合わせて欲しい」
踏み出せなかった一歩を、緊張だと勘違いされたようだ。確かに緊張はしているけれど、それはパーティーに向かうというよりも、むしろこのテオドール様の隣に立つのかという感情の方が強くて。まさかそんなこと、本人を目の前にして言えるはずもなく。
一見、黒のように見えるテーラードジャケットは光の加減で紫が映える。同色のスラックスには、水色と金の線が一本ずつ、裾で絡みあるようなデザインになっている。深い青で彩られた襟元の刺繍に、差されたアスコットタイは水色で、中心にイングライト侯爵家の意匠を施した銀が光る。
ここまで合わせておいて、一緒に入場するのだから誰の色かなんて、問われるまでもないだろう。
ドレスに着られているような私と違って、見事に自分の物にしているテオドール様の姿を見ながら馬車に揺られていたのだ。道中の会話を覚えていなくても、仕方ない。
テオドール様の体温を感じながら会場に入ると、不躾ではないけれど確実に視線を集めているという感覚があった。
思わず手に力を入れてしまい、ジャケットに皺が寄ったのを見て慌てて手を緩める。すると逆にテオドール様の方からぎゅっと力を入れられて、それ以上動かすことが出来なくなってしまう。
「テオドール様……?」
「笑って、リリアーナ嬢。言い忘れたが、今日のドレス、とてもよく似合っている」
少なからず感情を自覚している相手から、至近距離でそんなことを言われたらどうなるか。私の顔は、きっと今熟れた林檎のように真っ赤になっている。何も言えず、体も動かさない私を見て、頭上から降ってくるのはこらえきれなかったクスクスという小さな笑い声。
「本当に、ずるいです」
「何度も言っているだろう、僕はずるい男なんだ」
図らずも入り口で注目を浴びてしまったが、テオドール様は何もなかったような顔をしてパーティーの主催者に挨拶へ向かう。もちろん、私を伴ってだ。
簡単な挨拶とお互いの紹介、それから雑談。パーティーでよく見かける光景だ。それでは、と話を切り上げた時にテオドール様に向かって何かを耳打ちしていたのは、私に聞かせられない執務の用件でもあったのだろう。テオドール様が重々しい雰囲気で頷いていたし。
「まあ、あの方は」
「イングライト家の……」
「では、隣の女性はやはり……」
パーティーのざわめきに紛れ、私達の事が話題にあがる。テオドール様がパーティーに女性を伴ったことは、どうやらほとんどないらしい。それなのに今回は私の存在が少し噂になっていたし、お互いの色を纏っている。邪推するには十分すぎる材料が揃っているわけだ。
パーティーの主催者には申し訳ないことをした。どのような集まりだったのかまで教えてもらっていないけれど、別の話題を持ってきたのは確実に私達の方だ。
美しく並んだ軽食が半分ほどになり、ダンスを促すような音楽に変わり始めた頃。そろそろパーティーもお開きのタイミングのようだ。そういえばちらほらと、ホールに向かう姿が見え始めた。
事前に学んだからある程度の人の顔は認識できていたし、なによりテオドール様の隣を離れていないため、その場で理解できたことも大きい。
向かっていた馬車で感じていた緊張は、だいぶ解れていた。ここまで来たら、もう何もなく帰れるだろう。そう、気持ちに余裕すら感じ始めたのが間違いだったのかもしれない。
会場に入ってからずっと離れなかったテオドール様の手がするりとほどける。
途端に感じたのは、わずかどころではない冷たさ。ずっと隣で感じていた温もりは、あっという間にひとり分の距離ほどに離れてしまった。
何か粗相をしてしまっただろうか、混乱する私の前で、テオドール様が跪く。その姿にますます混乱して、呆然と立ち尽くしてしまった。
「場を騒がせることを、お詫び申し上げる」
静かな声は、パーティー会場に良く通る。いつの間にか音楽は止まり、人々のざわめきも徐々に静まっていく。足音や衣擦れさえ聞こえない、無音の空間の中心に、私達はいる。
「この場にいる皆に、証人となってもらいたいことがある。どうか、見守っていてほしい」
いつもと変わらないように見えるテオドール様の表情に、いつもと違う色が見える。それはきっと、緊張と呼ばれる感情。周りに問いかけるような言葉は、普段よりも弱々しい。
一体何を言われるのだろか、こんな大勢の前で。私がこの国にふさわしい人材ではないから、アンティケードに戻ってほしいと言われるのかもしれない。この場でそこまで言われて居座れるほど、私は図太くないから。
けれど。けれど、私を見上げるテオドール様の瞳には、そのような冷たい感情を感じられない。そのまま見つめていると、長めの瞬きをしたテオドール様が、意を決したようにまっすぐ私を見つめてくれた。
「リリアーナ・クローリー伯爵令嬢。どうか、私の婚約者になってくれないだろうか」




