83話 五万体
旧ジョンウン王国。
かつて二十万を超える人口を誇った国家は、今や地図の上に残る名前でしかなかった。
崩壊した城壁。
放棄された農地。
誰も耕さなくなった畑。
雑草に埋もれた街道。
風だけが吹いている。
だが、人が消えたことで増えたものもあった。
魔物である。
特に旧王国南部。
湿地帯から丘陵地帯にかけては、リザード系魔物の巣窟になっていた。
アーマードリザード。
ニードルリザード。
メタルリザード。
アイアンリザード。
ブラッドリザード。
ロックリザード。
数え切れないほどの亜種。
普通の国家なら討伐軍を編成する。
数千人規模の遠征軍が必要になる。
被害も出る。
負傷者も出る。
死者も出る。
それが常識だった。
しかし。
空に八千人が浮いていた。
飛行魔法。
全員。
八千人。
王国史上どころか、人類史上でも存在しなかった光景である。
先頭を飛ぶエミリーが地上を見下ろした。
狼獣人特有の鋭い視力。
さらに索敵魔法。
超能力。
全てが重なる。
「見つけた」
即座に念話が飛ぶ。
テレパシー。
八千人へ同時伝達。
『北東方向』
『距離二キロ』
『大型群れ』
ミシェルが即座に補足する。
『数千』
『地中にも反応あり』
『巣ね』
その瞬間。
戦闘部隊全員が動いた。
誰も命令しない。
誰も指示しない。
教育が終わっている。
自律している。
環境が人を育てた結果だった。
ロバートが空中で笑う。
「始めるぞ」
『了解』
『了解』
『了解』
無数の念話。
八千人が一斉に降下する。
地上。
巨大な湿地。
そこにいた。
アーマードリザード。
鋼鉄のような鱗。
全長四メートル。
重装甲。
本来なら上級冒険者が数人必要な魔物。
数は二千以上。
群れていた。
その瞬間。
水魔法使い達が手を上げた。
水。
形成。
変形。
圧縮。
魔力操作。
魔力循環。
教育によって磨かれた技術。
無駄がない。
空中に数千の水球が現れる。
そして。
飛ぶ。
高速。
正確。
アーマードリザードの顔へ。
次の瞬間。
水球が変形した。
マスク。
顔面を覆う。
鼻。
口。
完全密閉。
窒息。
暴れる。
だが無意味。
数十秒。
数分。
やがて。
倒れる。
傷一つ無い。
素材損傷ゼロ。
ロバートが笑う。
「相変わらずだな」
ソフィアも笑う。
「楽だ」
カタリナが肩を竦める。
「戦闘という感じがしない」
実際そうだった。
討伐ではなく回収。
そんな感覚だった。
ニードルリザードの群れが突撃してくる。
全身から針を飛ばす危険種。
普通の軍なら被害が出る。
しかし。
風属性部隊。
風の壁。
風の盾。
風圧。
全ての針を逸らす。
その直後。
再びマスク魔法。
終了。
被害ゼロ。
負傷ゼロ。
死者ゼロ。
戦闘時間三分。
さらに進む。
湿地奥地。
メタルリザード。
金属を食う特殊種。
市場価格は高い。
魔石も優秀。
素材価値も高い。
商人が泣いて喜ぶ。
その群れを見て。
トミーが念話を飛ばした。
『全部金貨だ』
戦闘部隊が笑う。
そして。
マスク。
終了。
本当にそれだけだった。
昼。
夕方。
夜。
翌日。
さらに翌日。
索敵部隊八千人。
戦闘部隊八千人。
教師出身者多数。
全員飛行可能。
全員魔法適性あり。
全員教育済み。
圧倒的だった。
魔物は強かった。
しかし。
人材の差が大きすぎた。
三日後。
集計が終わる。
ロバートが報告書を見る。
そして苦笑した。
「本当にやったな」
エミリーが覗き込む。
「何体?」
「五万」
沈黙。
そして。
全員笑った。
五万体。
国家級討伐記録である。
アーマードリザード。
ニードルリザード。
メタルリザード。
アイアンリザード。
ブラッドリザード。
ロックリザード。
その他多数。
五万体。
しかも。
素材損傷ほぼゼロ。
異常だった。
普通は解体時に価値が落ちる。
戦闘で損傷する。
魔法で焼ける。
切断される。
しかし。
今回。
窒息。
それだけ。
皮も。
骨も。
牙も。
爪も。
魔石も。
完璧だった。
トミーが計算する。
市場価格。
需要。
供給。
輸送。
全て計算。
そして固まった。
「おい」
「どうした?」
ロバートが聞く。
トミーは震える声で答えた。
「金貨五百万枚」
沈黙。
全員止まった。
エミリーが聞き返す。
「いくら?」
「金貨五百万枚」
もう一度。
言った。
ソフィアが吹き出した。
「国じゃないか」
正しかった。
下手な国家予算を超えていた。
それだけ素材価値が高い。
それだけ需要がある。
それだけ数が多い。
トミーは笑う。
「運ぶぞ」
そして。
アイテムボックス。
収納。
収納。
収納。
収納。
五万体。
巨大な死体の山が消える。
便利過ぎる。
物流革命だった。
数日後。
王都。
ヴァレリア商会本店。
巨大倉庫。
そこへ。
エミリー達が到着した。
マーガレットが迎える。
「お帰りなさい」
笑顔だった。
いつものように。
余裕のある商人の顔。
しかし。
次の瞬間。
固まる。
倉庫中央。
五万体。
並んでいた。
アーマードリザード。
ニードルリザード。
メタルリザード。
アイアンリザード。
果てしない。
終わりが見えない。
山。
山。
山。
倉庫に入り切らない。
外まで続く。
商会職員達も固まった。
誰も動けない。
マーガレットが口を開く。
「……」
言葉が出ない。
トミーが聞く。
「足りるか?」
マーガレットは顔を押さえた。
「足りるかじゃないの」
「多いの」
珍しく取り乱していた。
商会幹部達も青ざめている。
一人が震えながら言う。
「会頭」
「王都市場一年分です」
別の幹部。
「二年分です」
さらに別の幹部。
「いや三年分です」
マーガレットが頭を抱えた。
「なんで三日で取ってくるのよ!」
全員が笑った。
トミーが肩を竦める。
「いたから」
「そんな理由で市場破壊しないで!」
会頭の悲鳴だった。
エミリー達は大笑いする。
久しぶりだった。
マーガレットがここまで驚くのは。
しかし。
商人は商人だった。
数分後には復活する。
資料。
帳簿。
市場価格。
輸送計画。
加工計画。
脳が動き始める。
そして。
結論。
「買う」
即答。
「全部買う」
トミーが笑う。
「毎度あり」
「笑い事じゃないわよ!」
マーガレットが叫ぶ。
だが顔は笑っていた。
儲かる。
とてつもなく儲かる。
だから商人は止まらない。
契約成立。
金貨五百万枚。
歴史上最大級の取引。
王国中に噂が広がる。
旧ジョンウン王国跡地。
魔物五万体討伐。
被害ゼロ。
負傷ゼロ。
死者ゼロ。
そして。
金貨五百万枚。
誰も信じなかった。
だが現実だった。
遠く離れた都市国家。
その中心。
ケルナインは今日も教壇に立っていた。
本人は知らない。
自分の教え子達が。
国家予算級の取引を成立させたことを。
だが。
それでよかった。
彼は英雄ではない。
指導者だった。
人を育てる者だった。
そして今。
育った人材達が世界を変え始めていた。
環境が人を育てる。
その証明が。
五万体の魔物の山として。
王都に積み上がっていた。




