番外編 その花の名を知るのは
これは、伯爵家を出るまでの数日間、私が見た記録。
「お嬢様……」
「リリアーナお嬢様、衣裳部屋の確認をお願いいたします」
奥様、つまりリリアーナお嬢様にとっての義母が雇い入れた使用人が、ここぞとばかりにすり寄って来るのを視界に入れないよう、わざと言葉を遮った。マナーがなっていない、それはそうだろう。けれど、マナー違反以前に、雇われた家の令嬢を意味もなく軽んじていたのは向こうの方だ。
私に何かを言うならば、自身の態度を省みてからの方がいい。
舌打ちのひとつでも飛んでくるかと思いきや、思っていた以上に諦めが早い。まあ、クローリー伯爵家がリリアーナお嬢様の代で終わりになるという話を聞いてからずっと、私が声をかけさせないように妨害しているのをずっと見ているというのもあるのだろう。理解できる程度の頭は持っていたようで、何よりだ。
リリアーナお嬢様は、私の態度に薄々気づいている。それでこそだと思うし、気づかないで欲しかった、とも思う。
伯爵家の正当な跡継ぎであるという事実を知ってから、猶予があったのはほんの数日。リリアーナお嬢様が意思を定めてからは、隣国へ向かうため、そして伯爵家を畳むための準備に勤しまれている。
どれほど気落ちしていようとも、不安があろうとも。出来ることは私とアルバート様で変わって差し上げているが、リリアーナお嬢様が最終的な決定を持たなければならない。その心痛たるや、想像するまでもない。
「シンシア、衣裳部屋はこっちじゃないわ」
「……そうでした。大変失礼いたしました」
「付き合わせてしまってごめんなさい。疲れたわよね」
あの使用人のほかにもリリアーナお嬢様に声を変えたそうに廊下をうろついている者がいたので、避けていたら、衣裳部屋へと続く曲がり角を過ぎてしまった。そちらに向かうと声をかけたので、私が道を間違えたことをリリアーナお嬢様はご心配されているのだろう。
使用人の視線を遮ることが目的だったとはいえ、一度口にしたことを間違えたことで心配までかけてしまうとは。何たる失態だろう。
「いいえ。私の疲れなど。リリアーナお嬢様に比べましたら大したことではございません」
「そうは言っても……」
「でしたら、私のわがままにお付き合いいただけませんか。先ほど、厨房のコックより試作品の焼き菓子を頂けると声をかけられておりまして」
「ふふっ。分かったわ。いつものガゼボでいいかしら」
これは、私が道を間違えたところから計算していたと思われてしまったようだ。実際、働き詰めなリリアーナお嬢様を心配して、コックから作業の合間でも摘まめるようにと焼き菓子を作っているとは聞いていた。材料の消費も兼ねていたはずなのに、気がつけばどんどんと焼き上がってしまったから食べる速度が追い付かないとも。
疲れているはずなのに、今まで屋敷の中を歩いていた時よりも明らかにリリアーナお嬢様の足取りは軽い。
本来であれば、この姿であるべきだったのだ。リリアーナお嬢様は。今までそう過ごすことが出来なかった分を取り返せはしないが、せめてあと数日だけでも。この屋敷で何も気にすることなく自分の行く先を決める時間があればいい、そう願ってしまうのはわがままではないだろう。
「さ、シンシア。あなたのわがままに付き合ったのだから、私にも付き合ってもらうわよ」
「……と言いますのは」
「一緒にお茶をしましょう!」
にこにこと笑顔を向けてくるリリアーナお嬢様のかわいらしいわがままを、断れるはずもなく。そうして私達は初めて、内緒ではないお茶会をした。試作品の焼き菓子は私にとっては甘かったけれど、リリアーナお嬢様は大変お気に召したようだ。あとでコックにレシピを教わっておかねばならない。彼は隣国へ共に行くには少々、年を取りすぎたと寂しそうに笑っていたから。
「クローネおば様、手配をありがとうございました。おかげで、ドレスの行き先がすべて決まりました」
「いいのよ。それより、本当にいいのかしら。ミレイユの使っていたアクセサリーを私がいただいてしまっても」
「お母様も、その方がきっと喜びます。私はこちらのネックレスがあれば、それで」
ミレイユ様、リリアーナお嬢様のお母様のことを、私は知らない。奥様が雇い入れた使用人があまりにもリリアーナお嬢様のことを冷遇するものだから、見るに見かねたアルバート様が、私がクローリー伯爵家で働けるように手配をしたからだ。
