79話 国が消える音
ジョンウン王国。
かつて六万を超える人口を誇った国家。
周辺国を脅し。
民を支配し。
兵を徴発し。
恐怖によって成り立っていた国。
その王国は今。
滅亡の崖に立っていた。
王都。
中央広場。
かつて人で埋め尽くされていた石畳は空いている。
商人がいない。
職人がいない。
農民がいない。
兵士すら少ない。
市場も閉じていた。
店主がいないからだ。
客もいないからだ。
商品もないからだ。
空気だけが冷たかった。
王都の役人は報告書を抱えて走る。
しかし届ける相手がいない。
税を集める相手もいない。
徴兵する若者もいない。
何もかもが失われていた。
現在人口。
四千八百三十七人。
国家としての限界を下回っていた。
食料備蓄。
残り十二日。
農地稼働率。
二割未満。
王都の会議室。
国王ジョンウンは報告を聞いていた。
顔色は悪い。
目の下には深い隈。
声も枯れていた。
「備蓄は」
「残り十二日です」
「農地は」
「人手不足です」
「徴兵は」
「対象者がおりません」
静寂。
誰も顔を上げない。
もはや嘘をつく意味もなかった。
敗北は確定していた。
軍に負けたのではない。
戦争に負けたのでもない。
人を失った。
それだけだった。
その頃。
都市国家。
朝の風魔法放送が始まる。
穏やかな女性の声が街へ流れる。
「本日の移住者受け入れ人数は二千三百四十二名です」
「学校新設二校」
「治療院新設一施設」
「農業研修受講者六百名」
「紡織工場増設予定」
街の人々は普通に聞いている。
それが日常だった。
広場では子供達が走る。
学校へ向かう。
治療院には病人が集まる。
工房では職人が働く。
農地では収穫が進む。
かつて貧困村だった場所。
その面影はもう無かった。
食料充足率二百%以上。
人口七万人突破。
教育制度。
医療制度。
物流制度。
防衛制度。
全てが機能していた。
トミーは物流本部で帳簿を見ていた。
数字が並ぶ。
穀物。
肉。
野菜。
布。
薬。
増え続けている。
部下が走ってくる。
「また亡命者です!」
「何人だ?」
「千五百人!」
トミーは苦笑した。
「毎日祭りだな」
部下も笑う。
実際そうだった。
人が人を呼ぶ。
教育が教育を呼ぶ。
仕事が仕事を呼ぶ。
豊かさが豊かさを呼ぶ。
好循環が完成していた。
一方。
ジョンウン王国。
王宮。
夜。
一人の近衛兵が荷物をまとめていた。
家族写真。
少しの金。
衣服。
それだけ。
妻が震える声で聞く。
「本当に行くの?」
男は頷いた。
「ここに残れば死ぬ」
否定できない。
食料がない。
給料がない。
未来がない。
あるのは空腹だけ。
子供が父親の服を掴む。
「お腹すいた」
男は目を閉じた。
王宮勤務。
近衛兵。
本来なら誇り高い職。
しかし。
誇りでは腹は膨れない。
男は決断した。
「行こう」
夜の闇。
王宮から人影が消えていく。
近衛兵。
文官。
侍女。
使用人。
料理人。
皆逃げる。
誰も止めない。
止める兵士も逃げる側だからだ。
翌朝。
王宮勤務者。
三割消失。
翌々日。
五割消失。
一週間後。
八割消失。
王宮そのものが機能停止へ向かっていた。
王都外縁。
国境へ向かう人々の列が続く。
老人。
女。
子供。
元兵士。
元役人。
元商人。
皆痩せている。
皆疲れている。
しかし。
目だけは生きていた。
前を向いていた。
希望があるからだ。
国境警備隊長が列を見る。
そして部下へ言った。
「撃つな」
部下は驚く。
「しかし」
「俺も行く」
静寂。
部下も理解した。
終わりだと。
隊長は剣を地面へ置く。
王国の紋章。
それを見つめる。
そして背を向けた。
忠誠は尽くした。
十分だ。
家族を守る方が先だった。
こうしてまた百人が消えた。
都市国家。
中央会議所。
セリナが地図を広げる。
ジョンウン王国。
赤い印が次々消えている。
村。
街。
砦。
消滅。
放棄。
無人。
そんな文字ばかり。
エミリーが呟く。
「もう国じゃないね」
セリナは頷いた。
「ええ」
「行政機能崩壊」
「軍機能崩壊」
「物流崩壊」
「教育崩壊」
「医療崩壊」
「全て終わっています」
ロバートが腕を組む。
「戦ってねぇな」
その言葉に皆が笑った。
本当に戦っていない。
一度も。
剣を交えていない。
城を攻めていない。
村を焼いていない。
軍を殲滅していない。
それでも勝った。
ケルナインは窓の外を見ていた。
子供達が歩いている。
教師が歩いている。
職人が歩いている。
農民が歩いている。
その姿を見ていた。
エレノア侯爵が隣へ来る。
若返った黒髪の侯爵。
四十代前半の美貌。
王都の貴族達が羨むほどの姿。
彼女は静かに言った。
「勝ちましたね」
ケルナインは首を振る。
「まだだ」
エレノアが笑う。
「厳しいですね」
「人が生きられるようになるまで終わらない」
それがケルナインだった。
国を倒すことに興味はない。
人を育てること。
それだけ。
夕方。
マイケルの学校。
元ジョンウン王国の子供達が勉強していた。
文字を書く。
数字を書く。
魔法を学ぶ。
子供達は笑っていた。
空腹ではない。
殴られない。
働かされない。
未来がある。
マイケルはその姿を見て思う。
昔の自分も弱かった。
泣き虫だった。
自信が無かった。
でも。
環境が変わった。
教育があった。
支えてくれる人がいた。
だから変われた。
今度は自分が教える番だった。
夜。
風魔法放送が始まる。
都市全体へ声が流れる。
「本日の移住者受け入れ数三千百二十四名」
「新規教師七百名登録」
「農業学校受講者増加」
「紡織産業拡大」
「治療院拡張」
人々は聞く。
そして動く。
学ぶ。
育つ。
それが国家になっていた。
遠く。
ジョンウン王国。
暗い王宮。
食料庫は空。
兵舎も空。
市場も空。
そして国王は一人。
窓の外を見る。
かつての都。
今は静かだった。
人がいない。
声がない。
活気がない。
国家とは城ではない。
国家とは軍でもない。
国家とは人だった。
その事実を。
ジョンウン王国は最後に知ることになる。
環境が人を育てる。
そして。
人が消えれば国も消える。
その音は剣の音ではない。
静かだった。
あまりにも静かに。
一つの国家は終わろうとしていた。




