226話 ドラゴン、悪魔、そして困惑
アルカディア連邦設立から百五十年。
世界は完全に変わった。
かつて人々を苦しめた貧困。
病。
飢餓。
略奪。
奴隷商。
簒奪者。
それらは歴史書の中の存在になりつつあった。
PEAOによる教育。
魔力操作。
魔力循環。
農業革命。
紡織産業。
医療改革。
超能力教育。
そして何より。
人材育成。
世界は戦争によって変わったのではない。
教師によって変わったのである。
そして。
そんな世界で最も困っていた者たちがいた。
魔王ではない。
魔王はすでに加盟を決断した。
次に困ったのは。
ドラゴンだった。
■
世界樹北方。
天空山脈。
古代竜王ヴァルガンは巨大な黄金の瞳を開いた。
数千年生きる古代竜。
人類文明を何度も見てきた。
王国の誕生。
帝国の崩壊。
勇者。
魔王。
戦争。
疫病。
飢饉。
全て見てきた。
だからこそ。
彼は確信していた。
人類は短命。
人類は弱い。
人類は愚か。
だからこそ見守る価値がある。
そう思っていた。
思っていたのだ。
「……。」
竜王は巨大な頭を抱えた。
配下のドラゴンたちも困っていた。
「竜王様。」
「何だ。」
「人類が死にません。」
「知っている。」
「老いません。」
「知っている。」
「病気にもなりません。」
「知っている。」
「しかも増え続けています。」
「知っている。」
沈黙。
竜王は遠くを見た。
昔。
人類は百年も生きなかった。
今。
五百年生きる。
千年を超える者も現れている。
魔力循環。
魔力操作。
身体維持技術。
超能力治療。
医療技術。
教育。
全てが組み合わさった結果だった。
竜王は呟く。
「人間は短命だから見守る。」
配下が言う。
「短命ではありません。」
「……。」
竜王。
黙る。
別のドラゴンが言う。
「人間は弱い。」
「弱くありません。」
「……。」
さらに別のドラゴン。
「人間は愚か。」
「教師だらけです。」
「……。」
全員沈黙。
困った。
本当に困った。
ドラゴンたちは何千年も。
人類を年下として見てきた。
保護対象。
未熟者。
成長途中。
そんな認識だった。
ところが。
現在。
人類側には数百年単位の経験者が大量にいる。
研究者。
教師。
技術者。
医師。
統治者。
しかも全員が教育を受けている。
愚かな者がいないとは言わない。
しかし。
昔と比較にならない。
竜王は言った。
「昔はな。」
「はい。」
「人類が百年かけて学ぶことを。」
「はい。」
「我々は十年で教えられた。」
「はい。」
「今は。」
誰も答えられなかった。
今の人類は。
自分たちで学ぶ。
自分たちで研究する。
自分たちで改善する。
そして。
教師になる。
竜王は遠くを見る。
異界開拓団。
空間魔法師。
転移教師。
超能力研究者。
皆飛び回っている。
空を飛ぶ。
転移する。
異界へ行く。
戻ってくる。
「……。」
古代竜王。
生まれて初めて思った。
「我々、いらなくないか?」
周囲のドラゴンたちがうなだれた。
■
さらに困っていた者がいる。
悪魔だった。
深淵界。
悪魔領。
魔界七十二侯。
その中央会議場。
大混乱だった。
悪魔公爵ベルフェル。
頭を抱える。
「契約が減っている。」
周囲もうなずく。
悪魔の力は契約によって強化される。
欲望。
絶望。
嫉妬。
飢餓。
貧困。
病。
争い。
そこに付け込むのが悪魔だった。
しかし。
現在。
全部減った。
絶望が少ない。
貧困がない。
病がない。
食料がある。
教育がある。
仕事がある。
未来がある。
悪魔侯爵アスモレアが言う。
「誘惑しても断られる。」
「どうやって?」
「教育されている。」