物置として使われていた部屋に、埃を被ったミレイユ様の肖像画が残っていたので、お顔だけは存じている。
リリアーナお嬢様と同じ、金髪と紫の瞳。雰囲気はリリアーナお嬢様よりも柔らかめだった。テオドール様から持って来てもいいと言われていたのに、リリアーナお嬢様は生まれた国を離れるのは悲しくなるだろうから、と供養が出来る施設へ寄付をする手続きを進めていた。
「そう。あなたがそう言うなら、私はもう何も言わないわ。
けれどね、リリアーナ。これだけは覚えていてちょうだい。私は、ずっとあなたの味方よ。例え、どんなに遠く離れてもね」
「……はい。ありがとうございます」
カラカラと車輪の音を響かせて帰っていくクローネ様の事を、リリアーナお嬢様はずっと見送っていた。きっと手紙は書くだろう。けれど、彼女がマダム・クローネとしてこの国で淑女のサロンを開いている限り、直接会うことは避けるはずだ。
どんな小さなことでも、それが彼女の傷になってしまう可能性があるなら、自分の感情を抑えつける。リリアーナお嬢様は、そういう方だから。
「行きましょう。荷造りの続きをしないと」
「テオドール様から迎えを、と連絡が来ていますからね。急かされてはいませんが、あまりお待たせするのもよろしくないでしょう」
「そうね。……あと、少しだわ」
国王陛下と王妃様と話をしてから、およそひと月。使用人たちも次々と再就職先を見つけたと言って出て行った。
これほどまでに広い屋敷だったのか、と思えるほどに荷物がなくなった伯爵家。
最後に残ったのは、私達を除けばアルバート様だけだった。
「じいや、本当にいいのかしら」
「アルバート様ほどの方なら、どこの家に飛び込んでも雇っていただけます」
「それはそうなんだけれど……」
驚いた。アルバート様は、リリアーナお嬢様に自分の行き先を伝えていないようだ。かくいう私も、聞いたのは昨晩だったけれど。
リリアーナお嬢様に伝えるかどうかは、私に任せると仰ったアルバート様。ミレイユ様がご存命で、旦那様が執務室にいるのが当たり前だった時から、このクローリー伯爵家に仕えていた家令。
次に行く場所は、アルバート様の年齢だとかなり厳しい環境になるだろう。それでも、そこに行く以外の選択はないのだと言い切った横顔に、迷いはなかった。
「リリアーナお嬢様が心配なさっていた、とお伝えしておきます。これから、アルバート様と最後の確認を致しますので」
「よろしくね、シンシア。終わったらあなたもゆっくり休んで」
「ありがとうございます。それでは、お休みなさいませ」
とうとう、明日はこの家を出て、隣国へ向かう。自分の手続きと荷物の整理は終わらせているし、不備がないかの確認も済ませた。今夜は、この屋敷の最後の見回りだ。王家の騎士たちがさりげなく巡回をしてくれてはいるけれど、このようなタイミングでは不届き者が現れないとも限らない。
ただでさえ出発の前夜という事で緊張されているリリアーナお嬢様のお気持ちを乱すような何かなど、あってはならない。
「アルバート様、お待たせいたしました」
「いえ。庭を見ていましたので、さほど」
月明りで照らされた庭には、蕾を付けた花が咲き誇るのを待っている。もう、愛でる者がいなくなるのだと知らないように。
「明日の朝いちばんで、花束を作ります。きっとお嬢様のお気に召すでしょう」
「アルバート様のなされることを、リリアーナお嬢様が気に入らないなどありません」
「君も、お嬢様も。私を買い被りすぎだ」
ぽつり、ぽつりと言葉を選ぶようなアルバート様に、私は気の利いた返事が出来ない。けれど、それでも良かったのだろう。ただ、胸の奥にある想いを誰かに伝えたくなる、そんな夜だったから。
「この花は、リリアーナお嬢様の名付けの由来になった。この場所で咲いているのは、私とお嬢様しか知らない」
「そのように貴重な話を、どうして私に……?」
「これからは、私ではなく君とお嬢様で残していくからだ」
アルバート様は、これからをリリアーナお嬢様の隣で過ごすことはない。だから、私に託すのだとそう言ってくれた。
その想いに、応えないわけにはいかないだろう。大変光栄なお役目を、最後に頂いてしまった。
「リリアーナお嬢様のお傍にいる限り、残してゆきましょう」
「……ああ、任せたよ」
白くて凛と咲くその花を、私はこれからずっと育てることになる。夜の道を歩む、その日まで。




