207話 深海の恵み
海洋連盟との交流が始まってから数か月。
交易。
教育交流。
共同研究。
その全てが順調に進んでいた。
アルカディア連邦から派遣された教師たちは海洋都市で授業を行い、海洋連盟からやって来た留学生たちは連邦各地の学園で学び続けている。
環境が人を育てる。
それは海でも陸でも変わらない。
その日。
海洋連盟最大の港湾都市アクアマリナは朝から慌ただしかった。
深海調査隊が帰還したのである。
巨大な探索船団。
その数三百隻。
港には無数の見物人が集まっていた。
オルカ。
ルミナ。
ガルシャ。
エミリー。
セリナ。
ソフィア。
カタリナ。
さらに研究者たちも集まっている。
船がゆっくり接岸する。
そして。
調査隊長が叫んだ。
「発見した!」
「深海大型種だ!」
港が騒然となる。
大型種。
深海魔物。
それは長年存在だけが語られてきた生物だった。
やがて巨大な影が海面から現れた。
誰もが息を呑む。
巨大だった。
本当に巨大だった。
長さ百メートル以上。
巨大な触腕。
山のような胴体。
赤黒い外皮。
深海の魔力をまとった圧倒的な存在感。
クラーケン。
伝説の深海魔物だった。
港全体が静まり返る。
ソフィアが目を丸くした。
「大きいな……」
カタリナが笑う。
「これは流石に面白い」
しかし。
恐怖は無かった。
なぜなら。
今のアルカディア連邦も海洋連盟も昔とは違う。
教育を受けた。
技術を得た。
魔法を習得した。
超能力を習得した。
何より仲間がいる。
オルカが命令する。
「拘束開始!」
直後。
五十人の超能力者が前へ出た。
全員がテレキネシス使いだった。
留学生たちもいる。
海洋連盟の若者たちもいる。
彼らは同時に両手を突き出した。
莫大な念動力が発動する。
クラーケンの触腕が止まる。
一本。
二本。
三本。
次々と拘束されていく。
さらに重力魔法部隊。
水魔法部隊。
土魔法部隊。
拘束は強化される。
巨大な触腕が暴れる。
海面が揺れる。
しかし解けない。
教育された集団は強かった。
昔なら英雄一人に頼っていた。
今は違う。
五十人。
百人。
千人。
万人。
皆が戦える。
皆が学んでいる。
それこそがアルカディアの強さだった。
数時間後。
クラーケンは完全に制圧された。
港には歓声が響く。
海洋連盟の子供たちが飛び跳ねる。
留学生たちも喜ぶ。
オルカが笑った。
「見事だ」
エミリーも頷く。
「皆が成長した結果だな」
セリナは既に次の仕事へ向かっていた。
研究である。
巨大な解体場。
そこにはリーン率いる薬師団が集まっていた。
リーンは完全に目を輝かせている。
普段の穏やかな薬師とは思えない。
巨大な内臓が切り開かれる。
肝臓。
心臓。
神経組織。
魔力袋。
再生器官。
深海魔力器官。
未知の構造が次々と現れる。
リーンは叫んだ。
「凄い!」
「これは凄いです!」
周囲の薬師たちも興奮する。
「見たことがない」
「深海魔力を蓄積している」
「再生能力が異常です」
「新薬が作れる!」
リーンは既に研究モードだった。
紙に書き込む。
鑑定。
分析。
分解。
記録。
研究者たちは次々と作業を進める。
数時間後。
リーンは断言した。
「病への新しい治療薬ができます」
「再生薬も改良できます」
歓声が上がる。
また人が救われる。
また病が減る。
また寿命が伸びる。
教育が知識を生み。
知識が技術を生み。
技術が命を救う。
それがアルカディアだった。
そして。
当然ながら。
巨大なクラーケンは食材でもあった。
巨大な広場。
巨大な鉄板。
巨大な調理場。
料理教師たちが集結する。
海洋連盟の料理人も参加した。
テーマ。
イカ焼き大会。
港中が祭りになった。
巨大なクラーケンの身が切り分けられる。
厚切り。
薄切り。
串焼き。
網焼き。
炭火焼き。
醤油焼き。
味噌焼き。
香辛料焼き。
次々と焼かれていく。
香ばしい匂いが広場を包む。
子供たちが並ぶ。
大人たちも並ぶ。
兵士も並ぶ。
教師も並ぶ。
研究者も並ぶ。
皆笑顔だった。
そこへさらに新作料理が投入される。
焼き麺だった。
既に連邦で普及している麺。
それを巨大鉄板で焼く。
野菜を入れる。
根菜を入れる。
葉物を入れる。
魔物肉を入れる。
さらにクラーケンの身も加える。
醤油。
油。
香辛料。
大蒜。
葱。
韮。
山椒。
唐辛子。
熱せられた鉄板の上で音が鳴る。
じゅうううう。
香りが爆発した。
広場全体が歓声に包まれる。
マーガレットが真っ先に飛びついた。
「美味しい!」
「これ商売になる!」
誰も驚かない。
いつものことである。
ルミナも食べる。
ガルシャも食べる。
オルカも食べる。
そして目を見開いた。
「これは凄い」
「魚料理とも違う」
「肉料理とも違う」
「初めて食べる味だ」
周囲も同じだった。
海洋連盟では麺文化が薄い。
だから焼き麺そのものが新鮮だった。
さらに野菜。
さらに香辛料。
さらにクラーケン。
未知の組み合わせだった。
大好評だった。
昼には売り切れた。
夕方には追加調理。
夜にはさらに追加。
祭りは三日続いた。
その間。
交流はさらに進む。
留学生たちは料理を学ぶ。
農業を学ぶ。
魔法を学ぶ。
超能力を学ぶ。
海洋連盟側も技術を教える。
潜水技術。
海流学。
深海探索。
海洋魔物学。
互いが互いを育てていた。
環境が人を育てる。
それは村で始まった思想だった。
かつて盗賊に怯えていた貧困村。
病に苦しんでいた小さな集落。
教育すら存在しなかった人々。
その思想は今や海を越えている。
オルカは港を見下ろした。
笑い声が響く。
料理を食べる子供たち。
学ぶ若者たち。
研究する薬師たち。
交流する教師たち。
争いはない。
奪い合いもない。
成長だけがある。
オルカは静かに呟いた。
「なるほど」
「これがケルナインの残したものか」
支配ではない。
征服でもない。
教育。
そして自律。
だから人が育つ。
だから文明が育つ。
だから国家が育つ。
深海から現れた巨大なクラーケンは。
結果として新しい薬を生み。
新しい料理を生み。
新しい交流を生み。
新しい学問を生み出した。
海と陸。
二つの文明はさらに近付いていく。
誰か一人の英雄によってではない。
学び続ける人々によって。
未来は少しずつ広がっていくのであった。




