15.新たに根付く花
「ようこそ、リリアーナ嬢。フォンティエールへ」
馬車が止まった先にあったのは、我が家と比べるまでもなく立派なお屋敷。丁寧に整えられた広い庭には、訪れた人を歓迎するように鮮やかな花が咲き誇っている。
散策するだけでも時間を忘れてしまいそうな庭はつまり、イングライト家の力を示す一端だ。季節に合わせて花を揃えられるだけではなく、それを維持するだけの人手なども確保できていると教えている。
「歓迎するよ」
当たり前だけれど、エスコートをしてくださるテオドール様が表情を変えることはない。自分の家に帰ってきただけなのだから、もちろんと言えばその通り。
ここまで来て手がわずかに震えている私に、覚悟がなかったのかと言われているような気がしてしまう。ある程度の予想はしていたのに、テオドール様のお屋敷は想像以上だったというのは、言い訳になるだろうか。
「ありがとう、ございます……」
広大な屋敷、そこにある責任も全て当然のように受け止めているテオドール様のお姿を見て、ただ圧倒された私が返すことが出来たのはそれだけ。それなのにテオドール様は気分を害したそぶりも見せず、ずっと私の隣にいてくれたシンシアにも向き合ってくれた。
「シンシア嬢も、よくついてきてくれた。感謝する」
「私はただの使用人です。どうぞ、シンシアと。お嬢様が向かうと決めたら、それに従うまでです」
「分かっている。だが、寄り添える存在がいるだけで、リリアーナ嬢の気持ちが違うだろう」
「そういうことでしたら、喜んで」
令嬢として扱われたことに照れたのだろうか、いつも以上にシンシアの言葉が飾り気のないものになる。侯爵令息に向ける言葉遣いとしてはよろしくないのだろうが、どういうわけかテオドール様はそれを気に入っている様子だった。
こちらの国に渡る準備をしているときに、シンシアと何度かやり取りをしてもらったこともあったから、その時に二人での取り決めでもあったのだろう。シンシアから、テオドール様とのやり取りは大まかな説明を受けているし、二人が話しやすいのならそれでいい。もちろん、外向きではきちんとしてくれているという信頼のもとに成り立つ会話だというのは、誰もが理解しているから。
「今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい。明日は、この家の案内から始めよう」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
玄関ホールから最短の道を案内してくれたとテオドール様は言っていたけれど、クローリー伯爵家より構造が入り組んでいるこの屋敷は、道を覚えるだけでも時間がかかりそう。
用意してくれた部屋はもちろん広くて、シンシアの控室も今までよりもゆったり寛げそうな内装だった。
「お休みなさいませ、リリアーナお嬢様」
「あなたもね、シンシア。お休みなさい」
慣れない馬車での移動に今までの疲れもあってか、すぐに眠れるはずはないと思っていたのに、次に目を覚ました時には空はとても明るかった。
窓の外を見た瞬間に血の気が引いて、薄掛けを放り投げるように起き上がる。こんな時間に起きたら朝食どころか昼食まで抜きになってしまう。そう思ってからひと呼吸、自分がどこにいるのかを思い出した。
「そうだったわ……。私、家を出たんだっけ」
「おはようございます、リリアーナお嬢様。よく眠れたようですね。お食事のご用意は、いつでもお申し付けください」
「あ、ありがとう。シンシア」
今までと何も変わらないシンシアの様子を見て、だんだんと頭のなかがクリアになっていく。こんなにしっかりと寝たのは、本当に久しぶりだ。柔らかな花の匂いのする寝具に、ふかふかの感覚がとても優しくて、ついもう一度、と思ってしまうくらい。
なんとか誘惑に打ち勝って、シンシアと一緒に食事を取る。いつもだったら固辞されるのに、今日ばかりは仕方ないと笑って席についてくれた。
それから、テオドール様の仕事の折を見て家やこの国の事、そして隣といえど違う文化について学んでいく。地理や国の成り立ちは交流が必要な執務もあったから、ある程度は知識を得ていた。けれど、本で学ぶことのできない生活に密着した細やかなところは、すべてが新鮮だ。これからこの国で生活していく以上、間違っていてはいけない部分なので、慎重に学んでいる。
そんな日々を過ごしていたから、気がつくのが遅くなってしまった。
「……ねえ、シンシア」
「何でしょうかリリアーナお嬢様」
「私、この国の民になったのよね? これは、貴族の挨拶に必要なのではなくて?」
テオドール様から披露する機会があるから覚えて欲しい、そう言われて渡された資料にあるのは、フォンティエール国の貴族がずらりと並んだ一覧。
顔と名前が領地の特産などの簡単な特徴と共に、分かりやすく羅列されている。まとめてくれたのはきっとテオドール様なのだろうと思えるのは、本人を知らないと添えられないだろう一筆があったから。
