73話 王都からの使者
春の風が都市を吹き抜ける。
かつて盗賊に怯え、病に苦しみ、飢えに泣いていた貧困村は、今や王国でも有数の巨大都市へと変貌していた。
人口一万七千人突破。
食料充足率二五〇%超。
教師八千人以上。
教導スキル保持者千人以上。
戦闘部隊一五〇〇名。
索敵部隊一五〇〇名。
さらに毎日のように亡命者が流入している。
ジョンウン王国の崩壊は加速していた。
その日。
索敵部隊から報告が入る。
「王都より使者一行接近」
都市中央庁舎。
応接室には三人が集まっていた。
セリナ。
トミー。
そして。
エレノア・グランディア侯爵。
現役侯爵であり、この都市最大の外交責任者だった。
かつて奴隷制度へ反対し続けた老侯爵。
今では王都ですら無視できない存在となっている。
トミーが窓の外を見る。
「王都も慌て始めたか」
狐耳が揺れる。
セリナは資料をめくる。
「当然です」
「ジョンウン王国の崩壊速度は予想以上です」
「亡命者は今月だけで二千人を超えています」
エレノア侯爵は静かに頷いた。
「王都は状況確認に来たのでしょう」
「あるいは協力要請」
「もしくは牽制」
老侯爵の読みは鋭い。
数十分後。
使者が到着した。
王国紋章を身につけた騎士。
文官。
護衛。
総勢二十名。
応接室へ案内される。
彼らは入室した瞬間、わずかに息を呑んだ。
目の前にいたのがエレノア侯爵だったからだ。
「エレノア侯爵閣下」
使者は慌てて頭を下げる。
エレノアは静かに応じる。
「久しいですね」
「王都の空気は相変わらずですか」
使者は苦笑した。
完全に格上だった。
侯爵家当主。
しかも長年政治の中心で戦ってきた人物。
簡単な相手ではない。
全員が席につく。
使者が書状を差し出した。
王印付き。
正式な王命。
内容は簡潔だった。
「ケルナイン殿を王都へ招聘したい」
「王との会談を希望する」
部屋が静かになる。
使者は続けた。
「王国は貴都市を高く評価しております」
「ぜひ王都へお越しいただきたい」
エレノア侯爵は書状を閉じた。
そして。
「お断りします」
即答だった。
使者が固まる。
予想していなかった。
セリナが資料を差し出した。
山のような書類。
人口統計。
亡命者受入数。
学校建設計画。
農地拡張計画。
医療施設計画。
軍備計画。
全て最新だった。
「現在の都市人口は一万七千人を超えています」
「亡命者流入は継続中」
「教師育成計画進行中」
「ジョンウン王国関連対応継続中」
セリナは淡々と言う。
「忙しいのです」
反論の余地がない。
事実だった。
トミーも笑う。
「今うちの都市から責任者引っ張ったら現場が止まる」
「そんな余裕ないんだよ」
使者は困惑する。
王命を断られる経験などほとんどない。
しかし目の前の三人は微動だにしない。
エレノア侯爵が静かに言った。
「今はジョンウン王国問題が最優先です」
地図が広げられる。
ジョンウン王国。
大量の赤印。
亡命者流入地点。
使者の表情が変わる。
数が異常だった。
セリナが説明する。
「農民」
「職人」
「教師」
「商人」
「兵士」
「官僚」
「全て流入しています」
トミーが口を挟む。
「つまり人材だ」
「国家を支える連中が全部逃げてる」
部屋が静かになる。
国家崩壊。
その言葉が現実味を持つ。
エレノア侯爵が言う。
「国家は土地ではありません」
「人です」
「人材です」
「人材が去る国は滅びます」
使者は言葉を失った。
ジョンウン王国で起きているのはまさにそれだった。
そして。
エレノア侯爵は続ける。
「ですが」
「王国にも利益があります」
使者が顔を上げる。
ここからが本題だった。
セリナが地図を指差した。
「難民処理」
「食料供給」
「教育」
「治療」
「治安維持」
「全て我々が担当しています」
トミーが笑う。
「王国は一銭も払ってねぇ」
使者は黙る。
その通りだった。
もしこの都市が存在しなければどうなるか。
数万人規模の難民。
飢餓。
病。
暴動。
盗賊化。
全て王国へ流れ込む。
だが。
今は違う。
都市が受け入れている。
育てている。
働かせている。
納税者に変えている。
エレノア侯爵が言う。
「王国は利益を得ています」
「我々も利益を得ています」
「今はそれで十分です」
使者は理解した。
敵意はない。
反逆でもない。
単純に優先順位の問題だった。
都市は今。
国家運営で忙しい。
それだけだ。
トミーが資料を出す。
紡織産業。
農業生産。
交易量。
税収。
食料備蓄。
数字の羅列だった。
「見てみろ」
「これ全部増えてる」
「今王都行ってる暇なんかねぇ」
使者は思わず苦笑した。
確かにその通りだった。
数字が語っている。
この都市は成長途中だ。
しかも急成長。
管理者が席を外す余裕などない。
その時。
風魔法放送が聞こえてきた。
窓の外。
空へ向けられた巨大風魔法装置。
都市中に声が響く。
『仕事があります』
『食料があります』
『学ぶ場所があります』
『病は治療できます』
『子供は学校へ通えます』
『未来があります』
使者は耳を傾けた。
それはジョンウン王国へ向けた放送だった。
武力ではない。
脅迫でもない。
ただ事実を伝えている。
だから強い。
エレノア侯爵が放送を聞きながら言う。
「王国も理解しているはずです」
「人は飢えから逃げます」
「病から逃げます」
「絶望から逃げます」
「そして希望へ向かいます」
使者は何も言えなかった。
反論できない。
目の前の都市が証明している。
かつて貧困村だった土地。
今では一万七千人を養う都市国家。
教育国家。
生産国家。
人材育成国家。
会談は二時間続いた。
最後。
使者は立ち上がる。
「本日の内容は王へ報告いたします」
エレノア侯爵が頷く。
「お願いします」
「そしてお伝えください」
老侯爵の目が鋭くなる。
現役侯爵としての威厳が滲む。
「我々は王国の敵ではありません」
「王国にも利益をもたらしています」
「今後もそのつもりです」
「ですが」
「今はジョンウン王国問題が優先です」
静寂。
使者は深く頭を下げた。
「承知しました」
会談終了。
使者一行は都市を後にする。
帰路。
彼らは整備された道路を進みながら振り返った。
巨大な学校。
巨大な農地。
巨大な織物工場。
巨大な倉庫。
そして。
風魔法放送塔。
夕日に照らされながら立つその姿は、まるで新しい時代の象徴だった。
人材を育てる国家。
教育で強くなる国家。
ケルナインは表に立たない。
それでも都市は成長する。
セリナがいる。
トミーがいる。
エレノア侯爵がいる。
マイケルがいる。
エルナがいる。
育った人材がいる。
環境が人を育てる。
その理念は今や都市全体に根付いていた。
そして風は今日も運ぶ。
希望を。
知識を。
未来を。
ジョンウン王国崩壊の足音を。
静かに。
確実に。
遠くへと。




