36話:魔族への偏見
朝。
村の空気はどこか重かった。
畑は順調だった。
麦は育つ。
芋も育つ。
大豆も育つ。
農業革命は確実に進んでいる。
かつて飢餓に苦しんだ貧困村は、少しずつ食料を蓄えられるようになっていた。
紡織産業の準備も進んでいる。
羊毛。
麻。
綿。
糸車の試作品。
機織り機の設計。
職人達が汗を流していた。
それでも。
問題は消えない。
人が増えれば問題も増える。
セリナは集会所へ向かっていた。
そこで言い争いが起きているという報告を受けたからだ。
集会所へ入る。
すると数人の村人が口論していた。
中心にいたのはロバートだった。
ロバートは腕を組んだまま黙っている。
向かいには人間の男。
元農民だった男だ。
「だから信用できねぇって言ってるんだ!」
男が叫ぶ。
「魔族だぞ!」
「魔族が善人なわけねぇ!」
周囲がざわつく。
セリナはため息を吐いた。
またか。
最近増えていた。
移住者が増えるにつれ、古い偏見も持ち込まれる。
魔族。
獣人。
エルフ。
ドワーフ。
種族による差別。
この世界では珍しくない。
男は続ける。
「俺の村は魔族に焼かれた!」
「親父も殺された!」
「そんな奴ら信用できるか!」
ロバートは怒らない。
静かだった。
それが逆に痛々しい。
セリナが前へ出る。
「ロバートが何かしましたか?」
男は黙る。
「盗みましたか?」
「違う。」
「暴力を振るいましたか?」
「いや。」
「仕事を怠りましたか?」
「それは……。」
何もない。
何もないのだ。
ロバートは毎日働いている。
訓練する。
警備する。
新人を育てる。
村を守る。
誰より真面目だった。
それでも。
魔族だから。
嫌われる。
男は小さく言った。
「でも魔族だ。」
セリナは冷たく答える。
「それは理由になりません。」
沈黙。
そこへケルナインが現れた。
誰かが呼んだらしい。
村人達が道を開ける。
ケルナインは男を見る。
「一つ聞く。」
男が顔を上げる。
「その魔族は誰だ。」
「え?」
「お前の家族を殺した魔族だ。」
男は戸惑う。
「知らねぇ。」
「顔も知らねぇ。」
「軍隊だった。」
ケルナインは頷く。
「なるほど。」
そしてロバートを見る。
「ロバート。」
「はい。」
「お前が殺したか?」
「殺してねぇ。」
「なら関係ない。」
それだけだった。
単純だった。
だが核心だった。
ロバートは別人だ。
同じ魔族でも。
別人だ。
人間だから善人。
魔族だから悪人。
そんな理屈は存在しない。
ケルナインは続ける。
「俺は鑑定できる。」
村人達が静かになる。
「犯罪者。」
「盗人。」
「詐欺師。」
「人殺し。」
「全部分かる。」
その言葉は重かった。
ケルナインは嘘を言わない。
「ロバートは違う。」
「それが答えだ。」
男は何も言えなくなる。
反論できなかった。
◇
その日の午後。
ロバートはいつも通り訓練場にいた。
新人達を指導している。
木剣を持った少年が転ぶ。
ロバートが手を差し伸べる。
「立て。」
「はい!」
少年は笑う。
獣人だった。
別の少女が近づく。
エルフだった。
「ロバート先生!」
「なんだ?」
「ここ分かりません!」
「見せろ。」
普通だった。
誰も気にしていない。
種族など。
教えてくれる人。
守ってくれる人。
それだけだった。
遠くから見ていたエミリーが笑う。
「人気者だな。」
ソフィアも笑う。
「当然だろ。」
「強いし。」
「優しいし。」
「面倒見いいし。」
ロバートは聞こえていない。
必死に新人を教えている。
◇
夕方。
事件が起きた。
村の外。
森。
薬草採取に出ていた子供達が戻らない。
すぐに騒ぎになった。
エルナが青ざめる。
「三人です!」
「戻ってきません!」
ミシェルが空へ飛ぶ。
索敵。
探索。
念聴。
透視。
全力で探す。
数分後。
戻ってきた。
顔色が悪い。
「魔物です。」
空気が変わる。
「ゴブリン二十。」
「子供達が囲まれてる。」
緊張が走る。
距離は遠い。
時間がない。
ロバートが立ち上がる。
「行く。」
ソフィアも立つ。
「私も。」
カタリナが笑う。
「面白そうだ。」
エミリーも武器を取る。
「全員行くぞ!」
◇
森。
子供達は泣いていた。
ゴブリン達が迫る。
絶望。
逃げられない。
その時だった。
影が走る。
ロバートだった。
「シャドウバインド。」
地面から黒い影が伸びる。
ゴブリン達の足を拘束する。
動けない。
次の瞬間。
ソフィアが突っ込む。
ハルバートが閃く。
三体。
四体。
五体。
一瞬で吹き飛ぶ。
カタリナも続く。
巨大なグレイブが唸る。
ゴブリン達が宙を舞う。
エミリーが駆ける。
リーヴが風の刃を放つ。
ティグリスがアースウォールで包囲を分断する。
圧倒的だった。
数分後。
戦闘終了。
子供達は無事だった。
ロバートが膝をつく。
「怪我は?」
子供達は泣きながら頷く。
「ありがとう。」
「ありがとう!」
その一言だった。
ロバートは少し照れる。
「気にすんな。」
◇
村へ戻る。
広場に人が集まっていた。
助かった子供達。
泣きながら抱きつく母親達。
その中心にロバートがいる。
そこへ。
朝の男が現れた。
誰も喋らない。
男はロバートを見る。
長い沈黙。
やがて頭を下げた。
「すまなかった。」
ロバートは驚く。
男は続ける。
「助けてくれてありがとう。」
「俺は間違ってた。」
ロバートは少し考える。
そして笑った。
「別にいい。」
「俺も最初は人間嫌いだった。」
周囲が驚く。
ロバートは肩を竦める。
「色々あったからな。」
「でも違った。」
「良い奴もいた。」
「悪い奴もいた。」
「人間も魔族も同じだ。」
静かだった。
誰も否定できない。
それが真実だった。
◇
夜。
集会所。
セリナが報告書を書いている。
ケルナインが座っていた。
「解決しましたね。」
セリナが言う。
ケルナインは首を振る。
「解決じゃない。」
「始まりだ。」
「人は簡単には変わらない。」
セリナは頷く。
確かにそうだ。
偏見は根深い。
一日では消えない。
一年でも消えないかもしれない。
それでも。
今日一つ変わった。
ロバートは魔族だった。
だが。
同時に。
村を守る男だった。
それを皆が見た。
事実は偏見より強い。
環境が人を育てる。
そして。
環境は人の心も変える。
貧困と恐怖に支配されていた村は。
少しずつ。
確実に。
本当の意味で一つの共同体になろうとしていた。




