203話 漁業革命
巨大漁場発見の報告がアルカディア連邦へ届いてから一か月。
連邦全土は熱気に包まれていた。
農業革命。
紡織産業革命。
鉱業革命。
工業革命。
教育革命。
そして今。
新たな革命が始まろうとしていた。
漁業革命である。
発端は大洋調査だった。
ソフィア。
カタリナ。
エミリー。
リーヴ。
索敵部隊五百人。
工業部隊三百人。
治癒部隊百人。
薬師部隊百人。
彼らが発見した巨大漁場は、連邦の想像を超えていた。
魚がいる。
ではない。
海そのものが魚だった。
そんな表現が許されるほどの資源量だった。
巨大ゴーレム探索船の冷凍倉庫には、毎日のように大量の魚が運び込まれる。
そして今。
船内で最も忙しいのは戦士ではなかった。
料理教師たちだった。
巨大会議室。
机の上には様々な魚が並ぶ。
白身魚。
赤身魚。
大型魚。
深海魚。
魔力魚。
料理教師長が腕を組む。
「さて」
「食えることは分かった」
「ここからが本番だ」
周囲の料理教師たちが頷く。
アルカディアには既に豊富な食文化が存在している。
農業革命によって穀物がある。
畜産がある。
野菜がある。
酒造職人バルドが作る酒もある。
醸造職人グランが作る味噌。
醤油。
味醂。
酢。
各種調味料も普及済みだった。
だから今回の課題は発明ではない。
魚を最大限美味しく食べる方法の研究だった。
「焼いてみろ」
「煮ろ」
「蒸せ」
「揚げろ」
「燻製にしろ」
「全部試せ」
料理教師たちは即座に動いた。
火属性魔法が燃える。
水属性魔法が温度管理を行う。
風属性魔法が熱を均一化する。
工業部隊が作った大型厨房では、数百人規模の調理実験が始まった。
香ばしい匂いが船内へ広がる。
ソフィアが真っ先に現れた。
「試食だな」
料理教師たちは苦笑する。
完全に常連だった。
鬼人族の大女は皿を受け取る。
焼き魚。
一口。
咀嚼。
そして目を見開く。
「うまい」
周囲が笑う。
毎回同じ反応だった。
次は煮魚。
さらに蒸し魚。
魚鍋。
魚団子。
魚の燻製。
全て試す。
ソフィアは真面目に評価した。
「これは兵士向けだ」
「これは酒に合う」
「これは子供向けだな」
意外にも評価が的確だった。
カタリナも参加する。
「焼き魚が好きだな」
「いや、鍋もいい」
「待て、この燻製も強い」
完全に食事会になっていた。
その頃。
薬師部隊では別の研究が進んでいた。
中心にいるのはリーン。
薬師であり研究者でもあるエルフだった。
「魚には魚専用の調味料が必要です」
そう断言した。
既に醤油も味噌も存在する。
問題は組み合わせだった。
魚に最も合う味を探す。
薬師部隊は調味料研究へ突入した。
醤油。
味醂。
酢。
薬草。
海藻。
魚介出汁。
香辛料。
様々な組み合わせが試される。
数日後。
一つ目の成果が完成する。
魚専用合わせ醤油。
通常の醤油に海藻出汁と薬草を加えたものだった。
試食。
全員が沈黙する。
そして。
歓声が上がった。
「魚が甘くなる!」
「香りが凄い!」
「これは売れる!」
続いて。
魚鍋専用味噌。
しゃぶしゃぶ専用だれ。
漬け魚専用たれ。
魚介出汁。
次々に完成する。
研究はさらに進んだ。
そして。
ある料理教師が言った。
「生で食えないか?」
会議室が静かになる。
魚の生食。
危険だ。
病。
寄生虫。
腐敗。
問題は多い。
しかし。
アルカディアは教育国家だった。
危険だからやらない。
ではない。
安全にする方法を探す。
薬師リーンが即座に動く。
鑑定。
分析。
浄化。
精製。
数百人規模で研究が始まる。
魚の種類を分類。
寄生虫を調査。
病原体を確認。
保存方法を研究。
治癒部隊も参加した。
マイケルの弟子たちも協力する。
数週間後。
結果が出た。
「可能です」
リーンが断言した。
生食可能な魚。
安全処理方法。
冷却管理技術。
全てが完成した。
料理教師たちは歓声を上げる。
そして。
初めての料理が作られた。
薄く切られた魚。
透明感のある白身。
美しく並べられる。
刺身だった。
ソフィアが最初に食べる。
一口。
沈黙。
二口。
三口。
そして。
皿を抱えた。
「誰にも渡さん」
会議室が爆笑に包まれる。
大成功だった。
カタリナも目を見開く。
「柔らかい」
「魚なのに甘い」
「これは凄い」
エミリーも驚いていた。
「保存食とは別の価値ね」
「高級料理になる」
続いて。
しゃぶしゃぶが作られる。
熱い出汁へ魚を通す。
数秒。
特製だれにつける。
食べる。
全員が立ち上がった。
「うまい!」
料理教師たちは抱き合って喜んだ。
新しい食文化が生まれた瞬間だった。
その日のうちに研究成果は本土へ送られる。
転移陣。
念話。
映像魔道具。
教育網。
アルカディア全土へ共有された。
料理学校。
商業学校。
農業学校。
工業学校。
各地の教育機関が講習会を始める。
魚の解体。
魚の保存。
魚料理。
魚加工。
全てが教材になった。
商人たちも動く。
トミーは資料を見ながら笑った。
「これは金になる」
在庫。
流通。
価格。
需要。
供給。
全てが見えていた。
巨大市場が生まれる。
港湾都市では魚市場が建設される。
冷凍倉庫も増設。
加工工場も増設。
物流網も再編。
連邦全体が動き出した。
そして。
魚食ブームが起きた。
食堂。
酒場。
宿屋。
屋台。
市場。
どこへ行っても魚料理。
焼き魚。
煮魚。
魚鍋。
刺身。
しゃぶしゃぶ。
魚団子。
魚の燻製。
魚介出汁料理。
あらゆる料理が並ぶ。
子供たちが魚を食べる。
兵士たちが魚を食べる。
職人たちが魚を食べる。
教師たちが魚を食べる。
エルフも。
獣人も。
ドワーフも。
魔族も。
誰もが魚を求めた。
統計が発表される。
魚消費量。
前年の二百八十倍。
漁業従事者。
前年の四十倍。
港湾利用量。
前年の百倍。
全てが異常な数字だった。
しかし。
アルカディアでは当たり前だった。
教育が広がる。
人材が育つ。
人材が産業を育てる。
産業が国家を豊かにする。
それだけだった。
夜。
巨大探索船の甲板。
リーンは海を眺めていた。
隣には料理教師たち。
薬師たち。
皆疲れていた。
しかし満足そうだった。
リーンが呟く。
「魚だけでここまで変わるんですね」
料理教師長が首を振った。
「違う」
「魚だけじゃない」
「研究した人間がいたから変わったんだ」
リーンは静かに笑った。
その通りだった。
資源だけでは意味がない。
教育が必要だ。
知識が必要だ。
人材が必要だ。
かつて盗賊に怯えた貧困村。
病に苦しんだ小さな集落。
そこから始まったアルカディア連邦。
今では人口十五億人。
そして海ですら学びの場になっていた。
漁業革命。
それは食料革命ではない。
教育革命の続きだった。
環境が人を育てる。
海という新しい環境は。
また新しい人材を育て始めていた。