そのような資料が必要になる機会が貴族以外であるとは思えなかったから、持って来てくれたシンシアに聞いてみた。
「ええ。フォンティエールの貴族となる令嬢として、迎えられておりますが……」
対するシンシアも、不思議そうに答えてくれた。今更な質問をした私に、珍しく驚いた表情を向けるから、ついじっと見つめてしまった。途端に焦ったような顔になったシンシアがまた珍しくて、今日は今まで見たことない表情ばかりしているな、なんて自分の発言が招いた事なのにどうしてか他人事のように感じてしまう。
「テオドール様からご説明がありませんでしたか? ただ、国を移動するだけでしたら、あのように書類を用意する必要はありませんでしたので、ご存じなのかと」
私の思い出せる範囲の記憶には、テオドール様からの説明があったかどうかをはっきりと認識できている会話はない。
国王陛下と王妃様と交わした会話は覚えているのに、身元保証人を引き受けてくださったテオドール様との会話を思い出せないなんて、なんという失態だ。
思い出すことが出来ないのなら、私に残された手段はひとつ。
「リリアーナお嬢様?」
「テオドール様に、確認してきます。今日は家で執務があると仰っていたわよね」
それが失礼であろうとも、テオドール様に直接確認をさせてもらおう。このまま、覚えのないままに貴族として扱われていることの方が失礼だ。
私は貴族ではなくなると思ってこの国に来たのだから、テオドール様のお屋敷に案内された時点で疑問を持たなければならなかったのに。それすら思い浮かばなかった私は、これから市井に放り出されても何の文句だって言えるはずがない。
「それで、そんなに急いで来たというわけか」
「はい……お時間をいただいて、本当に申し訳ございません!」
結果として、私は生まれ故郷であるアンティケードの貴族ではなくなったが、この国、フォンティエールに貴族として迎え入れられたことになっていた。
テオドール様から説明があったし、国王陛下からも同じようなお話があったはずだと言われてしまえば、ただ自分の理解のなさと覚えの悪さを恥じるばかりだ。シンシアのあの表情にも納得がいく。周りが理解していたのにもかかわらず、当事者である私だけがそうだとは分かっていなかったのだから。
「疑問に思ったことをすぐに解決しようとここに来たのだろう? その行動力を称賛こそすれ、責める気持ちなど僅かもないよ」
「ですが、私の理解が乏しいばかりに、お忙しいテオドール様のお手を止めてしまいました」
「ならば、ひとつ頼まれてくれないか」
お優しいテオドール様の事だ。私が申し訳なさそうにしているのを見て、少しでもと思ってそう言ってくださったのだろう。何を頼まれるのかも知らないうちに頷いた私に、本日二度目の驚きが待っていた。
「あの、テオドール様」
「なにかな」
「これは……」
「見ての通り、庭のガゼボに用意したティーセットだ。
……領地にいる母から、今朝手紙が届いてな」
イングライトのお屋敷には、ご当主であるテオドール様のお父様と、お母様が住んでいるとは説明があった。けれど、今は領地の視察に行っているから向こうひと月ほどは戻らないだろうとも聞いている。
そのお母様からのお手紙が届いた事と、こうしてテオドール様と私がお茶を楽しんでいる事に何の関係があるのだろうか。
「君を迎え入れることは、すでに両親ともに承知している。が、どうやら僕の行動は母に予想されていたようでね」
「はい」
ふう、とため息をつくテオドール様の表情は取り繕っているようだけれど、わずかに不貞腐れているような気配を感じる。それだけで、普段のこの家の様子が見えるようで微笑ましく思ってしまう。
「……ずっと勉強ずくめで気晴らしのひとつもしていないのだろう。そう書かれていてハッとしたよ」
当然のことだ、そう口に出そうとしたけれど言葉にする前に飲み込んだ。テオドール様がハッとしたと言うのならば、私のようにそれが当然と思っていたのに、そうではないと思い至ったのだろう。
そこから、こうして私を庭へと連れ出してくれた心配りを、否定するなど出来るはずもない。
「ありがとうございます。
……イングライト侯爵家のお庭は、とても素晴らしいですね」
「ああ。庭師が毎日、休むことなく手を入れてくれる、自慢の庭だ」
しばらく、言葉を交わすこともなくただ、庭を見つめる。風が運んでくる花の香りを邪魔することのないお茶、ほのかな甘さの焼き菓子。のんびりと楽しんでいるだけだったのに、ずいぶんと気持ちが軽くなった気がした。
「テオドール様」
「なにかな、リリアーナ嬢」
「私、この国で頑張りますね」
「……期待しているよ」
勘違いだったけれど、それは決して間違いではない。ひとつのミスも許されなかったあの時は、細い糸の上を歩いているような錯覚すらあったのに。
柔らかな土の感覚を楽しんでいいのだと、そう教えてくれたこの国で、私は頑張っていける。




