16.花は静かに咲く
あの日、渡された資料は大変に役立った。
テオドール様から聞く、この国の貴族同士のパワーバランスはもちろんのこと、私の事を聞きつけた令嬢からお茶会の招待状を頂いたときの立ち回りまで。
派閥があるとは知っていたけれど、アンティケードではお茶会に参加することはほとんどなかったので、実際にどうやって過ごせばいいのかの経験はなかったから。
「私、またお話を聞かせていただきたいわ。今度はぜひとも我が家においでくださるかしら。花もちょうど見頃を迎えているの」
「ありがとうございます。花の盛りが過ぎないうちに、ぜひ」
貴族らしい言い回しにようやく慣れてきたと思っていたけれど、幼い頃より会話を磨いてきた令嬢たちには到底敵わない。もちろん努力を怠るつもりはないし、いつかはお茶会が終わってからテオドール様と答え合わせをしないで済む日を迎えられるようにしたいと思っている。
「ああ。その令嬢なら断っておいて正解だ。以前、ちょっかいを出してきたからな」
「私、断ってしまったのですか?」
気候は似ている。隣国なのだから当然だ。けれど、私は花が咲いていることを知っていても、その見頃や時期などについての知識はない。
せっかく庭師が整えていてくれたのだから、もっとゆっくり眺める時間を作っておけばよかった。いつだったか、テオドール様にそうやって漏らしたことがある。次の日から、勉強の合間の息抜きには毎回、庭の散策とともに花の種類をひとつ覚えるという流れになっていた。
「よくある断り文句だから、気にしなくていい。こちらに来てから日の浅い令嬢を、そう何度も茶会に招く方に非がある」
「……申し訳ございません、テオドール様」
「何を謝ることがある」
一緒の屋敷で過ごすようになって、ふた月ほど。行く先々で、冷静で感情をあらわにしない人だという評判を聞くけれど、テオドール様をよく見ていればそうではないと分かるはずなのに。
私が謝ったことで、テオドール様は慌てている。何をそんなに、と思うのは私がお茶会の場での自分の受け答えで、テオドール様に余計な手間をかけさせてしまったのではないかと考えたからだ。
「お世話になっている身ですのに、お茶会での受け答えも満足にできなかったので……」
「先ほども言ったが、それは君に非はない。すべてを隠さずに話そうとしてくれることに、むしろ感謝をしている」
「感謝、ですか?」
私が謝っていたはずなのに、どうして感謝されているのだろう。お茶会の時の会話を思い出してみたけれど、理由が本当に分からない。
「イングライトを通さず、君だけの人脈を築いてもいいのに、そうとしない。それだけで、十分に助かっている」
「それでしたら、今後もそのように」
迷惑になってなくて、テオドール様の邪魔にもなっていないのだったら、この時間はとてもありがたい。
伯爵家にいた時には、このような穏やかな会話をする時間なんて、ほとんどなかったから。相手の話を聞いてくれること、自分の話をしても怒られないことがこんなにも心弾むひと時だったなんて、すっかり忘れてしまっていた。
願わくば、テオドール様も私と同じように感じてくれているのだと思いたいくらいに、充実した時間。
「さて、リリアーナ嬢。ひとつ君に頼みがある」
「私にできることでしたら、何なりと」
「内容を聞く前から、そのような返事をするものではない。だが、今回はそう言ってもらえると助かる」
フォンティエールでは女性も働くことが出来る。そう聞いていたから、私は知識を得ることよりも、周りとの関係を築くことを優先した方がいいとアドバイスを受けた。もちろん、テオドール様のお母様からだ。
私がやって来たことを聞いて、急いで戻る算段を付けてくれているようだけれど、領地は遠いうえにたまにしかやって来ない領主に会いたいと毎日、領民がやって来るそうだ。無下にすることも出来ずにもうしばらく戻れない、という旨が残念というだけでは足りない言葉がびっしりと書かれた手紙が届いたのは少し前。
そうしてお茶会に少しずつ顔を出し始めた私を、テオドール様の婚約者じゃないかという噂が流れ始めたのも、同じ頃。
「耳にしていると思うが、婚約者だという噂が密かに流れていてね。私の耳に届いた時点で、密かにではないのだが」
