66話 実りの都市
人口八千人。
かつて盗賊に怯えていた小さな貧困村は、もはや存在しなかった。
朝。
都市中央の行政庁舎。
セリナは大量の報告書を確認していた。
机の上には農業、生産、建築、物流、治療院、教育機関から集まった資料が並ぶ。
ダークエルフの女性は一枚一枚を確認していく。
やがて静かに息を吐いた。
「凄いですね……」
隣にいたエレノア・グランディア侯爵が頷く。
白髪の老侯爵も数字を見ていた。
人口。
八千二百三十七名。
食料充足率。
二百一十三%。
備蓄量。
過去最高。
餓死者。
ゼロ。
栄養失調。
ゼロ。
流行病。
発生なし。
エレノアは小さく笑った。
「貧困村だったとは思えませんね」
セリナも同意した。
「ええ」
「ここまで来ました」
だが二人が喜んでいたのは数字ではない。
人だった。
昔の村人達。
移民達。
元奴隷。
元難民。
元冒険者。
彼らが成長したことだ。
環境が人を育てる。
その結果が目の前にあった。
◇
都市南部。
新設された果樹園。
数百人の農業班が作業していた。
育てているのは穀物だけではない。
リンゴ。
梨。
柑橘。
葡萄。
果樹である。
農業責任者達は真剣だった。
穀物だけでは国家は豊かにならない。
果実が必要だった。
栄養。
保存食。
加工品。
交易品。
全てになる。
若い農夫が歓声を上げた。
「できた!」
真っ赤なリンゴだった。
周囲から拍手が起きる。
子供達も駆け寄る。
果物は贅沢品だった。
昔の彼らには手が届かなかった。
だが今は違う。
都市で生まれた子供達は普通に果物を食べる。
それが当たり前になりつつあった。
農夫達はさらに作業を進める。
果樹園は拡張を続ける。
十年後を見据えていた。
国家は明日だけでは生きられない。
十年先を考える者が必要だった。
その教育も既に始まっていた。
◇
別の畑。
根菜区域。
玉葱。
大根。
人参。
広大な農地が広がる。
ティグリスが土を掘り返した。
巨大な大根が現れる。
周囲から歓声。
「でかい!」
「凄い!」
ティグリスは笑った。
戦士だった彼女も今では農業を理解していた。
戦うだけでは国は守れない。
食べ物がなければ戦えない。
それを知った。
土属性魔法が発動する。
畑が整う。
農地が広がる。
若い農民達も続く。
ソイルバレット。
アースウォール。
土壌改良。
灌漑設備。
彼らは魔法を戦闘だけに使わなかった。
生活に使う。
生産に使う。
それがこの都市の特徴だった。
◇
物流倉庫。
トミーが忙しく走り回っていた。
狐獣人の青年は大量の帳簿を抱えている。
在庫。
流通。
市場価格。
輸送量。
全てを確認していた。
「果物区画拡張!」
「根菜倉庫増設!」
「保存庫増築!」
部下達が動く。
トミーは成長していた。
昔の要領のいい若者ではない。
都市物流責任者。
誰もが認める実力者になっていた。
彼は数字を見る。
食料備蓄。
異常なし。
肉。
穀物。
果物。
野菜。
全て余裕。
「よし」
満足そうに頷く。
もし外敵に包囲されても。
数年は持つ。
それだけの蓄えがある。
◇
紡織工房。
こちらも活気に溢れていた。
羊毛。
綿。
魔法布。
混紡服。
大量生産が続く。
リーザ。
リーブ。
リーゼ。
三人のエルフ職人が若手へ教えていた。
彼女達も覚醒していた。
紡織職人。
薬師。
教える力。
育てる力。
若い女性達が次々技術を覚える。
糸を紡ぐ。
布を織る。
服を仕立てる。
技術は継承される。
一人の天才が必要なのではない。
百人の職人が必要なのだ。
その思想が浸透していた。
◇
都市上空。
ミシェル率いる索敵部隊。
八百名を超えたハーピー達が飛行している。
空の監視網だった。
透視。
念聴。
遠隔透視。
索敵能力は日に日に向上する。
敵は近づけない。
盗賊も。
奴隷商も。
傭兵崩れも。
全て発見される。
ミシェルは新人達を見て微笑んだ。
教導スキル。
その力で教育速度はさらに加速していた。
昨日できなかったことが今日できる。
今日できなかったことが明日できる。
環境が変われば人は変わる。
それを誰より理解していた。
◇
夕方。
都市中央広場。
人々が集まる。
市場は活気に溢れていた。
果物が並ぶ。
野菜が並ぶ。
肉が並ぶ。
酒が並ぶ。
服が並ぶ。
誰も飢えていない。
誰も震えていない。
誰も怯えていない。
八千人の都市。
その光景を見ながらエレノアは静かに呟いた。
「不思議ですね」
セリナが視線を向ける。
「何がですか?」
老侯爵は微笑む。
「王がいなくても回る」
「英雄が前に立たなくても回る」
「人が育てば国は回る」
セリナも市場を見る。
子供達が笑っている。
職人達が働いている。
農民達が語っている。
教師達が教えている。
治癒師達が診ている。
戦士達が守っている。
誰か一人の力ではない。
皆で作った都市だった。
「そうですね」
セリナは静かに答えた。
人口八千人。
食料充足率二百%超。
果樹園は拡張を続ける。
畑も広がり続ける。
職人も育つ。
教師も育つ。
戦士も育つ。
この都市はまだ成長する。
環境が人を育てる。
そして育った人が、また新しい環境を作る。
その循環は、もう止まらなかった。