会議場が静まる。
恐ろしい言葉だった。
「金をやろう。」
「働けば稼げます。」
「力をやろう。」
「学校で学びます。」
「寿命をやろう。」
「既に長命です。」
「病を治そう。」
「病院があります。」
「知識をやろう。」
「教師がいます。」
悪魔たち。
頭を抱える。
どうしようもなかった。
かつて。
悪魔は知識を独占していた。
今。
教師が五十億人いる。
知識の独占が成立しない。
悪魔公爵ベルフェルが呟く。
「契約の意味がない。」
「はい。」
「誘惑の意味もない。」
「はい。」
「取引も成立しない。」
「はい。」
全員。
沈黙。
■
そして。
問題はさらに深刻だった。
移住である。
悪魔領でも。
ドラゴン領でも。
移住希望者が増えていた。
理由は簡単だった。
教育。
研究。
異界。
新技術。
新産業。
新発見。
全てがPEAOに集まっている。
ドラゴンの若者たちは言う。
「研究したい。」
悪魔の若者たちは言う。
「教師になりたい。」
古い世代は困惑した。
竜王ヴァルガンは会議を開く。
悪魔側も参加する。
魔王も参加する。
三大勢力首脳会談だった。
会議開始十分。
全員が頭を抱えていた。
魔王。
「我々は加盟した。」
竜王。
「知っている。」
悪魔公爵。
「羨ましい。」
魔王。
「何がだ。」
悪魔公爵。
「悩みが終わった。」
魔王。
「……。」
否定できなかった。
加盟後。
魔族領は発展した。
教育が入った。
教師が増えた。
医療が向上した。
研究も進んだ。
犯罪も減った。
結果。
国民の支持率が上がった。
魔王は最近。
戦争の心配をしていない。
教師不足の心配しかしていない。
竜王は深いため息を吐く。
「我々は何をすればいい。」
魔王が答えた。
「教育を受ければいい。」
竜王。
絶句。
悪魔公爵も絶句。
昔ならあり得ない発言だった。
魔王。
世界最強候補の存在。
その魔王が。
教師の価値を語っている。
魔王は続ける。
「我々は勘違いしていた。」
「何をだ。」
「強さとは力ではない。」
会議室が静まる。
「人を育てる力だ。」
誰も反論できない。
世界はそれを証明している。
かつての世界最強は。
竜だった。
魔王だった。
悪魔だった。
今は違う。
教師だった。
■
その頃。
PEAO本部。
エレノア・グランディア侯爵。
アリア。
そして各種族代表が会議していた。
議題は単純だった。
「ドラゴン領加盟申請。」
「悪魔領加盟申請。」
全員が苦笑した。
アリアが資料を見る。
「百年前なら信じなかった。」
エレノアが頷く。
「私もです。」
「魔王加盟だけでも驚いた。」
「今度はドラゴンと悪魔。」
誰かが言う。
「戦争で統一されたわけではない。」
全員頷く。
その通りだった。
誰も征服していない。
誰も支配していない。
誰も服従させていない。
教育が広がった。
環境が変わった。
だから人が変わった。
人が変わったから。
世界が変わった。
エレノアは窓の外を見る。
そこには巨大都市。
学校。
研究所。
病院。
工場。
農地。
転移門。
そして。
笑いながら歩く様々な種族たち。
彼女は静かに呟く。
「環境が人を育てる。」
アリアも微笑む。
「そして。」
「人が世界を育てる。」
遠く。
異界へ向かう巨大転移門が輝いていた。
もはや世界は狭くない。
土地は無限に近い。
資源も豊富。
戦う理由は減っていく。
その結果。
最も困っているのは。
かつて世界を脅かした存在たちだった。
ドラゴン。
悪魔。
そして魔王。
彼らは初めて経験していた。
世界征服より難しい問題を。
「教師に勝つ方法が分からない。」
その言葉に。
誰も答えられなかった。