あ、怒っている。出さないようにしているけれど、声色がいつもと全然違う。そういう違いを見つけられるくらいには、テオドール様の事を知ることが出来たのだと嬉しくなる半面、私が気づくくらいに怒らせたのは一体誰なんだろうと自分じゃないのに背中に冷たいものを感じてしまう。
「この件については、追って連絡をする。しばらくの間、家の中で過ごしてもらうと思うが……」
「それは構いません。まだ、このお屋敷のなかを覚えきれておりませんので、そちらに集中させていただきます」
「すまない」
今まで、女性の影もなかったところにぽっと出の私がお屋敷にいるようになったのだったら、それはもちろん噂の一つや二つ、簡単に流れるだろう。テオドール様は、婚約者のいない有力貴族なのだから。
今後、どのような対応をするのかはこれから決めるのだろうし、そこに私が口を挟む余地はない。けれど、この穏やかに会話できる時間が終わってしまう、と思うと少しだけ残念な気持ちになった。
「実際に歩いてみると、とても広いわね」
「ええ。さすがに、私も少々迷ってしまいます」
「少々、なのはさすがだわ」
シンシアと二人、イングライト家の敷地内を散歩として歩くこと数日。ようやく、お屋敷の配置を掴めたのではないかと思う。それでも行き先を指定されたら、初日にテオドール様からいただいた屋敷の見取り図なしにたどり着くことは出来なさそうだ。
すれ違う使用人は、私の顔を見ると朗らかに挨拶をしてくれる。毎回嬉しいけれど、忙しそうにしている人の手を止めてしまうのに申し訳なくも思う。
「リリアーナお嬢様?」
「いえ、少し……この家の構造なら、もっと効率良く出来そうなところがと思っただけよ」
「それなら、詳しく聞かせてもらいたいな」
いきなり背後から聞こえた声に、どきりと心臓が跳ねる。さっと礼を取れたシンシアはさすがとしか言いようがない。
「テオドール様! 申し訳ございません」
「何を謝る必要が? 君が思ったことを教えてもらいたいと願ったのはこちらの方だ」
この間も同じような言葉を聞いたな、なんて思い出したけれど、テオドール様はそれほど気にしてもいない様子だ。それよりも、私の独り言に興味を引かれているみたいだ。
「リリアーナ嬢」
こうして、名前を呼ばれるだけで体に緊張が走る。それは決して悪い意味ではなく、私はこの人の期待に応えられるのだろうかという緊張。
けれど、そんな私の気持ちを知らないテオドール様はそっと近づいてくる。そして、真剣な色を帯びた水色が私を捉えた。
「君が、あの国で得た知識は、力だ。だが、君はそう思ってすらいないだろう」
その通りだ。だって、クローリー伯爵家で私がしていたことは、家族に認めて欲しかったからで、居場所を求めていたからだ。領民の疑問に答えられるようにと思っていた気持ちは嘘ではないけれど、純粋に力になりたいという思いからではない。全部、自分のためにやっていたことだ。
「だから、この家で暮らしている間に覚えるといい。あの時、馬車でオーレリアン殿下と話したように」
「オーレリアン殿下との話……テオドール様もご存じだったのですか」
「ああ。散々あいつから自慢されたからな……っと。ともかくだ。ここでは、思ったことを口にすることを我慢しなくていい」
あの時、迎えに来てくれた青年を私はオーレリアン殿下だと認識していなかったからこそ、馬車の中で何の気兼ねもなく話せたのだと思う。
同じどころか、それ以上の深い会話ができる相手だったというのも大きいけれど。だからこそ、あの馬車での時間はとても楽しかったと記憶している。
わざわざテオドール様にその話をしたのだったら、きっとオーレリアン殿下も楽しかったと思ってくださったのだろう。幼い頃からの仲だというお二人だから、それ以上の何かがあるのかもしれないけれど。
「だから、教えてくれないだろうか。リリアーナ嬢」
「そんな言い方、ずるいです。テオドール様」
「ああ、そうだ。僕はずるい男だからな。これからも君の知識を狙っていくとしよう」
もちろん、私に抵抗できる術があるはずもなく。
テオドール様の執務室で、家の見取り図にあれこれとメモを入れていき、使用人たちの配置を考えていく時間もまた、とても楽しいものだった。




