173話:収穫
秋。
セレンスキー王国に黄金色の季節が訪れていた。
かつて戦火で焼かれた大地。
黒く焦げ。
作物すら育たなかった土地。
兵士達の死体が転がり。
難民達が飢え。
子供達が泣いていた土地。
その景色はもう存在しなかった。
見渡す限りの畑。
風に揺れる麦。
巨大な芋畑。
豆類。
野菜。
果樹園。
どこまでも続く農地。
人々は言葉を失っていた。
「……すごい」
「こんな光景、初めて見た」
「本当に同じ国なのか……」
農民達が呆然と立ち尽くす。
目の前に広がるのは。
歴史上誰も見たことがない収穫だった。
農業改革から一年。
教育。
土木整備。
灌漑。
衛生。
種子改良。
土壌改良。
魔法教育。
超能力教育。
全てが積み重なった結果だった。
王国中央農業管理局。
数百人の教師達が集まっていた。
その中心にいるのはマイケルだった。
かつて泣き虫だった少年。
今では数千万の教師達を育てる教導師となっている。
机の上には報告書が積み上がっていた。
「集計完了しました」
若い教師が震える声で言った。
「どうだった?」
マイケルが尋ねる。
教師は紙を見た。
そして。
信じられない数字を口にした。
「平均収穫量……十倍です」
静寂。
部屋が止まった。
誰も声を出せない。
十倍。
あり得ない数字だった。
農民達が一生かかっても到達できない数字。
それが一年で実現していた。
理由は明確だった。
教育である。
土属性魔法。
水属性魔法。
テレキネシス。
農地管理。
病害虫対策。
灌漑技術。
保存技術。
全てを教えた。
才能がなかったのではない。
教える人間がいなかっただけだった。
今。
その結果が現れている。
王都近郊。
巨大な倉庫群。
次々と馬車が到着する。
いや。
馬車だけではない。
テレキネシス覚醒者達が巨大な荷物を浮かせて運んでいた。
空中を移動する穀物袋。
山のような芋。
果物。
野菜。
豆。
農民達は笑っていた。
「運びきれねぇ!」
「倉庫が足りねぇ!」
「まだ来るぞ!」
歓声が上がる。
豊作だった。
誰もが腹いっぱい食べられる。
誰も飢えない。
それだけで人は笑える。
セレンスキー王国の市場も変わった。
食料価格が下がる。
パンが安くなる。
肉が安くなる。
野菜が安くなる。
子供達が食べる。
老人達が食べる。
難民達が食べる。
病人達が食べる。
国全体が健康になっていく。
そして。
その情報は国境を越えた。
ブーチン帝国。
かつて大軍勢で侵略を繰り返した大国。
今。
その帝国では。
別の光景が広がっていた。
荒れた畑。
崩壊した流通。
略奪。
徴発。
腐敗した官僚。
そして飢餓。
兵士達が痩せていた。
頬がこける。
足が震える。
鎧が重い。
剣を振れない。
食料がない。
輸送できない。
農民が逃げた。
働き手が消えた。
生産が止まった。
兵士達は配給所に並ぶ。
長蛇の列。
しかし。
配られるのは僅かな粥だけだった。
「これだけか……」
若い兵士が呟く。
老人兵士が笑った。
乾いた笑いだった。
「今日は多い方だ」
誰も笑わない。
笑える状況ではない。
その夜。
数十人が餓死した。
翌日。
百人が餓死した。
さらに翌日。
数百人が餓死した。
戦死ではない。
飢餓だった。
兵士だけではない。
民間人も倒れる。
老人。
女性。
子供。
家族単位で消えていく。
市場には商品がない。
金があっても買えない。
そもそも物が存在しない。
地方都市では暴動も起きた。
食料倉庫が襲撃される。
兵士が発砲する。
さらに民衆が怒る。
国中が崩れていた。
帝都。
皇帝ブーチンは報告書を叩きつけた。
「嘘だ!」
机が砕ける。
怒鳴り声が響く。
しかし誰も反論しない。
事実だからだ。
「兵士の損耗率は!」
宰相が答える。
「戦死より餓死の方が多くなっております」
沈黙。
誰も顔を上げない。
「前線は!」
「撤退を求めています」
「補給は!」
「不可能です」
「なぜだ!」
皇帝は叫ぶ。
しかし答えは分かっていた。
教育だった。
人材だった。
国家運営だった。
略奪では国は育たない。
恐怖では農地は増えない。
鞭では豊作にならない。
セレンスキー王国が証明してしまった。
人を育てれば国が育つ。
逆に。
人を使い潰せば国が死ぬ。
ブーチン帝国は今。
その代償を払っていた。
同じ頃。
セレンスキー王国。
巨大な収穫祭が開かれていた。
広場には人が溢れる。
焼きたてのパン。
蒸した芋。
煮込み料理。
果物。
酒。
子供達が走る。
老人達が笑う。
兵士達が酒を飲む。
生きている。
その空気があった。
エミリーは広場を見渡していた。
狼耳が揺れる。
かつて彼女は村を守るだけで精一杯だった。
明日の食料も不安だった。
今は違う。
「食えるってのは大事だな」
隣にいたロバートが笑った。
「当たり前だ」
「腹が減ってる奴は未来を考えられねぇ」
「腹が満たされて初めて人は学べる」
エミリーは頷いた。
その通りだった。
教育。
衛生。
農業。
全部繋がっている。
遠くではトミーが商人達と話している。
物流網がさらに拡大する。
余剰食料は周辺国へ輸出される。
利益が生まれる。
雇用が生まれる。
さらに教育が進む。
好循環だった。
セリナは静かに空を見上げた。
「環境が人を育てる」
その言葉を思い出す。
昔は理解できなかった。
今なら分かる。
人を変えるのは命令じゃない。
環境だ。
食料がある。
安全がある。
教育がある。
衛生がある。
未来がある。
だから人は育つ。
そして。
その中心にいる男は。
相変わらず目立たない場所にいた。
ケルナイン。
広場の端。
静かに報告書を読んでいる。
収穫量十倍。
病人激減。
出生率増加。
教育普及率上昇。
全て予定通りだった。
驚きはない。
当然の結果だった。
ケルナインは紙を閉じる。
視線の先には笑う子供達。
走る若者達。
働く大人達。
未来を語る老人達。
豊かな国だった。
そして彼は知っている。
この国を作ったのは自分ではない。
農民達だ。
教師達だ。
職人達だ。
兵士達だ。
学び続けた人々だ。
人材こそ国家。
その答えが。
今。
黄金色の収穫となって大地を埋め尽くしていた。
そしてその頃。
国境の向こうでは。
飢餓によって軍が崩壊し始めていた。
もはやブーチン帝国は。
戦争を継続できる状態ではなかった。
剣で負けたのではない。
戦場で負けたのでもない。
人を育てなかった。
その一点で敗北していたのである。




